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ずっといっしょ。 ~赤とお正月~

作者: 銀崖座

自作の音声作品「ずっといっしょ~赤と見る夢~」の特別編です。

ずっといっしょ。

 赤とお正月



 ひんやりとした廊下の空気に、軽やかな四つ足のリズムが響く。

 バスドラムほどの力強さはないが、四つ足の後を追いかけてもうひとつが響き、新春の世界に音楽を奏でた。

「おしょーがつー、なんだよっ!」

 この音楽の奏者――レッサーパンダのぬいぐるみ――名を赤という。

 赤は烏帽子の人という神に願い、付喪神――九十九神になった存在であるが、人外の力を持ってする事とといえば、もっぱらこの男独り暮らしアパートの家事であり、その家主、ずっといっしょだった弟と称する人間と暮らしていた。

「お正月、お正月といえば初詣!」

 赤はぬいぐるみの姿のまま、ぽすぽすと柔らかい前足で、寝こけている弟の頬を打ち続ける。

 だが返事はなく、気だるい寝息が返事とばかりに続いていた。

「むむむ……この姿じゃダメってこと、なんだねっ……ではではぁ~」

 赤は尻尾を含め約六十センチの体を小さく折りたたみ、念じる。

「えいっ!」

 刹那、吹き消える程度の煙を発し、赤は人の姿と変化する。それが烏帽子の人に与えられた力であった。

「むふふ、なんだよっ。この姿なら、ぺちぺちほっぺを叩いて、おはようなんだよっ!」

 いざ、と、赤は腕をふりあげ、優しくも姉の愛を持って、頬を打とうとする。

「むぐ、むぐぐぐ……」

 しかし、赤は思いとどまり、振り上げた腕をそのまま、緩やかにおろし、寝息をつく弟の額へと置いた。

 そのまま、凪の海に浮かぶ小舟と、優しく寝癖のついた髪を撫であげた。

「はぁあ……この寝顔……これ見ちゃうと、弱いんだなっ……」

 感嘆の吐息を穏やかに吐いて、赤は弟の柔らかい髪の感触をしばし楽しむ。

 壁掛け時計の秒針、低いうなり声を上げる冷蔵庫のコンプレッサ、どこかの脇道で遊ぶ子どもたちの声、とことこ歩く上階の赤ちゃん、朝を告げる小鳥たちの歌――ぬいぐるみであった時も聞き溜めた音たちだったが、九十九神として動けるようになり、想いを伝えることが出来るようになった今、それら全てがさらに愛しくなった。

 これが生きているという感触、感覚、感慨なのだろうか。

「ふーっ」

 今は吐息で弟の前髪を揺らす事もできる。

 きっと、それくらいが、この世界に生きている事なんだと、赤は冬の乾いた空気を胸にためた。

「ふぉっふぉっふぉ……相変わらず、むずかしぃ事をくねくね考えておるのぉ、我が同胞よ」

 老練な言葉運びにしては、やけに幼い声が天井から降る。それを追って、幼子の素足が生えてきた。

「あ、烏帽子の人!」

「あ~、これこれ、まだ姿を全部見せておらぬに、先んずるでないぞ……んしょんしょ」

 烏帽子の人――赤を九十九神とした神――は天井からすっかりと顕現し、だが宙に浮かんだままだった。

 小さき手には似つかわしくない、白い包みの一升瓶がある。

「ふぉっふぉっふぉ、正月だしの、お主と一杯やろうと思ったんぢゃ」

 烏帽子の人は頬をゆるめ一升瓶を赤に差しむけて見せた。

「いいですねぇ、赤、こう見えてもお酒大丈夫だから、付き合うんだよっ!」

「まぁそのなんぢゃ、元々呑めるのかもしれんがの、神にとって酒……御神酒というやつは、神通力の元みたいなもんぢゃての、自然と体が欲しがるというやつぢゃ」

 素足を見せつけあぐらをかいて宙を舞う烏帽子の人は、ひとり納得してみせる。

「あのぉ、えっと……それはいいんだけど、そっちの娘は誰なのかな?」

 そう、もうひとりいるのだ。

浮かぶ烏帽子の人の陰に寄り添うよう、無口なままで、同じ背格好をした者が、これまた浮かんでいる。

 白き狩衣から覗く素足の肌は雪よりも白く、氷のように透明で、長い髪をふたつのお団子にとまとめたその色は、新緑だった。

「おぉ、そうぢゃ。赤、お主は初対面ぢゃったな。こやつは、ワシの友――名を飛梅と申す」

「みち……烏帽子の君に仕えております、とびうめと申します」

 新緑の髪の娘――飛梅は、お団子頭を丁寧に折ると、挨拶をくれた。赤も慌てて居住まいを正すと、腰を折って返す。

「と、挨拶も終わった事ぢゃし、さっそく一杯やろうではないか」

「あ、でも赤は、これからこの子と初詣にいくんだよっ、だから後で――」

 と、そこまで言って向き直る先には、まだ幸せな夢の中にいる弟の姿があった。

「ほほほ、諦めろ諦めろ、ぼんというものは、一度ねたが、なかなか起きぬものぢゃて、姉を困らせぬ、よい子でないか」

「み……烏帽子の君の言う通り」

 烏帽子の人の意見に賛同を示す飛梅。どうやら飛梅は自己紹介以外では、極力自分の意見を喋らない性格のようだ。

「うーん、まぁ……いいんだよっ!」

 赤は寝顔をもう一度見て、そう決めた。烏帽子の人と飛梅、二人と交流を深めるお正月も捨てたものじゃないと思える。こうして弟の傍にいられるのは、他でもない、神である烏帽子の人のおかげなのだ。

 それに、自分も九十九神――神の端くれとして、正月に神事として酒を頂くのも悪くはない。

「じゃあじゃあ、赤が作ったおせちを食べるんだよっ!」

「おぉ、おぉ、かいがいしいものぢゃなぁ。どれどれ、ちそうになるかのぉ、飛梅」

「ん……」

 二人の賛同に頷き返し、赤は冷蔵庫へ足を鳴らした。重箱代わりの、大きな保存容器と、祝い箸に取り皿、白磁の茶碗も用意した。白磁の茶碗は生憎に一個しかない。

「さて、ここでやってもよいのぢゃが、坊がすやすやしておるでのぉ、ちょいと上にでもいくか」

「上……どこの上なのかなっ?」

「屋根……」

 赤の疑問に飛梅は短く答え、白磁と祝い箸を手にしたまま天井へとするり消え失せた。

「ええええ、物を持ったまま?」

「ふぉっふぉっふぉ、それくらい軽いもんぢゃて、赤はまだ出来ぬか?」

「出来るもなにも、練習したことなんか、ないんだよっ!」

「ん~なんぢゃ、特に難しいこともない――ただ、そういうもんぢゃ、そうできるんぢゃと、自分に思い込む、それだけぢゃ。ワシら神の存在というのは、誰かにそうあると願われてのもの。世の理なぞ、その程度のものぢゃ……ふこぉ考えるでない」

「むむむ……は、初めてでもできるのかな……」

 赤はおせちを抱いたまま、尻尾を立ててみる。だが、そう出来ると確信がわかなかった。

「まぁ焦るでないわ……そのうちするりと息をするごとくに出来るものぢゃて。どれ、おせちはワシが預かろう。赤、お主はまず自分をそのまま浮かせて天井を抜けてみぃ……ではの、上で待っとるぞい」

 烏帽子の人は、ちょいと取りだした勺で宙に文字を書く。それだけで赤の腕にあったおせちの容器は浮き上がり、烏帽子の人を追って、天井へと消えてしまった。

「うむむ……あんな風にできるのかな……」

 赤は弟の寝顔に不安を見せる。

 今ならばそれも構わない。

弟が起きている時に、見せさえしなければいいのだ。出来る限り、不安を見せず、感じさせず、健やかに。

 弟が今までで失ったものたちを、自分が与えるのだ。一生をかけて、寄り添い看取るのだ。そのためには、何もかも、成すしかないのだ。

「んんんっ! 見ててねって、寝てるけど!」

 赤は尻尾を丸め、力をためる。

 そして願う。

 正月の空が冬の蒼天であることを。

 乾いた空気も冷たい風も、寄り添う人々を作るものである事を。

 人が人の温もりを知るきっかけになることを。

「んんんん~、んしょ、なんだよっ!」

 赤は床を背伸びするように軽やかに蹴り、天井へと舞い上がる。いつもは飛んだら堕ちるという理にある心を、宙へととどまらせた。

 そして、さらに、上へ行けると信じる。

 迫る天井、体の勢いはとまらない。

 目をつむる、かたくかたく。

 ただただ、想像する。硬い壁をすり抜ける、飛び出す。

 その先にあるのは、雲を大きくわる、澄んだ薄青の空。


 赤の体は、天井を抜けた。


 閉じた目を開いた先で、赤を想像通りの蒼天が迎えた。

「ほほほ、赤よ、やれば出来るではないか」

「ん……偉い」

 飛び抜け、宙に浮いた下に、烏帽子の人と飛梅が既に白磁を交互に鳴らして、おせちをつまんでいた。

「で、できましたぁ……できたんだよっ!」

「うんうん、よぉ出来たな、褒めてやるぞい、我が同胞、赤よ♪」

 烏帽子の人は上機嫌で、白磁を空ける。すかさずに飛梅がまた満たした。それをお前がと烏帽子の人は飛梅にすすめる。

「はよ、降りてきて、赤も呑め、呑め! 今年の供物は、雄町米の大吟醸、老舗酒造の逸品ぢゃ。氏子も奮発したのぉ、ほほほ♪」

「うまし、うまし……」

「まったく、なんだよ……飛梅ちゃんは、そんなに呑むと、梅酒ちゃんになっちゃうんだよ……烏帽子の人も、お酒だけじゃなくって、赤のおせちがどうか教えて欲しいんだなっ」

 赤は、褒められた恥ずかしさに、少しむくれて返した。

「ういやつ、ういやつ♪ 赤のおせちも絶品ぢゃ。さぞ坊も喜んだであろ」

「うんうんって、あの子はまだ食べてないんだったんだよっ! あああ、烏帽子の人、飛梅ちゃん、全部食べちゃ、だめ、なんだよっ!」

「ふごふご……」

 飛梅は口いっぱいの栗きんとんで言葉を返したつもりのようだ。

 世の常に生きる者たちにとっては、少々やかましい小鳥の雑談であろう、その小さな宴は、三人が白磁を回し、一升瓶が空になる頃、やっと果てたということだ。

 そんな正月があっても、それはそれでよいものだ。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 音声作品で知ってる人なら必ず読んで欲しいお話。 過程を知ってると、色々と思わされる。 赤は、きっと幸せで、満足感に満ちた生活を送ってて、主人公は孤独感などなく暮らしていけるのだろう。 …
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