12.流言蜚語
登場人物:長兄、雨仔
女に興味のない弟君もとうとう年貢の納め時だという噂を、男は街で耳にした。
「何だ、水臭いではないか。好いた女ができたなら、さっさと連れて来れば良いものを」
男は豪快にすぐ下の弟の背を叩く。幾つかの帳面をめくりながら、数字をつきあわせていた弟は集中力を削がれ、仕方なさそうに仕事道具を机の脇に寄せた。眉間に深く刻まれた皺を、兄がこの上なく楽しそうにぐりぐりと押してくるのが鬱陶しい。
「兄上、一体いつ誰が誰と結婚するというのです」
「おまえ、女ができたのだろう? いやあ、良かったなあ。いつまでも、好きな女しか抱きたくないと言っておいて、そのくせ女にちらりとも興味を持たぬから、一生童貞ではないかと心配しておったのだ」
兄は心底嬉しそうに笑う。心配なのは弟が一生独身でいることではなく、一生童貞でいることなのかと知り、開いた口がふさがらない。きっと兄は、王族の血が増えようが減ろうが、濃くなろうが薄まろうが、ひいては他国と混ざろうが、髪の毛一筋ほども気にしないに違いないのだ。
すぐ下の弟は、兄も巻き込むことにした。義姉に声をかければ女も思うことがあったのであろう、無言で頷く。この顔を見ればわかる、義姉の時とて、恐らくこの兄は何一つ己で準備をしていないのだ。平時の仕事に加えて、さらに雑事に追われる弟の目が剣呑な光を帯びる。
執務室から今まで空室となっていた部屋へ場所を移す。だだっ広い部屋だったはずのそこは、今では訳のわからぬ品で山盛りになっていた。箪笥に長持、鏡台に布団。どれも一目でわかるほどに良い品だ。螺鈿細工の箱の蓋を開けてみれば、そこには真珠や翡翠、琥珀で彩られた簪や、鼈甲の櫛が幾つも納められている。
「何だ、これは?」
「嫁入り道具ですね」
「何故嫁を貰う方が、嫁入り道具の準備をするのだ?」
ぽかんとした顔をする兄に、弟はやはりこのお方は何も考えてはおらぬと溜息をつく。嫁入り道具は花嫁の財産であると同時に、対外的にも大きな意味を持つことをお忘れであろうか。嫁入り道具の華やかさは、身分や財力、ひいては権威そのものに直結する。
持参金もなしに来た花嫁など、嘲笑の対象にしかなるまい。ひとまずは取り繕う必要がある。恐らくは西国という途方もない持参金をぶら下げているだろう花嫁だが、現時点では身寄りのない異邦人でしかないのだ。花嫁が東国で気持ち良く過ごすために準備せねばならぬことは、山のようにある。
「残念ながら、末の弟にも先を越される始末で大変申し訳なく思っております」
城に出入りする商人を見れば、何を買ったのかなどおおよその見当がつく。さらに言えば、締り屋で有名な男が、かなり羽振り良く品を購入しているということもあって、さぞや女に入れ込んでいるのであろうと噂が噂を呼んだらしい。
どこかひんやりとした声音ですぐ下の弟に囁かれて、この愚直な兄はどきりと後ずさる。決して悪気があったわけではないのだ。ただ、どちらかと言えば女を苦手としていた弟に春が来たのだと、ついつい喜んでしまったのである。弟が嫁を娶るためには、少しばかり荒療治が必要かもしれぬ。その兄の企みを知ってか知らずか、弟はにっこりと微笑んだ。
「本日は象牙の品を見繕うために、幾つかの店を呼んでおります。兄上にもぜひご覧いただきたく。ああ、大丈夫ですよ、義姉上にもしっかり許可を頂いております。何でも、婚礼の当日に酒を呑みすぎて、初夜を高鼾で寝て過ごした男には丁度良い償いだと仰っておられましたが……」
流石に後半の方に来ると、弟も兄が不憫になったと見えて明らかに声の調子が暗くなる。そうして、二人揃って嘆息した。少しばかり動きがおかしくなった兄と、未だ女を知らぬ清い体の弟は、男二人で華やかな花嫁道具の選定に翻弄される。




