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10年後

お立ち寄り下さりありがとうございます。今までの中で最長になってしまいました。申し訳ございません。

主に似て心地よい作りの部屋で、いつも通りの人の好い笑顔を浮かべたレスリー殿が言った。


「わざわざこちらに足を運んでもらって、悪かったね」

「いえ、身軽な自分が動くのは当然です」


レスリー殿は僅かに苦しそうな顔を浮かべたものの、再びいつもの顔で僕に椅子を勧めて、自分も腰かけた。

向かい合って、僕は少し驚きを覚えた。レスリー殿の顔色はさえず、少し疲れているように見えたのだ。


「応接室から声が聞こえました。お客様がお見えのところをお邪魔してしまい、申し訳なかったです」

僕が通された部屋は、レスリー殿の執務室だ。応接室の声から判断すると、少なくともお客様は二人はいるように聞こえた。約束の時間に来たものの、主のレスリー殿は対応に苦慮したことだろう。

レスリー殿は頭をゆっくりと振った。


「いや、勝手に押しかけられているんだ。君が来てくれたおかげで、抜け出す口実が出来たよ」

「レスリー殿の屋敷にはシルヴィア嬢と殿下の婚約を望む貴族が押し寄せている――、そんな噂を耳にしました」


レスリー殿は苦笑いをはっきりと浮かべた。

「残念ながら、その噂は本当だ。押しかける貴族の中に、魔法の探知に長けている人がいてね。僕は転移で抜け出すこともできない。彼らにどこへ行ったかと勘繰られるのも億劫でね」


つまり、レスリー殿は身動きが取れない状態であるらしい。疲れが見えるのも当然だろう。

「僕にできることがあれば、言って下さい」


レスリー殿は目を伏せた。

「ありがとう。嬉しいよ」

そして部屋には沈黙が落ちた。

僕から口を開こうかと思った時、レスリー殿は机を見遣り、指さした。次の瞬間には、その手元には手紙が浮かんでいた。


やはり今日の用件はこれだったのか。

僕は溜息を飲み込んだ。

こんな大変な状況にあるレスリー殿に時間を割かせてしまう申し訳なさ、予想していたとはいえ、10年経っても改善されないフィアスの状況、それらが渦を巻いて気持ちを重くした。

「お手を煩わせて――」

「君が謝る必要は欠片もない。チャーリー」


この10年で初めて聞く、強い口調だった。

僕の目は見開いてしまった。僕と視線を合わせたレスリー殿の眼差しは、口調と同じく強いものだった。

心の準備が必要なようだ。


「僕以上に、アルバートは城で身動きが取れない。だから、僕はアルバートの代わりとして君に話をしたい」

僕は静かに頷いた。レスリー殿の声は硬いものだった。それに気圧されないだけの心の準備はできていた。


「御父上は、外交上の配慮から、フィアスが諸国から得た援助を返済し終わるまでは、君を迎え入れることはできないと伝えてきた。因みに、ウィンデリアは返済は求めていないのだが、御父上は頑として譲らない」


父らしいこだわりだ。けれど、納得してしまう僕は、恐らく父の頑固さを受け継いでいる。


「彼の見立てでは、フィアス全土で5年豊作が続かなければ、それは実現しないそうだ」


とうとう、溜息を止めることに失敗してしまった。

全土で5年の豊作。そんな状況は黄金病が広がる以前でもなかったことだ。

フィアスの国土は、小さくはない。地域によって気候の当たり外れが出るのは、当たり前のことだった。

一体、どれだけの年月がかかるのだろうか。


「チャーリー、ここからが本題だと思って欲しい。アルバートは君の身の振り方について、二つ選択肢を用意している」

レスリー殿の声は低くなった。僕は居住まいを正した。

居候の身で今後の身の振り方を用意して頂くことに、やるせない思いがあったが、レスリー殿の空気は、そんなことを吹き消す緊張を醸し出した。


「一つ目はこのまま客人という立場で、過ごしてもらうことだ。この場合、城勤めのアルバートとセドリックの代わりに領地経営を君に任せたいとアルバートは望んでいる」


信用して、信頼して頂いているのはありがたかった。

けれど、遠い昔、そして今現在も、自分が城でセディに付き添えない理由を忘れることはなかった。

これ以上は、公爵家に危険を抱え込ませたくなかった。


「残る一つは、本当の意味で公爵家の遠縁になることだ」


瞬間、悟った。レスリー殿の緊張はこれを告げるためのものだったのだ。

それは、ベインズを諦めることと同義だ。

僕はゆっくりと呼吸をした。


「アルバートの遠縁の伯爵家で、嫡男が後を継ぐことが難しい家があるんだ。現当主は君の剣術に惚れこんでいる」


僕は目を伏せた。それはつまり僕の話が相談され、検討に入っているということだ。


「君がいずれは公爵家を出て市井で暮らしたい希望があるのは、アルバートも僕も知っている」


息を呑んでしまった。

確かにその希望はもっていたが、口に出したことは一度もなかった。

レスリー殿は目元を緩めた。


「歳を取ると見えるものが増えることがあるんだよ」

僕は目を伏せた。公爵にどれほど恩知らずな人間に見られていただろう。自分としては恩を感じている為の思いだが、言い訳の余地がなかった。


「君がどういう思いから、公爵家を出たいと思っているかも、年寄りには分かっているよ。

そう思わせてしまったのは、僕たち、受け入れた側の力不足だ」

「そんなことは――!」

大きな声を出した僕を、レスリー殿は笑顔一つで遮った。


「話を戻そう。チャーリー、隣国の宰相の息子を市井に放り出すことは外交上できないんだ」


あっさりと告げられた結論は、妥協を一切認めないことを示していた。

ゆっくりと胸に重石が乗り始めたのを感じていた。父が宰相にならずとも、受け入れた公爵の立場では僕の希望を叶えるのは難しかっただろう。

僕は、結局、どこかに危険を抱え込ませるしか、暮らす方法がないのだ。

思いを静めるために、目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。


「すまない」

レスリー殿は、真摯な響きで謝った。


「あなたが謝る必要は欠片もありません」


期せずして、彼の言葉を返す形になった。

思わず頬が緩んだ。彼も目元をわずかに緩ませ、その後、肩を竦めた。


「白状するよ。実は、ライアンが生まれる前は、僕も君に僕の後を継いでほしいと狙っていたんだ。いずれシルヴィはセドリックに嫁いでいくからね」


クスリと笑いが漏れていた。僕の剣を認めてくれているこの人なら、本当に狙っていたのかもしれない。

「見込んでいただいて、光栄です」


レスリー殿に安堵の表情が浮かぶ。

僕は、その明るい顔に、前を向く力をもらった。

「シルヴィア嬢がセドリック様に嫁がれるまで、僕は返事を保留にしてもよいでしょうか」


レスリー殿は、深い溜息を吐いた。

「殿下にシルヴィを嫁がせたい貴族から逃れられたら、という前提がつくが」

レスリー殿をここまで疲れさせる圧力が掛けられているのか

脳裏にシャーリーの言葉が過った。

いざとなったら、彼女の提案に縋ることもあるのかもしれない。


こんなことを考えるとは、今の僕は冷静さを失っているようだ。もしくは、シャーリーに感化されてしまったのかもしれない。


僕の焦りを他所に、レスリー殿は続けた。

「殿下のお披露目が終わるまでは、確実に猶予がある。アルバートも僕も身動きが取れないからね」


僕は頷き、静かに部屋を出た。






お立ち寄り下さりありがとうございます。2話に分けることを模索し投稿が遅れ、結局、長いまま投稿することに致しました。お詫び申し上げます。次回、シャーリーさん登場です。ようやく、チャーリーの時間が動き始める予定です。

この投稿の後に、1.5章 18「マイクの祈り」を割り込み投稿しました。最新部分の投稿でなく、ご迷惑をおかけしました。

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