2章、少年時代
2章のあらすじ
2章では少年時代、すなわち小学校から中学校卒業までが描かれています。少年時代に「僕」はたくさんのことを体験させてもらった。この時の体験がこれからの人生の核になっていきます。たくさんのつらいことがありました。ここで描かれているのは人生を変える起点になった出来事とこれから「僕」が何をしたいのか、「何」を社会に訴えたいのかを少年なりに考えたことを描いております。
2章.少年時代
3、小学1年生~2年生
「僕」は小学生になった。幼稚園時代には学ぶことがなかった、『集団行動』『学習生活』という物を学ぶことになった。僕は小学校に上がってから初めの内は大人しくしていたらしい。何故かというと集団生活という物に慣れることが出来なかったから。友達と仲よく話すことが出来なかった。「僕」はしたいとずっと思っていた。しかし、方法が分からなかった。方法が分からなかったから、皆と同じように輪に入って同じようなことをすることも出来なかった。しかし、世間一般の問題児のように窓を壊したり、迷惑をかけて周囲の関心を引こうとすることも出来なかった。だから徐々に、皆との輪から外れてしまい、一人でいることが多くなった。
そこから僕の考えは飛躍する。僕は自分の責任を他者に押し付けるようになった。考え方として、『僕が一人でいるのは僕をかまってくれない友達がいけないのだ、僕に友達との遊び方を教えてくれない親がいけないのだ。僕は何も悪くない、人生の主役は僕なのにそれについてこない周りがいけない。だったら、僕は人生の主役になってやろう!僕の近くには味方しかいない。生きている人間は全て敵。教え方をきちんと教えてくれない僕以外の全てがいけないのだ。』
今思うと我ながら馬鹿だと、もっと周りを見ろと伝えたい。しかし、幼い「僕」にとっては『孤独』が何よりの悪でそれを無くすために周りを敵にするしかなかった。だから徐々に口数が減ってきたし、逆に思ったこと、考えたことをすぐに口にし、行動に移し周りに変な目で見られることが増えていった。そういう時にはきちんと丁寧に、幼稚園時代に集団行動を学ぶことが出来なかった。だから教えてほしいときちんと口にすればよいのだ。必要ないプライドを捨て、必要な言葉を伝え、周りをきちんと見続ける、頑張り続ける。頑張って自分を伝えるように努力すれば、その努力は周りに伝わるのだ。
3、転機
そんな時に僕に転機が訪れる。それは、自分の田舎に住んでいた祖母が亡くなったことだ。僕は祖母ととても仲が良かった。たくさんのことを教えてもらったし、なぜ人間がやってはいけないことが世の中にあるのか等、僕のこれからを形作ることをたくさん教えてもらった。人に迷惑をかけることをなぜしてはいけないかという当たり前のことだけでなく、人を笑わせること、楽しませることがなぜ人間にとって必要なのか。このように人生において必要なことをたくさん教わった。その祖母が死んでしまった。自分の人生の師匠が死んでしまった。とても悲しんだ。子供ながらに自分を救ってくれる人はもういないのだと感じた。死んだ数日たった後、自分の家族が話していることを聞いてしまった。僕の祖母は「病院の医療ミスで死んでしまった。」という内容だ。僕は子どもながらに怒った。祖母は死にたくて死んだのではない。医者に殺されたのだ。それから僕は両親に対して「医者になってたくさんの人を救う。人にたくさんの笑顔を見せる。」と強く誓った。
しかし、この誓いは果たされることはなかった。僕の夢は別の形で果たされようとしている。
4、師匠とは?
もう一つ学校生活でも一つの転機が訪れる。ある先生との出会いである。その時には小学3年生になったばかりで、今まで仲良くしていた友達とも徐々に関係が離れていった。その時にある先生が『こうしているのは自分がいけないのだ。すべてを人のせいにしてはいけない。きちんと向き合わなければ、前に進めないのだ。』と僕に伝えた。
そうして、その先生はいじめられているという僕をみんなの前に出し、きちんと話し合いをさせた。僕の何がいけないのか、僕の性格やこのような行動をよくする事をきちんと説明してくれた。説明下手な僕の代わりに全て涙を流しながら、その行動が僕はとても嬉しかった。
それは僕のことをきちんと叱るだけではない、僕のことを分かろうと努力する先生なりに考えた結果だ。僕のことをこのように考えてくれる人がいると知りとてもうれしかった。僕はその先生が僕と一緒に泣いて、周りに伝えるように頑張ろうとした気持ちが伝わった。それからは学校生活がとても楽しくなった。自分を出していいのだ。空回りしても、周りにどのように思われても自分を出すことが必要であると頑張った。嫌われてもいい、変に思われてもいいだからきちんと話をしよう。周りと仲よくしようと決めた。自分の壁を徐々に取っ払おうという気持ちを秘めながら行動した。その為か、それまでは友達と思わない人とも徐々に仲良くなっていった。この変化は僕のこれからの人生、あるいは生きるための道を決めるほどの劇的な変化だったと今なら胸を張って言える。
5.救い
その後、「僕」の生活はいろいろありながらも楽しく過ごしていた。僕は周りから変わっているとよく言われていた。自分のしたいように過ごしていたし、人よりも自分中心、普通の人が見れば、自己中だ。周りからは奇異な目でよく見られた。その為か、周りはそんな「僕」を「地球のごみ」と言って罵ったり、女子の目の前で服を脱がされることがあった。当時はとても嫌だったし、なぜされるのかは分からない。
しかし、現在の僕は当時のことをこう分析している。小学生、特に高学年時はエンターテイメントが学校にあまりなかった。その為、周りと違う「僕」はその格好の標的だった。今なら嫌だったら強く「やめて」と言えばいいが、昔は言えなかった。「友達」という枠組みで楽しく遊んでいたからだ。また、その人たちがいるグループに「所属」していれば、自分がすごいと思う人たちと肩を並べられた。普通の「僕」が「苦労」もせずに強いグループに所属しているという高揚感があった。しかし、それは全て間違いだった。
「僕」は、幼稚園時代からずっと付き合っていた友達がいた。その子はどのグループに所属していながらも自分を保っていた。どこでも一目置かれていた。僕の間違いに気づき叱ってくれた人がいた。「無理する必要ない。」と言ってくれた。無理している僕を気遣って内緒で友達が先生を呼んできた。僕はそこから無理にグループに所属することがなくなった。自分を大切にする人たちの意見を重視することになった。そこからはいじめられることもなくなったし、自分もからかわれてもいじめと捉えることはなくなった。なぜかというと小学生では嫌なことは嫌と言えるようになり自分の周りでもそのような友達と過ごすことが増えたため自然とそうなっていった。
6.中学時代
小学生時代は学生時代の中で一番充実していた。それは自分の生き方を決定づけてくれる師匠との出会い、自分を支え、思ってくれる人との出会い。何もかもが充実していた。しかし、中学生に上がり交友関係が広くなった。しかしそれと反比例するように自分を出すことが下手になっていった。
理由は気持ちを言葉で表現するのが得意ではない、周りの頑張っている人達と違い、の何もないと感じた僕は劣等感を抱えてしまった。そのようなマイナス思考での接触から新しい友人との交流を始めた為、何事に対してもうまくいかなかった。また、強く見せようとするプライドにこだわった為、何かと強がりを言いつづけた。当然のように周りからは面白いが嘘しか言わない人間と見られ、深い人間関係を築くことが出来なかった。中学生時代は小学生のように漠然と過ごすことはせず、常に不安を抱えながら過ごす中学生時代だった。それが爆発するのが高校受験の時である。
7、家出
高校受験が始まるさい「僕」は人生において必要のない勉強を頑張る気が湧かなかった。ただし、好きだった数学だけは一生懸命取り組んでいた。正解が一つしかないという分かりやすい問題と公式を覚えるだけで難しい問題もすらすら解けるという楽しさにひかれていた。しかし、高校受験は数学だけでなくたくさん勉強しなければならない。僕の嫌いなものすべてだ。それがとっても苦痛だったし、やりたくなかった。自分の気持ちとは裏腹に親や教師から「いい高校入って、一生懸命勉強していい大学に入れば人生薔薇色だ。」と常に言われてきたため自分もそのようになりたいと思い頑張った。
しかし、どうしても高校に行きたくない、勉強したくない、その思いが強くなっていった。そのような気持ちを抱えながら、初めての高校受験を失敗したとき何もかも嫌になって家出した。理由としてはいろいろあるが一番の理由としては全てから逃げたかった。勉強、それを強要する周りの環境、何よりもそれを強いることを拒否できない僕自身から、何もかもを捨てて逃げたかった。自分の置いてある環境からの責任放棄だ。
家出したとき、僕はこれから自由になる。お金が欲しかったら近くのコンビニで働けばいいし、警察が来ても平気と言って追い返せばいい。そのように思っていた。しかし、徐々に回りが暗くなり今まで僕が知っていた世界が夜の世界に代わっていくのを見て怖くなった。それまではご飯、お風呂等の一般生活の準備全てを親がしてくれた。しかし、これからは全て自分で行わないといけない。そう思ったら途端に怖くなった。また、周りでごみをあさっているおじさん、恐い目で周囲を見張る警察、変な格好をしてこちらを見てくる女性、何もかもが怖くなり親に電話した。
親は大激怒。当たり前だ。子供が突然いなくなったら心配しない親はいない。とても怒られた。しかし、僕は家出した理由を最後まで言えなかった。それはこれだけ心配した親にこれ以上の迷惑をかけたくない。ただそれだけの理由だった。その為、自分ではいきたくもない高校に行くことにした。青年になったいまでもその理由は言えずにいる。言えたら楽になるし親は納得する。しかし、僕は親が自分から質問してくるまでいうことはない。
また、ここで改めて言うが小学生時代にあったいじめの内容は正確に覚えている。しかしそれを責めるつもりも追及つもりもない。
自分は心の傷を負っているという理由で周りに訴えることが出来る。僕自身はする必要はないと思っている。僕はそれを経験することで今の自分を形成する基礎になってくれた。自分は、貴重な経験をさせてもらったことに対して感謝している。周りに対して、自分と同じようにさせたいと思ったことがある。しかし、その気持ちはすぐになくなる。そんなことをしても今の自分は救われないからだ。人を陥れるという事は、自分の生きている人生に泥を塗ると同じようなことだ。だから絶対にいじめの仕返し、恨みの仕返しは絶対にしない。僕は伝えたいのは↓のようなことだ。
過去は重要だ。ただし、過去の経験を強みとして現在を生きるか、それとも、弱みとして抱え込みそれを現在まで引きづるか。人間としてどっちのほうが楽しいかという事。僕は前者の方が楽しいと考え、この回想をみんなに伝えたいと思い筆をとった。




