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王都近郊に立てられたトランバリニア邸が目に飛び込んだ瞬間、フィラルタは言葉を失った。
門の外から──それも馬車の小さな窓からでもわかるくらいに、酷い。
大きな黒い門には植物の蔦が有象無象に絡まり、屋敷を囲む高い塀にもびっしりと蔦と草が浸食している。門の隙間から見える屋敷は薄暗く汚れていて、まさに魔の巣窟。
惨いことに、馬車の御者は門の中まで入らない。門の外でフィラルタを降ろしたのだ。しかも、大きな荷物もフィラルタが自力でなんとかしなくてはならないらしい。
御者はフィラルタと荷物をおろすと躊躇なく逃げていった。
馬車が走り去り、取り残されたフィラルタは荷物を腕に持って積み上げ、小さなものを小脇に挟んで薄気味悪い門を背中で押して開ける。
──薄情者、薄情者、薄情者!
重い荷物を運びながら悪態をつく。入った時と同じように門を閉め、木々や雑草が散乱する広い庭の先にある魔の屋敷を眺め、ため息をついた。
抱えた荷物が落ちないようにゆっくり慎重に一歩ずつ踏み出すが、その振動で荷物達がガタガタと悲鳴を上げる。
どんどん近づく屋敷はやはり外から見るより更に気味が悪い。
歴史を感じさせるといえばそうだが、まるで巷で流行るお化け屋敷みたいだ。
そう。今にも、真っ青な顔のゾンビが──
「何をしている」
瞬間、至近距離で耳に響く低い声が聞こえ、思い切り体が跳ねた。
悲鳴も上げられずに情けなく尻餅をつき、抱えていた荷物が地面に崩れた。大きな革製バッグなどは衝撃で留め具が外れて中身が飛び出た。
──出た!!
怖いものに会ったら視線を合わせてはいけない。視線が合ったら逸らしてもいけない。
自然界の小動物たる掟にのっとって、フィラルタは尻餅をついたまま瞼を固く閉じた。
「……もしかして君はロズヴェルト家のフィラルタ嬢か?」
頭上から声をかけられ、真っ暗な闇の中、少しだけフィラルタの思考は冷静になる。
──若い、男の方の声?
お化けならもっとどろどろしていて、どんよりしているはずだ。大体、日中に庭で見るというのも変だ。
フィラルタはゆっくりと瞼を上げ、視界に飛び込んだ金に思わず言葉を失う。
こちらを見下ろしていたのは仕立ての良さそうな青い衣装を着た青年だった。騎士にも似た衣装で、首元には上質な濃い青のスカーフを巻いている。
太陽の光の下、青年が高く結い上げた長い淡い金髪が眩しい。こちらを伺うように見つめる瞳は衣装より青く澄んでいて、吸い込まれそうになる。
整った鼻梁に、精悍な顔つき。まさに完璧な容姿を持つ青年だ。
「……仰る通り、私はロズヴェルト家のフィラルタですが……、あなたは?」
フィラルが尋ねると同時に彼は手を差し伸べてくれる。大きな手を握った時、しかし彼は、フィラルタに驚きの言葉を口にした。
「アルザス・トランバリニアだ」
「……はい?」
トランバリニアと言うのは、つまり。何人もの妻を殺し、惨殺公と恐れられている人物で、この《魔の巣窟》の主人で、おまけにフィラルタの夫となる人だ。
この見目麗しい青年が、惨殺公? 何の冗談だろうか。
「重そうな荷物だな。持とう」
彼が軽々と大きな荷物をいくつも持ち上げ、さっさと屋敷へと歩いていく。何も考えられず、ひとまずフィラルタも残りの小さな荷物を持って彼の後に続いた。
「……どこに行かれるのですか?」
「君の部屋に案内する」
何の感情味もない声が返ってくる。あまり感情が出ない人なのだろうか。
屋敷に入ると、さすがに手入れはされているようで、埃や蜘蛛の巣はなかった。意外にもきちんと掃除がしてあり、外のお化け屋敷的な雰囲気はない。
古めかしい、しかし歴史ある様式の壁や装飾品で圧倒されながらも、アルザスについていく。
階段を上がって一つの部屋の前で立ち止まり、彼は両手がふさがっているというのに、器用に扉を開けた。
「ここだ」
そう言って先導してくれる彼に、なんとも質の良さそうな高価な家具が並ぶ部屋の中へ案内される。
壁も淡いパステル色で、奥に置かれた寝台は天蓋付きで、なんとも可愛らしい。
「君の為にあつらえた。好きに使ってくれ」
「……この部屋を私に?」
驚きのあまり、酷く落ち着いた声が出た。今までの人生で、こんな豪華な部屋を与えられた事はない。
「屋敷の中や庭は自由に行き来してもらって構わない」
「はい、ありがとうございます」
屋敷はともかく庭はご遠慮したい、と言う本音はしまっておく。
「一階の奥は私の部屋だから、入らないように。何かあれば使用人に言付けてくれ」
それだけ言うとアルザスは荷物を置き、踵を返して去っていった。ぱたん、と扉が閉まる音と同時に静けさがやってくる。
「あれがトランバリニア公爵様……?」
聞いていた噂とは駆け離れた人物に、フィラルタは戸惑う。
しかも、まだ若い。予想では四十代以上と思っていたのに、彼はどう見ても二十代だ。ひとまず安堵の息を吐く。フィラルタは困惑を押し込め、ひとまず大量の荷物を片付け始めた。




