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花籠の道と黒の小石  作者: 織川あさぎ
第一章 ドミゼア篇
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 埃とカビの匂いが鼻につく。

 小さな彫像の台座から入る事ができた抜け道は、所々にある小さなランプのみで照らされ、先の道がわからなければ足を踏み出すのも躊躇うほどに不快な場所だった。

 クラウスは、その道を、足早に奥を目指して進んでいた。

 複雑に入り組んでいるのは、当主が邸内から脱出する時に、後を追う者を遠ざける目的があるが、この手の物は、実際に通る正解の道を知っていれば、罠もなく単純に辿り着けるものである。

 案の上、ここには見張りもなく、何の問題もなく、目的の場所近くまで辿り着く。

 道の先にある、ゆらゆらと揺れる灯りが、暗い通路に慣れた目にまぶしい。

 人の存在をその明かりから察したクラウスは、自分の気配を極限まで殺して、その明かりの元へ忍び寄る。

 そっと奥を窺うと、牢の中に、明かりを反射する白い何かが見えた。

 鼓動が、はっきりとわかるほどに強くなる。

 様子はわからない。動きも全くない。だけど、あれがなんなのかはわかる。

 白を基調にした礼服に身を包んだ、サーレスだった。


 牢の中は、それほど広くはない。

 石造りの壁に取り付けられた、木でできた簡素な寝台がひとつと、テーブルと椅子が一脚ずつ。サーレスは、その寝台の上で、横になって身動きひとつしなかった。

 周囲を窺うと、案の上、明かり用の燭台の近くに、人の影があった。

 見張りらしい、鎧を身につけたその人物は、ゆらゆらと体を揺らしながら、うたた寝している。その微かな揺れが、傍にある燭台の火を揺らしているようだった。

 素早く近寄り、顔を寄せる。そこまでしても目覚めないほど、眠りが深い。

 その人物は、日に焼けた精悍な顔をしていた。体の横に立てかけられた長めの棒は、おそらく武器代わりに用意したものだろう。そして、その手を見て、クラウスは、この人物は、農民の一人なのだと結論付けた。

 暗器を使う者の手ではなく、日々土を相手に戦っている、よく使い込まれた手をしていたのだ。

 クラウスは、その身体からまず鍵を取りあげた。

 そして、その上で、体を拘束するために縛り上げる。


「……んぐ?」

「……寝てろ」


 一瞬目覚めた見張りに当て身を食らわせ、気絶させて完全に拘束すると、それを抱えて改めて牢に戻る。


 この姿を、見間違いようがなかった。

 カセルアの紋章が入ったマントを下敷きにして、横になっているその姿に、クラウスは泣きそうに顔をゆがめる。

 穏やかな彼女の表情に、まるで、普通に昼寝でもしているように錯覚しそうだった。

 その無事を確認するため、クラウスは先程奪った鍵で、無造作に扉を開けた。


 その瞬間だった。

 穏やかな表情で眠っていたはずの人は、瞬く間に起き上がる。

 その事に驚き、扉を開けた状態で硬直したクラウスを、その茶色の瞳はしっかりと見据えていた。


「……」

「……」


 お互いが、無言のまま、見つめ合う。そしてサーレスは、ふっと微笑んだ。


「……会場で、あなたの兄上を見つけたよ」


 その声に、顔がどうしても緩む。仕事中なのに、思わず微笑んでしまう。


「……ご無事ですか?」

「ああ、なんともない。怪我もないし、薬も魔法も使われてはいないから」


 穏やかな表情のまま、体の向きを変えたサーレスから、微かな異音が聞こえてくる。

 それを聞きつけたクラウスは、顔をしかめた。


「何の、音です?」

「ああ、これだ」


 持ち上げた腕に、錆の浮いた、無骨な作りの手かせがはまっていた。

 それを見た瞬間、クラウスの中には、あきらかに怒りと苛立ちが沸き上がっていた。

 無言のまま、牢の中に入りこみ、彼女の前に跪く。

 目の前にある枷は、幸いに鍵で止めてあった。

 懐から鍵開けの道具を取りだし、その枷を外した。


「ありがとう」


 手首を動かし、異変がないか確認しているサーレスの姿を見つめながら、クラウスは呻くように告げた。


「やっぱり、ここに来たのは、あなたの方だったんですね」


 サーレスは、そう告げたクラウスの瞳を見て、笑顔を消した。


「私は言ったはずです。あなたの身は、もうあなた一人の物ではないと。どうして、無茶をしたんです?」

「無茶?」

「ご自身の身を盾にして、女性を解放させたでしょう」

「無茶じゃないよ。むしろあそこで女性がいた方が大変だったから、解放してもらったんだよ。私の従者に、女性はいなかったからな」

「それでも」


 クラウスの、表情が歪む。

 人形のような、輝きが失せた瞳のまま、泣きそうに顔をしかめた目の前の婚約者に、サーレスは手を伸ばした。


「たしかに、今まで通り、兄君の影武者をしてもかまわないと言いました。でも、兄君の代わりに命を投げ出してもいいとまでは言いませんでしたよ?」

「……死なないよ。あんなところで」

「人は、簡単に死にます」

「少なくとも、あそこで死なない公算があったから、交渉したんだ」

「あなたの正体が相手に見つかれば、どうなったと思うんですか。こんな手かせを填められて、それでも大丈夫だと言うんですか?」

「もちろんだ。私は、自分に付いてくれた部下を信じている。彼らは、きちんと役目を果たすはずだ。だからこそ、私は私の役目に向き合えるんだ」


 真っ直ぐに、クラウスの瞳を見つめるサーレスは、手かせの外れた手を、髪を黒に染めてあるクラウスの頭に乗せて、優しい手つきで、そっと撫でた。


「……そちらこそ、何があった?」

「……なにもありません」


 一瞬だけ、クラウスは視線を逸らした。

 サーレスは、撫でていた手を降ろし、頭を両手で挟み、無理矢理に顔を上げさせる。そして、改めてその視線を、クラウスの瞳に向けた。


「……そんなわけないな。私より、よっぽど死にそうな顔をしている」

「だとしたら……間違いなく、あなたが心配をかけるからですよ。ここで寝ている姿を見て、心臓が止まるかと思いましたから」


 クラウスの言葉に、サーレスは首を横に振る。


「これが、あなたの、死神の顔か」


 息を飲んだクラウスは、サーレスの瞳を見つめていられず、その視線を落とした。


「何を狩るつもりだ?」

「……狩るわけにはいかないんです。捕獲しなければいけませんから」

「あの、アルバスタからきた密偵か?」

「はい」

「あれは、黒騎士全てにとっての仇だと聞いた。だから、ここに黒狼は必ず来ると……」

「そのとおりです。正確には、ここにいる密偵の主人が、ですが」

「一人で来たのか?」

「いえ。他の者も連れています」

「……だったら、あなたは行かない方がいい」

「そういうわけにはいきません。あれを捕まえるのは、私の役目です」

「……だめだ」


 クラウスは、真剣な表情で自分を制止するサーレスを、不思議そうに見つめていた。


「……どうして、止めるんです?」

「いつものあなたなら止めはしないが、今のあなたは駄目だ」

「だから、どうして……」

「あなたは言っただろう。私の身は、もう私一人の物ではないと。ならばあなたも同じだ。あなたはもう、あなた一人の物ではない。私の物でもあるはずだ」

「……」

「なら、私には、止める権利がある。今のあなたは、己を殺す目をしている。そんな目のまま、仇のいる場所に行かせるわけにいかない。仇と共に、あなたは己も殺すだろう」


 クラウスは、答えられなかった。

 昔、守りたいと思う物が思いつかなかった時代なら、それはあったかも知れない。だけど今は、自分を殺したいとは思わない。そのはずだった。


「……私は、死にません。絶対に」


 体を捻り、サーレスから距離を取ったクラウスは、そのまま牢の外に移動した。そして、自らが開けた牢の鍵を再び閉め、その鍵を、牢から遠く離れた場所に投げ捨てた。


「!」


 絶対にサーレスの手が届かない場所にその鍵があるのを確認し、改めて牢の中の、最も守るべき人の顔を見つめる。

 そして、クラウスは、微笑んだ。


「後でもう一度、お迎えにきます」

「……クラウス!」


 サーレスは、声と共に、クラウスを止めようと手を伸ばしたが、その手はただ、空を掴んだだけだった。

 クラウスが、その手を避けてそっと牢を離れた直後、その場でエイミーとユーリは合流した。

 この場に到着した二人は、牢の中にいるサーレスを見て驚いた表情をしたが、そのままクラウスの後に続き、三人はその場から姿を消した。



「っ……届かないか」


 手を伸ばしても、何をしても、鍵まで手が届かない。

 三人がこの場を去ってから、ずっと鍵を取ろうとしていたが、どうしてもあと少し足りなかった。

 室内を見渡し、何か棒状の物を探そうとしたが、それもない。

 行儀悪く舌打ちして、サーレスがその場にあった椅子を、鉄格子の入り口に投げつけるべく手に取った瞬間、その外からくすくすと笑い声が聞こえた。


「梟、いるのか!」

「御前に」


 名を呼ばれ、跪いた梟は、深々と頭を下げた。


「この扉を開けろ」

「……狼を追いかけますか」

「ああ」

「計画は、どうなさいますか」

「変更無しだ。ただ、お前に任せる予定だった首領を、私が確保するだけだ。ガレウスには、予定通りと伝えろ」

「御意」


 梟は、投げ捨てられていた鍵を手に取り、扉を開けた。

 軽い金属音の後、手入れのされていない扉が不快な音を立てて大きく開く。

 サーレスは、それを急いで潜ると、全速力で、三人の狼たちが消えた方向に走り出した。



 地下にあった牢から、三人はそのまま、この通路の屋内出口に向かって走っていた。

 ユーリは、たまに後ろを振り返りながら、クラウスに問いかけた。


「さっきのあれ、カセルアの王子じゃないのか。ほっといていいのか?」

「大丈夫だ。私達がこちらに来ている限り、あそこが一番安全なはずだ」

「まあ、そうだけどよ」

「それよりそろそろ出口だ。これ以降、会話は慎め」


 ユーリは、後ろを気にしつつ、頷いた。

 その長い通路の出口は、作り付けられた暖炉の奥にあった。

 子供の身長ほどもありそうな大きな暖炉は、その細い出口を装飾された枠で隠してあった。

 この暖炉は、飾りとして使用されている物らしい。この国では、暖房はあまり必要ないため、ほぼ火の入った気配のないそれは、煤で汚れることもなく、忍び込むのに大変都合がいい状態である。

 おかげで、埃も煤も付けることなく、通路から抜け出せた三人は、その場所から部屋を見渡した。

 飾り枠の影からそっと中を窺うと、そこは寝室のようだった。

 大きな、成人が五人も並んで寝られそうな、立派な寝台がある。だが、今は誰もそこで眠っている気配はない。

 クラウスは、さらにその向こうにある部屋から、人の気配を感じていた。

 二人をこの場に残し、クラウスだけで部屋を抜け、その相手の様子を窺うために、扉のないその続きの間の中をのぞき込んだ。


 クラウスは、そこにいた相手を目にして、体から全ての血が抜かれたように、脱力し、その足元がふらついていた。

 その顔は、忘れようにも忘れられない。

 あまりのことに、自分が息をしているのかどうかもわからなくなった。

 視線の先にいた人物が、こちらを見て、驚愕の表情を浮かべる。


 あれは、獲物だった。かつての、自分の獲物だった。


 気が付いた時には、クラウスは、己の双剣を抜き、部屋に躍り出ていた。



「……様子がおかしい」


 ユーリの言葉に、エイミーは驚き、クラウスの背中とユーリの横顔を交互に見比べた。

 その場所からは、クラウスの顔は見えない。しかし、ユーリには、クラウスの体が完全に動きを止めているのが、はっきりとわかったのだ。

 その直後、部屋に飛び込んでいったクラウスに、二人は驚愕して、隣の部屋の入り口まで慌てて走った。


「……きさま、黒狼の死神!」


 そう叫んだ人物は、ドミゼアの一般兵の鎧を身につけ、クラウスの手から繰り出される無数の攻撃を、すんでの所で躱していた。

 ユーリは、そのクラウスの攻撃を見て、エイミーを振り返った。


「エイミー。今すぐ、梟を探せ」

「え、どうして?」

「間違いなく、俺達より梟の方が、腕が上だ。しかもあいつ、見覚えがある……昔、ノエルが逃した獲物だ」


 その言葉の意味に、エイミーは戦慄した。


「あのノエルが、逃がしたっていうの?」

「そうだ。戦場で、ノエルはあいつに正面から勝負を挑まれて、手こずっている間に黒髭がやられたんだ。しかも、黒髭がやられた事を知らされて一瞬手が鈍った隙に、逃げられた」 

「……あの標的、そんなに強いの?」

「強いというか、攻撃を当てられないんだ。こっちに攻撃はあまりしてこないが、ひたすら避けて、そして逃げる。いいから、ノエルが足止めしている間に梟を連れてこい。このままだと、ノエルが狩っちまう。あいつは本気だ。相手があれだと、歯止めも利かないぞ。急げ!」


 ユーリは、自身も剣を抜きながら、どうやったらクラウスの邪魔にならずに手を出せるかを考え倦ねていた。

 本能に従ったクラウスは、基本的に味方の存在を考慮しない。

 だからこそ、この狼には、仕事中、誰も付かなかった。生半可な腕では、手伝うどころか、ただの足手まといでしかない。

 ユーリ自身も、クラウスが戦っているその場で手を出したことはない。

 初めての事態で、己の手が震えていることを知り、舌打ちした。


 エイミーは、ユーリの言葉に素直に従った。

 エイミーにとっては、クラウスもユーリも、偉大なる先達だった。その人達の言葉に従うのが黒騎士の勤めであり、望まれた仕事を果せて、初めて黒騎士として認められるのである。

 迷うことなく、来た道を戻るべく振り返った。

 そして、予想外の事態に、驚きに固まった。


「二人を止めて、あいつを捕まえればいいんだな。任せろ」


 突然告げられた言葉に、ユーリが驚き振り返る。

 だが、その声の主の顔は、見る暇もなかった。


「借りる」


 残像のように、ユーリの視界の端に白いマントがひらめいた。

 それは、目で追うこともできないほど素早く、二人の横をすり抜ける。

 慌てて向けた視線に、その背中に浮かぶ、カセルア王太子のリーデの紋章が見えた。

 手には、いつの間にか抜き取られていた、エイミーの剣が握られ、そのままその人は、隣の部屋に飛び込んだ。


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