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花籠の道と黒の小石  作者: 織川あさぎ
第一章 ドミゼア篇
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 クラウスは、ロレーヌ公爵邸の外壁を見上げ、出てくるため息を押えるのも忘れて、がっくりうなだれた。

 兄が、かつて師と仰いだこの国の貴族を頼ったことまで突き止めた時には、すでに事が起こっていた。

 よりによって、この中で、兄は王太子共々、人質状態にあるらしい。

 それを聞かされた瞬間、我ながらよく倒れなかったものだと思う。


「まったく、お前の兄ちゃんは、なんでこう、騒動を引きあてるんだ」

「知るか。というかユーリ、なんで本人が来るんだ。私は、お前に選べと言ったのであって、お前が来いとは言ってないぞ」

「しかたねえだろ。うちで一番隠密行動慣れてんのは、元黒狼の俺だもんよ」


 ユーリは、炎のような赤毛の長髪を三つ編みにし、その目立つ頭に器用に黒布を巻き付ける。

 そうやって、一通り目立たぬように扮装をした二人は、再び壁を見上げた。


「抜け道からか?」

「いや、そっちは直接屋内に入る事になる。中の状況が探れない今は、使わない方がいい。壁を越える」

「壁を越えるのも、この高さだと面倒じゃね?」


 ユーリは、自分の身長のゆうに三倍もありそうな壁を見上げた。

 近くには、足場になりそうな木もなく、近くの壁も遠い。ここを越えるためには、はしごを用意するか、鉤爪のついた縄でもかけなければ、手は届きそうにない。

 しかし、クラウスは、まったく慌てていなかった。


「お前は越える必要はない。私が先に越えて、少し向こうの裏門を開ける」


 壁を見上げていた二人の背後で、黒い影が揺れた。

 気配を感じて二人は振り返る。

 その場に、見慣れたもう一人の黒狼を見つけ、手招きした。

 華奢な四肢に小さな頭。猫毛の癖毛を黒く染め上げているところまで、今のクラウスに瓜二つ。遠目に見れば、どちらがどちらなのかわからなくなる。

 エイミーは、唯一明確にクラウスとは違う紫の瞳を伏せ、二人の黒狼の先達に頭を下げた。


「どうだ、エイミー。何か変化はあったか」

「つい先程、女性たちが解放されて出てきました」

「……女性が?」

「女だけ? 貴族か、使用人か?」

「両方です。その女性たちの証言では、どうやらカセルアの王太子殿下が、ご自身を盾に、女性だけは解放するようにと交渉したようです」


 その言葉を耳にした瞬間、クラウスの身にゆらりと殺気がまとわりつく。

 それに反応して、隣に立っていたユーリは思わず半歩ほど後ずさる。報告したエイミーなどは、真っ青になってうつむき、震えていた。


「おいおいノエル。今からそんな気配駄々漏れで入るつもりか」

「……」


 クラウスはしばらくその状態のまま固まっていたのだが、ふっと息を吐き、心を落ち着かせる。先程までのさっきは、その瞬間消え失せ、その表情も再び感情の読み難いものに変わった。


「エイミー。他の者達は?」

「各人配置につきました」

「お前は中に入れるな? 手伝え」

「はい」

「ユーリ。手を貸せ。上がる」

「了解」


 ユーリは、塀を背に、手を組んで構える。その手をバネに、クラウスは高く空を舞う。

 地上に残った二人は、クラウスが軽やかに壁に着地したのを見上げながら、頷きあい、裏門に足を向けた。


 三人は、ひとまず、宴が開かれていたはずの大広間を目指し、庭の物陰を移動していた。

 迷いのない足取りでクラウスが先行し、その跡を二人はたどる。

 三人とも周囲を警戒しながら先に進んでいたが、それぞれが異様な雰囲気を感じ、首を傾げていた。

 クラウスは足を止め、後ろについてきている二人を振り返った。

 そして、二人の表情を見て、自分の感じていた雰囲気が、この二人にも感じられているのだと確認する。


「……やけに静かじゃないか?」

「ああ。もう少し警戒してるもんだと思ったんだが、人の気配が少なすぎるな。ほんとにここに押し入られてるのか?」


 後半のユーリの疑問は、エイミーに向けられる。彼女は、ひとつ頷いて、しかし本人も、やはりその場の異様さに、首を傾げる。


「間違いありません。現に、解放された女性は、ここから出てきたんですよ?」

「押し入られてる真っ最中のお屋敷にようこそ、狼さんたち」


 エイミーの声に重なるように告げられた台詞に、三人は瞬時に行動した。

 まず影に身を隠し、その声の主をさがす。

 周囲を見渡すクラウスは、地面から浮かび上がるぼんやりとした頭を見つけ、二人に知らせる。

 それは、半地下のおそらく従業員用の出入り口から、半分だけ顔を出して、手を振っていた。


「こんばんは」


 友好的な笑顔は向けてくるが、相手の正体がつかめない。このままこれを黙らせるべきか思案したクラウスに気がついたのか、相手は両手をあげて、ゆっくりと姿を現す。

 それは、どう見ても使用人だが、これがただの使用人のはずがない。

 つい先程まで、完全に気配がなかった相手を、三人は自分達と同業だと判断した。


「……どこの国の者だ」

「カセルアの梟です。こんばんは、かわいい狼さんたち」


 にこにこと笑っている場違いな相手を見て、ユーリは顔をしかめた。


「……カセルアの密偵だと? 今まで誰も姿を見たことがないんだから、本物かどうかわかんねぇだろ」

「それはそうなんだけど、こまったなぁ」


 梟を名乗る相手は、まったく困ってなさそうな様子で、よっこらしょと言いながら全身を表した。

 妙に細身で、背の高い男だった。髪も肌も色素が薄く、闇の中でぼんやりと浮かんで見えている。顔も整っており、目立つ容姿のはずなのに、その存在感が希薄で、信じられないほど気配がないのが異様だった。


「君たちは知らないかもだけど、黒狼の首領は知ってる。聞いてないかな。今回の仕事、こちらも便宜を図ることになってるの」

「それは聞いている」

「よかった」


 にっこり微笑んだ相手は、ふと気が付いたように地下に視線を向けた。


「あ、そうだ。庭で拾いモノしたんだけど、回収してくれる?」

「回収?」


 首を傾げた三人に、梟は扉を開けて、中を指し示した。

 そこに、椅子に腰掛けた状態で眠っていた自国の王を見つけた瞬間、クラウスとユーリはその部屋に押し入った。

 クラウスは、気持ちよさそうに居眠りする国王の首筋に指を当て、匂いを嗅ぎ、異常がないかを確認した。

 指が触れたためか、さすがに眠っていられなかったらしいランデルが、微かに身動ぎをしながら薄く目を開き、なぜか首を傾げた。


「んぁ……あれ? ここどこだ?」


 クラウスは、まだ寝ぼけているらしい兄の言葉を聞いて、無表情のまま耳を掴み、力を込めて横に引っ張った。


「いてっ! こら何をする!」

「おはようございますお迎えに上がりましたよ陛下。というか、この危険な場所でなに暢気に寝てるんですかあなたは。それに、知らない人にのこのこ付いていくなとさんざん宰相に言われてるでしょうが。というかそれは両方とも幼児に言い聞かせるべき事なんですがなんで今更成人しているあなたに言わなきゃいけないんですか?」


 ギリギリと引っ張る手を止めることなく、ひと息に言い切ったクラウスを、涙目で見上げた兄は、胸を張ってきっぱりと言った。


「今回、カセルアは敵じゃないから問題ない」

「問題大ありです。たまたま今回は本物だったからよかったものの、相手がカセルアを騙っている別勢力だったらどうするんですか」

「いてててて!」


 この気の抜けるやり取りに、エイミーはがっくり肩を落とし、ユーリは肩をすくめた。


「じゃれてないで、とっとと外に出すぞ」


 ユーリの指摘に我に返ったクラウスは、笑いをこらえるように口元を押えていた梟に視線を向けた。


「助かりました。おかげで仕事がひとつ片付きました」

「いえいえ。それに私は、拾っただけだから」

「拾った?」

「それを外に出したのは、うちの王子様だったので。さすがにほったらかすのは目覚めが悪いので、回収したんだよ」

「……王子、様」


 梟の言葉に、思わず立ち上がり、梟に顔を向けた。

 だが、兄は、その弟の行動を許さなかった。

 目の前の、弟の顔を無理矢理自分の方に向け、同じ色合いの瞳を、ひたと合わせる。


「……お前、どうしてあれのことを、俺に黙ってた?」


 その一言で、クラウスは、ここにいるのはサーレスであることを確信した。

 やはり、兄は、見分けたのだ。あの二人を。

 クラウスは、兄の問いには答えずに、いつものように微笑んで、首を傾げた。


「何の話ですか?」

「……ここにいるトレスの話だ」

「トレス王太子殿下が、どうかしましたか?」


 あくまでとぼけるクラウスに痺れを切らしたように、ランデルがその事を告げようとしたとき、まるでそれを遮るように、梟が動いていた。


「あまり時間をかけていると、肝心な人が逃げますよ、狼さん?」


 白い手が、ランデルの口を塞いでいた。


「兄弟喧嘩なら、ここじゃなくてもできるでしょう?」


 ランデルを見ながら、笑って、口元に指を立てた。

 その意味は、明白だった。

 トレス王太子の影武者の存在。これは、カセルアにとっては、秘中の秘である。梟の目の前で、それを言葉にすることは許されるはずがなかった。

 ランデルは、それ以上この場ではこの事を口にしなかった。


「じゃあ、一旦外に出るとするか。話はそれからだな」


 兄の言葉に、クラウスは頷いて、扉の外の気配を窺っていたユーリを呼び寄せた。


「……ユーリ、国王を頼む。裏口の人員に回収させろ」

「わかった」


 ユーリは、ランデルの隣に座り、にかっと笑った。


「さぁて王様。どうやって運ばれるのがいい? お姫様抱っこ、おんぶ、荷物扱い。どれでもいいぜ?」

「俺が自分で歩く選択肢はないのか」

「ないな。じゃ、時間切れって事で担ぐか」


 そう言うと、ユーリはあっさりとランデルを荷物のように肩に担ぎ上げた。


「お前ら黒騎士は、どうして俺を運ぶときにいつも荷物扱いなんだ?」


 ランデルは、ため息を吐きながらも、無抵抗のまま運ばれていく。特に抵抗もしないのは、すでに慣れているからであり、抵抗したところでろくな事がないのも、骨身に染みてわかっている。

 運びやすく荷物に徹するランデルに、ニヤリと笑ってユーリは答えた。


「これが一番、抵抗されても苦にならない体勢だからな。じゃ、外に出してくる」

「頼む。出したらここに戻れ。私は先に進んでいるかも知れないが、エイミーをここに残す。二人で追ってきてくれ」

「了解」


 返事をすると、ユーリは、人を担いでいるとは思えない速さで来た道を戻っていった。

 その様子を、クラウスとエイミー、そして梟は無言のまま見送った。

 完全に二人が姿を消すと、梟は首を傾げた。


「……先の黒狼の長は、小さい時から常に一人で仕事をしていたと聞いたんだけど、裏の仕事を引退して、腕でも鈍った?」

「なぜ?」

「どうして、二人も連れているんだろうなと思って」


 クラウスは、自分より遙か上にある梟の顔を見上げた。

 不思議そうに、首を傾げる仕草は、これが梟と言われているのが納得できるような、それこそ、鳥でも見ているような気にさせる。

 しかし、敵意もなければ、緊張もない。不思議と、傍にいても、警戒心を与えない不思議な人物は、幼い頃から警戒心だけを育んだと言われたクラウスの緊張も解かしてくれる。

 クラウスは、肩をすくめ、あっさりと答えた。


「私の頭に血が登ったときに、止める人間が必要なんだ」


 梟は、その返答を聞いて、目を見張っていたが、ふっと息を吐いた。


「……小さな黒狼は、頑張り屋だね。無理はするんじゃないよ。この世界、いい人材ほど、先に消えるからね」


 なぜか梟は、そのままクラウスの頭をよしよしと撫でた。その手を、無造作に振り払い、相手の姿を上から下まで眺めたクラウスは、確認のために訊ねた。


「……その姿でいるということは、梟は中に入りこんでいたのか?」

「そうだよ。その情報を渡すのも仕事だから、中から出てきたんだよ」

「教えてくれ。ここに押し入った中に、アルバスタからきた密偵がいるはずだ。それを確保したい。どこにいる」


 梟は、その問いに、首を傾げた。


「それは、扇動した首領のことだね。城主の私室に陣取って、今まさに逃げる用意をしていたと思うけど」

「逃げるだと?」

「あれの目的は、ドミゼアの混乱だからね。もう用は済んだから、逃げる用意をしているよ。制圧の混乱に乗じて、逃げる算段みたい。元々制圧の時は、公爵邸の兵士の変装をして入ってきてたんだけど、出る時はドミゼアの兵に変装するみたいだよ」

「カセルアは、仕事は終わったのか」

「今まさにしている最中。うちから王太子が出てきたから、ドミゼアも警戒度を上げてくれたからね。おかげで逃げる前に回収が間に合ったよ」

「……そちらにとって、王太子は囮だったのか」

「うん、そう。丁度よく、王族のお仕事がこの国でできたから、荒事もできる王太子を引っ張り出したんだよ」

「……その、囮になった王太子は、今どうしてる」

「首領が連れていった。城主の部屋には、抜け道があってね。その途中に牢があるんだ。そこに入ってるはずだよ」


 知っているかを視線で問われ、クラウスは頷く。


「どうして場所がわかっているのに助けに行かない」

「あの人の仕事の途中だからだよ。カセルアの都合でこの屋敷を騒ぎに巻き込んだようなものだからね。後片付けしなきゃ。大人しく、救出を待つ振りをして、朝まであそこに首領を釘付けにするのが、あの人の役目なんだよ」


 ウィンクをする梟に、クラウスは明確な不快感を表情に出した。

 だが、クラウス自身にも、どうしてここまで、自分が不快なのかがわからない。あの人の仕事の事は、理解している。どんな仕事をしてきたかも知っているのに、今回だけ、なぜここまで心をさいなまれるのかがわからなかった。


「だからって……」

「途中で止めたら、逆に危険なんだ。首領に逆上されると、押えるのが大変だからね。今のところ、順調に事は運んでいるから」


 梟の告げた言葉に、ここまで来る道行きで感じた違和感の事を思い出す。


「ここが妙に静かなのは、カセルアが何かしているのか」

「うん。怪しまれない程度に、少しずつ、農民を確保してる。もっとも、中央部で、人質の見張り役をしている人達には、まだ手が出せてないんだけど、それは、中で捕まってる人の役割だからね」

「それは、この国の軍に確認を取った上での行動か?」

「残っていた大使館の補佐役を通じて、申し入れしてるよ。一応、夜明けまで、こちらが動くことを容認してもらってる。夜明けと同時に、ドミゼアの軍が入ってくることになっているから、そちらも仕事があるなら、急いだ方がいいよ」


 そう告げた梟の声に、クラウスは、すっと心が冴えるのを自覚した。

 いつまでも、自分の感情に振り回されていては、仕事にならないのである。

 目を閉じ、頭の中で、情報を整理する。そして、次に目を開いた時には、表情と感情は完全に抑え込まれ、黒狼のノエルへと、意識も変わっていた。


「……屋内の、人質の場所と警備の場所を教えてくれ」


 クラウスの言葉に、梟はにっこり微笑んだ。



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