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花籠の道と黒の小石  作者: 織川あさぎ
第三章 アルバスタ篇
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 ユーリは、自分の部隊を率いて、全速力で街道を駆け抜けていた。

 カセルア軍が襲われたと思われる場所まで、通常の行軍だと一日ほどかかる距離だった。全速力で、騎兵のみで駆け抜けて、やっと半日程度。

 知らせをよこしたのは、カセルア軍ではなく、ブレストア国境にいた、監視兵だった。カセルア軍は、助けを呼ぶ事もなく、そのまま戦闘しているという事だろう。

 クラウスからは、王太子の顔を直接確認するよう言われたが、襲われて浚われていた場合、おそらくそのまま捜索しろという事だろう。

 もしもそうなっていれば、それこそ時間との勝負になる。

 はやる心を抑えつつ、ひたすら走らせていると、街道沿いに火の手が上がっているのが見えた。少し速度を落とし、周囲の様子を見るように部隊に告げると、ユーリはそちらに視線を向け、目を懲らす。

 あきらかに、戦闘は終結していた。どちらの勝利かはわからないが、すでに戦いの気配はない。

 ゆっくりと部隊をその場所まで進めてみると、燃やされたと思しき馬車が一台と、その周囲に多数の兵士の遺体がある。

 ユーリは、周囲の見張りを立て、その兵士を確認する。

 着ている物にも鎧にも、少なくともカセルアの紋章は入っていない。それどころか、身分を証明する紋章のひとつも出てこない。

 おそらくこれは、襲った側の兵士なのだろう。


「ユーリ」


 周囲を見ていた副隊長が、馬車を見て唖然としながらユーリを呼ぶ。


「この馬車……中身が藁だぞ?」

「……なに?」

「それに、おかしかないか。行軍の資材を乗せた馬車なら、一台きりという事はないだろ。他の馬車はどこに行ったんだ?」

「それに、ここに倒れているのが襲った側だとしても、数が少ないな。五百対八百の戦闘があったとは思えない」


 それぞれの意見を聞き、ユーリは遺体の検分をやめて立ち上がった。


「つまり、本格的な戦場は、ここじゃない。お前ら、周囲を探れ。少なくとも、ここをカセルア軍が通る予定だったのは間違いない。どんなに本隊は遠くても、この周囲に馬車の跡があるはずだ」


 隊長であるユーリの言葉に、その場にいた全員が周囲に散らばっていく。

 そして、数分もしないうちに、そのうちの一人から声が上がった。


「あちらでまだ戦闘中です!」

「どこだ!」

「イセ川の対岸です! 川向こうにカセルア軍がいます」

「どちらが優勢かわかるか」

「カセルアです! ホーセルは、ほぼ壊滅状態です!」


 その言葉で、隊員全員がざわめく中、ユーリは手近な木に登り、その状況を自分の目で確認した。

 カセルア軍は、川岸のぎりぎりで、水に足を取られて動きの鈍ったホーセル軍を追い立てている。その土手の上からは弓兵が対岸を狙い陣を展開している状況だった。

 ほぼ勝敗は決しているのだが、ホーセル軍はどうやら誰かを守るために逃げるに逃げられず、カセルア軍はその誰かを捕獲するために戦っている状態のようだった。

 今の季節、イセ川は、山間に降った夏の雨により増水しており、ここに部隊を進めれば、足が止まるのは、戦闘経験があれば誰にでも想像できる。

 この状況で、ホーセル軍が、なぜ川に突っ込む事になったのかがよくわからなかった。


「ひとまず、カセルア軍に合流する」


 ユーリの決定に、部隊の全員が、自分の馬にすばやく騎乗した。



 ユーリが現場に到着した時、戦闘は終結していた。

 最終的には、ホーセル軍は全員降伏したらしい。

 ユーリが姿を見せた時、カセルア軍は一斉に再び緊張状態になったのだが、それを打ち破ったのは、弓兵のいた土手よりさらに背後の木立の中にいた、この軍の総大将の声だった。


「それは、ブレストア軍だ。剣を引け」


 その、どうにも聞き覚えのある声に、ユーリは顔をしかめた。

 姿を現した総大将の姿を見て、急襲部隊の全員が、ユーリと同じように顔をしかめる。


「……気持ち悪いくらいそっくりだ」

「すげえ……声も同じかよ」

「……しまった。俺、花嫁衣装思い出しちまった」

「……」


 小声で呟かれたそれを聞き、全員が、見てはならぬ物を見たような表情で、視線をあちこちに彷徨わせる。

 ユーリも一瞬それを思い浮かべ、うっかり目の前の人物に当てはめてしまったが、それを頭から無理矢理振り払い、その誰かさんにそっくりのカセルア王太子の前に一歩進み出た。


「……黒騎士団特殊急襲部隊長、ユーリ=トゥーランです。カセルア王国王太子トレス=リーデ殿下でしょうか」


 ユーリの問いに、周囲を見渡したトレスは、苦笑して答えた。


「なんだか、答えを言わずともわかっているような雰囲気だが、その通りだよ。出迎えかな?」

「ホーセル軍と交戦したとの知らせを受け、急ぎお迎えに上がりました」

「そうか、わざわざすまないな。ブレストア本隊は、もう出発したかな」

「自分が本陣を離れた時点では、出陣が決定し、その用意をしておりました」

「そうか……では、急いで向かう事にしよう。手土産も出来た事だしな」


 そう告げたトレスが向けた視線の先には、カセルア兵に囲まれたホーセルの指揮官らしき姿があった。

 その姿を見て、ユーリは驚愕した。

 カセルアの兵士に取り囲まれ、それでも上を向き、強い視線をトレスに向けているのは、まだ十代前半に見える少年だった。

 ユーリは、その顔を、戦場以外の場所で見た事があったのだ。


「……ホーセルの、ユーグ王子?」

「そう。第五王子のユーグ殿だ。正妃の三番目の子で、今回が初陣だ」


 すらすらと出てくるあたり、トレス王子は事前にユーグ王子を相手にすることがわかっていたのだろう。

 ホーセルの国王は、正妃の子を特別大切にしている。当然、戦に出すことは今までしたことがない。ましてや、ユーグ王子はまだ十四で、王族の初陣にしても早すぎるほどだった。


「なんで、こんな場所に……」

「答えは簡単だ。ここに、獲物がいたからだ。同じ初陣の、とても狩りやすそうな、獲物として最上級の存在が」


 にっこり微笑み、トレスは己を指差した。


「功を焦るのはよくないな。だから、簡単に囮の部隊に引っかかる。今回のユーグ王子の役割は、アルバスタから一人の貴族を預かりに行くことだったのだろう? 近くを、戦の経験のない部隊が通るからといって、簡単に役割を放りだして良いわけがない。この戦で手柄を立てれば、王位の継承に有利に働くだろうが、自分の権限のみで動くなら、その責任も一人で背負う覚悟がないとな」


 トレスの言葉を聞き、ユーグ王子の視線は一気に険しいものに変わる。今まで受けたことがないだろう屈辱に顔を真っ赤にしながらも、その視線だけは変わらず睨み付けてくる。


「……こんな、部隊を連れているとは聞いてない。参戦はしても、ごく少数の近衛を連れ、陣に加わるだけだと聞いたのに!」

「情報を鵜呑みにするのもいけないな。確かに部隊は他に比べれば少数だが、仮にも戦にわざわざ他国から首を突っ込むのだから、戦陣を支えられるだけの人数は連れているに決まっているだろう?」


 肩をすくめたトレスを、ユーグ王子は悔しさを滲ませた表情で睨み付けた。


「さて、黒騎士の方々。今聞いての通りだ。ユーグ王子は、アルバスタから連れてこられた亡命者フラガンを迎える役割を担っていた。彼らの総数は五百ほどで、そのうち四百ほどが、ここから少し離れたホーセル領の平原で、王子が帰るのを待っていたはずだ。すでに、アルバスタの城から、フラガンは出発しているらしいが、王子をこちらが確保したからには、迎えに行くはずのホーセルの別働隊は混乱状態にあるはずだ。今のうちに大急ぎでブレストアの本陣に合流する。他の詳細は、あちらに到着してからだ。案内を頼む」


 その言葉に、ユーリは姿勢を改め敬礼すると、すぐさまとって返し、自分の馬に飛び乗った。




 ユーリと共に、カセルア軍が姿を現したのは、今まさにカセルアの救出部隊が揃えられ、出立しようとした時だった。

 カセルア王国の旗と、王太子の旗が並び立つ部隊は、どこにも戦闘の跡が見えないほどに整然としたものだった。


「ご心配をおかけしたようで、申し訳ない」


 各部隊の責任者が集う会議室で、トレスが真っ先に口にしたのは、詫びの言葉だった。


「いえ、ご無事でなによりでした」


 クラウスが代表してそれに答え、王太子のもたらした情報を改めて他の部隊にも告げる。

 その場にいた面々は、その状況を知り、皆一様に難しい顔になる。


「……その場合、もしも部隊がフラガンを追って行った場合、背後をアルバスタに取られることになりはしないか」


 不安そうに白銀の団長が告げた言葉にトレスは頷き、地図を指し示す。


「現在、フラガンは、水路を使い、一旦アルバスタの王宮より西に位置する港に移動している。そこから南下して、ホーセルに入ることになっていた。ユーグ王子は、パラム平原でそれを待つ予定だったそうだ」


「……それを追いかけてうちの軍が移動すると、無防備な側面か背後を、アルバスタ軍に晒すことになる。それを防ぐためには、アルバスタ軍を押えないといけないが、それをやっていると今度はホーセル軍の本隊に北上される。どちらにせよ、別働隊でフラガンを持っていかれる、か」

「ホーセルの軍については、ユーグ王子を交渉に使えるかもしれない。ホーセル王は、正妃の産んだ子供達を一際可愛がっていた。今の部隊を動かしている者にとっては、このままユーグ王子をこちらが押えていると、命に関わる問題だ。ホーセル王に、処刑されかねない。守り通せなかったあげくに、敵軍の手に渡ってしまっているんだからな」


 隊長達は、その話に頷きを返した。


「あれは私が捕まえたのだから、私がその役をやろう。交渉の要求事項は、そちらで考えてもらえるかな」


 トレスの提案に、隊長達は全員一致で了承した。


「では、ホーセル軍はトレス殿下にお任せするとして、あとの部隊をどう分けるか……」

「……フラガンを追うのは、足の速い部隊に任せたほうがいい」


 トレスの言葉に、クラウスは頷いた。


「それは、うちの役目だろう。なんとしても、フラガンがホーセルに入る前に、身柄を押えてみせる」

「了解した」

「では、カセルア軍は、アルバスタを攻めるブレストア国軍と共に進軍しよう」

「……黒騎士の背中はお任せします。よろしくお願いします」


 そして、ほぼ方針が固まり、隊長達はそれに向けて動くべく、自分の部隊の元へ散っていった。



 トレスは、クラウスと肩を並べながら、会議室を後にした。


「ところでクラウス。君はちゃんと、私の義弟になったのかな。日付的に、かなり際どい事になっているが」

「ちゃんと式は挙げてきました。正真正銘、義弟になりましたよ」

「そうか」


 それはそれは嬉しそうな表情で、トレスは微笑んだ。

 微笑みも、兄と妹でよく似ている。

 だが、クラウスにとって、どんなに似ていても、トレスはトレス、サーレスはサーレスだった。

 満面の笑みのトレスは、止めていた足を再び進めはじめたクラウスの背中にむかってさらりと告げた。


「……本当は、口付け一回分邪魔してやろうかとも思ったが、母上に止められた。だからその分、母上に孝行しておくように」


 愕然としたクラウスが、慌てて振り返り、トレスの顔を見上げると、そこにはサーレスのものより若干黒いものが漂う笑顔があった。


「貸し一回でもよかったが、まあ、私も母上には弱いからな」


 苦笑して、肩をすくめたトレスは、愕然としたクラウスをさっさと追い抜いて、自らの連れてきた軍の元へ、足早に向かっていった。

 取り残されたクラウスは、その背中を見送りながら、思わず苦笑していた。


「……贈るのは、姫が身につけたドレスで良いかな」


 そう呟くと、クラウスも、黒騎士団を動かすために、慌てて自分を待つ部隊の元へ向かったのだった。

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