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輿入れ

 小さなおのこが、泣いていた。

 されど庭には誰もおらず、おのこは声を殺してぽろぽろと涙をこぼす。豪奢な着物は土で汚れ、すっかり黒くなってしまっていた。


 そんなとき、ひとりのおなごが現れる。彼女は困り果てた様子で廊下を歩いていた。どうやら迷ってしまったらしい。長く重たい女房装束はどうやら、おなごの身には重たかったようだ。

 いかにも着せられた感のある装いを引きずりながら、彼女はふとすすり泣きに気づいた。

 始めのうちは妖しか物の怪の類いを疑ったが、それが人の子であることに気づき目を見開く。

 どうしたものかと悩んだが、ひとつ声をかけた。


「どうしたの」


 そう声をかければ、茂みからおのこが出てくる。その目は赤く腫れて痛ましかった。

 おなごは戸惑ったが、おいでおいでと袖を振る。おのこはとぼとぼと歩いてきた。

 互いに腰を下ろすと、おなごはその頬を袖で拭ってやる。


「どうして、ひとりきりで泣いていたの?」


 おなごが問うと、おのこは俯いてしまった。されど根気よく待っていると、ぽつりと何かを言う。


「だれも、ちかづいてくれないから。ひとりだから、ひとりで泣いてたんだ」

「それは……さみしいね」


 そう。おのこは、どこにいてもひとりだった。その寂しさに耐え兼ね、ひとりで泣いていたのだ。

 それを不憫に思ったおなごは、ふと思い立ちにこりと笑う。


「わたし、しばらくここに住むの。ここにいる間なら、いっしょにいられるよ」

「……ほんとう?」

「うん、ほんとう」


 そう言うと、おのこは初めて笑った。それを見ておなごもほっと笑みを漏らす。


 泣き虫なおのこと、迷子のおなご。


 このふたりの出会いが、すべての始まりだった。













 鑑片家かがみひらけ

 それは国をお守りしてくださる神様が住む鏡を守り、そして神様を宿すことができる神人かみびと嫁御よめごたる巫女を輩出する一族だ。

 その中でもゆかりは幼少の頃から、神人の嫁御としての教育を受けてきた。


 縁にとって神人は、初恋の相手である。

 ちいさなちいさな子どもの頃に婚姻の約束をした、彼女にとっては夢であった。


 本日、輿入れ。空はぴっかりと晴れ、春らしいぽかぽかした陽気が覗いている。あちこちから鳥のさえずりが響き渡り、縁のことを祝福しているようであった。どこからともなく桜の花びらがやってきて、目の前を横切ってゆく。

 神人が住む神社に着いた縁は、今か今かと彼の人との対面を待ちわびていた。


(ああ、とうとう、この日がやってきたのね)


 胸を弾ませながら、幼き日の苦痛を思い出す。鏡の巫女としての修行は、いついかなるときも痛みが伴った。何度も何度も、力を制御できなくなる日があったのだ。


 されど、これができなくば縁は鏡巫女としての権利を失ってしまう。ゆえに彼女は、死に物狂いで修行に没頭した。

 たとえ身が裂けようが死にかけであろうが、全神力を駆使し鏡を守ることが彼女の務めであるのだから。


 そんな生活も、すべては神人の嫁御になるため。

 彼女の信念はただ一つ、そこだけに集中していた。


 されど、神人の嫁御は一人にあらず。


 それは、彼女たちが担う役割が違っていたからだ。


 勾玉の巫女は結界を使い、神人を災いから守り。

 剣の巫女は剣を駆使し、神人の敵を斬り倒す。

 そして鏡の巫女は封じの力を繰り、神の住処である鏡を守る。


 ゆえに嫁御は三人いた。

 しかし縁は、それで良かった。もとより名家の生まれ。おのこはおなごを、複数持つのが当たり前である。しかも基本、妾は自らの家から出ることはなかった。おのこがやってくるのを、ただただ待つばかりである。


 そう考えると、縁は遥かにましだ。なんせお側にいられるのだから。

 恋い焦がれた相手が同じ屋根の下で暮らしているというだけで、彼女は幸せだったのだ。


 そんな彼女が住まうのは、神人がお住まいになられている場所から渡り廊下を通じた先にある屋敷である。


 新たな屋敷を見て、縁はほう、と息をついた。神人の鏡巫女として与えられた屋敷は、なかなかに広い。部屋数も多く何より清潔であった。庭の手入れも行き届いており、いくつもの花々が春を迎えたことを喜んで花を咲かせている。

 使用人らが持ち物を整理している間、縁は忙しなく屋敷の部屋を見て回る。しばらくして手持ち無沙汰になると、ある人物を探し始めた。

 目的の人物は、縁の私室となる部屋で荷物を片づけていた。


「ねえ、弥生やよい。わたしの鏡はどこ?」


 弥生は縁の髪梳きであり、世話役だ。髪梳きというのは術者の中では必要不可欠なものとされ、強い術者なら必ずひとりは持っている。それは、髪には神力が多分に宿るからだ。

 神を普段から綺麗にし整えておくことこそ、術者のたしなみなのである。


 彼女は昔からの馴染みゆえ互いに容赦がないが、縁はそんな関係が気に入っていた。

 弥生は片づけを進めていた手を止めると、別の場所を探り出す。


「鏡ですか? 鏡でしたら確か、こちらのほうに」

「本当? ならちょうだい」

「構いませんが……何をするおつもりで?」


 訝しげな弥生に向けて、縁はむくれた顔を見せた。


「何って、修行をするの。神人様のために尽くすと決めたからには、少しの時間だって無駄にはできないもの。それでなくともわたしは、鏡を守ることしかできないのよ? だから、もっとたくさん修行をしなくては」

「しかしながら縁様。まだ屋敷に着いたばかりでございます。疲れも多少出ているはずです。真面目なのはあなた様の取り柄でありますが、少しはおやすみくださいませ。それに部屋も片づいていないのです。こちらは神人様も通う場所。常に綺麗にしておかなくてはならぬのではありませんか?」

「……でも、少しだけ」

「なりませぬ」


 それでもなお駄々をこねる縁に、弥生はぴしゃりと告げた。

 そして眉を立てたまま、ぴんっと背筋を伸ばす。


「わたくしの見立てでは、縁様の神力はかなり乱れております。住む場所が変われば力の波も変わる。これは基本中の基本です。それとも縁様はこの屋敷を、早々に壊したいのでしょうか」

「……おとなしく休みます」

「それがよろしいかと存じます」


 ふたりの相変わらずのやり取りに、使用人たちは声をひそめて笑う。しかし縁からしてみたら、なんとも言えず腹の立つことだった。

 されど弥生の言うことは最もで、縁はその力ゆえに何度か部屋を壊している。さすがにここでそれはやりたくなかった。


 縁がおとなしくなったのを見計らい、弥生は言う。


「夜になれば、神人様がいらっしゃるとのことです。それまでに英気を養い、万全の状態で会わなくてはなりませんね、縁様」

「そ、そうなの?」

「はい。すぐに褥を用意させますゆえ、おやすみなさいませ。わたくしも念入りに髪を梳かせていただきますので、ご安心を」

「ええ! 弥生、よろしくね!」


 先ほどとは打って変わり、明るくなった縁。その飴と鞭に使用人たちがさすがだと感嘆の域をはいた中、縁は先ほどの気落ちした状態とは違いすっかり元気を取り戻していた。


 それからしばらく部屋を見て回った縁は、軒先から覗く桜の木に目をとめる。

 満開の桜が、あふれんばかりに咲いていた。花びらが解けるたびに風に巻かれて揺れる姿は、まるで踊り子のようである。


(今日はきっと、最高の日になるわ!)


 心の中でそう叫んだ縁はしばらく、その場にとどまっていた。しかし弥生の声が聞こえると、部屋に戻る。


 そして彼女は空が橙色に染まるまで、静かに英気を養った。

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