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天使

お立ち寄り下さりありがとうございます。申し訳ございません、今回は長めです。

銀の光が瞼を通しても感じられなくなり、ゆっくりと目を開いた。

今度は眩暈は起こらない。「転移」に慣れたようだ。少し安堵したとき、レスリー殿が呟いた。

「うーん、やはり魔力の使い方が格段に上手いね。この距離を転移して、全く体に負担がかからなかった。ありがとう、ハリー」

慣れたわけではなかったようだ。国一番の魔法の使い手との評価は伊達ではなかったようだ。

ハリーは横を向いてただ頷いていた。

おや?自分に評価が厳しいだけではなく、褒められるのが苦手なのだろうか。

神の末裔が少し人間に見えた。

そう見えたことで、少し気持ちに余裕が出来たのかもしれない。ようやく周りの景色に気が付いた。

立派な「庭」のある王都の貴族の屋敷の様だった。


「僕の家だよ。今日はここで寛いでほしい」


レスリー殿がそれだけでくつろぎを促す穏やかな声で告げた時、ハリーが重厚な屋敷の入り口を見遣った。同時に入り口が開き、小さな女の子が精一杯走りながらこちらにやってきた。

女の子が近づき、その姿がはっきり分かったとき、つい先刻体験した衝撃に再び襲われた。


天使…?


僕の膝より少し高いぐらいの小さな女の子の周りは、空気が光っているような気がした。

波打つ白金の髪はハリーと同じく後光のように輝いている。透けるような肌は、大きな薄い青の瞳と鮮やかな赤い唇を際立たせていた。

少女がレスリー殿とハリーを見て、満面の笑みを浮かべたとき、一際彼女の眩しさを感じた。


「お父さま、叔父さま、お帰りなさい!」


鈴を振るような愛らしい声だった。その声を聞くだけで目元が緩みそうだ。

レスリー殿が蕩け切った顔で少女を抱き上げる。

まぁ、自分の娘で、加えて天使ならあの顔も仕方ないだろう。

しかし、叔父様?

ハリーに目を向けて、自分の目が見開いたのを感じた。神の末裔は先ほどまでの近寄りがたい雰囲気が消え去り、柔らかな空気をまとっていた。その瞳は純粋に慈愛だけを浮かべて少女を見つめていた。

慈愛を向けられた少女も明らかな親愛を返していた。


美しい絵を眺めた心地で陶然としていると、天使がこちらを向いた。

薄い青の瞳に自分を映されたとき、可愛らしさにぐらりとよろめいた気がした。

いかつい元隊員たちに囲まれていた自分は、こんな愛らしいものを見たことがなかった。

今の自分の顔は、レスリー殿のように蕩け切っているだろう。


「チャーリー君、僕のお姫様のシルヴィだ。シルヴィ、お客様のチャーリー君だよ」


「いらっしゃいませ、チャーリーさま」


シルヴィは僕にも満面の笑みを浮かべて歓迎の言葉をくれた。

直接自分に向けられた愛らしさに思考が飛びそうな気がしたが、何とか踏みとどまって、ふと気が付いた。

天使がレスリー殿に抱き上げられたまま、心配そうに僕に手を伸ばす。

目から熱いものがこぼれ続けているのだ。

もう十分泣いて、涙も枯れたと思っていたのに、先ほどまで味わった様々な人生初の体験で、引き裂かれるようなベインズへの思いも忘れられていたというのに、涙は止まらなかった。

気が付けば、僕は泣きながら天使を抱き上げていて、天使は小さく細い腕で精一杯僕を抱きしめていてくれた。



天使はある意味で本当に天使だった。ハリーの姪に当たるシルヴィは治癒の魔力の持ち主で、その治癒の効果は精神にまで届くそうだ。

あの歳で治癒だけならハリーの次に強い魔力を持っているそうだ。

直接彼女が触れなくても、彼女の気持ちが昂れば周りにいるだけでその魔力の影響を受けるそうだ。

その精神にまで届く強い魔力を抑制するために、彼女はもう少し成長したら魔法学園に入学することが決まっているそうだ。


レスリー殿の勧めで、結局、僕は天使に魔力を向けられても涙が出なくなるまで、このハルベリー侯爵家で泊まることになった。



通された心地よい客間で、寝支度をしながら、ゆっくりと窓の外を眺めた。

昨日は馬の上で感じた月の光が、冷たく部屋を照らしている。

飽きもせず、目頭が熱くなった時、ドアがノックされた。

「どうぞ」

袖で目をこすりながら返事をすると、レスリー殿とハリーが入ってきた。

慌てて居住まいを正すと、レスリー殿は苦笑して首を振った。

「何か足りないものはないかい?」

穏やかな声が夜の静寂に溶け込むようだった。

「いいえ。快適な部屋を用意して頂き、ありがとうございます」

お世辞ではなく、実際、ベインズの自分の部屋より何もかもが格段に上質で心地よかったのだ。

レスリー殿は柔らかな笑みを浮かべ、僕をソファに座らせた。


「寝る前に申し訳ないけれど、ハリーが話しておいた方がいいというので、少し時間をもらいたいんだ」

昼間と同じく、子どもの僕に丁寧に了承を得ようとする。一も二もなく頷いた。

悪い知らせだろうか?父上に…?

「まだ、新しい情報は得ていないし、見えてもいない」

どうやら顔に出ていたようだ。頭に沁みこむ声が思考を遮った。

ハリーは予知の魔力もあるそうだ。まだ悪い予知はされていないということだろう。

安堵に体の力が抜けた僕を、痛ましそうにレスリー殿が見つめるのを感じ、咄嗟に姿勢を正した。

レスリー殿は、一瞬更に表情を歪めたものの、一つ溜息を吐いていつもの「どこから見ても人の好い」顔に戻った。


「君の御父上から、君を保護してほしいと打診があったのは2年前のことなんだよ」


初めて知る衝撃の事実を穏やかに切り出した。

父上は2年も前に伝手を頼って、ウィンデリア国で宰相を務めるフォンド公爵に僕の保護を打診したらしい。公爵は即座に受け入れることを回答したが、父は内乱と飢饉が重なることを避けたかったそうだ。

僕を送り出すのは2年も延びることになった。

僕は目を閉じた。

2年前、父と王都に出かけた。途中の他の領で作物の病気が広がっていた。父は頻繁に馬から下りて、丹念に葉を調べ、僕もその症状を書き留めたものだ。

あの病気は至る所で見られ、フィアス国は一段と厳しい食糧事情になったのだ。


しかし、食糧事情はまだ回復していないのだが、父上はどうされるのだろう。

空気を支配するような声が、過った疑問に答えた。


「そこまではこちらに明かされていない。

しかし、お前の父は魔力はなくとも卓越した先見の明を持っている。各地に救済の手を差し伸べ、着実に味方を増やしてきていた。

王から求められる作物も、味方の役人たちに手を回して横流しをさせ、半分は民に配られるようにしていた。これが出来ることからもお前の父の味方の数は相当なものと分かるだろう」


全く知らなかった。

ベインズの作物の状態しか気に留めていなかった自分が、恥ずかしくなった。父上はもっと広いものを見て皆と苦労を分かち合っていたのか。


「お前の父は周到にこの事態に用意をしていた。だから、お前の父の命を案ずる必要はない。お前はなにより自分の命を守ることに専念しなければならない。自分のなすべきことを探すのはまだ先だ」

濃い青の瞳がこちらを見据えていた。その青に紫が混じっていることに初めて気が付きながら、僕はぼんやりと考えていた。

僕がウィンデリアでなすべきこと…?


「焦る必要はない。今日分かるものでもない。まずはゆっくり眠るがいい」


ハリーがこちらに手をかざし、一瞬銀の光を感じると、急速に頭に霞がかかってきた。

遠くから、長閑な、けれどどこか笑いをこらえたような声が聞こえた気がした。


「随分、彼を気に入ったようだね。細やかな気配りをするじゃないか」

「ふん、単に純朴すぎる馬鹿に呆れているだけだ。決して…」


嫌味のない穏やかで心地よい笑い声を微かに聞きながら、僕のウィンデリアの初日は過ぎていった。




お読み下さりありがとうございました。

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