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花籠の道と黒の小石  作者: 織川あさぎ
第一章 ドミゼア篇
9/40

 白で統一された家具で整えられたその部屋は、カセルアでしばらく通い詰めた王妃の部屋を彷彿とさせる、華麗な場所だった。

 そこで、暗い表情でソファに座っていたサーレスが、入ってきたクラウスを見て、ほっとしたように笑顔に変わる。


「……無事脱出できたんだな。よかった」


 そう言って微笑むサーレスに、クラウスも笑顔を返す。


「おかげさまで」

「そういえば、さっき、すごい音がしたんだが、あれはなんだったのかな?」


 サーレスが不思議そうに首を傾げる。


「うちの兄が大変失礼なことをしでかして、あなたの兄君にお仕置きされました」

「そ、そうか……」


 なんと返していいかわからなかったらしい。視線を彷徨わせたサーレスは、慌てて立ち上がった。


「あ、お茶、入れる」


 サーレスの言葉で、クラウスは驚き、目を瞬いた。


「……ありがとうございます」


 室内に導かれ、ソファに座るように促されたクラウスは、大人しくその場でサーレスの行動を見守った。

 サーレスは、部屋にあったワゴンから、ポットとカップを用意し、ぎこちない手つきで、お茶を入れはじめた。

 茶葉の選択から、カップの暖め方、お湯の注ぎ方などをぶつぶつ呟きながら、難しい表情でそれらをこなしていく。

 紅茶の茶葉はどれも同じようにしか見えないと、頼りない表情でお茶の席で告白していた人とは思えない変わりように、思わず心配になる。


「あの、大丈夫ですか? なんでしたら、私が入れますが」

「大丈夫だ。……大丈夫なはずだ。うん、大丈夫」


 まるで自分に言い聞かせるように、大丈夫を繰り返しながら、ようやくできあがったのは、色も香りも最高のお茶だった。

 その所作も、多少ぎこちないところはあるが、流れとしては完璧である。

 ついひと月前、お茶は飲めればなんでもいいと言っていたとは思えないほどだ。


「これでいいはずだ」


 クラウスは、目の前に置かれた紅茶を一口含み、頷いた。


「お上手です。でも、どうなさったんですか?」

「……花嫁修業の成果だ」


 難しい表情のまま、まるで作戦の報告でもしているような声で、重々しくなされた告白に、クラウスは驚いた。

 以前会った時にはできそうにないと言っていたことを、がんばってくれたのだろう。まだ期間も短いのに、ここまでできるようになっていて、素直に感心した。


「……それを披露するために、わざわざ入れてくださったんですね。嬉しいです。ありがとうございます」

「一応、お茶の入れ方と、ドレスの捌き方の作法はなんとか覚えたんだが……。やっぱり、刺繍は無理だった」

「……ドレス?」

「あなたが、青いドレスを置いていってくれただろう? だから母上が、あのドレスから、私に合うサイズのドレスを仕立ててくれたんだ。最初は、身の丈の違いで違和感があったけれど、何回か縫っているうちに、ちゃんと着られるものができた」


 ようやく、表情が柔らくなったサーレスに、クラウスの表情もほころぶ。


「ただ、それを別の形には今のところできないから、やっぱり花嫁衣装は、あなたに作ってもらいたいそうだ」

「もちろんです」


 クラウスは、笑顔で頷いた。元より、その役割を、誰かに譲るつもりはない。


「今私が使える、全ての技術を駆使して、最高の物を作ります」


 その言葉に、サーレスは、嬉しそうに微笑んだ。



 しばらくそうやって、二人でお茶を飲んで、ここ最近の出来事を報告していた。

 そして、報告することも尽きた後、二人はどちらとも無く沈黙する。

 二人共が、伝えることはあったのだが、どうにも口を開くきっかけがつかめないまま、無為に時間が過ぎていく。

 その場の静寂を破り、先に重い口を開いたのは、サーレスだった。


「その、昨夜は……ごめん。あなたの仕事の邪魔をした形になってしまって」


 突然の謝罪に、クラウスは首を傾げた。


「むしろ、謝罪はこちらがするべき事です。こちらこそ、私の行動で、あなたの身を危険にさらすことになりました。申し訳ありませんでした」

「いや、その、そこじゃなく……。兄上に叱られて……」

「……?」

「ふつう、婚約者が牢に入れられ、鎖に繋がれていたら、どんなに温厚な男でも怒るものだと。今回の場合、ただでさえ、相手はあなたにとって仇敵と言える相手だとわかっていた。あなたがどんなに仕事のできる密偵でも、感情の起伏を増やせば、それだけ失敗する可能性が高くなる。来ると予想できた時点で、計画を変更もせず、のうのうと牢で待ってたお前が悪いと言われた」


 言い辛そうに、気落ちした表情で、サーレスは頭を下げた。


「ただでさえ難しい仕事を、私の存在がさらに追い打ちをかけたようなものだ。本当に、ごめん。……あなたに因縁の相手だと言うから、もうやらないつもりだった影武者の仕事を引き受けたのにな」


 クラウスは、その言葉に、顔を上げた。

 今聞いた言葉が、信じられなかった。

 目の前の人にとって、それが、大切な仕事だとわかっていただけに、本人の口からやらないという言葉が出るとは思っていなかった。

 あきらかに驚いた表情のクラウスに気が付いたサーレスは、苦笑した。


「髪を伸ばすんだ」

「……え」

「今から伸ばせば、結婚式に間に合う。結い髪にするには、鬘をつけるにしても、ある程度の長さが必要だから」


 サーレスは、自分の髪に手を添える。今の長さは、先程応接間にいたトレスと変わらない。


「まさか、兄上にも、髪を伸ばしていただくわけにはいかないからな。私の役目は、もう終わりなんだ」

「……サーレス」

「……ノルドに、私の居場所を、作ってくれるんだろう?」

「はい」

「今回の仕事は、その為のけじめのような物だった。それなのに、あなたに迷惑をかけていたのでは、意味が無いな」

「いいえ」


 クラウスは、慌てて首を振る。


「あなたのせいじゃない。あれは、昔の自分の、身勝手な行動の結果です」

「しかし……」

「昔、あれと初めて相対した時、私は黒騎士をやめることを考えていました。目の前にいたあの密偵は、ある意味、その相手として最適だったんです。……だから私は、あれを生かしていました。……その代償が、黒髭の利き腕と利き足。団長付の護衛騎士二十五名の命。そして、黒騎士団の敗北です」

「それこそ、あなたのせいじゃないだろう。……戦の趨勢は、ただ一人の行動で決する物ではない」

「それでも……私は、罠にうすうす気付いていながら、黒髭を止める事もできなかった。私は、黒髭の副官だったのに……」


 自然とうつむいたクラウスの耳に、微かにソファが軋む音が聞こえる。

 目の前に座っていた人が、ほとんど気配もなく立ち上がり、静かに歩き出す。

 こんな時なのに、その動きに目を奪われる。

 サーレスは、そのままテーブルを迂回すると、クラウスの隣にストンと腰を下ろした。


「……あなたは、不器用な人だったんだな」


 サーレスには呆れられたのだと思っていたクラウスは、告げられた言葉に一瞬戸惑いを見せた。

 驚きで顔を上げたクラウスの体を、サーレスの腕が優しく包む。


「カセルアに来ている時は、あまりに器用に立ち回っていたから、気付けなかった」

「……サーレス?」

「私はもう、あなたの事は甘やかすしかできないようだ」

「……え?」

「あなたが泣きそうな顔をしていたり、辛そうな声を出していると、それだけでこちらも心が痛い」


 緩やかに、クラウスの頭が、背中が、サーレスの手で撫でられる。

 まるで、今まで纏っていた澱を、払い落とすようなその優しさに、クラウスの体から力が抜けていく。


「あなたが求めているのが断罪だというのはわかる。だが、私にはそれはできない。それができるのは、おそらく、その当時の黒騎士達だけなのだろう。だが、それはもう、成されていると私は思う」

「……どうして、ですか」

「昨夜、あなたの傍にいた二人のうち一人は、その当時のあなたを見ていた者だろう。あの騎士は、あなたを守るために、あの瞬間、躊躇もなく自分達以外の手を借りる判断をしていた。あの騎士だけじゃない。グレイもホーフェンも、同期だというなら、その戦場を見ていただろう。それでも、あの人達も、あなたに剣を……魂を預けている。彼らにとっては、あなた自身が、彼らの魂そのものなのだろう。そのあなたを自分達で守りきれないならば、他の者にも頭を下げられる。己の矜持より、あなたを優先できる。それだけ強い思いであなたを守っているのなら、彼らにとって、あなたが罪だと思っている事実は、すでに清算された物なのじゃないかと思う」

「……」

「昨夜、あなたは、これで戦は終わるのだと言った。あなたにとって、罪が消えることはないのかも知れないが、これで、一区切りはつけられるのだろう? 黒髭殿と、亡くなった者達に、報告して、頭を下げればいい。それでも気が済まないなら、それ以降は、私があなたの罪を、半分引き受けよう」

「……それは」


 慌てて、言葉を遮ろうとしたクラウスを、腕の力を強めて、サーレスは止める。

 優しく告げられる言葉は、クラウスの心にも、すんなりと入りこんだ。


「あなたが黒騎士をやめたいと思っていたのは、私のためなのだろう? だったら、私に原因があったとも言える。私は、ルサリスの名は捨てられない。たとえ嫁いでも、カセルアに何かあれば、呼び出される可能性もある。だけど、あなたの元に嫁いだあと、私はあなたと、あなたの大切な人達を、許される限り、あなたと共に守るよ」


 その優しい誓いに、クラウスは、全身が温かくなるのを感じていた。

 温かい腕に包まれ、暖かい言葉で心を満たされ、その後、どうしていいかわからない。どうすれば、この言葉に答えられるのかがわからない。

 クラウスは、泣きたくなるのを、ただぐっとこらえた。



 しばらく、二人がそうやっていると、突然、部屋にノックの音が響いた。

 クラウスは、慌てて体を離し、サーレスが入室の許可を出した。

 姿を見せたガレウスは、二人が同じソファに座っているのを見て、がばっと頭を下げる。


「申し訳ありません、お邪魔しました!」

「あ、いや、ほぼ用事は済んでる、というか、そこで帰ったら、なにしにきたのかわからないぞ?」


 慌てて振り返り、逃げようとしたガレウスに、サーレスが問いかける。


「すみません、あの、トレス様がお二人をお呼びです」

「……二人を?」

「はい」


 サーレスは首を傾げ、クラウスに視線を向けた。


「……あなたの兄上に、説明が終わったと言うことかな?」

「おそらくは」


 クラウスは、ほんのり紅く染まっていた目元を隠すように、うつむいた。


「……どちらの名前を名乗ればいいと思う?」

「サーレスの方が、安全かと思います。それと、うちの兄にはできるだけ近寄らないようにしてください。それと、触られないように」

「それはまあ、もちろんだが……なんでそんな事を改めて言うんだ?」

「それは……」


 言うべきか言わざるべきか、一瞬逡巡したが、結局クラウスは、自分がこの部屋に入る前に起こった大きな音の正体を、サーレスに告げた。

 サーレスは、それを聞き、先程のクラウスのお願いに、何度も頷いたのだった。



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