19.衣香襟影
登場人物:セイ、ヒスイ
どうして、そんな格好なのかと女は不審そうに問うた。
北の塔を脱出してから、数刻余り。もうすぐ夜が明けようとしている。ひたすら馬で駆けてきた男と女は、王都から離れた寂れた街道のほとりで人心地ついていた。揺らめく炎のそばで、二人は身を寄せ合って暖をとる。
男は、女の不審そうな眼差しを感じて嘆息した。男にだって時と場所を選ぶ頭はある。いくら常日頃、男が東国の衣装を身につけているからといって、逃避行の最中にまで東国の装束に拘るはずがない。むしろ街並みや人の群れに溶け込めるように、西国風の着替えを用意していた。仮装ではない、擬態だと思えば良いのである。
そう答えれば、女に指摘されてしまう。北の塔に助けに来た際には、東国の衣装を身につけていたではないかと。男は痛いところを突かれて押し黙る。だが、言えるはずもないではないか。求婚する際に、仮装をしたくなかったのだと。他の男に思いを捧げたと思い込んでいた主人に、せめて見目だけでも整えて愛を乞いたかったなど言えるわけがない。
「似合わないということは重々承知しております。次の次の街で、東国人の楽団と落ち合うまでの辛抱です。どうぞお許しくださいますよう」
だから男は、話を逸らす。苦笑しながらそう言えば、女はそっぽを向いた。だからそなたは何もわかっていないと、何やらぶつぶつ呟いている。とは言えこの冬の寒さの中、身を寄せ合っているのだ。意地をはろうにも、男の手で幾度も優しく髪を撫でられた女は、あっさりと白旗を揚げる。
「……ってる」
渋々、仕方なさそうに女が口を開く。その言葉は余りにも小さくて、隣にいる男の耳にも届かない。二人で一つの身体かと勘違いするほどに、こんなに隙間なく身を寄せ合っているにもかかわらず。だから男が女に聞き返したのは、仕方のないことなのだ。決して可愛らしい女の声で、その言葉を再度言わせたかったというわけではないのである。微かな気配や音さえも拾う男の耳や目は、愛しい女に関してだけは何故やら上手く働かぬ。
「……は? なんと仰いましたか?」
「似合っていると言ったんだ! 見惚れていただけだ。不快な思いをさせて悪かった」
頬を染めて、己を上目遣いで見上げる女のなんと愛おしいことか。惚れた欲目でこの姿を見てくれるのならば、仮装した甲斐があるというもの。男はおどけて女の手をとると、淑女への騎士の礼をとって見せた。ますます顔を赤らめた女が、これ以上顔を見られぬようにするためかぐいぐいと頭を男の胸に押しつけてくる。子猫のように手足をばたつかせているのを見て、男は頬を緩めた。
「余りに似合うから心配なのだ。これ以上、他の女の気をひいてどうする」
わたしだけのものでいてくれ、そうか細い声で懇願されて嬉しくない男がいるだろうか。
「何処で覚えてきたというのです、そんな言葉……」
思わず、片手で顔を覆う。今が夜明け前で本当に良かったと男は安堵した。きっと今の己の顔は、驚くほど赤くてだらしのない顔をしているだろうから。今度あんなことを言われてしまったら、きっと場所を問わず女を抱きしめてしまうだろう。
これからもまだしばらくの間、命懸けの逃避行が残っているというのに、男は口角が自然と緩んでしまうのを抑えられなかった。




