14.棣鄂之情
登場人物:長兄、雨仔
あの時自分をその背にかばった兄は、英雄のように輝いて見えた。
今日も上の兄は仕事を抜け出し、何処ぞへ出掛けてしまったらしい。珍しく護衛もまかれてしまったようで青い顔をしておろおろしている。すぐ下の弟は、溜息をつきながら窓の外の景色を見て驚いた。
庭梅がこんな時期に咲いている。本当ならば四月頃に咲く花だというのに、ここしばらくの温かさに春が来たのだと勘違いしたのであろうか。この様子では、梅と例えられた赤い実を今年は食べることはできそうにない。また寒さがぶり返せば恐らくは枯れてしまうであろうことを惜しんで、兄は仕事を抜け出したのだと得心した。
あの日、幼少の時に兄に見せてもらった庭梅もこんな風に薄く桃色に色づいていたと男は懐かしく思い出す。何くれと可愛がってくれるあの兄と己が、腹違いの兄弟だと一体誰が思うだろう。生まれた時期は双子のように近いものの、その立場は天地ほどの差があった。
一方は身分高き女の子どもとして生まれ、もう一方は下働きの女の子どもとして生まれた。一方は祝福された婚姻であり、一方はただ一度のお手付きに過ぎなかった。一方は待ちわびられた誕生であり、一方は生まれる前から忌み嫌われた。
城の住み込みの女中でありながら腹の膨れた母のことを、手元に引き取ってくれたのは兄の実母であった。同じように孕んだ女、しかもまだまだ少女というべき幼い女が打たれるのを見て止めに入らぬ訳がない。そう義憤に燃える女の姿は、まこと兄の実母らしい。出産の際にあっさりと死んだ母に代わって、己を育ててもらった恩は一生かけても返せないだろう。
けれど、兄の目の届かぬところで弟は爪弾きにあった。お手付きとは言うものの真偽もはっきりせぬ、同時に母親も身分の低い子である。あの日も庭の池に沈められ、礫を投げられていた。声もあげずに、ただいつものことだとじっと耐える。相手がいつ飽きるものか、じっと息を殺して待っていたその時だ。剣を振り回しながら兄がその場に乱入してきたのだ。
「俺の弟に何をする」
そのまま勢いよく剣を振り回す。幸い相手に怪我はなかったが、逃げ回る際に枝が折れたり、花が踏み荒らされたりと中庭はひどい有様である。貴族の子だか腹違いの弟達だかわからぬ子弟たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。どうせ怒られるのであるから、ついでだとばかりに兄が取り出したのは、何処からくすねてきたのか芳醇な酒であった。
「兄弟の契りを交わそう。そうすれば、お前の父が誰であろうか、母が誰であろうがもはや気にせずとも良いだろう?」
当時、英雄譚にはまっていた兄はそう瞳を輝かせて言い募った。
「けれど桃園は此処から少しばかり遠いのでは?」
そう可愛げもなく言い返せば、兄は庭梅が咲いている場所があると言って自分を連れて行ってくれたのだ。城の奥まった場所にある兄のお気に入りの場所。そこで盃を交わし、我らは真の兄弟となったのだ。ただの真似事といえばそれまでである。けれど、あの頃の自分にとって、兄が差し出したあの手は無上の喜びだった。それはいまでも変わらない。兄のためと言われれば、己は喜んでこの首を差し出すだろう。
あの後、子どもゆえに相当に酔っ払い酷いことになったらしい。喧嘩の件も含めてしこたま怒られたはずなのに、あまりに兄が格好良かったからか、そこまでで記憶は途切れてしまっているのだ。
義姉には、自分から謝っておこう。もう今日の仕事は終いである。子どもの頃のように急ぎ足で秘密の場所に駆けていけば、庭梅を見ながらゆるりと酒を呑む兄の後ろ姿が見えた。