僕とブルドッグ
ブルドッグ。僕らはおじさんをそう呼んでいた。理由は簡単、ブルドッグみたいな潰れた顔をしているからだ。鼻は低くて顔はしわだらけ。おまけに禿だ。恐い顔をしたおじさんが店頭にいるたびに、僕らはキャッキャと叫んで走り去る。
「知ってるか? ブルドッグが犬飼ってんの?」
「知らないわけないだろ。ブルドッグがブルドッグ飼ってんだろ!?」
みんな知ってる。小学校に行く途中にある、やかんや鍋を置いている汚いお店。そこからブルドッグがブルドッグを連れて散歩に行くのをたくさんの連中が見ている。僕も何回か見た。目撃するたびに僕らは指をさして笑う。
でもブルドッグは何にも言わないんだ。こっちを睨みつけたり、怒鳴ったりすることもない。何考えてるのか分からない顔で、どこかを見てるんだ。僕の家の隣のおばさんはいつも怒鳴ってるのにな。
「きっと人の言葉が分からないんだよ、ブルドッグだから」
友達の峻に言われて納得した。きっとそうなんだろう。
朝登校する時にブルドッグを連れているところが見えたら騒いで、いなかったらまだ閉まっているお店に向かって「今日は散歩に行かないの? 犬なのに!?」と言葉を投げ込む。峻たちとそうやって登校するのが楽しかった。
今日も路地を通って学校に行く。峻たちと昨日見たヒーロー番組の話をしながら歩いていた時だった。ちょうど物凄く大きい排水溝の側を通り過ぎた時だった。道の先にあるカーブミラー。そこにブルドッグが映った。犬の方も一緒だ。
いつも僕らをひっぱるの峻はまだ気づいていない。先に見つけたのは僕だ。
ついてる。
僕は走り出した。
「ブルドッグがブルドッグ連れてるぞ!」
峻が慌てて後を追ってくる。他の皆もだ。皆の先頭を走ってる。空を飛んでいるみたいだ。
「やーい、ブルドッグ!!」
僕は飛び出した。爆発するような音が鳴った。振り返ると、目の前には赤くて四角い、大きな物。車だ。立ち尽くす僕。車が僕の前を斜めに通り過ぎる。僕の後ろでもっと大きな音が鳴った。登校中のみんなが大きな声を出す。逃げる子、泣き叫んでいる子、身を寄せ合っている子……僕は何かに掴まれたかのように動けない。
「おい、康太!」
肩に峻の手が触れて、やっと体が動くようになった。体が冷たくなって、震える手で峻に抱き付いた。僕は怖いと思っていたみたいだ。
「おい、あれ……」
友達の一人が指をさした。そっちを見てみる。ブルドッグが萎れていた。車と壁の方をじっと見ている。傾いたカーブミラーには、赤い液体がついていた。
それからブルドッグを見かけなくなった。さび付いた看板の下にはいつもシャッターが下りていた。「引っ越したんじゃない?」「死んじゃったんだよ」そんな噂が流れたのもせいぜい二週間程度。すぐに皆好きなテレビ番組や、嫌な先生の悪口に変わっていった。お店に向かって叫ぶ人もいなくなった。皆お店の前を素通りだ。
僕だけは違った。峻たちの会話に交じりながらも、いつもブルドッグのお店をちらちらと見てしまう。今日はシャッターを開けるのかな。本当に引っ越しちゃったのかな。もしかして、本当に死んじゃったんじゃ……。
「あなたは悪くないのよ」
お母さんとお父さんはそう言ってくれる。難しいことは分からないけれど、通学路でスピード違反していた、車を運転していた人が悪いらしい。それでも僕はブルドッグのお店を見てしまう。傾いたカーブミラーはもうとっくに直っていた。
その日は最悪だった。峻たちが先に学校に行ってしまった。寝坊した僕が悪い。おまけに雨だった。傘をさして必死に走る。まだ峻たちに追いつけるかもしれない。いつもの路地に入ったとき、僕はいつもと違うものがあることに気づいた。ごぼごぼと水を飲み込む排水口のすぐ近くにダンボールがある。近づくと何か音が聞こえた。ガサガサと動いている。「もしかして!」と思ってフタを開ける。子猫がいた。寒そうにブルブルと震えている。
傘を放り出して抱き上げた。ちっちゃくて体が冷たい。捨て猫だってことは僕でも分かった。
「どうしたの、ブチ?」
白と黒のブチ柄だったからそう呼んだ。背中を撫でてあげる。嬉しそうに喉をゴロゴロ鳴らしている。僕は嬉しくて、もう一度背中を撫でてあげる。
どうしようって気づいた。学校に連れて行くわけにはいかない。僕の家はアパートだから飼えない。でもダンボールに戻すわけにもいかない。おまけにこの雨だ。峻たちがいれば相談もできたのに……。もう先に行ってしまっているはず。それともブチに気づかなかったってことは、今日は別の道から行ったのかな。そう思って辺りをキョロキョロとした。
カーブミラーで目が止まった。目が合った。ブルドッグだ。居た……生きていた。引っ越してなんかいなかった。カーブミラーの端っこではシャッターが開いている。
何も考えなかった。気がついたら無我夢中で走っていた。教室に跳びこんで、峻たちが驚いた目で僕を見ていた。
「康太……どうしたんだよ。びしょ濡れじゃん」
ようやく僕は傘も置き忘れていたことに気づいた。峻は体操服を取り出して僕の体を吹いてくれた。他の皆も同じようにしてくれる。
「で、どうしたんだよ?」
ブルドッグの目を思い出して、また僕はゾッとした。ブチを雨の中に置き去りにしてきたことも思い出して、僕は自分が世界で一番醜い存在だって思ってしまった。泣きだした僕を心配して、誰かが担任の先生を呼んでくる騒ぎになった。
一週間も経つとだいぶ落ち着ていた。傘は新しいのを買ってもらった。学校へは別の道を行くことにした。峻がさりげなくそうしてくれた。
ただ、今日は宿題を忘れてしまったため居残り勉強だ。峻たちも先に帰ってしまっている。僕はブラブラと新しい帰り道を歩いている。ふと十字路で足を止めた。この道をまっすぐ行けば新しい帰り道。曲がれば前の帰り道だ。ブルドッグの店を通る。
足が痺れた。心臓がバクンバクンって跳ね回っている。まっすぐに行こうとした。峻が選んでくれたんだから。
でも峻は今いない。あの日の事故と、ブルドッグの後姿が目に浮かんだ。
僕は来た道を引き返して、さっきの十字路を曲がった。
ブルドッグの店は直ぐに見えてきた。今日はシャッターが開いている。息を飲んで僕はお店の前に恐る恐ると近づいた。店先に細長いものがある。それを見て僕は「あっ」と言った。僕の傘だ。
「やっと来たか」
ビクリと跳び上がった。お店の中にブルドッグがいた。
「そこで忘れていってたろ。無くすんじゃねえぞ」
ブルドッグが喋っているところを初めて見た。声は太くてぶっきらぼうだけれど、怖いとは感じなかった。
「けど、新しいの買っちゃった」
なんでだろう。ブルドッグに話しかけちゃってる。ブルドッグは読んでいた本を置きながら外に出てくる。
「なら二本持っとけ。学校に忘れても困らねえだろ」
傘を持って僕に渡してきた。
「もう無くすなよ」
「うん……」
もう用は済んだとばかりにブルドッグが店の中に戻っていく。あっと僕は気づいた。ブルドッグが座っていた場所の隣に、ブチがいた。
「あの! ……その、猫……」
「ブチ」
「え?」
「ブチって名前だ」
振り返らずに答えて、ドスンと座るブルドッグ。ブチは太い足に顔をこすりつけて、ニャーと鳴いた。
「あの……」
「なんだ?」
「また、来ていいですか?」
「おう」
僕はぺこりとお辞儀をすると、一目散に走り出した。傘をぶんぶんと回して、排水口がある路地を駆け抜ける。早く、お母さんに会って話したい。峻には電話したい。家に向かって、飛ぶように走った。
町を歩いているときに見かけて物三つで短編を書いて、練習してみよう……と描いたのがこの作品です。
キーワードはカーブミラー、シャッター、排水口です。
まあまあの出来になったのではないでしょうか? 最後の締め方が微妙だったかな?
後、キーワード三つよりも犬猫が目立っている気がしてならない……orz




