喫茶店
————この辺も変わったよね。ネオン装飾のホテルまで建っちゃうんだもん
私は虎子の言うネオン装飾のホテルを見る。
悪趣味だ。乱れている。昔はこんな街じゃなかったのに。
こんなことを口にすれば、虎子は鬼の首を取ったが如く私を馬鹿にするだろう。性に対して敏感なヤツだとか言われるに違いない。
だから私は眉をひそめるに留めた。
「悪趣味だとか乱れてるだとか思ってたでしょ?」
何故判る。
「顔に出てるよ。竜子は判りやすいなあ」
感情の篭もっていない、抑揚のない声で虎子は言う。
なんてこった。まさか顔に出ていたなんて。もうこいつの前では無表情を通すしかないのか。しかし私が無表情になったらこいつとキャラが被る。
無表情女子高生コンビなど見ていて気持ちのいいものではない。
「しょうがないじゃん。昔はこんなイヤらしい街じゃなかったもん」
「そうだね私もそう思う。何だか寂しいね」
意外だ。この無感動な女にも情緒というものが備わっているらしい。
「今すごく失礼なこと考えたでしょ」
「そんなことないよ」
ポーカーフェイスポーカーフェイス。
「酷いなあ、竜子は。まあ近代化の波だよ。この喫茶店も分煙になっちゃったし」
「それはいいことじゃん。ようやく優雅に紅茶が飲めるよ」
「竜子に紅茶は似合わない……私はタバコの匂い、嫌いじゃないから」
ぼそっと失礼なことを言いやがって。
こいつだって人のことは言えないはずだ。虎子とタバコだって大概合わない。
なんと言うか……
「イヤらしい!」
「意味が判らない」
タバコと言えば男性のセックスアピールには欠かせない嗜好品だ。その匂いが好きだなんてイヤらしい。
そのことを今度はきちんと言葉にして伝えてみる。コミュニケーションは大切だ。言葉にしなければ思いは通じないのだ。
「すごい偏見。最早考え方が古いとかそういうレベルじゃない」
それに、と虎子は続ける。
「メンソールのタバコを吸うと男性の象徴が機能しなくなるって話もあるくらいだから、むしろ男の人とは対局にあるとも考えられるよ」
また下ネタか。どうしてこうも静かに苛烈なことを言うのだろう。
「やめてよ……」
「大切なことだよ。性の問題は竜子にだって無関係じゃないし」
確かにそうなのだが、どうもその手の話題には気後れしてしまう。もう恥ずかしがるような年齢でもないし、学校の授業でも色々教わった。
しかしそういうあれこれを考えると顔が熱くなって、表情筋が緩み、顔面が大変なことに……
「すごく気持ち悪い顔してるよ。モザイクかけなきゃ」
「うるさいな!」
煩悩を振り払う。色即是空空即是色。
「そうなっちゃうのは竜子の中に女は貞淑であるべき、とかいうクソみたいな価値観が根付いているからだよ」
クソみたいとか言うな。正しい価値観じゃないか。
「確かに私も貞淑であることは大事だと思うけど、女に限定するのはどうかと思う。男は一途、女は貞淑であるべき、なら判るんだけど」
「でも男ががっつかなきゃ、人間が減っちゃう気もするよ」
「望まれない命が宿ることは減るよ。動物は種族に依って色んな繁殖の仕方をするの。人間も人間に合った繁殖をしなくちゃ」
普段はあまり喋らないクセに今日は妙に饒舌だ。私の為に頑張ってくれているのだろうか。
少し感動。
「だから竜子も男が上で女が下だなんて思想は捨てて、もっとエロいトークをしよう」
「そんなこと言ったって……」
露骨にエロいトークとか言われたら一層話しにくいのだけれど。
「しょうがないなあ。このヘタレが……私が竜子の価値観をひっくり返すエグい話をしてあげる」
畜生、またしても貶められた。っていうかエグい話って。
「ある好色な男がいつものようにナンパをしていました。手頃な尻の軽そうな女を見つけて声をかけると、その女はホイホイと男に着いてきました。目的地はもちろん、そこに建ってるようなエロホテル。事に及ぼうとした時、女はなんとゴムは着けなくていいと言いました。男は大喜び。素敵な一夜を過ごしたのでした。次の日の朝、男が目を覚ますと女の姿が見えません。男は、先に帰ったのかなと思いました。しかし目的は果たしたので深く考えませんでした。そして間抜け面のまま、顔を洗おうと洗面台へ行くと、鏡に口紅で『Welcome to the world of aids』と書かれているのでした。男はビックリ。めでたしめでたし」
めでたくない。気持ち悪くなってきた。
エグい。エグすぎる。公共の場で女子高生がこんな話をするなんて、世も末だ。世紀末だ。
乱れている。
「聞いた事あるよ……それで? その話で私の何が覆るんだよ」
「よく考えてよ。この話って最後には女の人が勝ってるんだよ。男の人のナンパに引っかかるお花畑な女と見せかけておいて、本当は暴力的で残忍な女だった。この話は男と女の上下関係が逆転すると共に、女が性行為という暴力に寄って男を同族へと異化する。そんな話だよ」
いや、そういう解釈があるのは大いに結構なのだが、もっとライトな話があったんじゃないだろうか。そして私の質問の答えになっていない。
「女が男を征服する話って結構昔からあるんだよ。だから女性解放運動なんてものも起きた。だから竜子ももっと怨念をむき出しにしてもいいと思うの。女が男より強くなることだって出来るんだから」
怨念は押し殺したい所だが、虎子の言いたいことは判った。
しかしそれでも私の価値観は簡単には覆らない。
そもそも勝つとか負けるとか、上だとか下だとか、そういう話はどうでもいい。私は男の人に勝ちたいなんて思ってないし、踏みつけたいとも思わない。
そもそもこいつだってさっき、男性と平等の上でなら女性は貞淑であるべきだとか言っていたじゃないか。
結局私も虎子も、ただ同じ目線で異性と歩いて行きたいと思っているだけなのだ。
なんだか乙女チック。
「目が輝いてる。キモい」
「キモくない! 大体あんたは考え方が過激すぎるの! 私はあんたじゃないから私のままでいいの!」
「折角竜子のために恥ずかしい話を披露したのに。酷い」
虎子は上目遣いで涙を浮かべている。
ノリノリで話してたくせに。
とは言え私は虎子のこの目に弱い。
「う……まあ、ありがと」
一応礼は言っておこう。
「貸しができたね」
来た。この悪魔は私の良心に付け込んで無茶を要求し、四苦八苦する様をみて笑うのが趣味なのだ。
「この鬼畜マン!」
「私は女だから」
鬼畜ウーマンじゃ突っ込みとしてちょっとゴロが悪いのだ。
もういい。
私は長く息を吐くと、紅茶に口を付けた。
すっかり冷めている。
「私と竜子ってどっちが上でどっちが下かな」
虎子は静かに切り出す。
「だから、そんなのはどうでもいいんだって。友達に上も下もないでしょ」
とは言え私はこいつに担がれてばかりなのだけれど。
「そう。竜子のそういうとこ、好きだよ。でもまあ私が上かもね」
「はいはいそうですか」
虎子は薄く笑っている。
なんと言うか儚気だ。いつもこうして笑っていれば可愛いのに。
「だから、きっと逆転されちゃうね。最初に上だったものは逆転されちゃう運命なんだよ」
持論を取り下げる気はないらしい。
「あんたには敵わないわよ」
虎子はそう、と言ってコーヒーの最後の一杯を飲み干した。
「竜子、帰ろう。もうこんな時間だよ」
おっとどうやら長居しすぎたようだ。私まで乱れてしまう所だった。
私たちは席を立ち、会計を済ませると、家路を急いだ。




