9.嬰鱗
登場人物:セイ、ヒスイ
その日、男は大層機嫌が悪かった。
「ほほう、それは良い案かもしれませんな」
「では酒が程よく回ったところで、給仕の足を引っ掛けて、転ばせてみるとしましょう」
「初秋ですからな。薄物の上着に上手く酒がかかればしめたもの。その場で脱がせるのもよし、酒で濡れた服が肌に張り付いたものを見るのも乙ではありませぬか」
「男とはいえあの美貌、組み敷いてみればよい声で鳴くのでありましょうなあ」
「どうせあの東国人とよろしくやっているのでしょう。あの小童め。腰にこれ見よがしに剣などぶらさげおって。我が剣で、あの生意気な性根を躾け直してやりたいものですぞ」
下卑た笑い声を立てていたのは、誰であろうこの西国の重鎮たちである。どうやら男も女もいける口らしい。城の侍女や衛兵の中にも、性的嫌がらせを受けた者が幾人も居るともっぱらの噂である。まことに不愉快極まりない。
下世話な連中ではあるが、その性質故に時勢と金の匂いには鼻がきく。溝川にでも沈めて息の根を止めたいところではあるが、そうも行かぬ。奴らにはそれなりの使い道がある。男は愛用の剣を握りしめ、その時が来るのを待った。
秋の夜長、無礼講の宴は大いに盛り上がっていた。旨い酒に旨い肴、気の利いた話題で、皆ゆるりと寛いでいる。王の機嫌もまた非常に良いのをみて、男は剣舞の披露を申し出た。程よく皆の酔いが回った頃合である。
恐らく先ほどの下卑た軽口は、あくまで内輪だけのものなのであろう。けれど時折、恐れ多くも陛下を手折ろうとする男どもが現れることもまた事実なのである。身の程知らずな連中に釘を刺しておくのも、男の大事な仕事であった。
ひらりひらりと男は舞う。朗々とよく通る低い声で詩を諳んじ、ある時は春風のように緩やかに、ある時は稲妻のように素早く剣を振るう。袖や裾にたっぷりと布地を使った東国の装束は風をはらみ、色鮮やかな刀彩もまた蝶のように揺れた。
男はふわりとまるで羽が生えたかのように舞い上がる。目当ての場所へ移動すると、にやりと唇の端をつり上げた。獰猛な獣の、捕食者の笑みである。素知らぬ顔で狙いをつけた後、一瞬剣が鋭く閃いた。
狙った獲物が宙を舞う。黒々とした長い毛の何かと、白黒の短い毛の何かである。宴の席に猫でも入り込んだのであろうか。だが猫は空を飛ばぬ。誰もがその塊を目で追いかけた。
王の前にふわりと鎮座したのは、精巧な鬘であった。物の正体がわかると同時に、宴に衝撃が走る。笑うべきか、笑わぬべきか。この品の正体について言及するべきか否か。そもそも禿を隠していたこれの持ち主に、鬘を返してやるべきかこの事態そのものを無視するべきなのか。誰もが肩を震わせ、無言で悩んでいる。
静寂を破ったのは、やはり麗しき白皙の王であった。
「これは傑作だ。そなたら、この宴のために仕込んでくれておったのか。大儀であった」
王が涙目で笑っている。笑っても良いのだ。その安心感で場の空気が緩む。けれど相手の身分を慮る故に、笑いは実にこっそりとさざ波のように広がってゆくのだ。その方がむしろ傷口に塩を塗りこんでいるのだとも知らずに。
男は鬘を拾い上げると、埃を丁寧に払い、二人の男に手渡した。そして何気ない風を装って、すぐ近くの男に侘びを入れる。ご自慢の美髯も片方落ちておられると。何とこちらも付け髭だった模様である。そのままにっこりと微笑んで、王には届かぬ限りなく低い声で囁いた。
「次は潰す、下衆野郎ども」
冴え冴えとした黄金の男の瞳が光る。男たちは今更ながらに、龍の逆鱗に嬰れたことを思い知った。




