4.勤労奉仕
登場人物:長兄
似合わぬ日よけ帽を被り、貴人とその護衛はちまちまと桜桃を摘んでいた。
力を入れ過ぎれば潰れてしまいそうであるし、そっと触るだけでは意外にも実を摘むことは難しい。図体のでかい男が四苦八苦しながら、無骨な手でちまちまと桜桃を摘まむ姿は妙に微笑ましい。その横でいつも情けない顔をして主人に振り回されている護衛が、これぞ収穫の見本といわんばかりの勢いで桜桃を籠いっぱいに山盛りにしていた。
「うまいものだな」
「そう褒められますると、恥ずかしゅうございます。元々家業でしたので、単に慣れておるのです」
無駄口を叩くと同時に手が止まる男と違って、護衛の手はおしゃべりをしても止まることはない。説明をしながらもさっさと次の木に移動を開始する。男も慌てて、護衛の後を追った。いつもと異なる光景に、護衛はくすりと笑う。
先日の屋台街の賠償として、すぐ下の弟は兄に勤労奉仕を要求した。うろたえる兄に、弟はいつも通りの柔和な笑みで言い捨てる。仕事もせぬど阿呆の尻拭いに使う金などありませぬ。税というのは全て民から預かったもの。必要なお金はご自身の体でお支払いくださいませ。助けを請うように男が奥方の顔を見れば、無言で離縁状に判を押そうとしている。悲鳴を上げて、男は勤労奉仕に励むことになった。
可哀想なのは、男の勤労奉仕に全て付き合う羽目になった護衛である。溝川の掃除に、馬の脚洗い、家畜小屋の修理に網の補修、街路樹の伐採に屑払い。貴人の護衛とは思えぬ仕事である。とはいえ男は貧農の出であったから、これぐらい苦にもならなかったのであるが。
「農家の方が、護衛などよりよっぽどおもしろいのではないか」
「貧しい農家でしたし上には兄たちもおりましたから、後を継ぐというわけにもいかなかったのです」
「なるほど、いろいろあるのだな。人は食わねば生きてはいけぬのだから、物を作る民たちが貧しいというのは世の中の仕組みとしておかしいのだが。いやはやなかなかに難しいものだ。もう少し職業の自由があれば良いのだがなあ」
男は顔を顰めながら、うんうん唸っている。思わず護衛は突っ込んだ。
「主人様が、士官の方法を変えてくださったではありませんか。あれは何より職の自由を与えてくださいました。学もなく礼儀作法もよく知らぬ自分がここにいるのは、主人様のおかげです」
「俺が? 何かしたか?」
本当に心当たりがないのであろう、良い年をした男がきょとんとしている。
「科挙を廃止されたではありませんか!」
「ああ、あれか。あんなもの、大概本で確認すれば良いであろう。何が悲しくて、暗記に一生を費やさねばならんのだ」
何だそんなことか、そう言わんばかりの軽さで言い切って、男はまた真剣に桜桃を摘み始めた。ぶつぶつと、ここは日当たりが良いせいか実の形も良い、帰りに奥方への土産に少しばかり買って帰ろうなどと独り言を呟きながら。
科挙を廃止するということが、どれだけ大変なことなのか男はわかっていないのだろうか。明日の栄華を夢見て、小さな頃から学問に励む裕福な家庭の子弟たち。広く開かれた門と言いながら、その実試験を受けることができる人間は生まれた時点で決まっている。老人になるまで合格できぬ者もいれば、不正行為で死罪になる者、不合格を苦にして死を選ぶ者も珍しくない。それを男は、無意味であるとあっさりと廃止した。
新しい士官の方法は、多岐に渡る。自分はさて何と言って士官の口を願ったのであったかと考え込み、男は膝を打った。己は村一番の俊足で、収穫物を荒らす猪や猿さえも必ず捕まえることができると申し出たのでは無かったか。まさか連れてこられた先にいたのが、時期国王とは夢にも思わなかったのであるが。
「俺を見てみろ。お前は学が無いといつも自分を貶めているが、こうやって上手いこと桜桃を摘んで見せるではないか。いやこの数日の勤労奉仕、お前がいなければ俺は何の役にも立たなかった。俺こそ何も出来ぬ木偶の坊だ。ただ俺は、俺以外の賢い者たちに素直に頼ることができるのだ」
我が弟も奥方も、ひとかどの人物であるぞ。もちろんお前も良い男だな。そう言って笑う男の元に、この畑の主人がやってきた。手に酒瓶を持っているところを見ると、今日の仕事はどうやら終いらしい。もう酒を呑み始めたように、男は喜色を浮かべた。
男はいつも自分のことを末の弟の代理なのだと言っている。王の座に未練などないから、要らぬと思う制度や役人はどんどん捨てていくのだと。自分が邪魔なら、さっさと己を廃嫡すればいいものを。そう言って憚らない。酒を呑みながら豪快に笑う主人を見て、男は良い主人を持った自分の幸運を噛み締めた。




