17.喋喋喃喃
登場人物:香梅、妓楼の主人
東国街随一の楼閣で、美しい男と女がゆるりと紫煙を燻らせていた。
「小梅、またお客に無理難題を吹っ掛けたね」
絹糸のような長い黒髪をした男が、柔らかな声音で女に声をかけた。美しい男である。女とは異なり腰まである艶やかな黒髪を、結い上げることもなく流しているというのに、なぜここまで匂い立つような色気を振りまいているというのか。同じように艶やかな黒髪を、豪奢に結い上げた女は煙管を咥えたまま可笑しそうに笑う。そのままゆっくりと言葉を返した。
「大哥、あれはあいつが阿呆なのよ。どうしたら自分のものになってくれるかと聞かれたから、この国一番の麗人の名をあたしが手に入れたらって答えただけ。それがどうして、国王の暗殺につながるというの」
ころころと女は笑う。まだ記憶に新しい、西国の若き国王を襲った春の大事件。あれを引き起こしたのが、色街の女の言葉を本気にした男だなんて誰が想像つくだろう。男にとって不幸だったのは、金があったことか頭が足りなかったことか。女はあまりに可笑しかったのか、床に蹲る始末。女の声に驚いたのか、店の猫が軒先に逃げ出した。
色街の女の断り文句を本気にするなんて。今までだって女に恋い焦がれた男は、幾人もいた。どうすれば添い遂げてくれるかと問う男達に、女は今までも多岐にわたる応えを返してきたものだ。
例えば、東国に伝わる先読みの水鏡を持ってきてくれたらだとか。例えば、草原の民に伝わる千里を駆ける銀の馬を連れてきてくれたらだとか。砂漠に住む民が密かに育てているという黄金の棗を食べてみたいだとか。斑竹姑娘もかくやと思わせるその応え、それはつまり、お前のものになることはないという女の答えなのだ。本気で探しに行く方がどうかしている。
「けれど、小梅。もし男たちがお前の望む品を持ち帰ったとしたら、お前はどうする。その対価を払うことはできるのかい」
今度こそ、女は吹き出した。色街に咲き誇る花としてその名を知らぬ者はいない香梅のことを、未だに小梅と呼ぶ兄さんが、こんなに浪漫主義者だっただなんて。男娼として買われたくせに、いつの間にか店の元の主人を蹴落としたこの男が何を今更言うというのか。
「馬鹿な兄さん。好きになった相手の所為で、光を失ったというのに。たかが恋一つで、男娼に身を落として男に抱かれて生きてきたっていうのに。何を未だに夢みたいなことを言ってるの」
香梅が皮肉げにあてこすって笑えば、男は怒ることもない。その固く閉じたままの眼は、何も見えていないというのに、香梅は自分の心内を見透かされるような心持ちがする。楼閣の者なら誰もが知る、言ってはならないその言葉。けれど男はただ何処か悲しそうな顔をして、女を見つめるだけだ。男が女に抱く哀憐の情を感じて、香梅は苛立たしげに顔をつんと背けた。
階下で、黄色い声が聞こえた。どうやら今夜のお客は期待できそうだ。長くゆっくり骨の髄までしゃぶり尽くしてやる。女はぺろりと唇を舐めると、挑戦的に瞳を輝かせた。そんな女を見て、男は嘆息する。美しく、誇り高く、愚かな小梅。おまえは未だ恋を知らず、人を愛することの罪深さも知らない。
「可哀想に、おまえはまだ子どもなのだ。私は心配なのだよ。いつかお前が何か……」
いや詮無きことかと男は、頭を振る。
「さあ、香梅ゆきなさい、お客様がお待ちだ」
前半は子どもの頃からよく知る兄代わりとして、後半は一流の楼閣の主として言葉を紡ぎ、男は女を送り出す。女がさし直した紅は、まるで血のように赤い。
香梅は足取り軽く階段を下りて行く。その先で、身を焦がすような恋に落ちるとも知らないで。