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花籠の道と黒の小石  作者: 織川あさぎ
第一章 ドミゼア篇
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 騒動から一夜明け、クラウス達は、黒騎士の仮宿として借り上げてある家でそれぞれ過ごしていた。

 当然、ランデルも、黒騎士達の監視の下、この家に滞在することになった。

 ただ、大人しくという言葉は、生憎この人には当てはまらない。

 朝起きると、さっさと自らで身支度を調え、当然のように、弟の部屋に突撃をかけていた。


「お、お待ちください! 今はまだ、団長は睡眠中ですから!」

「あれが、俺がいる状況で熟睡しているわけがないだろう。絶対に起きている」

「安全な場所で寝られる時はめいっぱい寝てますからあの人!」


 黒騎士達の必死の防衛も突破され、無造作にクラウスの私室の扉は開けられる。

 ブレストア国王の身に傷ひとつも付けてはならぬと、決死の思いで身を盾にした護衛騎士達は、我が身にいつまでも痛みが起こらないのを不思議に思い、恐る恐る目を開いた。


 最初にその目に飛び込んできたのは、なぜか下着姿の女性だった。


「……何をしてるんだ、お前達」


 女が、不機嫌そのものの重低音で告げる。

 その声で、ようやく彼らは、それの正体に気が付いた。

 しかし、それとほぼ同時に、風を切り、柔らかいのに痛い物体が、次々に騎士たちの頭に正確に投げつけられる。

 大小様々なそれは、本来なら投げつけられてもさほどダメージを受けるような物ではないが、投げている人物が人物だけに、立派な凶器となって、全員に降りかかってくる。


「総員退避!」


 騎士たちは、かばっていた国王共々、大量にクッションや小物を投げつけられ、団長であるクラウスが着替え中だった部屋から逃げ出した。



 次に扉を開けたのは、中にいたクラウス本人だった。

 クラウスは、この地方の女性がよく着ている簡素なドレスを身につけ、袖無しの長い上着を羽織っていた。

 扉の外に、当然のように兄が笑顔で待ち構えているのを見て、クラウスは深く深くため息を吐く。

 そのまま、ランデルを部屋に招き入れ、自分は部屋の奥にある衣装箱の側に行き、身支度の続きをはじめる。

 部屋に足を踏み入れたランデルは、しばらく部屋を見渡すと、ひとまずこの部屋に一脚だけあった椅子に、腰を落ち着けた。


「今日はクラリスなのか?」


 ランデルは、にこにこと上機嫌に、弟の姿を一瞥しながら問いかける。

 しかし対照的に、凄まじく不機嫌な弟は、日頃のクラリスの声も忘れたかのように、冷たく言い放った。


「何の用ですか?」

「どこかに行くのか?」


 こちらの問いにもまったく頓着しない兄に、ふたたび大きくため息を吐いたクラウスは、そのまま手の動きを再開した。

 黒から、赤茶色に染め直した髪を、くるくると頭上にひとつにまとめ、ドミゼアで最近流行っている、ガラス玉の髪飾りをひとつ挿す。

 鏡の前に用意されていた他の装飾品も、その髪飾りに合わせた色になっており、それらを次々と、手慣れた様子で身につけていく。

 その姿は、まるっきり女性の身支度で、その様子を見たランデルは、感心したように頷いた。


「よくまあ、そんな簡単に髪をまとめたりできるもんだな。簡単なのか、それ?」

「慣れていれば、簡単ですよ」

「……化粧はしないのか?」

「もう終わってます」


 言われてよく見てみれば、確かにいつもより、唇が染まっている気がする。

 しかし、あまりに微妙な違いに、兄は首を傾げた。


「いつもとあまり、変わらないんだな?」

「街の娘がそう派手派手しく化粧をしているはずがないでしょう。これでもめかし込んだ状態です」

「そうなのか?」

「兄上が見ている貴族の女性達は、基本的に地肌を見せないほどおしろいを塗っていますが、街の女性達は、そこまで肌に塗りませんよ。せいぜい、口紅とほお紅を差すくらいです」

「へぇ。で、めかしこんでどこに行くんだ?」


 結局戻ってきた話題に、クラウスはため息と共に告げた。


「カセルアの大使館です」


 その瞬間、ランデルの瞳が輝く。

 しかし、クラウスは、ランデルに何かを言われるより先に、口を開いた。


「……早く支度してください。一緒に行きますよ」


 連れていけ、と言う前に告げられた言葉に、一瞬ランデルの思考が止まる。


「一緒に行っていいのか?」


 首を傾げた兄に、クラウスはこくんとひとつ頷いた。


「連れて行けと言うつもりだったでしょう、今」

「どうしてわかる」

「どうしてわからないと思うんです。行くおつもりなら早く支度してください」

「行くんなら、これでいい。これしか持ってないからな」


 ランデルは、昨日染めていた髪もそのままに、いつもの麻のシャツと革のズボンを身につけた姿だった。

 その姿に、クラウスは訝しげに眼を細める。


「……上着はどうしました?」

「あるぞ。ただし、こっちだと暑い」

「ブレストアで着ていたそのままですか」


 クラウスは、立ち上がって、自分の部屋にあった衣装箱から、上着を一枚取りだし、兄に投げつけた。


「それを着たら、すぐ行きますよ」


 止まることなく扉から出ようとする弟を、兄は慌てて追いかけた。



 小さな箱馬車で、兄弟は向かい合って座り、ガタガタと揺られていた。

 その狭い馬車の中は、先程からずっと沈黙に包まれている。

 昨夜、ランデルは、クラウスが帰ってくる前にはうっかり寝てしまっていたため、今朝に至るまで、一言も話ができなかった。

 そして今は、弟になにを聞けばいいのかで、延々悩み続けている。

 どうしても会話のきっかけがつかめずに、らしからぬほどに悩んでいたのだ。

 クラリスとしての弟は、他の姿でいる時よりは、社交的に会話をしてくれるが、今日は機嫌が悪そうにむっつりと黙り込んでいる。

 どんな姿だろうが、基本的にあまり人と絡むのは好まないのだろうと思っていた。

 甘え方が下手だの、お兄ちゃん大好きだの、そういった言葉とは無縁にしか見えない。

 昨夜の、トレスの影武者が告げた言葉が、どうにも信じられない。

 少なくとも、あの影武者は、弟がそう感じていると確信が持てるほどに、傍にいたことになる。

 二人の間には、やはりカセルアで何かあったのだろう。

 だが、いきなりあの相手について訊ねたところで、この弟は絶対に言いそうにない。


 難しい顔で腕を組む兄に、クラウスは訝しげな視線を向けた。


「くれぐれも、変な真似をしないでくださいね」

「……俺は常に真面目に行動しているが?」

「では、いつもより控えめでお願いします」


 すました顔でそう告げた弟の顔を、再び困惑したような表情で見つめたランデルは、ひとまず大人しく頷いて答えた。



 カセルア大使館で応接間に通されたランデルは、その信じられない風景を目の前にして、入り口で固まっていた。

 中ではトレスが、ソファに腰掛け、本を読んでいた。

 ゆったりと寛いだ姿のトレスは、人の気配を感じたのか、ゆっくりと顔を上げる。

 本から目を離し、ランデルの姿を認めると、トレスはにっこりと微笑んだ。


「やあ、ランデル。相変らず奔放だな。まさか、ドミゼアにまで来るとは思わなかったよ」


 ランデルは、その姿を穴が空くほど見つめ、そしてじりっと後ずさった。

 後ろにいた弟に体が当たり、思わず振り向く。

 弟は、すました顔をして、背後に控えていた。

 恐る恐る、再び部屋の中に入り、トレスの前に足を進める。


「……」


 ぽかんとした顔のままトレスを見つめていたランデルは、その直後、突然体をかがめ、トレスの上着を、下のシャツごとむんずと掴んだかと思うと、そのまま勢いよく手を上げた。


「……男だ」


 周囲にいた使用人も、そして兄の背後にいたクラウスすらも完全に意表を突かれた。

 愕然とした人々とは裏腹に、服をまくり上げられ、素肌のままの上半身を晒された形になったトレスの周囲は、一気に凍えそうなほどの冷気に包まれる。

 トレスは、あくまで笑顔のまま、傍にいた使用人が持っていた銀製のトレイを取り上げ、ゆっくり両手に持ち、視線の少し下にあったランデルの頭に、力の限り振り下ろした。


 応接間から、重々しい鐘のような、大きな音が鳴り響いた。

 別の部屋で仕事をしていた書記官が慌てて顔を出し、何事かと確認する騒ぎになり、ここまで案内してきた秘書達が、慌てて説明のためにその場を離れる。


 その音を立てた本人であるトレスは、心痛を思わせる表情で、目の前で呻く男を見下ろしていた。


「……ランデル、私はとても悲しいよ。心の友と思っていた男が、実は変質者だったとは」

「誰が変質者だ誰が」


 涙目で頭を抱えたランデルに対して、トレスは恐ろしいほど冷え冷えとした声で、容赦なく言い放った。


「出会い頭に挨拶よりも先に男の服をまくり上げるのが、変質者の所行でなくば、なんだと言うんだ?」

「なんで本物がここにいる! というか、相変らず容赦がなさ過ぎだ!」

「なんの話かな、ランデル? お前も変わらないな。元気そうでなによりだ」


 この部屋に居た、正真正銘本物のトレスは、親友を見ているとは思えないような冷めた瞳のまま、にっこりと微笑んでいた。


 トレスは、いびつに曲がってしまったトレイをガレウスに渡し、お茶の用意をするようにと告げる。

 ガレウスは、その言葉に従い、ひとつ会釈をすると、真っ直ぐに入り口に向かう。

 そして、そのガレウスが部屋を出る寸前に、クラウスは袖を引かれ、その場から連れ出された。


 クラウスは、無抵抗のまま、ガレウスに従って歩いていた。

 笑って引っ張ってこられたからには、何か用があるのだろうし、少なくともあの状態の兄の側にいるのはさすがに躊躇われたのだ。

 少し離れた位置まで、袖を引かれたままだったが、十分部屋から離れたところで袖を離され、小声で話しかけられた。


「……あちらでお待ちです」

「……王太子ご本人がいらっしゃると聞いていたので、会わせていただけないかと思っていました」


 苦笑したクラウスに、ガレウスは、笑顔で首を振る。


「ご婚約なさったお二人に対して、そんな事はしませんよ。どうぞ」


 部屋を指し示され、クラウスはガレウスに頭を下げると、その部屋をノックした。

 中から響いた許可の声に、心が騒ぐ。

 落ち着かない心を無理矢理押さえ込み、そっと扉を開けた。



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