彼女との夜
お立ち寄り下さりありがとうございます。今回も少し長めです。そして、若干、糖度が高め(?)です。
受けた衝撃は間違いなく人生最大のものだったが、すぐに目を閉じたつもりだ。
だが、目を閉じても、青白く浮かび上がった彼女の裸体がしっかりと瞼にこびりついている。
目を閉じたことを疑うほど、彼女の無駄のない引き締まった体がはっきりと脳裏に映っていた。
絞られた腰のくびれ、長い手足、そして、引き締まった体で唯一丸みを帯びた――
――!
今まで味わったことのない衝動が湧き上がり、気が付けばドアに向かっていた。
そうだ、今求めているものはドアだ。ここから出るのだ。
出て、普通の世界に戻るのだ。
ドアがやけに大きく見える。こんな模様が入っていたのだろうか。
ドアをここまで意識したことはなかった。
ドアのノブに飛びつき、勢いよく回した。しかしドアは開かない。
回すのが速すぎたのだろうか。
焦る気持ちを何とか抑え、ゆっくりと回した。それでもピクリともドアは動かない。
どういうことだ。このノブは逆に回すのだったのだろうか。
逆に回そうとして、やはり、ノブは逆には回らなかった。
自分は焦り過ぎているらしい。
焦りたくもなる。
背後からゆっくりと近づいてくる彼女の気配を感じ、襟足が逆立っていたのだ。
落ち着け。後はノブを回すだけだ。逃げられる時間はある。
息を吸ってもう一度ノブを回そうとしたとき、背後から声がかかった。
「無駄だ。結界を張ったのだ」
その言葉は、希望を打ち砕いた。
僕はドアに頭を押し付けながら、膝をついてしまった。
自分の部屋からここまで必死に逃げ出さなければいけない状況も解せないが、自分の部屋から逃げ出せないのも納得がいかない。
ぼんやりと理不尽を噛み締めている間に、彼女は僕から一歩離れたところで立ち止まった。
「シャーリー。服を着てくれないか」
我ながら疲れた声だった。僕は疲れを許した。
「嫌だ」
いつものように彼女は僕の言葉を聞いてくれない。
僕は溜息を隠せなかった。
彼女が更に距離を詰め、彼女の体温を感じ取れてしまうまでになった。
息を呑み、拳を握りしめる。
「シャーリー。それ以上近づかないでくれ」
彼女が息を呑むのが分かった。
「君がどう思っているか知らないが、僕の理性には限界がある」
彼女は息を吐いて、囁いた。
「理性など捨ててくれ。チャーリー。あなたが欲しいのだ」
僕は歯を噛み締めた。
これはどういう試練なんだ?僕は何を試されているのだろう。
息遣いが伝わる距離で、愛しい女性に裸でこんなことを言われて、理性を保てる自信などなかった。
ドアを拳で叩いた。やはりドアは揺れもせず、音も立たなかった。
けれど彼女は身をすくませた。
頭をドアに強く押し付けながら声を絞り出した。
「シャーリー。僕から離れろ。君は婚姻を控えた――」
ふと、自分が何かもっと根本的に大切なことを見落としている気がした。
何だろう。
落ち着いて考えを巡らせようとしたとき、そんな考えは吹き飛んだ。
彼女が僕を抱きしめたのだ。耳元に彼女の囁きが落ちた。
「嫌だ」
何に対する、「嫌」なのか一瞬分からなかった。
分かったときには、もう手遅れだということも分かった。
背中に彼女の柔らかな胸を感じる。息が止まった。
彼女と触れ合っている全ての部分が熱を持ち、細胞の一つ一つで彼女の肌を感じ取っていた。
全身の血が暴れ出しそうだった。息が上がる。もう一度歯を食いしばり、頭をドアに押し付けた。
「私を女としてみていないのは分かっている」
怒りのあまり思わず振り返りそうだった。
全身で女性として感じている。僕の今のこの苦闘が伝わらないのか?
理性の砦はもうドアに押し付けた額の痛みだけだ。ドアに向かって唸った。
「どこから見ても君は女性だ…!」
「口先だけの慰めは要らない!」
叩きつけるような悲鳴だった。
それは、僕の怒りを凍りつかせる、哀しみに満ちた悲鳴だった。
どういうことだろう。何がここまで彼女の目を閉ざしてしまったのだろう。
驚きに固まる僕の頭に、彼女は言葉を投げ続ける。
「私に、女としての魅力がないのは分かっている」
彼女の小さく力のない声に心臓を掴まれた気がした。顔を見ずとも彼女が悄然とし、輝きを失っているのが分かる。
そんな顔をしないでくれ。君には――
息を呑んだ。
背中に熱い雫が伝ったのだ。
僕は振り向いた。
果たして彼女の瞳からは、後から後から涙が溢れだしている。
胸を引き裂かれた気がした。
力の限り彼女を抱きしめた。
「君は、僕にとってこの世で一番大切な人だ」
彼女の肩に顔を埋めながら、想いを告げた。
彼女は力なく首を振る。
僕の言葉は、もっとも届いてほしい僕の想いは、彼女に届かなかった。
夜の静寂の中、彼女の嗚咽だけが僕の耳に響く。
胸を締め付けられるような心地がして、その度に彼女を抱きしめる。それでも彼女の嗚咽は止まらなかった。彼女の涙が僕の胸を濡らし続ける。
肌が触れ合うこの距離にいて、僕の想いは伝わらなかった。
彼女を抱き込み、頭を撫でながら、彼女を泣かせたままの無力な自分に打ちのめされていた。
やがて、僕の胸の中で彼女が声を震わせて囁いた。
「抱いてほしい。せめて…、せめて思い出を私にくれないか」
――思い出、その言葉は僕を貫いた。
そうだ、これが彼女との最後の夜だ。その夜に僕は彼女を泣かせたままで終えるのか?
僕は息を吸った。
ゆっくりと顔を起こし、泣きぬれた彼女の顔を見つめる。
親指で彼女の涙を拭った。驚いたのだろうか、彼女は何度も瞬きを繰り返す。
その仕草を愛しく感じて、――目尻に口づけていた。
彼女は息を呑んだ。
名残惜しみながら、唇を彼女の肌から離し、両手で彼女の頬を包み彼女を上向かせた。
彼女は零れんばかりに目を見開いている。
彼女の下唇を親指で撫でた。柔らかく温かな感触に僕の鼓動は親指にまで届きそうなほど強くなった。
「シャーリー」
僕の声は掠れていた。
彼女が唾を飲み込んだ拍子に、僕の指は少し食まれ、身体に熱が駆け巡った。
一層かすれた声で僕は言った。
「君は魔法が使える」
目を瞬かせながら彼女が頷く。まだ涙で光っている彼女の瞳を覗き込んだ。
「いいかい、少しでも、ほんの少しでも嫌だと思ったら――、怖いと思ったら、転移して僕から逃げるんだ」
瞬間、彼女の瞳は輝き、頬は夜目でも分かるほど深紅に染まった。
僕は彼女に口づけ、そして、理性を手離した。
お読み下さりありがとうございました。完結した暁には、番外編としてこの日のシャーリーさんを書きたいと思っています。この話の投稿を始める際、今回の部分の関連でR18にして続きまで書くか、かなり迷いました。R15にしましたので、ここまでといたしました。話の時間は実質的にあと1日となりました。最後までお付き合いを頂ければ幸いです。




