番外編:天上と奈落
お立ち寄り下さりありがとうございます。シャーリー視点の話です。本日2話投稿しています。こちらは1話目です。
――世界の色が変わるほど、幸せだった。
けれど、その色はほどなくして塗りつぶされてしまった。何も見えなくなるほどに。
清々しい朝の空気を、不満を帯びた私の声が掻き乱してしまった。
「本当にハリー様は出席されないのですか」
私は銀の守護師を見送るためにドア近くで立っていた。
澄んだ朝の空気が実に相応しいハリー様は微かに口の端を動かして笑みらしきものを浮かべたものの、やはり答えを変えなかった。
「私が行くには仮面が必要だからな。祝いの席には相応しくない」
私は諦めの溜息を飲み込み、頷いた。
今日はお嬢様のご学友の婚姻お披露目パーティーが開かれる。
新郎新婦がともに魔法使いであるため、招待客は魔法使いがほとんどだ。そして学園の教師たちは私も含めて恩師として招かれているのだ。
まぁ、この美貌は隠した方がパーティーは円滑に進むだろう。
今日の新郎新婦たちは、ハリー様と学園生活が重なることはなかった。免疫がないとこの人知を超えた美は衝撃が強すぎる。祝いの気分は吹き飛んでしまうだろう。
何とか気持ちを切り替えている私に、ハリー様は声をかけてきた。
「シャーリー。シルヴィに誠意をもって今までよく仕えてくれた。感謝している」
まるで私の護衛が終わるような物言いに、私は目を見開いて彼を見つめた。
私に抗議する時間を与えず、稀代の銀の魔法使いは言葉を紡ぎ続けた。
「だから、私はチャーリーの守護石を作ることをしばらくの間忘れることにする」
不可解な言葉に私は先ほどまでの不満が消え去っていた。
そして私に言葉の真意を問い質す隙を与えず、ハリー様は微笑んだ。エルフのようなその美貌がもたらす微笑は私の頭を空白にした。空白の頭にその言葉は染み渡った。
「健闘を祈る」
立ち尽くす私の前で、鮮やかな転移をして銀の守護師は消え去っていた。
――数刻の後、皮肉なことに、私はハリー様がこの場にいないことを安堵していた。
パーティー会場は魔法使いの魔力で色とりどりになっていた。
その明るい空気の中で私はお嬢様を護衛として見守っていたが、今の私をハリー様がご覧になったら、恐ろしいまでの冷たい眼差しを向けられることが確実な状態だった。
そう考えながらも緩み切った頬を引き締めることはできなかった。
お嬢様とセドリック様がダンスをしているのだ。
二人の間に魔力が流れ合っている。笑顔を交わしながら軽やかにステップを踏み、こぼれ出る笑顔を見つめ合い、また温かく魔力をお互いに流し合っていた。
半年前の舞踏会では考えられなかった情景に、目頭が熱くなるのを堪えきれなかった。
目を瞬かせ、せめて熱いものがこぼれ出るのは止めようとしているとき、隣から声が降ってきた。
「シャーリー。僕たちも踊ろう」
驚愕に包まれた私は隣を振り返った。
チャーリーは温かな眼差しを私に向けて、微笑んでいる。
声は彼から出されたはずだった。けれど、かけられた言葉が彼から出されたものと信じられなかった。自分にかけられたと信じられなかった。
彼には舞踏会で誰とも踊らないほど、ともに踊ることを夢見ている女性がいるはずだ。
しかし、滲み出る優しい彼の気配に、からかいや偽りは欠片も感じ取れなかった。
やはり彼は私をダンスに誘ってくれたのだ。
「いいのか?」
「もちろんだよ。女性のパートは苦手かい?」
彼は優しく気遣ってくれる。嬉しさと恥ずかしさから、まるで子どもの様に声が出なくなり、首を振って答えていた。とても彼に視線を向けられなかった。
「僕と踊っていただけますか?シャーリー嬢」
爽やかな彼らしい声が、再び降ってきた。
彼は正式に私にダンスを申し込んでくれたのだ。魔力が立ち上った。歓喜が私をチャーリーへ向き合わせた。
彼は眩しそうに目を細め、しばらく私を見つめた後、ふわりと微笑んで私の手を取り、ダンスの場所までエスコートしてくれた。
――そして今、私の世界の色は輝いていた。
初め、私の背中に当てられた大きくて温かい彼の手に鼓動が跳ね、心臓がもたずとてもダンスなどできないと感じていた。
けれど、やがてダンス自体が楽しくて私は彼の腕の中で楽しむ余裕が生まれていた。
今や彼との踊りを私の全てで楽しんでいた。
彼の鍛えられた体から繰り出されるステップはキレが良く、そして見惚れるほど美しかった。
彼のリードは私を気遣いながらも、私の限界まで動きを素早いものにしてくれる。
今まで踊ったどんなダンスとも違っていた。
音に合わせて体を動かす、それがこんなに楽しいものだと初めて知った。
向かい合う彼の笑顔は輝いていた。
こんな笑顔は初めて見る。弾けるような子どものような純粋な楽しさを見せていた。
私の身体は一層軽くなる気がした。
空気も煌めいている気がした。いや、私の魔力が飛び散っていたのかもしれない。
特別の時間だった。
けれど、その時間は終わりを告げる。
息が整わず踊り続けることが出来なくなり、彼と二人で飲み物を飲んだ。喉を通るひんやりした感覚が心地よい。
高揚した気持ちがゆっくりと収まる気配を見せ始めた時、チャーリーの身体がピクリと揺れた。
彼は慌てた様子で口を開きかけ、直後に彼の背後で魔力が使われるのを感じた。
この距離で転移…?
私の疑問はすぐに解消された。
「あの、踊っていただけませんか」
声だけでも可愛らしい、けれど胸は実に妖艶さを漂わせた女性が、期待に満ちた熱い眼差しを彼に向けていた。
瞬時に彼の身体が強張り始め、機械仕掛けのような不自然さで女性に振り返っている。
背中から彼の動揺が伝わってきていた。
私は女性をダンスに誘い、彼から引き離した。
彼の苦境を助けるというより、今日は彼とダンスを踊る女性は私だけでありたかったからだ。
ダンスの場所に戻りながら、私は重い手足を必死に叱咤してダンスに備えさせていた。
頭も手足も冷え切っていた。
曲に合わせて通常のダンスをこなしながら、私は苦笑が顔に出ないように顔の筋肉にひたすら力を込めていた。
一体、私は何を勘違いしていたのだろう。
彼がダンスに誘ってくれたのは、特別な意味があったからではない。
踊りたい女性を諦めたわけでもない。
彼が私をダンスに誘ってくれたのは――、
単に、私を女性として見ていなかったからだ。
彼がダンスを断ろうとしていた、愛らしい目の前の女性を見つめ、私は現実を見つめていた。
お読み下さりありがとうございました。




