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7.池魚故淵

登場人物:セイ、ヒスイ

 熱を出した男がうわごとで、大米粥ダァミィジョウが食べたいと言っていた。


 久方ぶりに熱を出し、寝込んでいた男の元に女が夕餉を持ってきた。聞けば、うなされながらも自分は女の問いかけにきちんと答えていたのだという。粥とは、口当たりが良いように、米をどろどろになるまで煮込んだものなのだと。


「まさかそなたが、乳糜にゅうびを好んでいたとは知らなんだ」


「は、乳糜にゅうびでございますか……?」


 夢うつつで己がどんな説明をしていたのかさっぱり覚えておらぬが、果たして一体何が持ってこられたというのだ。未だ耳にしたことのない名前を聞いて、男は一抹の不安を覚える。男が食べたいのはただの白粥である。そのまま盆の上に乗った器を見て、小さな声でうめいた。


 そこにあるのは色とりどりの果実の砂糖漬けと、肉桂シナモンなどの香辛料。中央にはこんもりと乳白色に輝く粥。けれどそれは、甘ったるい香草バニラと乳の香りを漂わせている。おそらく贅沢にも、たっぷりと砂糖が入っているに違いない。


乳糜ライスプディングは、西国でも有名な甘味であるのだがな。あまり他国のものには評判が良くないのだ」


「……そうでございましょうな」


 たんたんと答える男の心も、こう見えて千々に乱れている。男の故郷にも南瓜や小豆を入れた粥は確かにある。だがそれは女子どものおやつであり、甘いものがあまり得意ではない男は手を出したことなどない。それすら超える未知の甘味、乳糜にゅうび。本当に己がこれを食べるというのか。


 ごくりと息を呑む男に、女は天女のような微笑みで囁いた。


「それはな、料理長に無理を言って一緒に作らせてもらったのだ」


「陛下が……でございますか?」


「大事なそなたが倒れてしまっては仕事にならぬ。早う元気になっておくれ」


 そう言って、微笑まれては食べるより他に道など残されていない。男はゆっくりと口に入れ、そして盛大にむせた。死ぬほど、甘い。反射的に口から出してしまいたくなるのを必死で堪える。涙目で女を見れば、女がおかしそうに笑っていた。


「慌てて食べるから、そうやって喉に詰まらせるのだ。どれ、食べさせてやろう」


 ああ、王よ。貴女は何と美しい笑みでその言葉を吐かれるのか。愛しい女に手ずから食べさせてもらう喜びと、この恐ろしい食べ物を完食するより他にないのだという事実に、男は身震いする。それを寒気だと思ったのか、女は優しく男に薄手の上着をかけてやった。


「さあ、召し上がれ」


 ふうふう、あーん。女は可愛らしい仕草で、悪魔の食べ物を男の口に押し当てる。ああ、何故だろう。目から汗が噴き出してきて、王の御姿が曇って見える。


「そうか、泣くほど旨いか」


 男はこくこくとただ頷くばかりである。


「良ければおかわりもあるからな。初めて料理をしたので、少々作りすぎたのだ」


 少しばかり恥ずかしそうに頬を染めて笑う女の姿を見て、男は己の運命を悟った。


 そのしばらく後、侍医によって男の部屋にかけられた「面会謝絶、絶対安静」の札。2日後に政務に復帰した男に尋ねてみれば、ぐっすりと眠りこけた自分を見て医師が勘違いをしたのだと笑い飛ばしていた。


 意識朦朧とした男は、吐き気を堪えて必死に丸まっていたのである。池の魚は、生まれた池を懐かしく思うという。気ままに旅に生きてきた男は、初めて故郷の味を懐かしんだ。国王の腹心の部下が死ぬのではないか、そうすれば己は打ち首である。そう思った侍医がどんな心持ちであったか、女が知ることはない。


 東国の大米粥しろがゆと西国の乳糜ライスプディング。二つの違いを女が知るのは、東国へ渡ってからのことである。

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