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自室

————おや? なんか落ちてる


 僕の部屋へ押し掛けてきた姉が何かを見つけた。

 床に視線を移すと、赤くて細い円錐型の物体が僕の目に映る。

「クレヨンだねえ。純也くん、お絵描きでもしてたの?」

「するわけないだろ。何歳だと思ってんだよ」

 僕はもう十七歳だ。絵を描くにしても道具くらい選ぶ。

 しかし、僕の部屋の床に落ちていたものなのだからそういう誤解があってもおかしくはない。口汚く突っ込むのはやめておこう。

 何でこんな所にクレヨンが落ちてるんだ。

「十七歳か。純也くんも年取ったねえ」

「そんなに感慨深くなるような年齢じゃないんだけど……」

「そんなことないよ。大っきくなったよ」

 大きくなった、か。

 けど僕は大きくなっただけで、精神的にも学力的にも成長していない。

 いや、一応してはいるのだろうが、人並み以下だ。年相応とは言えない。

「なになにその顔は? 言いたいことがあるなら言ってくれないとお姉ちゃん判らないよ」

 他人からは怖いと言われるレベルの無表情を誇る僕なのだが、姉には僕の表情の微妙な変化が判るらしい。

「何でもないよ」

「ははは。言わなくてもお姉ちゃんには筒抜けだからね。また自虐的なことを考えていたんだろう?」

 言わなくても判るんじゃないか。

「そんなことないよ」

 肯定するのも気まずいので誤魔化しておく。

「引き蘢りを気に病むことはないよ。引き蘢りでも、純也くんは決して悪い子じゃないからね!」


 姉は勝手に納得しているが、僕が悪い子ではないという意見には異を唱えたい。幾ら僕が薄情な人間であろうとも罪悪感だけは無視出来ない。

 親の教育を無駄にしたこと。姉の青春を今この瞬間にも奪い続けていること。それは絶対に悪いことだ。罪悪だ。

 悪いことをしている僕は悪い子だ。誰がどう見ても悪い子だ。

 人並み以下の人間は生きているだけでこうして周りに迷惑をかける。

 怠けているだけならばまだ救いはあるのだが、僕にしてみれば、全力を出してこの体たらくなのだからどうしようもない。死んだ方がいいのだろうか。


「またそんな顔して! もう! 暗い部屋に居るから気分まで暗くなるんだよ」

 姉はそう言って立ち上がり、窓に近づくと、おりゃあと気合いを入れてカーテンを開ける。

「うわっ眩しいよ」

 赤い夕焼けが僕の瞼を刺激する。少し目が痛い。

「綺麗な夕焼けじゃないかあ。このクレヨンのように真っ赤だ」

 姉は赤いクレヨンを夕日にかざしている。少しかっこいい。

 それにしてもやけに赤い夕焼けだ。

 赤いクレヨンのようだという姉の表現は決して間違っていない。

「外の世界はこんなに綺麗だ! さあ純也くん、キャッチボールをしよう!」

「いや。眩しいから閉めてくれ」

「吸血鬼かよ……」

 姉は溜め息を吐いて僕の正面に座る。

 カーテンを閉めてほしいのだが。

「仕方ない。引き蘢りの純也くんにとっておきの話を聞かせてあげよう」

 眉を上げ、自信満々の顔で微笑み、子供に絵本を読む母親のように姉は語りだす。

「ある新婚の夫婦が中古の家を買いました。その家は日当り良好、値段も格安であった為、夫婦はとても満足したそうです。ところがある日のこと、夫が廊下を歩いていると、赤いクレヨンが落ちているのに気がつきました。まだ夫婦には子供が居なかったので、不思議に思いましたが、前の住人の忘れ物だろうと思って捨ててしまいました。数日後の朝、夫が新聞を取りに行く為に廊下に出ると、また赤いクレヨンが落ちています。流石に妙だと思った夫は妻にそのことを話すと、妻は顔を青くして、『私もこの前掃除をしていた時に、拾ったの。あなたと同じ場所で』と言いました。夫婦はこの不可解な現象に疑問を抱き、赤いクレヨンが落ちていた場所の周辺を調べてみることにしたのです。するとおかしなことに気がつきました。この建物を外から見ると、明らかにもう一部屋あるようなのです。家の図面を確認しても、心当たりのない部屋が記載されています。そしてなんとその部屋は、赤いクレヨンが落ちていた廊下の、突き当たりにあるようなのでした。二人が廊下の壁をこんこんと叩きながら確認して行くと、明らかに他の壁とは違う音のする場所があります。二人はその場所の壁紙を剥がします。するとそこには念入りに打ち付けられた引き戸が隠されていたのでした。夫が釘を引き抜き、引き戸を開けます。するとそこには何もない部屋がありました。薄暗いその部屋の壁には赤色のクレヨンで『おとうさんおかあさんごめんなさいここからだして』と殴り書きされていたのでした」

 姉はいつの間にか、これ以上ないくらいのしたり顔になっていた。

 大人しく聞いていたが、この話は知っている。

「怖い話だよねえ」

 今度は眉を下げて、覇気のない顔をしている。表情豊かな人だ。

 同じ血が流れているとは思えない。

「まあね。安かろう悪かろうってヤツだよね。安いものには安いだけの理由があるもんだ」

「そうじゃないよ。虐待だよ、虐待。行き過ぎた躾は子供を殺すってのがこの話の怖いところでしょう。罪のない子供が、必死に謝っているのって狂ってるとしか思えないよ」

 そうだろうか。僕には、只より高いものはないという訓話にしか聞こえないのだが。

「純也くんもね、自分が悪くないってのを認めた方がいいよ」

「は?」

 姉は何を言っているのだろうか。

「昔から純也くんばかり厳しく躾けられたでしょう。それもすごく間違った方法で。衣食住を人質にとられて、父さんと母さんに意見することも許されなくて、テストの点数が百点以下なら手を上げられて。私は可愛がられてるのに純也くんは虐げられる。これは理不尽なことだよ」

 理不尽なことなんて何もない。僕は長男だから期待をかけられるのは当然のことだし、姉は一人娘なのだから可愛がられて当然だ。それが親心というものだろう。何が理不尽なものか。

「ものには限度があるんだよ。親だから子供に何をしてもいい訳じゃないの」

「怒られるからには理由があるんだよ。僕が駄目な人間だから、父さんも母さんも怒るんだ。それに姉ちゃんが言っていることが正しいとしても、父さんと母さんはもう僕には何も干渉しないじゃないか。だったらそれは反省したってことじゃないのかな。ならあとは僕の問題だ。引き蘢ってることに父さんと母さんは関係ない」

 父さんと母さんは僕が高校に入学してから、何も言わなくなった。塾も習い事も全部なくなった。怒鳴られることも殴られることもなくなった。

 それはそうだろう。僕が入学したのは県内でも有数の低偏差値校なのだから。

 それが諦めであろうと、反省であろうと、そんなのはどちらでも同じことで、理不尽など何一つなかった。

 全て僕が無能であることが原因なのだ。

 僕が引き蘢りになった切っ掛けは高校入学から三週間ほど経った頃、体の電池が突然切れたことにある。

 どんなに早く寝ても、朝に起きることが出来なくなったのだ。起きよう起きようと思うのだが、まるで自分の精神と肉体が切り離されているかのようで、電池切れの僕の体は全く動いてはくれなかった。遂に僕は体まで駄目になってしまったのだ。

 健康管理が甘かったのだろう。

 結局高校は休学した。

 そこからズルズルと引き蘢り生活である。

 あまりに情けない。こんな恥ずかしい人生があるだろうか。

 太宰治も真っ青だろう。

「関係なくないよ。幼少期の経験はずっと残るものだから。純也くんが朝に起きれなくなっちゃったのも厳しすぎる躾が原因だと思うな。急に重荷が降りたから心がびっくりしちゃったんじゃないかな」


 姉は尚も僕を励まし続ける。

 しかし僕の考えは曲がらない。どう考えても僕自身の不徳のせいで今の状況があるのだ。親が悪いなどとは口が裂けても言えない。

 言えないが、姉はこれからも僕を励まし続けるだろう。それはあまりに時間の無駄だ。だから僕は死んだ方がいい。

 別に自殺願望がある訳ではないから積極的に死にたいとは思わないけれど、周りの迷惑を考えればやはり死ぬのがベストだろう。

 だが、こんな僕でも一丁前に死ぬのは怖いと思っている。

 だから僕は謝る。それしか出来ない。何も望まず、今まで迷惑をかけた人間と現在進行形で迷惑をかけている人間に。

「そうは思いたくないな。人の所為にするのはいけないことだから」

「頑固だなあ」

 姉は寂しそうに笑う。

 僕はまた姉を悲しませてしまった。


 姉はすっと立ち上がると、伸びをする。

「まあ純也くんは優しいからねえ。人の所為にするのは抵抗あるのかもしれないね」

 そう言って僕の部屋のドアノブに手をかけ、今日は一緒にご飯食べようねと言い残し、返答を待たずに部屋を出て行く。

 何もない部屋に僕と赤いクレヨンだけが残された。ベッドと勉強机と椅子しかない部屋。

 優しいから人の所為にしない、か。


 それは違うよ姉ちゃん。僕は優しくなんかない。今こうしてのうのうと生きてる時点で僕は厚顔無恥の悪漢なんだ。何が優しいものか。誠実さの欠片もない。

 謝らなくてはならない。僕は今まで自分がしてきた悪行について謝罪をしなければならない。全世界へ向けて。


 産まれてきてごめんなさい、と。

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