目前の衝撃
お立ち寄り下さりありがとうございます。申し訳ございません、今回、長くなりました。
最近、屋敷の空気が明るい。
セドリック様が隠すことなく、顔から、いや、体中から喜びを漂わせ、屋敷の皆が笑顔を浮かべてその様子を眺めている。
理由はただ一つしかない。屋敷の誰もが知っている。
もうすぐシルヴィア嬢が学園を卒業し、王都に戻ってくるからだ。
ほぼ5年、二人は離れていた。
その間、お互いの魔力を使って頻繁に手紙のやり取りをしていたが、やはり直接会えないことは辛かったのだろう。
セドリック様は今までに見たことがないほど、輝きに満ちていた。
そして、いよいよ、シルヴィア嬢の卒業の前日、セドリック様は学園に行くことになった。
シルヴィア嬢が参加する、最後の魔法の試合を観戦するためだった。
一日でも早く再会したいという思いも勿論あったのだろう。
「約束を果たすんだ」
頬を薄っすらと染めて、剣の稽古の後、セドリック様はそっと呟いた。
「どんな約束なのです?」
更に染まった頬を見て、僕は笑いながら返事を諦めた。
ついにセドリック様は片割れの天使に求婚するのかもしれない。
僕は学園には行かず、ジミーの旅に同行することにした。
少しでも二人きりの再会の時間を増やしてあげたかったのだ。
僕は満面の笑みを浮かべたセドリック様を見送った後、自分もジミーと共に馬を駆けさせた。
――けれど、後に僕は自分の決断を後悔することになる
「その作物は見込みがありそうなのかい?」
僕が農夫から分けてもらった苗を覗き込みながら、ジミーがのんびりと尋ねてきた。
「生育条件を考えれば、見込みがあるのですが…」
僕は肩を竦めた。
この2年ほどの間に、フィアスではまだ育てられていない、乾燥に強く、暑さに強い作物をいくつか送ってみたものの結果は思わしくない。
フィアスの大地に合う合わない以前、そもそも大地はほとんどがやせ細っているからだ。
何度も国中を悩ましている、「黄金病」。
この病に葉が侵されると、葉は黄金色のように変色し枯れ始める。その草だけを抜いても、周りの草に既に広がっているようで、遅くとも二日後には周りの草がやられ始めるのだ。
畑を焼いて、病を根絶したように見えても、翌年にその畑からまた病が広がりだすことがほとんどだ。
病を恐れて、土そのものを焼いている地域もあるが、土壌の生き物を殺すことになり、土地がやせ細って別の病気が広がりやすくなる。
まさに悪循環だった。
ぼんやりと苗を見ながら考え事をしていたせいだろうか。
注意が欠け、思わずつぶやいてしまった。
「今日、ジミーが視察に出るとは思いませんでした」
「どうしてそう思ったのかな?」
「学…」
――学園に行ってシルヴィア嬢の試合を観ないのかと言いかけ、慌てて口をつぐんだが、遅かった。
「いつから気づいていたのかい?」
のんびりした声は、僕の失言をうやむやにはしてくれなかった。
確かに失言をしたが、あれだけの発言で気づかれるというのは、おかしい。
どうやら僕の態度が随分前からジミーに疑問を持たせていたらしい。
僕が『ジミー』を振り返ると、彼は覆面を外し、「どこから見ても人の好い」笑顔を浮かべていた。
僕は諦めた。
「初めて手合わせをしたときに、貴方はマントを外しました。そのときです」
レスリー殿は目を見開いた。
「僕の剣の師匠は、相手の筋肉を観察することを僕に叩き込んだのです。筋肉で相手が得意としている攻撃がある程度予測できると。
――ジミーもレスリー殿も同じ筋肉でした」
嫌味のない、朗らかな笑い声が響いた時だった。
僕の胸は急に振動を感じた。
ハリーの魔法石か?
忍ばせていた首飾りを慌てて襟元から取り出す。銀の魔法石がやはり振動していた。振動だけでなく銀の光も放っている。
セドリック様が魔法を加えた剣戟をするようになってから、ハリーにもらったものだ。
魔法の攻撃に対して、結界を張る石だ。かなり強い結界のようで、セドリック様は自分の攻撃がさらに勢いを増して撥ね返ると、苦笑していた。
今は攻撃を受けていないのに、どういうことだろう。
魔法が使えるレスリー殿に相談しようと、振り返り、息を呑んだ。
レスリー殿の顔から血の気が引いていた。
そして、彼は馬に駆け寄った。
「学園――、いや、ここからなら公爵家の方が近い。公爵家に戻ろう」
僕たちは公爵家を目指して、馬の限界まで駆け続けた。
日が暮れたころ、屋敷にたどり着くと、屋敷は混乱していた。
ほんの少し前に、セドリック様がハリーに付き添われて、帰宅したらしい。
出迎えたセバスチャンは、青ざめた顔で教えてくれた。
彼が動揺をここまで見せているのは、初めてだった。
そう思った瞬間、自分の鼓動が聞こえ始めた。
僕はレスリー殿を置いて、セドリック様の部屋に駆け込んだ。
薄暗い部屋の中でセドリック様は一人佇んでいた。
大きな怪我はないようだ。安堵したものの、同時に別の可能性が頭を過った。
シルヴィア嬢に怪我が?
僕は唾を飲み込んで、声をかけた。
「セドリック様、明かりを付けましょう」
セドリック様はゆっくりと僕を振り返り、そしてそのままゆっくりと倒れ込んだ。
――!
彼を抱き留め、助けを呼ぼうとしたとき、背後から、驚いた心にも沁み込む声がした。
「命に別状はない」
振り返れば、薄明り中でも輝く銀の髪が目に入った。
セドリック様を寝台に運び、ハリーから事情を教えてもらった。
今日の試合で、シルヴィア嬢の対戦相手は、無謀にも竜巻を起こそうとしたそうだ。
そして、魔力の暴走が起こり、シルヴィア嬢はその暴走を静めるために、限界まで魔力を使った後、意識を失ったのだ。
「セディには、竜巻の暴走が起こった時点ですぐ傍にいるシルヴィの命に危険を感じ、恐怖を覚えた。そして、彼女が暴走を止めるため限界まで魔力を使い、恐怖に追い打ちをかけられたのだ。
過去の殿下の毒殺未遂の記憶が蘇り、現実と混同してしまったようだ」
ハリーは額に手を当てた。
「人間は、普通、明日も今日と同じことが続くと無意識にとらえているものだが、今のセドリックは、シルヴィが今日も明日も生きていることを認められていない。
そして、生きていることを認めさせようとしても、死の恐怖で心を閉ざして、認めさせられないでいる」
出会ってからこの方、ここまで愁いを帯びた表情を見せたことがない、銀の魔法使いを見遣り、後悔が胸を貫いた。
今日、学園までセドリック様に付き添っていればよかった。
ハリーは事態の収拾に忙殺されていただろう。身体に支障がないセドリック様は一人だったはずだ。
自分がセドリック様に付いていれば、事態の直後からシルヴィア嬢が生きている現実を教え続ければ、もう少し、彼を過去の悪夢から引き戻せたのではないだろうか。
寝台に横たわるセドリック様は、血の気がなく恐ろしい程の白さだった。
気が付けば、僕はセドリック様の頭を撫でていた。
満面の笑みを浮かべたセドリック様を見送ったのは、今朝のことだった。
今朝、屋敷の皆は二人の婚約を楽しみにしていた。こんなことになるとは、誰も予想していなかった。
セドリック様、明日から何度でもシルヴィア嬢が生きていることを伝えます
ようやく戻ってきた貴方の片割れの天使が、隣に立つ日まで、ずっと伝えますよ
僕は息をゆっくりと吐き出し、気持ちを整えてから、椅子に座り瞑目している銀の魔法使いを見た。
「君は大丈夫かい?」
長い銀の睫毛が持ち上げられ、紫の混じった濃い青の瞳がこちらに向けられた。
彼がここまで疲れを隠せない程なのだ。溺愛する姪の危機、混乱する学園、セドリック様の状態――、彼に圧し掛かったものは軽くなかったはずだ。
ハリーはわずかに俯き、艶やかな銀の髪でその顔を隠しながら、囁いた。
「お前の部屋にある、私のお気に入りの紅茶を味わいたい気分だ」
僕は頷いた。それには賛成だった。
今必要なのは、明日からのための英気を養うことだ。
彼が淹れるほど美味しくは淹れられないが、お茶を味わおう。今日は砂糖を加えてもいいかもしれない。
僕とハリーは静かにセドリック様の寝室から立ち去った。
お読み下さりありがとうございました。体調が安定せず、次はいつ投稿できるか不安で、長いまま投稿してしまいました。申し訳ございませんでした。次回は、ようやくシャーリーさんが登場する予定です。




