告白
――ぴちゃん
なにか水音が聞こえ、集中していた本から顔を上げて窓のほうを見つめるが雨は降っていない。
ただ部屋は暗くなっており、読書にどれほど集中していたのかと苦笑する。
カーテンを閉めて部屋の電気をつけようと立ち上がったところで、また幻聴が聞こえた。
――ぴちゃ
それと同時に頭の中に誰かの肩が見える。
ああ、これは――と、すっかり暗くなった窓の外を見つめながら古い記憶を思い出していた。
雨の日に傘を忘れた。
ここまでは誰でもよくあることだ。
そして当時親しかった友達の傘に入れてもらった。
そこまでもいい。
その後、ただの友人でしかなかった彼にまさか愛の告白を受けるとは思っていなかった。
「好きだ」
シンプルな三文字。
彼が何を思って告白をその日に選んだのかは知らないが、思わず半歩ほどの距離を離れた。
けれど肩に雫が当たって、濡れてしまわないように傘に入れてもらったのだからとまた元に戻る。
自分の無意識のその行動を何と思ったのか、彼は告白するときも前を見ていた瞳をこちらに向けてきた。
彼がとまったので傘も必然とまり、自分も濡れないために彼に従うしかない。
「好き、だよ」
もう一度言われた言葉。
聞いていなかったと思われたのだろうか、と一瞬考えたがそれはないだろう。
そしてふと、彼の自分とは接していない方の肩が濡れていることに気づいた。
自分を濡らせないために傘を自分のほうへ傾けていたのか。
彼の優しさは知っている。
彼の隣が心地いいのも知っている。
けれど恋ではない。
恋ではないけれど、今断ったら自分はどうなるのだろう。
断った自分が彼の傘に入れられたまま家まで送られるのは、少しずうずうしすぎないだろうか。
こちらを見ている彼の視線から避けるように濡れている彼の肩を見つめたまま、自分は交際の肯定を示すように頷いた。
ただ、雨に濡れたくない。
それだけだった。
当時の自分はバカだったなあ、と思う。
そして濡れたくないから肯定するかもしれないと彼が思っていたならすごいとも思う。
一生聞くことはないけれど。
本に栞を挟んでから閉じ、カーテンを閉めようと立ち上がって窓に手を伸ばしたところでぱっと部屋の電気がついた。
「また集中してたのか。暗い中で読むなっていつも言ってるだろ」
「あ、あれ?今日帰るの早いね?」
「朝にそう言ったよな、俺」
ドアにもたれ軽いため息をつく男性に苦笑いを返しながら慌ててカーテンを閉める。
いつ家の玄関が開いたのだろう、分からなかった。というよりいつもある『これから帰る』のメッセージがスマホに来たかどうかも分からない。そもそもスマホはどこだ。
きょろきょろと部屋の中を見渡しているといつの間にか近づいてきた男性にケータイをさしだされた。
「キッチンにあったぞ。レシピ検索しながら料理でも作ってたのか?」
「あ、あはは……。ありがとう」
「メッセージに気づかないなら俺ラインする意味ある?」
私を責めるというよりはひとり言のような感じでぽつりと呟いた。電話にすべきか、という声も聞こえる。口に出してるって気づいてないな、これは。
しかし、私もいくら趣味が読書とはいえ集中しすぎるのは悪い癖だ。しかもこんな日に限って。
でも面白かった。男女の初恋の物語だった。
ああ、だからあんな幻聴が聞こえたのか。
でもなあ。どうせなら……。
「ごめんね」
「ん?……また俺声に出してた?」
肯定すればむむ、と口を尖らせる。
「あー……その、いいんだよ、俺がしたくてやってることでもあるんだし。それより、ただいま」
「おかえりなさい」
そう言えばいつものようににこ、と愛嬌のある笑顔を見せてくれた。
一緒に部屋を出てリビングへ向かう。
「俺お腹すいちゃった」
「じゃあさっそく晩御飯にしよ、もう温めるだけだから。今日は頑張ったんだから!」
「おお、楽しみ。それとさ、はい」
少しだけ歩みを速め、テーブルの上に置いてあった花束を持ちこちらに差し出してきた。
「おお、ありがと。毎年毎年、いい旦那さんですねえ」
「こちらこそ毎年毎年、ご馳走ありがとう」
恥ずかしさが出た顔は花束で隠し、花びんが置いてある場所へ向かう。
どうせなら、打算なんかでOKした告白よりもきちんと想いを込めて返事したプロポーズのことを思い出したかったなあ。
なんたって今日は、結婚記念日なのだから。
足したもののほうが長い……。
もとのは削除しました。