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花籠の道と黒の小石  作者: 織川あさぎ
第一章 ドミゼア篇
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暴力表現があります。苦手な方はご注意ください

 何度斬りかかったかわからないほど攻撃を仕掛けているのに、相変らずこの相手はひらりひらりとよく避けた。

 あの日もそうだった。

 攻撃はたいしたことがないのに、とにかくこちらの攻撃はことごとく避けられる。

 どちらにも致命傷がなく、ただ消耗するばかりの戦いだった。


 こちらの全力を、ギリギリで躱す目の前の相手に、少しずつ、己の意識がすり減るのがわかる。

 相手の動きに、自分の意識ではなく、体が反応する。

 だんだん遠退く意識は、まるで遠くから、他人事のように見学しているようだった。

 すぐ正面にいる相手が、とても遠い。

 相手だけではない。全ての物が、自分と違う世界にあるように、遙か彼方にある。

 体はずっと動き続けているのに、自分の意識だけが、ぼんやりと霞がかってくる感覚に、クラウスはかつての自分の世界を思い出す。


 あの人に出会ってからは、こんな感覚になった事がなかった。

 手を伸ばせば、自分で触れる感覚があった。

 全ての物には、ちゃんと色があった。

 夜の闇の中でも、昼のまぶしい光の下でも、そこには色はあり、形があった。

 今、それらが全て、遠くになった。


 クラウスの体は、少しずつ躊躇いが消え、速さが増していた。

 相手は逆に、少しずつそれに対応できなくなり、避けきれずに体に小さな傷が増えていく。


「……ちっ、この化け物が!」


 相手が、クラウスに、手に持っていた小型の盾を投げつけた。

 クラウスは、それに動じることなく、それを横凪ぎに払い、体を前に進める。

 それに慌てた密偵は、絨毯に足元を取られ、一瞬バランスを崩す。

 クラウスは、自分から目を離したその密偵に向け、躊躇うことなくその首に剣を伸ばした。


 鉄同士の、激しくぶつかりあう音が、部屋中に響き渡る。

 その音は、意識の遠かったクラウスの耳にも、しっかりと響いていた。

 クラウスの視界に、白い礼服が飛び込んでくる。

 すぐ傍に、柔らかそうな、茶色の髪が見えた。

 髪と同じ色合いの、茶色の強い眼差しが、クラウスを見据えている。


「……そこまでだ。もう、大丈夫だから」


 クラウスの剣を、しっかりと一本の剣で受け止めたサーレスが、そこにいた。

 クラウスに、遠退いていたはずの全ての感覚が一斉に戻ってくる。

 そしてその瞬間、全身の血が凍り付いたように、クラウスの周囲だけ、時が止まっていた。



 クラウスの体から、今までの殺気は消えていた。

 少しずつ、力の均衡が崩れ、お互いの剣が滑るのを見て、サーレスは剣を引いた。

 サーレスの背後にいた密偵は、息を殺してその様子を見ていたが、二人の注意がこちらに向いていないことを幸いに、じわりと体をそこから遠ざけようとした。

 その瞬間、目の前に突きつけられたのは、白の光を反射した、切っ先だった。


「動くな」


 サーレスの剣は、そちらを見もしないまま、正確にその密偵の首に当てられていた。

 ためらいなく突きつけられた剣は、素肌の部分に当たり、その冷たい感触に、密偵は震えあがる。


「あ、あんた、俺達の盾になって、逃げるまで一緒に居ると言っただろう。一国の王太子が、その言葉を蔑ろにする気か? 俺達は、お前の言葉に従って、女どもを解放したんだぞ」

「だから、ちゃんと盾になっているだろう」

「なっ、なんだと」

「盾になるとは言った覚えがあるが、お前に刃を向けないと約束した覚えはない。逃げるまではとも言ったが、逃がしてやるとも言わなかった」


 そんな屁理屈のようなことを告げられた密偵は、唖然として、その場にへたり込んだ。

 密偵が、抵抗の意思を無くしたのを見て取り、サーレスはようやく、クラウスに微笑んだ。


「……あなたがこれを狩りたいのなら、その望みを叶えてやりたいところだが、後ろの二人はそうではないようだし、元々捕獲すると言っていたから、ひとまず止めた」


 その言葉を聞いたとたん、クラウスは、力が抜けたように腕を降ろし、サーレスをぼんやりした眼差しで見上げていた。

 サーレスは、そんなクラウスの頭を、空いていた手で優しく撫でる。

 しかし、次の瞬間、何の前置きもなく、クラウスはサーレスの影から、ほとんど動作もなく何かを投げた。

 サーレスは、そんなクラウスの態度をいぶかしむこともなく後ろを振り向き、自らの手袋をひとつ外すと、それを密偵の口に無理矢理ねじ込んだ。

 そしてサーレスは、そのまま当て身で相手を気絶させた。

 あっけなくくずおれた密偵の手にはナイフが刺さり、その手から小さな硝子の瓶が転がり落ちる。それを拾い上げ、明かりにかざしたサーレスは、ため息と共にそれを懐に入れた。


「やれやれ。あ、すまないんだが、これを拘束してくれないか。ついさっきまで牢に入っていたから、拘束具を何も持っていないんだ」


 ユーリとエイミーに向けてそう告げると、サーレスは改めて、振り向いた。


「……戻ったみたいだな。よかった」


 微笑むサーレスとは対照的に、泣きそうに顔をゆがめたクラウスは、小さな声で、呟くように告げた。


「どうして……剣の前に飛び出すんですか。危ないじゃないですか」

「剣筋が見えたから、受けられると思った。実際、大丈夫だったろう?」

「……見えた?」

「ああ。あなたの剣筋は、一度見たからな。二度目なら、なんとかなる」


 あっさりと告げられたサーレスの言葉に、密偵を拘束していた二人は、ぽかんと口を開けてサーレスを見つめた。

 二人の手が止まったのを察したサーレスは、くるりと再び振り向き、にっこり笑って二人に告げた。


「あ、それ、手袋は咥えさせたまま、猿ぐつわも頼む。たぶん、口の中に、毒を仕込んでる」

「え」

「さっき拾った小瓶と合わせると致死性の猛毒になるんだが、片方だけでも毒は毒だ。口内に仕込んだ毒は、まず喉を潰すから、面倒になる。アルバスタの密偵達特有の物だと思っていたんだが、これも仕込んでいたんだな。危うく、同じ失敗をするところだった」


 ますます唖然としたこの場の黒騎士たちに、サーレスは肩をすくめて種明かしをした。


「同じ毒を仕込んだ賊を、先にカセルアで捕まえたんだよ。瓶が同じだったからな」

「……その賊は」

「小瓶の方は阻止したんだが、それで油断したらしくてな。口内の物を飲んで、喉が潰れた。それから証言を取るのは、時間がかかったんだ」

「ああ……だから、ここまで解決がもつれ込んだんですね」

「まあ、そういうことだ」


 苦笑したサーレスを、クラウスは常になくぼんやりした瞳で見つめていた。


「一応、ここに来た密偵は、これを入れて三人が確認されている。その中で、ブレストアがらみは、これ一人だ。渡すのは、これ一人でいいかな?」

「……はい」


 頷いてから、クラウスは、二人の黒騎士が、密偵を完全に拘束したのを確認し、サーレスの顔を見上げた。


「今、この場で、これを回収しても大丈夫でしょうか」

「ああ。その点は、こちらでなんとかする。それは、このままブレストアに持ち帰ってくれ。本来ならいけないんだろうが、ここでブレストアまで絡んでくると、ややこしくなる」


 苦笑したサーレスは、二人の黒騎士の元へゆっくりと移動した。

 にっこりと微笑んだサーレスは、自分が持っていた剣を自分の胸元にあったチーフで拭うと、エイミーに握りを差し出した。


「助かったよ、ありがとう。さすがに、あの場に、素手で飛び込む勇気は、私にはないからな」

「……私は、剣を持っていても、飛び込めません」

「俺もだ」


 黒騎士二人は、憮然と答えた。

 サーレスは、うなだれていたエイミーを見て、優しく微笑む。


「君は、あの人の影かな。よく似てる」


 クラウスを見ながらそう告げたサーレスに、エイミーは素直に頷いた。


「……はい」

「君みたいな可愛らしい女性も、黒騎士にいるんだな。カセルアには女性騎士は居ないから、羨ましいよ」


 告げられたエイミーは、そのとたん、クラウスの影としての仮面が剥がれていた。

 真っ赤になったかと思うと、もじもじとうつむき、恥ずかしそうに剣を受け取ると、慌てて少し離れて、その剣を鞘に戻した。


「エイミー。お前、男相手に簡単に顔変えるようじゃ、また見習いからになるぞ」


 ユーリが肩をすくめてそう告げると、エイミーは泣きそうな顔で振り返り、そして肩を落とした。



 黒狼の二人は、拘束した密偵を抱えて去り、この場にクラウスとサーレスの二人が残された。

 クラウスは、硬直した表情を何とか和らげ、改めて目の前にいる人を見つめていた。

 今日の装束は、王太子の紋章入りの白い礼服で、クラウスが初めてこの人と出会った時と、そのまま同じ様式の装束だった。久しぶりに見たその礼服は、あの時から比べても、凛々しく成長したこの人に、とてもよく似合っていた。


「その服を着たあなたを見るのは、久しぶりです」

「そもそも、国外で着る服だからな。あなたが国内しか見に来なかったなら、そうだろうな」


 微笑んでクラウスを見つめるサーレスは、そのまま、再びクラウスの頭を撫でた。


「はじめ、報告を聞いた時には、あなたは来ないと思っていたんだ。だけど、夜会の会場で、あなたの兄上を見つけて、もしかしたらと思った」

「……兄は、失礼なことはしませんでしたか」

「なにもなかったよ。ほんの少し、会話をしたくらいだ。それにしても、本当に、あなた方は兄弟揃って、私達を見分けてしまったな。あの方も、すぐに私が兄上本人ではないとわかったみたいだったよ。会場にいた時に、首を傾げてこちらを見ているあの瞳を見て、あれがあなたの兄上だと気が付いた」

「そうですか……では、あなたが誰なのかも……?」

「それは、判断できなかった。ご本人は、詮索はしないと仰っていたが……あの方、好奇心旺盛だろう」

「ええ」

「知られるのも、時間の問題のような気がするな。まあ、兄は兄同士で、なんとかしていただくとしよう」

「そうですね。ただ、兄が、トレス殿下にお会いするまで、大人しく城にいてくださるかどうかがわからないんですが」


 そう告げるクラウスの頭上で、くすくすと笑い声が聞こえた。


「すぐに会えるよ」


 サーレスの笑顔を、クラウスは疑問に思いながらも、頷いた。


「それよりも……本当に、お怪我はありませんか」

「ああ、ないよ」


 腕を振って、体を動かしてみせるサーレスを見て、クラウスはますますうなだれた。


「……すみませんでした」

「気にすることはない。間に合ってよかった」

「……」

「あのまま、あれを倒すのは、ブレストアとしてはまずいんだろう?」

「……はい。あれが、おそらく最後なんです」

「最後?」

「三国戦争のきっかけになった騒ぎの、最後の生き残りです。この数年で、盗賊に関しては全て調査が終わっています。あとは、指示した貴族側の人間が必要なんです」

「なるほど、証人か」

「口を割らせて、正式に、亡命している貴族の返還を求める手続きを取らなければ、それを裁く事ができません。それ以外に、証拠もありませんので」

「だから、生きていることにこだわったか」

「はい……。あなたのおかげで、この三年ほどの、黒狼達の努力が無駄にならずにすみました。これで、あの戦が、ようやく終わります……」


 クラウスの表情は、穏やかだった。その顔には笑みを浮かべ、青い瞳も、ろうそくの柔らかな光を受けて、いつものように、艶やかに輝いている

 サーレスは、その顔を見て、クラウスの頭をそっと抱き寄せた。


「本当に……間に合って、よかった……。あのまま、あなたの心が壊れていたら、どうしようかと思った」


 クラウスは、驚きに一瞬硬直したが、すぐに、その暖かな両腕に、身を任せた。



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