7
国から届いた知らせは、ほぼトレスの予想した通りのものだった。
ただ、国王の処刑方法は、毒による自死。王妃の幽閉場所は、ブレストア国境にある、リスター教の修道院でという希望が添えられていた。
「……ブレストアは、王妃も引き取るのか。大丈夫かな」
「むしろアルバスタに置いておく方が大変じゃないですか。ホーセルから攻め入られる要素は、ひとまず国外に出しておくしかないでしょう。国境の修道院は、砦に近いので、何かあればいつでも兵が出せます」
たしかに、ホーセルから攻め入られるというのもあるが、それ以上にランデルが警戒しているのが王妃派だというのが、王妃が入る場所で見て取れる。
王妃に煽られて王妃派が国境を越えたら、今度こそアルバスタという国は潰える。その覚悟を常に持つようにという意味もあるのだろう。
「これは、もうアルバスタの首脳陣にも届いているんですか」
「まだだろう。これは梟が持って来たが、アルバスタにこのことを知らせるのは、ブレストアから送られる執政官だから」
「執政はブレストアから送られるとして、カセルアはどうするんです?」
「うちからは法務官が送られる。監視役の意味を含めてね。ブレストア側から送ると、どうしても先の戦のわだかまりがあるから、まだカセルアの方が、公平に物事を見られるだろう」
「そうですね……」
「国にはもう知らせを送ったから、父上が送って下さるだろう。それと入れ替わりに、私達は一旦国に戻ることになる」
「わかりました」
そう返事をしてから、クラウスは首を傾げた。
「……一旦?」
「ラウル王子の国王即位式典には、私が出席する。そちらは、ランデルが来なければ、クラウスが公爵として出ることになるかな」
「……出来るなら、その前には、ブレストアに帰っておきたいんですけど」
「ランデルが来ると思うのか?」
「来ないと思います。……ですけど、あなたが出席するというなら、来るかもしれません。兄は、あなたに会えるなら、仕事を全てほったらかして隣国まで移動していくような人ですからね」
クラウスの言葉に、トレスが笑う。その笑顔は、相変らずサーレスにそっくりだ。
本人に会えないためか、トレスの笑顔でもほんの少しだが心が和んでいるような気がして、クラウスはますます落ち込んでいた。
となりで肩を落とす義弟を見つめながら、トレスはつぶやいた。
「ここだけの話、アルバスタはサーレスが担当していたから、あまり知り合いもいないのだがな。サーレスはよく来ていたから、私が顔を出さないわけにいかないんだ」
「……よく、来ていたんですか、あの人が」
笑ったまま頷いたトレスは、窓の外に視線を向けた。そこには、昔見た時より荒れた庭園がある。
長年勤めていた庭師は、ここにホーセル風の庭を造るように王妃に命じられ、それを嫌って逃げ出したらしい。次に雇われた庭師がなんとか作ろうとしたようだが、戦が始まってしまったことで、途中で放置され、見るも無残な有様になっている。
「こちらで何か式典がある時は、サーレスが出ていた。今のこの城を見たら、サーレスも残念に思うだろう。あれにとって初めての公務はこの地だったからな。その思い出を大切にしていた」
「……もしかして」
「その時クラウスとも出会ったのだろう? たしかイレーネ王女の生誕式典だったはずだ」
「……やっぱり、そうなんですか」
「この国は、王子や王女が誕生すると、その母親が正室側室どちらでも関係なく、盛大に祝うからな。近隣諸国の貴族も招き、その縁が続くようにと連日宴を開く。サーレスも、ここに一週間ほど滞在して、公務をしていた」
「じゃあ、あの人がバストニアの海を見たのも、その時が初めてだったんですか」
「そうだな。こちらに来たついでに、港を見学したはずだ。カセルアは、この国の港を経由して、他国と貿易していた。その商家との会談も、大切な公務の一つだ。カセルアは、海がないからな。初めて見た海は、あれの中で、印象深いものだったんだろう」
クラウスの青い瞳を見て、初めて見たバストニアの海にたとえたのも、それだけ深い感動を覚えた証拠である。
トレスは、妹が、このアルバスタが誇る海にたとえた目の前の瞳を見つめながら、なるほどと頷いた。
「その瞳は、確かに、この国で見ると、海にたとえたくなるな」
トレスからそれを聞いたクラウスは、ほんの少しだけ顔をしかめたが、すぐにそれを元の表情に戻し、肩をすくめた。
「たとえその時、あなたがここにいて、私の瞳をその言葉でたとえていたとしても、私はサーレスほどにはあなたに執着しなかったように思います」
「ほう」
「今、たとえられて、不快感を感じました」
驚くほど力強く、きっぱり言い切ったクラウスの言葉に、トレスは笑いをこらえきれなかった。
驚くことに、カセルアの法務官は、トレスが梟から報せを受け取った翌日には、船を使ってアルバスタにたどり着いた。
おそらく、カセルア側は、戦が本格的になる前から、この人事を決めていたのだろう。知らせが行く前に送っていたのだと言われても納得できる速さだった。
騎士だと言われても通じそうな、強面で体付きもしっかりしたその法務官は、トレスに挨拶してすぐに、ラウル王子に面会するために、三人ほどの部下と共に、宰相に伴われて謁見の間へと向かった。
その翌日、カセルア軍は、法務官が乗ってきた船と、ホーセル軍の別働隊とやり合うために用意していた船を使い、余剰が出た物資を運ばせると、空いた馬車に怪我人と歩兵を乗せ、恐るべき速さでアルバスタから引き上げていった。
その手際は、後々まで、ブレストアとアルバスタの両軍から賞賛の言葉と共に語り継がれていく事になる。
ブレストアからの執政官は、それに遅れる事二日、護衛の鉄鋼騎士団数名を伴い、姿を現した。
執政官は、ランデルからの書状で、国王と王妃に対する刑の執行を求め、アルバスタ側はそれを静かに受け入れた。
アルバスタ国王は、幽閉されていた塔の中で、宰相と、ブレストア、カセルアの両国の見届け人の前で静かに息を引き取り、王妃はその翌日、ブレストアへ帰還する白銀騎士団に護送され、ブレストアにその身を移した。
国王は、罪人として裁かれたので、国葬は出来ない。だが、家族によって葬儀を執り行う事は許されていたので、ラウル王子は、残された王家の人間として、ただ一人で父親を見送った。
喪が明けるのは半年後だが、混乱した国内事情を鑑みて、即位式典はひと月後に行われる。
黒騎士団は、その決定が成されると同時に、国境砦まで撤退した。
すでにブレストアでは冬を迎えて、あちこちで雪がちらついていた。
国を出た時には用意していなかった冬装備も、ぬかりなく調えた補給隊から配備され、全員が冬支度で、自国の曇天が続く鬱蒼とした空を眺めていた。
「……ここでこれだと、ノルドはもう積もってるな」
誰かが呟いた言葉に、目に見えてクラウスは落ち込んだ。
呟いた当人は、周囲にいた隊員にぬかりなくその場から連れ出されたが、それでつぶやきが取り消されるわけではない。
慌ててクラウスに言葉を掛けたのは、やはりホーフェンだった。
「て、手紙とか、書いたらどうだ?」
「……今から書くとして……返事は来ないな」
「あ……」
ノルドは、積雪が多いため、街に至るまでの道も通行が困難になる。
手紙はもちろん、人の行き来もなかなか出来ない。
だから手紙は、基本的に、黒騎士の部隊が道を作る時に、街の人々が一緒に道を作りながら次の街に渡していく。
当然、今、部隊の大半がこの地にいるのだから、ノルドからの手紙は、まず出てこられない。
軍が通れるまでに道を作るのも、時間がかかるのだ。
とりあえず、ホーフェンも役に立たず、その後を引き継いだのは、キファだった。
「ノエル。部隊の編成は終わった。ここに残る隊もジャスティとホーフェン、ユーリの三隊と決まったし、あとは即位式典が無事に終われば、帰れるだろう。あと少しだ」
「……キファ」
「なんだ?」
小柄な体がうつむいているので、キファの視界ではまったく表情は読めない。その金茶の頭を見下ろしながら、キファは顔をひきつらせた。
あきらかに、何か、気配が怒りを含んでいる。
「……今の時点で、サーレスがノルドに来てから私がノルドを出るまでの期間より、アルバスタに来てからの期間の方が長くなったんだが……あと少しってどれくらいの事だ」
サーレスに見送られ、ノルドの城を後にして、もうすぐひと月と半分。
そして、アルバスタ国王の即位式典は、来週に迫っている。
「来週、式典が終わるころになったら、ノルドはどれくらい積もっている?」
その場の全員が、思わず頭の中で試算した。
おそらく、上にいけばいくほど積もっている。今でも、一番多い場所で、すでに膝の下くらいには積もっているだろう。それからさらに日が経てば、容易に部隊は動かせなくなる。
全員が、それを納得したのを見計らったように、ゆらりと頭を上げたクラウスが、静かに告げた。
「それを掻き分けて帰るには、どれくらいかかる」
「……もう一週間ほど、追加かな」
キファは、乾いた笑いと共にそうつぶやいた。
来る時には、全速力で四日だった。帰りは雪がある。どんなに急いでも、おそらくその三倍はかかる。
一週間の見立ては、少なすぎる。だが、それ以上延ばすと、クラウスの危険度がますます上がる。
ホーフェンは部隊の一部を、道を作るために先行させる事をその時ひっそり決意した。
アルバスタ国王の即位式典は、つつがなく執り行われた。
護衛として、クラウスは兄と共にそれを見守っていた。
兄はやはり、二つ返事で、普段は重い腰を簡単に上げた。兄の隣には、カセルア国王の名代として、カセルアの王太子であるトレスが並んでいる。
この式典の後、カセルアとブレストアの両方と、アルバスタの国王となったラウルは、平和条約を結ぶ事になっている。
まだ、前王の喪中であるため、華やかな行事は何もない、極々質素な式だが、王杖と、毛皮があしらわれたマント、そして、金と真珠で飾られた豪華な王冠だけは、歴代の王と変わらぬ輝きを宿していた。
ラウルが身につけた、代々の王に受け継がれている豪華なマントは、新しい王の体には大きすぎ、まるで布と毛皮に埋もれているように見えた。司祭から授けられた王杖も、そしてその頭に乗せられた王冠も、その身には重すぎるように見える。
しかし、重いだろう頭を上げて見せたその瞳の輝きは、ほんの数週間前に見た、たどたどしい王子の時とは違う、幾分か大人びた強さが見えた。
背伸びをしているのか、強がりか、それはわからない。だが、その瞳を見て、クラウスは、この王子が将来、兄やトレスと並び立つ日が来るのを確信した。
「なに? もう帰るだと?」
ランデルが、驚きながら傍に控えている弟に視線を向ける。
式が終わり、条約の締結も終わったランデルが、あてがわれていた客間に帰った時、クラウスはすでに帰り支度を終え、挨拶するために部屋の前で待っていた。
「晩餐は出ないのか?」
「出ません。このまま砦に帰って、明日には砦を出発します」
「……半日程度の違いでは、ノルドに帰る日数は変わらないぞ?」
「半日違えば大いに違うんです。護衛には近衛の鉄鋼団長がいるのですから、大丈夫でしょう。とにかく帰ります」
機敏に反転したクラウスは、そのまま足早に扉に向かう。
そして、首を傾げたままだった兄に、にっこり微笑み、一言だけ言い残した。
「これから雪解けまで、私はノルドに籠ります。出てきませんから、あとの仕事は全てお任せします」
「なっ、雪解けって……!」
可愛らしい微笑みを浮かべたクラウスから告げられた言葉に、帰ると告げられた以上に愕然としたランデルがそのまま硬直しているうちに、弟はその場から見事に姿を消していた。




