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食事は豪華だった。
貴族とは言え、貧しい暮らしをしてきたフィラルタには十分すぎるほどだ。
大きな食卓に向かい合わせに座って静かな晩餐が始まる。こんな大きな食卓に二人だけというのが何とももったいない。
しかし、フィラルタが来る前はアルザス一人で食事していたのだからもっと驚きだ。
家族は? 親戚は? 今までの妻たちとの間に子供はできなかったのだろうか。こんなに容姿がいいのに?
容姿整っているから少し人形じみて見える。その肌に触れてみると実は冷たい陶器かもしれない。
だが、綺麗な顔に騙されてはいけない。
彼は今まで娶った妻をわずか数日で殺したと噂のある、あの《惨殺公》だ。
「食事があまり進んでいないようだが、どうかしたのか」
平坦な声で尋ねられ、思わず顔をあげた。
不思議そうに、しかし鋭い目がこちらを見ている。
「は、はい。馬車移動で少し疲れましたので」
まさか話しかけられるとは思っていなかったので少し声が震えた。
「そうか」
特に気にした様子もなく彼は再び食事を開始した。
ごくり、と唾を飲む。
こんな殺人鬼と一緒に食事なんて出きるはずもない。食欲もわかず、段々と気分が悪くなってきたフィラルタは俯いて拳を握る。
ひやりとした心地がせり上がり、フィラルタは耐えられずに食卓に手をついた。
「……フィラルタ?」
名前を呼ばれて返事をしようとしても、うまく口が動かない。
──気持ち悪い。
体が焼けるように暑い。しかし、背中を駆け上がる心地はぞっとするほど寒い。
大丈夫かと言うアルザスの声が聞こえた気がするが、意識まで朦朧としてきて定かではない。踏ん張っていた腕が崩れ落ちて、ぷつりと何かが切れたみたいに意識が遠のく。
誰かの腕が自分を支えてくれた気がしたが、それも混濁した状態では現実かどうかはわからなかった。
ここは空気まで濁っている。
花が見たい。綺麗な花を、思い切り愛でたい。
***
シャ、とカーテンが開かれる音がして、フィラルタは朝日の眩しさに眉を寄せながら重い瞼を開ける。
「……朝?」
いつの間に?
フィラルタが独り言を呟くと、カーテンを開けた老婆がこちらを振り向く。
「そうですよ。お倒れになってからずーっと眠っていらっしゃったんですから」
恐らくは使用人であろう老婆は、かすれた声で言いながら持ってきたポットを、上質なティーカップに注ぐ。
ふんわりとした紅茶の香りが広がる。
「どうぞ、入れ立てですよ」
声や顔つきは厳しそうなのに、表情が軟らかい。歓迎してくれているのだろうか。
「……アルザス様は?」
紅茶で喉を潤しながら尋ねた。
「旦那様はお仕事中でございます」
仕事。そう聞いても、あまりピンと来なかった。
惨殺公が仕事だなんて、一体何をやっているのだろう。
「あ、駄目ですよ。お仕事の邪魔なんてしたら叱られますからね」
フィラルタの考えを察したのか、老婆の顔が厳しくなる。
「大丈夫よ。そもそも仕事部屋を知らないもの」
いまのは半分だけ嘘。心当たりはある。アルザスが言っていた一階の奥にある、彼の部屋。
もしかしたらそこかもしれない。
好奇心が疼いて、フィラルタは見に行く決心をした。
「それにまだ気分が悪いから寝てるわ」
ベッドに潜りながらそう嘯く。
しかし老婆は気づかずにそのまま部屋を出て行った。去っていく足音が聞こえなくなるまで待った後、フィラルタはふかふかのスリッパを履いて部屋を出た。
出来るだけ足音を立てないように注意して階段を下りて一階へ。ずらりと並ぶ扉を無視して一番奥の、薄暗い扉のドアノブをそっと握る。
どくどくと打つ自分の鼓動がうるさい。深呼吸をして、落ち着いて。
ドアノブをゆっくり捻って扉をそっと開けた。──刹那、こちらを睨む目と血が、視界に広がる。
「────ッ!!」
女が、女の生首が床一杯に広がって、全てがこちらを見ていた。
血が滴って気持ち悪い。思わず出そうになった悲鳴をかみ殺すのに必死で、床に落ちていた何かを蹴飛ばした。
「…………?」
それは薄汚れたパレットだった。よく見れば、今自分が立っている床は真っ白なのに、女の首が落ちている床は上質な大理石の床で……。
「これは……絵だわ」
大きなキャンパスに、今にも血が滴り落ちそうなほどリアルな絵が描かれていた。しかもやけにグロテスクな絵だ。
よく見ればこの部屋には他にも悪趣味な絵が無造作に置かれている。
絵だとわかれば何て事はない。リアルな筆使いに感心して目を奪われていると、ガタリと奥から音がした。
「……君がなぜここにいる」
平坦な声は、少し戸惑いを含んでいた。
真っ白なシャツのあちこちを絵の具でカラフルに汚したアルザスだ。
端正すぎる顔や骨ばった大きな手にも混ざり合った絵の具がべったりついていた。
「えっと、アルザス様がお仕事をなさってるって聞いて……」
「私は、ここには来るなと言わなかったか?」
固い声がフィラルタの胸を突く。
そうだ。確かに言われた。そして、好奇心という誘惑に負けたのだ。
黙って彼を見つめていると、奥になんだか見覚えのある顔を見つけた。
「……あれは」
言いながらそちらへ足を進めると、彼の大きな体がそれを阻んだ。




