テスト勉強と呪殺の噂話
わたしは学校のテストの成績が良い。学年でもトップ5には入る。多分それは勉強に対する抵抗感が低いことが一番の要因で、わたしは何時間でも勉強をし続けられる。それだけ飽きもせずに勉強をし続けられるからには、きっとわたしは勉強が好きなのだとは思っている。成績が良いのを褒められると嬉しいというのはもちろんあるけれど、わたしにとってその優先順位は低いし。
そう言ったら、ある学校の先生が「素晴らしい」と言った。その先生によれば、競争させて無理矢理に勉強させるような“外発的動機付け”重視の指導方法は色々な意味で好ましくないのだそうだ。生徒にかかるストレスが重くなり過ぎてしまうし、テストで良い点数を取れればそれで良いという風潮を生み出してしまう。テストに出題されなくても価値のある知識や技能はたくさんあるのにそれが疎かにされてしまう可能性だってある。だから、生徒が勉強を好きになるような“内発的動機付け”重視の指導方法が求められていて、わたしのような生徒はその理想形なのだそうだ。だけど、それはほとんど上手くいっていないというのが実情らしい。恐らくは、“ゆとり教育”というのは、それを履き違えたものじゃないかと、その先生は言っていた。勉強の内容じゃなくて、“指導方法”に問題があるのに、内容の方を変えてしまったのじゃないかと。
わたしは正直に言うと、そういう教育問題にはあまり関心がなかった。わたしはわたしでマイペースで勉強をするだけ。そう思っていたんだ。
でも、ある事件が切っ掛けでそれが変わった。それは、実力テスト前の勉強期間に入ったある日、事故で人死にが出たことが切っ掛けだった。
その日、いつも通りに登校していたわたしは、なんだか通学路の雰囲気が騒がしいことに気が付いた。
ただ、時々聞こえて来る話声から、「人が死んだ」とか、「転落死」とかいった単語が耳に入って来たけれど、それがまさかうちの学校の事だとは思っていなかった。学校の近くの何処かで事故が起こったのだろう、くらいに考えていたのだ。
ところが、学校に着いてみるとそこにはパトカーが停まっていて、警察官も何人かいた。救急車はもういなかったけど、これだけの条件が揃っていれば分かる。学校で、誰かが死んだんだ。
教室に入っても皆の話題はその事で持ち切りだった。なんでも、同学年の女生徒が階段から落ちて死んだらしい。友達もその話題を振って来る。わたしは人の死で騒ぐのは不謹慎だと思って、乗り気にはなれなかった。そのうち、そんなわたしの様子を見て取った友達の一人が、わたしにこんな事を言って来た。
「大丈夫? 学校で人が死んだのが、そんなにショックだったの?」
どうもわたしは繊細に見られる性質らしいから、静かなままでいるわたしを見て、気分が悪くなっていると勘違いをしたらしい。
「うん。ちょっとね……」
と、わたしはそう返す。否定するのも面倒だと思ったのだ。その時わたしは、その小さな嘘の所為でか、無意識の内にその友達から視線を逸らした。そして、少し離れた席に座っている五条橋君と目が合ったのだ。
五条橋君はわたしと目を合わせるなり、慌てたような素振りを見せ、それから口を開いて「大丈夫?」と言った。もっとも、声はわたしの所までは届いて来なかったが、口の形の変化でそれと分かった。わたしは「うん」とそれに返す。
五条橋君もテストの成績が良い。それで皆からはわたしのテストのライバルのように思われている。わたしは特に興味がないのだけど、その所為でわたし達は注目を集めているらしい。そんな彼から心配されてわたしは、少し嬉しいような気がしないでもなかった。
その転落事故は、悲しい出来事ではあったけど、ただそれだけでそれほどのインパクトをわたしに与える事はなかった。死んでしまった女生徒は同学年ではあったけど、知り合いでも何でもなかったし、転落死は結局、事故だったらしいし。ところが、それからしばらくが経って、少しずつこんな噂話が聞こえ始めたのだ。
「転落した女生徒は、呪い殺された」
わたしと同じクラスに黒宮さんという呪いが使えるという噂のある女生徒がいる。スレンダーな体型をしたミステリアスな雰囲気のある人で、詳しくは知らないのだけど、ちょっと前に起こったカエルのお化けの事件にも関わっていたとかいないとか。噂は、その彼女がその女生徒を呪殺したというものだった。
呪いなんて馬鹿らしいとは思った。ただ、呪いというのは嘘でも、黒宮さんが何かをやって呪いを成就させるように見せかけるという話もある。もしそれが本当ならば殺人だ。
自分でも驚いたのだけど、わたしはたったこの程度の事で動揺をしてしまったらしかった。噂を信じたつもりなんてないのに、勉強に上手く集中できなかったのだ。結果としてその時の実力テストでわたしは成績を下げてしまった。
因みに、わたしのライバルとされている五条橋君は逆に成績を上げていた。もしかしたら、わたしは皆が思っている通り、意外と繊細なのかもしれない。
それからしばらくが経って、今度は期末テストが近づいて来た。今度こそはがんばろうと思ったのだけれど、その辺りでまた噂話が流れ始めた。
「呪いの黒宮さんが、また誰かを呪っているらしいわよ」
別に何か大きな事件が起こった訳ではないし、起こる兆候もなかったのだけど、やっぱりわたしはそれを気にしてしまっていた。またテストで悪い点を取るかもしれない。そしてそう不安に思っていた矢先、噂の当事者の黒宮さんがわたしの前に現れたのだ。
わたしは放課後、いつも教室で少し居残り勉強をするのだけど、そこに彼女は姿を見せた。関わらないようにしようと思ったのだけど、彼女はこうわたしに話しかけて来るのだった。
「ねぇ、呪いが気になっているのでしょう?」
彼女はとても可笑しそうにしていた。わたしは誤魔化そうと思ったのだけど、彼女は「隠そうとしても無駄よ。顔に書いてあるもの」とそんな事を言って、それを許してはくれない。そしてこう続ける。
「実はね、また呪いが行われているという噂は本当なの。ただし、私が呪っている訳じゃないわよ。そして呪われているのは……」
それから黒宮さんは、ゆっくりとわたしに人差し指を向けて、
「あなた」
と、そう言った。
わたし?
わたしには自分が呪われている心当たりも呪われるような心当たりもなかった。驚いているわたしに向って、黒宮さんはまた口を開いた。
「正確には、あなただけじゃないけどね。敢えて言うなら、この学校の生徒全員かな? もちろん、私も含めてね。そして、その中でもあなたは別格のターゲットのはず……」
わたしはそこでようやく声を出した。
「あの、わたしが呪われているって何かの勘違いじゃないの? まったく、心当たりがないのだけど」
すると彼女は馬鹿にしたような感じでこう言った。
「何を言っているのよ? あなた、成績が下がったじゃない」
それは確かにその通りだけど、それが何だと言うのだろう? わたしが訝しげに思っていると彼女はわたしの手を引いて、「ついてきて、呪いを解いてあげるから」と何故かそんな事を言って歩き始めた。わたしは何故だかそれに抗えず、一緒に歩いて行った。彼女はどうやら図書室を目指しているらしい。聞いた事がある。黒宮さんは、よく図書室で勉強をしているのだ。
図書室に着くと、黒宮さん以外にも鈴谷さんという女生徒と、名前の知らない演劇部の女生徒二人がいた。演劇部の二人は知らないが、鈴谷さんもよく図書室を利用している女生徒で、民俗関連が好きな人だと聞いている。
「そのカウンターの向こうに隠れていて」
鈴谷さんがわたしにそう言った。図書室の本を借りる為のカウンターがあるのだが、いつも誰もいないから入っても叱られる事はない。
「大丈夫だよ、直ぐに終わるから」
と、演劇部の女生徒がそれに続ける。
なんだかよく分からないまま、わたしはその言葉に従ってしまった。
黒宮さんは「さて、そろそろ時間ね」と言うと、お行儀悪く机の上に座った。鈴谷さんはその右隣に立ち、演劇部の女生徒二人は一歩離れて左に立つ。
何だと言うのだろう? これが何が始まるんだ?
そう思っていると、不意に図書室のドアが開いた。驚いた事に、そこには五条橋君の姿があった。静かに彼はドアを閉める。
「今日は。時間とおりね、五条橋君」
それを見て、黒宮さんがそう言った。五条橋君は彼女達に近付きながら言った。
「君達か。あんな変な手紙を寄越して来たのは。妙な言いがかりは止めてくれ」
「妙な言いがかりって?」
「僕が呪いの噂を流したって話だよ! どこにそんな証拠があるって言うんだ?」
わたしはその言葉に驚く。
“え? 五条橋君が呪いの噂を流していたの?”
黒宮さんは肩を竦めていた。
「証拠だって。どう思う、鈴谷さん?」
それに鈴谷さんは淡と応えた。
「証拠のあるなしなんて意味がないわね」
五条橋君はそれを聞いて頬を引きつらせた。
「なんだと? 君達は、証拠もないのに誰かを裁こうって言うのかい? 呆れたな。魔女裁判だってもう少しマシだぞ」
その彼の様子を見て、黒宮さんは楽しそうに笑った。
「裁く? 裁くつもりなんて私達にはないわよ」
それが合図だった。演劇部の二人が、無言のまま図書室のドアに回り込む。五条橋君の退路を断った形だ。
「あなたが、どうやって私達が彼女を呪い殺したのを知ったのかは分からない。その証拠があるのかないのかテキトーなのかもどーでもいい。だって、いずれにしろ、ここであなたを呪い殺してしまえば、それで済む話でしょう?」
黒宮さんがそう言い終えると、演劇部の二人がまるで輪唱をするように「呪い殺してしまえば済む話でしょう?」とそう言い、何かの呪文らしきものを唱え始めた。
「な、なにを言っているんだ?」
五条橋君は明らかに怯え、動揺していた。その時、黒宮さんはバックの中から何かを取り出す。それは綺麗な銀色の包丁だった。そして彼女はうっとりとそれを眺め、机を降りると真っすぐ彼に向って近づいて行った。
それに五条橋君はいよいよ慌てる。ドアから逃げようとしたが、演劇部の二人が何か細工をしたらしくドアは開かない。
黒宮さんは綺麗な包丁を手に、そんな彼に迫っていった。
「いや、ちょっと待って!」
五条橋君は叫ぶ。
「僕は君達があの女生徒を呪い殺したなんて知らなかったんだ! 証拠も何も持ってない! 僕を殺す意味なんてないぞ!」
黒宮さんは「フフフ……」と笑う。
「証拠がない? なら、何故、私が呪殺したなんて噂を流したの?」
五条橋君は再び叫ぶ。
「それは、少しでも僕の成績を上げようと思って…… 不安を与えてやれば、きっと成績が落ちると思ったんだ!」
そして、その五条橋君の告白を聞くなり、鈴谷さんが言った。
「はい。証言は取れた。少しやり過ぎよ、黒宮さん。そんなものを持ち出したら、下手すれば脅迫罪になっちゃう」
それで場の空気が変わった。演劇部の二人も怪しい呪文を止めていた。ケラケラと笑いながら、黒宮さんが言う。
「あら でも、この包丁、オモチャよ?」
鈴谷さんは呆れながら返した。
「そういうのは相手がどう思うかが重要なのよ」
それを受けて、五条橋君が言った。唖然とした表情で。
「だ、騙したのか?!」
透かさず黒宮さんは返す。
「あら? 文句を言える立場? あなたが流した噂で、私や皆がどれだけ嫌な気持ちになったか分かっている?」
そこでわたしは図書室のカウンターの中から出て来た。五条橋君はそんなわたしの姿を見て更に驚いた。「き、君は…」と、そう呟く。わたしは二人にこう尋ねた。
「あの……、これは、一体なに?」
鈴谷さんが淡々と返した。
「見たまんまよ。
五条橋君が転落死した女生徒は呪いで殺されたって噂を流したの。皆の、恐らくは特にあなたの成績を下げようと思って」
わたしはそれを聞いてもまだ事態をよく飲み込めていなかった。それでなのか、鈴谷さんは更に続ける。
「殺人事件が近所で起こると、子供達の成績が下がるって調査結果があるの。私が知っているのは殺人が頻繁で起こるような貧困地帯で、更に貧困問題を悪化させる問題点として指摘されていたものだけど、五条橋君は恐らくそれを利用したのよ」
その説明で、わたしはようやく理解できた。皆の成績が下がれば、自分の成績が上がる。五条橋君はそれを狙って、皆の成績が下がるような不安を煽る呪いの噂話を流したのだ。わたしはそこでまじまじと五条橋君を見つめた。五条橋君はそれで目を伏せた。
「テストの成績が良いからって頭が良いとは限らないってよく言うけど、本当にそうねー」
と、その後で黒宮さんが言った。鈴谷さんがまた言った。
「自分の悪口を流している奴がいるって、黒宮さんから相談されてね、それで聞いて回ったら、五条橋君が呪いの噂をしていたって話を耳にしたの。テストの成績に固執している彼になら動機があると思って、演劇部の人達にも協力を求めて一芝居打った。そうしたら、案の定だったって訳……
まぁ、ちょっとよくないやり方だったとは思うけどね。脅迫みたいなもんだし」
それからまた黒宮さんが、項垂れている五条橋君に向けて言った。
「あんたは、なんとかがんばって呪いの噂がデマだって事にするのよ? もし、失敗したら、この件を皆にばらすからね」
五条橋君は無言だったけど、拒否するつもりがないのは明らかだった。
少し前に、ある大学受験の科目に世界史がないのでそれを教えていない高校があると問題になった事があった。でも、世界史は言うまでもなく、社会を生きる上でとても重要な知識だ。学習をさせる為にテストがあるのに、これでは本末転倒。
五条橋君のこの件も、恐らくはそんな本末転倒の一例なのだろう。他の人の邪魔をして、相対的に自分の成績を上げたって、自分が何かをより多く学習した訳じゃない。
こういった事を引き起こしてしまうのだから、テストの成績を競争させて、無理矢理に勉強をさせるって、やっぱり問題の多い指導方法なのだろう。
……因みに、わたしはその次のテストの成績も芳しくなかった。勉強に身が入らなかったんだ。その原因が、五条橋君の件でショックを受けた、わたしの異性に対するなんたらかんたらである事は、まぁ、わたしだけの秘密である。
参考文献:暴力の解剖学 エイドリアン・レイン 紀伊國屋書店




