ジミーの祈り
お立ち寄り下さりありがとうございます。
アルバートの部屋に、転移で入り込んだ。
彼の魔力は微かだが、気配を感じ取ったのだろう、書類から目を上げて溜息を吐いた。
「今日は『ジミー』として来たのか」
「ああ、この後、チャーリーに手合わせを頼む予定だからね」
「忙しそうなら、諦めるのだぞ」
アルバートは平然と酷なことを言ってのけた。
この屋敷に来るときの、最大の楽しみなのに。
僕は答えを避けるために、話題を変えた。
「今回の視察で彼は落ち込んでいたのかい?」
片眉を上げ、話題を変えた意図に気づいたことを示しながらも、アルバートは答えてくれた。
「出発の時は、行かせるのを止めさせるか悩むほどの落ち込みだった」
僕は目を伏せた。無理もない。
もう少し、こまめにフィアスの状況を知らせるべきだったかもしれない。
「今後、『ジミー』の仕事の幾つかにチャーリーを同行させてほしい」
驚きに目を瞠った。
僕の仕事は諜報活動だ。他国の宰相の息子にさせることではない。
「フィアスの土地に強い作物を探したいそうだ」
――ついに、彼は動き出すのか
いささか複雑な思いをしながら、アルバートの依頼に得心した。国内はもちろん諸国も回る僕の仕事は、チャーリーの目的を満たすことができるだろう。
それに、チャーリーの人柄は周りの緊張を解しやすい。
つまり彼が傍にいてくれれば、人の口も緩みやすく、僕の仕事も捗ることになり――、
「チャーリーは5人に取り囲まれても、逃げる術を身につけさせられたようだ」
僕の打算に満ちた思考はアルバートの一言でかき消された。
「5人…、すごいな」
「君でもそう思うのか」
「ああ、是非、僕も教授してもらいたい」
僕の興奮を他所に、アルバートは肩を竦めた。
「レスリー、一体、何を隠している」
アルバートは出し抜けに核心をついてきた。
「僕は『ジミー』だろう?」
僕は笑って見せた。「どこから見ても人の好い」笑顔のはずだ。
アルバートの眼光に鋭さが増した。
「それで逃げられないと分かっているだろう」
勿論、分かっている。ただの時間稼ぎだ。
5人に取り囲まれる事態をチャーリーの周囲は警戒していた事実が、アルバートに伝わってしまったのだ。一体、どんな事情があっての警戒か、当然、探るだろう。
「君に報告する必要はないと判断したまでだよ」
「必要の有無は私の判断事項だったはずだ」
アルバートの声が幾分固いものになった。
「ベインズ侯爵が、その命を懸けて隠そうとしたことだ。子どもを持つ親として、僕はまだ君に報告するべきか迷っている」
「君が聞き出せたのなら、秘密が漏れるのは防げない。報告しろ」
溜息が漏れた。秘密を知ってから、15年ほど、フィアスでその秘密が漏れた気配はなかった。だから、僕も報告する必要は感じていなかった。
けれど、最近、ベインズ侯爵が、ベインズ領民が、あれほどひた隠してきた秘密が、噂となり始めたのだ。
フィアスの苦境が、人々の口を緩めてしまったのだろうか。
そろそろ潮時なのかもしれない。
「チャーリーは、呪いをかけられたんだ。5歳の時に」
アルは片眉を上げた。「まだ、聞くのかい?」と一縷の望みをかけたが、首肯されてしまった。僕は覆面を外し、髪を掻き上げた。
「屋敷の広間に、突然、見知らぬ女性が現れたらしい。まぁ、転移だろうね。そして、チャーリーに跪いて『ファイスの救い主』と呟き、涙を流しながら彼の手の甲に口づけを落としたそうだ」
「はた迷惑な女性は、その後どうしたのだ」
今度は僕が肩を竦めた。
「また、突然、広間から消えたそうだ。やはり転移したのだろう」
アルバートの顔から表情が抜け落ちた。
「チャーリーが5歳…、現国王の父が処刑されたころか」
「そうだよ、処刑の一週間前だったそうだ」
謎の人物が真の予知者なら、恐らく、処刑は随分以前に予知していたのだろう。
今の国の疲弊も予知していたのかもしれない。
その絶望から、遠い将来の希望に縋りたかったのかもしれない。
同情はするが、短慮だったのは否めない。
親としてみれば、反逆の意思があると解釈され、『救い主』たる息子が処刑されても不思議はない事態だ。
どれほど、迷惑なことだったろう。
ベインズ侯爵は、その「呪い」の後は、以前にも増して農業に力を入れ、周辺に手を差し伸べるようになった。『救い主』を自分がこなし、息子を護る意図があったと思われる。
勿論、息子に最高の剣の技術を身につけさせ、直接的にも息子を護っていた。
息子を国外に逃がした後も、手を緩めず、内乱を起こし、新しい国王に仕え、宰相という表舞台に立つようになった。
けれど――、
「フィアスの疲弊は根深い。その噂に火が付く可能性があるな」
アルバートはその渋面に似合った、苦り切った声で呟いた。
「チャーリーに知らせるのは、止めてくれないか、アルバート。噂は、『救い主』が存在する、としか伝わっていない。『救い主』が誰かまでは特定されていない」
ベインズ侯爵の望みは、息子のささやかな幸せなのだ。
僕はアルバートの厳めしい顔を、強い意志を乗せて見つめた。
アルバートは即答しなかった。厳めしい顔は微動だにしない。
部屋の沈黙が重くなった時、アルバートは肩を竦めた。
「単なる戯言の情報を仕入れてきたのだな。戯言に煩わされる暇などない」
僕はようやく心から笑みを浮かべることが出来た。
そして、フィアスのために動き出そうとしているチャーリーに、心の中で祈りを捧げた。
チャーリー、君は、単に君の人生を歩めばいいんだ。
呪いが成就されるかどうかは君の責任ではない。ベインズ侯爵は君にフィアスを忘れさせたくて、ここに送り込んだのだ。
――どうか目の前の幸せを見逃さないでくれ
お読み下さりありがとうございました。花粉との不仲が続いております。定刻投稿を心がけます。




