20.歌舞音曲
登場人物:香梅、妓楼の主人
香梅は、当代一の舞の名手である。
東国には幾つもの舞がある。華やかな扇を使った扇舞に、鋭く銀色に輝く剣を持つ剣舞。けれど香梅がもっとも得意とするのは、無手で踊る舞である。
いや、無手というのは語弊があろうか。香梅は、演舞の際に好んで袖が身の丈ほども長い、東国の装束を身にまとう。その袖を高くなびかせて舞えば、香梅は空を飛ぶ鳥にも、天女にも、花の精にだってなれるのだ。
その昔、この舞で時の東国の王を射止めた下賤の女がいたという。姉妹揃って舞の名手で、後に傾国の美女と言われた彼女たちであっても、今の己に敵いはしないとそんな自信さえ香梅にはあった。
箏の音がはたと止む。
ここから盛り上がりを見せる曲だというのにそれを無粋にも止められて、女は不満げに顔を上げた。美しい女が眦を吊り上げて言い募ろうとしたその時、穏やかな声が場に響いた。
「いけない子だね、小梅。心ここに在らずだ。何を考えているのだい」
固く閉じたままの眼でこちらを見据えられて、香梅は唇を噛んだ。
当代一と謳われる香梅に合わせてくれるのは、小さな頃からずっとこの美しい男だと決まっている。光を失った代わりとでも言うのだろうか、男の奏でる箏の音は優しく甘く、それでいて何にも流されぬ強さがある。それはまるっきりこの男と同じなのだと、女はぼんやりと思う。
言えるわけがない。空を駆ける鴈にも、月に住まう嫦娥にも、ただ一夜だけ姿を見せたという梅の精にもなれる女が、一見の客に気を取られていたなんて。
当代一の舞の名手を自認する香梅を見て、あの男は露ほどにも興味を払わなかった。聡い女はすぐに気がついた、この男の中には心に決めた相手がいるのだと。楼閣にもたまにそんな客が現れる。楼閣の花を歯牙にもかけぬ男どもが。
香梅は、賢い女だ。男たちがこの楼閣で囁く愛は、仮初めのものだとよく知っている。遊び慣れた男たちと、一途に恋をし愛を育んでいる男の違いは一目でわかる。
あの夜、一見の客として訪れたあの男は、黄金の瞳に己を映さなかった。舞台の上からそれに気づいた香梅は興醒めし、思わず舞の途中で男を睨みつけた。よもや男に気づかれるとは思わなかったが。己の不機嫌を察したのであろう、その場で箏の音に合わせて踊りだした男の剣舞は女でさえ見惚れるほどに美しかった。
香梅にとって、男は皆十把一絡げである。大哥以外の男は、皆同じであった。男という生き物はどんなに美しい面をしていても、その一枚皮の下には、女たちから大切なものを盗み奪い尽くしていく、ならず者が潜んでいる。だから香梅は、男たちから奪う。何者にも負けぬように、その足場を崩さぬように。
それなのにである。男の目に映りたい、ずっとこのまま舞を共に続けたいなどと思ってしまっただなんて、誇り高き香梅には言えるはずもないのだ。
「もう今日は終いだね」
男が言えば、気の強い女は表情を変える。練習に身が入らないなど、香梅にあってはならない。客の前であろうがなかろうが、男と女にとって舞は一つ一つが同じくしない、特別なものである。雑念を振り払い、女は構えをとる。
「良い子だ、小梅」
再度、男の箏の音に合わせて、女が舞い始める。今の香梅の心に迷いはない。ただ兄代わりの男と舞を踊る、それだけだ。軽やかに舞う香梅は、只人ではない、どこか気高き存在のようでもある。
可愛い妹の中に生まれた変化を、男は既に知っている。それが何か、まだ言うつもりはない。如何様にも形を変えうるそれ。生まれての柔らかなものを、男はどこか懐かしいものを見るような思いで感じ取る。それが何かを見極めるのにはまだ時が足りない。
男はうっそりと笑う。ただ、今だけは、二人だけの世界。




