表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/66

旅立ち

お立ち寄り下さりありがとうございます。

父と母は、まだ寝支度をしていなかった。夕食のときの服のままだった。

すっと自分の体温が下がり始めたのを感じた。

父と母の服装を見て、部屋の中まで付いてきたマイクは旅装束だったことに不意に気が付いたのだ。


「チャーリー、お前はウィンデリア国で暮らすのだ」


父は天気について話すように告げた。隣の母が涙ぐんでいなければ、聞き間違えたのではないかと思っただろう。


「僕だけがウィンデリア国で暮らすのですか」


父につられるように僕の声は平静だった。まだ事態を理解したくないだけかもしれなかったが、少なくとも声は震えてはいなかった。


「そうだ。今からすぐ向かいなさい」

「どうしてですか」


突然の指示だけでなく、急すぎる指示でもあった。


「時間がないからだ。私は王の命令を拒否することにした」


ほんの5分前ならば、ついに父はこの決断をしてくれたのかと喜んでいただろう。

今まで王から下った命令を教えられる度に、腹立たしい思いをしていたのだ。


「王は再び私に暴動の鎮圧の指揮を執るように命令してきた」


軍に所属していない父がこの命令に従うことはあり得なかった。

父が軍を辞めた理由は、同じ国民同士で戦うことに同意できなかったためだと聞いている。

だが、王が敬意と忠誠を捧げるに足る存在なら、父は同意したのではないかと僕は密かに思っていた。

戦に負けた後、王は疲弊した国土と国民に手を差し伸べることは一切なかった。

負けたことを認めないかのように、これまで通りの税金を課し、これまで通りの宮廷行事を続けていた。

そして、最近は頻繁に、暴動が各地で、――王都でも起きているのだ。


「断った場合、今までの3倍の作物を献上するように言われた。それでは、汗を流した我が領民が飢えることになる」


歯ぎしりを堪えるため、僕は拳を握りしめた。

3倍?

それでは、今年の収穫を全て献上しても足りない要求だ。

どこまであの王は父にたかるつもりなのだ。

そもそも、王からの要求がなければ、ここまでベインズ家が貧しい生活を強いられることはなかった。祖父の代から始まった開墾のおかげで、元隊員たちの食料も難なく提供できる収穫量があるのだ。

しかし、潤沢な食糧事情の噂を聞きつけ、ベインズ領には多くの民が流れ込んできている。その者たちを何とか養おうと、ベインズ領はもがいているのだ。

王の失政のツケを払わされていると言っていい。


加えて、王は吸い上げた作物を民に回すのではなく、隣国に売ってお金に換えているのだ。

全く、王の命令に従う気にはなれず、僕はいつも父の決断が歯がゆかった。


「私はどちらも拒否することにした。王に謀反の疑いありと断じられても仕方ない」


むしろ積極的に反旗を翻してほしかったが、領地経営に関わっていない今の僕にそれを言う資格はなかった。

だから早く大人になりたかった。周りに「坊ちゃん」と、子どもとみなされないようになりたかった。


「僕もお傍にいさせてください」


王は父が要求を拒否することを想定しているだろう。軍を送り込み、父を捕らえ、農作物を略奪し、王の直轄地とするだろう。

愚かで短慮な決断だ。

父がいなくなって、この収穫を維持できると思っているのだろうか。

父は領地を回って、日々、作物の状態を確認し、肥料や水の管理を領民と相談していた。努力あっての収穫量なのだ。

父はこのベインズの収穫の要だ。守らなければならない。


「お前を人質に取られたくないのだ、チャーリー」


心臓を刺された気がした。衝撃に僕は息を呑んだ。それが理由なら、父に妥協してもらう余地はなかった。そして自分も父の決断に抗うことができなくなってしまった。


「私の決断を曇りなきものにするため、領民のため、ウィンデリア国に行きなさい」


母が僕を抱きしめた。抱き着いたといった方が正しいかもしれない。


「いつまでですか?」


母の肩越しに尋ねた。父の目は赤く、そして濡れていた。父の目が濡れているのを生まれて初めて見た。


「5年経って、まだ呼び戻せない時には手紙を送ろう。10年経って、まだ会えない時は――」


父は声を震わせ、続きを言えなかった。

母は強く僕を抱きしめた。僕も母を抱き返した。母はもう一度腕に力を込めた後、僕から身を離し、箱を差し出した。

ぼんやりとした頭で何も考えずに箱を受け取り、箱を開いた。

青い宝石のついた指輪が収められていた。


「ベインズ家の代々の当主が妻に贈る指輪よ」


まだ父と母が宮廷行事に参加していたとき、母はこの指輪を嵌めていた。空の青よりも濃く、海の青より澄んだこの青色が好きで一度母に見せてもらったことがある。宝石の台座の裏には家紋が彫られていた。


「10年経って会えない時は、ベインズ家はお前の子どもが継ぐのだ」


父の言葉に頭が付いていかなかった。


「ウィンデリア国で幸せになるのだ。家庭を築き、お前のベインズ家を作りなさい。

もし…、私たちが迎えに行けるようになれば、お前の子どもがこの領地を継げばよいのだ」


「領地がなくとも、迎えに来てください」


もう涙を抑えきれなかった。母はもう一度僕を抱きしめた。父は、母ごと僕を抱きしめた。

父のくぐもった声が母の肩から聞こえた。


「ああ、どうなろうとも必ず迎えに行くとも」




屋敷の入り口にマイクと僕の馬が既に用意されていた。マイクが馬に荷物を縛り付けている間に、屋敷を振り返った。

先ほどまで食堂で踊っていた皆が、入り口から出て整列していた。

皆の顔が、笑顔を作り出そうとして無残なほどに失敗し、歪な顔になっている。

僕は皆に別れの挨拶として手を振った。

それが合図となったかのように、皆が一斉に笑顔を諦め、泣き始めた。

僕は歯を食いしばって、視線を逸らした。


「坊ちゃん、もう行きましょう。急がなければなりません」


マイクの言葉に俯いたまま頷き、馬に乗った。月明かりがあるとはいえ、夜に人を乗せるという滅多にない事態に、馬は少し落ち着きがなかった。宥めようとたてがみを撫でようとしたが、目がかすんで上手く撫でられなかった。

まだだ、まだ涙を零すな…!

僕の限界を察知したかのように、マイクはいきなり馬を走らせ、僕もその後を追った。


「チャーリー!!」


母の悲鳴のような叫びが聞こえた。

僕は歯を噛み締めて、振り向くのを堪えた。



お読みいただきありがとうございました。

ヒロインが登場するのは、11話目(もしかすると1話こぼれ話を入れて12話目)となる予定になりました。3月に入ってしまうと思います。申し訳ございません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ