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悪役聖女は再び召喚される   作者: 日下部ゆいかが
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再び召喚されたら悪役聖女になっていた




二年前、私はこの世界の聖女だった。


穢れを帯びた大陸を浄化するために、女神によって召喚されたのだ。

現代日本ではずぼらで平凡な女子高生だった私が異世界で聖女だなんて両親や友達が聞いたら大爆笑するに違いない。

そこはまるで小説や漫画の世界みたいだった。

でも平凡な私らしく、中世ヨーロッパみたいなお城があったり、騎士だとか魔法だとかあったのに、ハラハラどきどきな冒険があったわけでもなく、イケメンがたくさんいたのに恋に落ちることもなければ、昼ドラみたいな恋愛に巻き込まれることもなかった。地道にこつこつ穢れとやらを浄化したり、結界を強化したり地味な聖女の務めを無事に果たした私はこれまた地味に現代日本へと帰還したのだった。

帰還した私は浦島太郎よろしくといった理不尽な目にも遭わなくて、異世界で半年以上暮らしたのに召喚された当日に戻っていて、親を心配させることもなく、警察に迷惑をかけることもなかった。

まるで夢の出来事。

夢というにはリアルすぎる体験だったけど、ちょっと長すぎる夢の中で慈善事業に勤しんだのかなといった軽いノリで処理されていった。だって、あまりにも現実離れした経験で、所詮遠い別世界での半年近くの日々だったから、いまだにどう処理すればいいのかわからないのだ。ただ時間だけが解決してくれるものだと思っていた。だってもう自分には関係のないことだと思っていたから。

それなのに。




「嘘……大神殿じゃん、ここ……」


荘厳で巨大な大神殿の中に葵は立っていた。ドイツにあるゴシック建築のような緻密な装飾が施され、天井は高校にある体育館よりもっと高くて、巨大な白い柱が何本もそびえたっている。天井近くの窓にはステンドグラスが填め込まれ、差し込んだ光が鮮やかな色を纏って降り注ぐ。眩さに目を細めた葵の前には、美しい女神像が聖母のような慈愛の笑みをたたえ、天秤を片手に持ち、悠然と佇んでいた。その背後には大きな龍が天を仰ぎ今まさに昇らんとする姿がある。

二年前は毎日のように見ていたので間違いない。かつて聖女として召喚された異世界――アースガルズ聖国の聖都中央に聳え立つ大神殿、その最奥にある大祭壇だ。

まさか、再び召喚されることなんてあるのだろうか。

今回もまた女神が何かをさせるために呼んだのだろうか。

でも前回と違って、女神から何の説明もなく、葵は混乱する。見覚えのある景色のおかげで、一度目より立ち直るのは早かったけれど。


どうしよう。ここにいたほうがいいのかな。神殿の人たちはどこにいるんだろう。

前回はすぐに大神殿の人たちがやってきて、色々と説明してくれて、過ごしやすいように周りの環境を整えてくれた。だから葵は言われるがままに聖女を務めることができたのだ。

ぼんやりと前回の思い出に心を巡らせようとしたところ、遠くの方から物音が聞こえて、葵ははっとした。見知った顔か確認しようと、近くの小窓からこっそりと外を覗いてみる。高台に位置する大神殿からは王城に繋がる中庭や大回廊が見渡せるのだ。

段々と近くなる音は馬の蹄の音だった。それがわかった途端に葵は動揺した。神殿の関係者である司祭達は馬に乗れない。馬に乗るのは主に騎士だ。

王城にいるのは、聖国軍部の騎士しかいない。


こっちにやってくるみたい。なんで、彼らが? 

やばい、逃げなきゃ。

葵は慌てて小窓から離れて、逃げ道を探した。

軍部に見つかったら、何をされるかわからない。

二年前に耳にタコができるくらいに聞かされた。軍部の騎士達は軍事力を盾に、教会や民衆に横暴な振る舞いをしていると。特に教会を目の敵にしているので、その象徴である聖女の葵は、彼らに捕まったらどうなるのかわからない、とまで言われたこともある。

「確か、このあたりに……」

あった。大神殿の裏道に続く扉を見つける。いつのまにか、馬の蹄の音が止み、靴音がこちらに向かってきていた。この大祭壇へ近づいてきているのがわかる。

どうしよう、見つかる。来ないで。

咄嗟に葵は表の扉に向かって、手をかざした。すると懐かしい温かな感覚が体の奥底から湧き上がってくる。まるでずっと昔から知っていたみたいに、不思議なその感覚を自在に操ることができた。

結界の力。

聖女の力は主に浄化と守りの力だ。

現代日本に帰還してなくなったかと思ったけれど、どうやらこの世界に来たら、再び使えるようになるらしい。強固な結界の力が大祭壇の間を取り囲むようにして覆い、彼らを足止めしている間に葵は慌てて裏口から飛び出した。

教会関係者を探そうと思ったのだが、大神殿の周りも騎士ばかりが見当たり、それらを避けるように逃げ続けた葵は、いつのまにか、城下町まで下りてきてしまっていた。



城下町も危ないって聞いたことがあるんだけど、どうしよう。

完全に迷子だ。

様々な店が立ち並び、多くの人が行き交う大通りの隅っこで、葵は立ち尽くしていた。

二年前は殆ど大神殿の奥で過ごしていたので、まるで地理がわからない。

そもそもなぜに大神殿にあれだけの騎士たちがいたのだろう。

まさか、葵を探していたのだろうか。

いやでもそれでも神殿の関係者がいないのは変だ。

先に彼らに見つかるわけにはいかないため、大神殿に戻ることもできない。

けれどお金も持っていない葵はこれからどうしようかと思った。

城下町に知り合いなどいるわけもなく、地理もわからず、ただ途方に暮れる。

とぼとぼと大通りを歩いていると、美味しい匂いが漂ってきて、辿るといくつかの屋台の店が並んでいた。串に刺さった大きなお肉、焼きそばっぽい麺類の炒め物、ビーフシチューみたいな濃厚なスープやら食欲をそそるラインナップだ。

現代日本で当たり前の屋台は、この世界にもあったのか。

二年前は街に降りたこともなかった。日々の食事も大神殿の奥でとっていたので、なんだか新鮮な気持ちがした。

ぎゅるる、とお腹の音が訴えるように鳴って、葵は自分が昼食を食べていないことに気づいた。

太陽は中天に差し掛かる頃合いだった。何かないかとポケットの中を探ると、ガム一枚と飴玉一個が入っていた。飴玉を口の中に放り込んでなんとか空腹を誤魔化すことにする。


大通りの向こうから、騎士らしき制服を着た男性が二人見えて、葵は慌てて大通りから外れた横の道に入った。そっと後ろを確認すると、騎士たちは通り過ぎていって、葵は安堵の息を吐く。城下町を見回り中なのか、騎士や兵士らしき姿はちらちらと見かける。二年も経っているし、葵の顔を見知っている人間がそう多いとは思わないが、問題なのは葵の恰好だ。高校の制服である紺色のブレザーを着ている。ひざ丈のプリーツスカートで、紺色のハイソックスに黒のローファー。たいして、大通りを歩く人々の服装は、男性は綿のような素材の簡易な上下、女性は同じような素材でくるぶしまであるスカートが主流だ。たまにお忍びでやってきている貴族令嬢っぽい人は綺麗なドレスを着ているがやはりそれも足元は隠れている。つまり、葵の恰好はとても浮いてしまうのだ。

なんとはなしに視線も感じるような気がする。訝しげなかんじの。

やっぱり、大神殿に戻ってみようか。でも、軍部の騎士に見つかりたくない……。

そんなことを思っていると、泣き声が聞こえてきて、葵はびっくりして振り向く。

すると土壁に向かってしゃがみこむようにして、泣いている女の子がいた。

泣きながら、母を呼んでいるので迷子だろうか。

きょろきょろと辺りを見渡したが、母親らしき姿はない。それどころか、今いる通りには人が少なく、こんなところに幼い少女を一人にしてはおけない。葵は隣にしゃがみこむようにして、少女に声をかけた。

「あの、大丈夫? お母さん探してるの?」

大丈夫じゃないと思うけど、と内心で思いながら、葵は必死に少女を慰めようとした。突然話しかけられた少女も驚いたのだろう。うつむいてた顔をばっとあげて、葵を見る。小学生低学年くらいの、赤い髪が特徴的な少女だった。泣きはらした赤い目が痛々しい。

「おねえちゃん、誰? お母さんの場所わかるの?」

「葵っていうの。お母さんの場所はわからないけど、一緒に探そうか」

「あおい、おねーちゃん?」

「うん、そう。あなたのお名前は?」

「マリー」

「マリーちゃんね。近くにいるかもしれないよ? 探してみよ?」

差し出した手をじっと見つめた少女が、こっくりと頷いて、手をつないでくれた。

どうやら涙は止まってくれたらしいが、葵の方はさてどうしようかと困ってしまう。聖都の地理など一切知らないので、一体ここからどこへ行けばいいのだろう。

とりあえず人の多い場所へ行こうと、先ほどの大通りへ向かう。

「マリーちゃんのお母さん、どんなひと?」

「おかあさんはねぇ、やさしくって、あったかくって、そしてねぇ、お料理がとーっても上手なの! おかあさんの作るご飯は全部おいしいの!」

「そうなんだぁ、いいなぁ」

母親の外見の特徴を聞きたかったのだが、聞き方を間違えてしまって、葵は苦笑する。でも、子供らしい可愛い答えに、緊張も少しほぐれてくれた。

「あのね、マリーね、最近にね、ここにやってきたのよ」

どうやら、マリーと母親は最近この町へと引っ越してきたらしい。母親が働いている間にいつも遊んで待っている場所があるのだが、ついつい冒険してしまって、大通りまできてしまって、帰り道がわからず、泣いてしまったというのだ。

「そっかぁ、おねーちゃんもだよ。一緒だね」

というか、今日ついさっきだけどね、と心の中だけで付け足す。

「そうなんだ! マリーと同じだね」

そばかすの散らした幼い顔がとても嬉しそうに笑うので、葵もここにきて初めて微笑を浮かべることができた。


幸運にも、葵の危惧はわりとあっさりと解消されることとなった。マリーの母親もいつもの場所にいない娘に慌てて探しに来たのだろう。マリーの名前を呼びながら、駆け寄ってきた。マリーもすぐに気づいて、「おかーさーん」と走り出す。抱き寄せて娘の無事を確かめている母親は、マリーに似て赤髪の優しそうな女性だった。とりあえず見つかってよかったと葵が二人の様子を見守っていると、女性が葵に向かって「娘がお世話になってごめんなさいね」と頭を下げてくる。とんでもない、と葵は恐縮するしかない。結局、何もしてあげてないのだ。女性はこのあたりでは見かけない恰好の葵に疑問に思ったのだろう。旅人ですか?と尋ねてきた。

「えっと、まあ、そんなかんじで……」

「あおいおねーちゃんはねぇ、このまちにやってきたばっかりなんだって。マリーたちといっしょ!」

もごもごとはっきりしない葵と得意げに話すマリーの正反対な様子に、女性は、「まあ、そうなの」と驚いている。

「ねぇおねーちゃん、マリーといっしょにあそぼうよ」

「こら、マリー、無茶を言っちゃいけませんよ。おねーちゃんは忙しいの」

「えーっじゃあいっしょにごはん食べようよ。おかあさんのごはんおいしいのよ!」

窘める母親に負けじと、マリーも食い下がって、葵を引き留めようとする。ほんの短い間だったが、どうやらマリーはすっかり葵に懐いてしまったらしい。女性は諦めたようにため息を落とした。

「ええと、アオイさん、でよかったかしら? マリーを助けてくれてありがとう。もしこのあと用事がなければ、一緒に昼食をいかがですか? 大したものはお出しできないけれど」

「えっ、葵であってます。そんな、いいんですか、でも……」

「遠慮しないで。マリーの相手をしてくれて本当にありがとう。そのお礼がしたいの」

「おねーちゃん、はやくいこう! マリーお腹すいた」

マリーにも促され、葵は二人につれられて、引っ越してきたばかりらしいお家へと招待してもらうことになった。


白木の家具が揃ったダイニングのような部屋へ通され、椅子に座るよう促される。女性が鍋の様子を見たり、食器やら出すのを見かねて、葵も手伝いを希望するが、却下されてしまい、大人しく座る。出てきたのは、クリームシチューみたいなとろりとした煮込みスープと、パンとサラダだった。空腹の限界だった葵は、いただきますをしてすぐに食べようかと思ったが、二人が祈りをささげているのを見て、慌てて同じように祈りをささげた。こちらの世界では、食前に女神への祈りを欠かさないのだった。二年前も毎食だけでなく、朝起きたら礼拝堂へ行ってお祈り、食後もお祈り、おやつの時間もお祈り、寝る前もお祈り、とお祈りばかりしていたような気がする。現代日本人の感覚からするといつまで経っても慣れない慣習だが、郷に入っては郷に従えということわざもあるので、葵は素直に言われた通りにしていた。

「ごちそうさまでした。本当においしかったです」

マリーが自慢するのもわかるくらい、女性の料理はおいしかった。空腹の限界だったこともあり、葵は女性こそが女神の使いではないかと思えるくらい、感謝してしまう。


「ここに来てすぐだということは、今は宿をとっているの? よかったら送っていくわ」

「いえ、宿はとってなくて……」

「え、まさか、今晩泊まるところがないの?」

「あの……ここらへんで、住み込みで雇ってもらえるような場所ってありませんか?」

意を決して尋ねた葵の言葉に、女性は二の句が継げないようだった。唖然とした視線が痛かったが、この機会を逃したら、葵は大神殿に戻らざるを得なくなる。軍部に見つかりたくない葵は、どうにか彼らより先に大神殿の教会関係者と会う必要があった。とりあえず、城下町でやりすごして、教会関係者に連絡をとれるか探ってみようと思って、思いついたのが、住み込みのバイトだった。といっても、葵のような不審者を雇ってくれるような場所なんてそう簡単にないだろう。あまり期待していなかったが、女性は何やら深刻そうに考え込んでしまった。

葵の恰好や様子からして、わけありだと思ったのだろう。実際にそうなのだから、何も言えない。

「そうね、あなたのような若い女性が働けるようなところというと……刺繍や裁縫はできるの?」

「う……できません……」

裁縫なんて、家庭科の授業でしかしたことない、不器用な葵にとって苦手な作業だった。刺繍はさらに未知の分野である。

「そう、針子なら私が今働いているから紹介できたのだけど……」

「やっぱり、ないですよね……」

「そうだわ、その近くにある食堂なら、確か給仕の仕事を募集していたわ。住み込みもできると思うわよ」

「本当ですか!」

レストランのバイトなら経験のある葵は飛びついた。裁縫や刺繍は無理だけど、食堂の給仕ならなんとかなるかもしれない。

「ええ、明日につれていってあげるわ。今晩はうちに泊まりなさいな」

「やったーお泊りーおねえちゃん、マリーと遊ぼう!」

女性の言葉にいちはやく喜んだのがマリーだ。この街に来たばかりで友達が少ないマリーにとって、葵は恰好の遊び相手なのだろう。

「重ね重ねすみません……このお礼は必ず」

「まあ、いいのよ。困ったときはお互い様よ」

無事に大神殿に戻れたら、必ずお礼をしよう、そう心に決めた葵だった。


女性の名はグレースさんというらしい。翌日、グレースさんが仕事前に食堂まで葵を案内してくれて、紹介までしてくれた。人出が足りなくて困っていたのか、あっさりと働けることになった。

食堂は夫婦で経営しているらしい。最近給仕の子が辞めてしまったおかげで、人出が足りなくて困っていたようだ。なので、身元不明の怪しい人物である葵だけれど、年若い娘ということもあってか、単なる家出娘とでも思われたのか、あまり警戒されずにその日から働けることになった。最初こそ見慣れないメニューばかりで少し手間取ってしまったけれど、すぐに順応できるようになった。それもきっとレストランでのバイト経験のおかげだと思う。

夫婦はとても明るく溌剌とした気持ちのよい人たちだった。不審者でしかない葵にもよくしてくれて、嫁いで出て行った娘さんの部屋を間借りできることになり、その上、おいしい賄いつきだ。至れり尽くせりである。

ただ一つ問題があるとすれば、その食堂には下級騎士や兵士がよく訪れることだった。


まあ私は神殿にひきこもってたし、服装も今は目立っていないし(娘さんの昔の服を貸してもらえた)、王城にいた一部の騎士には知られてるけど、まさか、こんなところまで来ないよね? 

きっとそういう偉い騎士ってお城で食べるよね?

そう自分に言い聞かせ、葵は内心ひやひやしながら、働いていた。


「葵、ほら、先に上がって、賄いを食べておいで。今日はあんたの好きなケムルだよ」

葵は元気よく返事をして、お言葉に甘えて先に部屋へと戻っていった。ケムルとは、日本でいうとオムライスにとてもよく似た料理だ。初日に出してくれて、葵が目を輝かせたのを覚えてくれていたのだろう。

白米に似た穀物がこの世界にあるのはとても助かった。二年前も耐えられたのは、食事がおいしい、という部分が大いにあるかもしれない。

トマトソースで炒めて卵で覆う。その上には焼き野菜がたくさん盛られていて、女性にも人気なメニューだった。

疲れた体をほぐしつつ、葵はスプーンで口に運びながら、考える。

この世界に来て四日目。

咄嗟に大神殿により逃げて城下町で過ごすことになったが、意外にも順応している自分に驚く。ただずっとこうしてるわけにはいかないけれど。肝心の女神からの接触はいまだ何もない。



わたしは何をするために喚ばれたんだろう。

教会の人なら何かわかるかな。教会の人と連絡をとるには、神殿に行かなきゃいけないかな?

街中にある教会にいってもわかんないかな。やっぱりお城の大神殿にいかないとわたしの顔を知ってるひともいないだろうし。

やはり勇気を出して大神殿へ行こうと思ったのだが、確かあそこは一般人が入れる場所ではないと聞いていた。許可が必要か、もしくはこっそり忍び込むかだ。

できるだけ穏便にいきたい葵は、翌日、食堂が空いてる時間帯に、おばさんに尋ねてみた。


「あら、大神殿に行ってどうするんだい。お祈りにでも行きたいのかい?」

葵の質問は意外だったのだろう。おばさんは不思議そうな顔で、聞き返してくる。

「いやぁお祈りというか……ちょっと知り合い、がいまして」

「大神殿に知り合い? そりゃ、忙しすぎて、行っても会えるかどうかわかんねーぞ」

葵とおばさんのやりとりを聞いていたおじさんが、大きなフライパンを動かしながら調理場から口をはさんできた。おじさんはこの食堂を支える料理人なのだ。

「忙しすぎって、大神殿で何かあったんですか?」

「ああ、葵は最近こっちに来たから知らないのか。一年前くらいに、大神殿にいた司祭達の汚職が明らかになってな。そらもう、聖都は大混乱よ。その上、貴族様まで関わっていて、軍部によって大量に捕縛されてな。かなりのお偉いさんまで処分されちまって、大神殿の大部分が入れ替わって立て直してる最中で、人手が足りないみてーでよ。大神殿に行っても、軍部の騎士様が対応することが多いみたいだぞ」

「えええっ、本当ですか!? 汚職ってどういうことですか、軍部の騎士って、そんな、まさか」

寝耳に水すぎて、葵は思わず大きな声をあげてしまう。続けられた言葉はもっと想像を裏切るものだった。


聞けば、一年前、つまり葵が帰還したあとに大神殿にいる司祭を筆頭とした教会関係者の腐敗が明らかにされ、軍によって大量に拘束されたらしい。貴族にも腐敗は及び、大規模な作戦がとられたようだ。しかもなんとそれらの腐敗の元凶が、前代聖女、つまり自分らしい。あまりにも無茶苦茶な話に、葵はただ呆然と聞くことしかできなかった。

「あのわがまま聖女様のせいで、教会が好き勝手に権力をふるい、政治にまで介入してきたおかげで大変だったが、今はようやく落ち着いてきたらしいぞ。まったく騎士様様、黒龍公様様だな」

ちょうど昼ご飯を食べていた騎士らしき男が、「本当にいいざまだったぜ、教会の奴ら」と話に加わってくる。

「聖女を呼び出したのは自分たちの功績だといわんばかりに、でかい顔して王城にまであがりこんできていたからな。その聖女様も、わがままで性格悪くって、教会すら手に余るほどの傍若無人なお方だったらしいぞ」

「えぇぇ……」

「あたしは、聖女の力を使うたびに、宝石やら贅沢をねだってたと聞いたよ。それに世話役についた侍女たちは、聖女様のわがままに振り回され、八つ当たりされて毎日泣いてたって。どれだけ性悪な女なのかねぇ」

「うぁぁ……」

「大の男好きで、カイ様や見目の良い騎士様には媚びて、色仕掛けをかけてたって、俺は聞いたぞ」

「はぁぁ……」

散々な言われようである。

目の前にいるのが本人と知らずに吐かれる陰口がここまでつらいものとは思わなかった。しかも、葵にはまったく心当たりのない、根も葉もないうわさ話。どこでこんなに変な内容になってしまったのだろう。

そりゃ胸を張って善人ですとは言えないが、ここまで言われるほど性格は悪くはない。普通に協調性もあると思うし、わがままを働いて周りに迷惑をかけた記憶がない。むしろ、司祭達の言われた通りに従っていたはずだ。侍女に八つ当たりして泣かせた覚えもなければ、イケメン騎士に媚びるどころか近づいたこともない、と葵は反論したくなった。

しかしそれにしても、二年前に聞いてた話とあまりにも違う。


ずっと抱えていた最大の疑問を葵は口にした。

「おじさん、あの、軍部の騎士って……軍部は横暴で色々と悪さをしていて、国民には嫌われてるって……聞いたことがあるんだけど……」

最後の方は弱弱しい響きになってしまった葵の訴えに、おじさんは爆笑した。

「がははは、アオイ、それは面白すぎる冗談だぞ。嫌われていたのは軍部の騎士様でなくて、前代聖女様と教会の司祭達だろう。前代聖女様はわがままでプライドが高く、ほとんど働かなかったそうじゃないか。聖女の力を傘に着て、脅したり、金品や、贅沢な生活を要求したらしいな。平民を見下して、平民には一切力をつかわず、姿も見せず、媚びへつらう貴族だけを相手していた。それに比べて、今代聖女さまの素晴らしさよ。慈悲深く、働き者で、下町の教会まで降りて、われわれに言葉をかけてくださる」

「それにお美しいしな! 拝見するだけで明日も頑張るぞって思える」

違いねぇ!と男たちは昼間から酒を浴びながら機嫌のよい笑い声をあげていた。





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