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花籠の道と黒の小石  作者: 織川あさぎ
第三章 アルバスタ篇
33/40

 翌早朝、戦支度をした騎士たちが、整然と並んで城の中庭にいた。

 それぞれの黒の武装が、静止したまま、団長であるクラウスの号令を待っていた。


「ではサーレス、行ってきます」

「ああ。……武運を」


 サーレスが、かがんで軽く頬に口付けると、それに返すようにクラウスも口付ける。別れが済んだ事を全て心得たように、ディモンがクラウスの横に歩いてきた。


「ディモン、クラウスを頼むな」


 鼻を撫でてやると、ディモンはわかったとばかりに、頷いた。


「お前も無事に帰ってこいよ。フューリーが待ってるからな」


 その言葉を聞き、しばらくサーレスを見つめていたディモンは、ひとつ鼻息を出すと、ゆっくりと厩舎の方を向き、嘶いた。

 大きなディモンに、小柄なその身を感じさせないほど軽やかな身のこなしで飛び乗ったクラウスは、全軍に号令をかけ、出陣していった。


「はぁ……ディモンがあんなに素直に言う事聞いたの、初めて見たよ」


 横にいたカンナが、感心したようにつぶやくのを聞いて、サーレスは笑った。


「それ、何回も言われたよ。ディモンは、別に言う事を聞かないわけじゃなくて、聞いてて知らん振りしてるだけだよ。命令するんじゃなく、お願いしてみれば、違うんじゃないか」


 そのサーレスの言葉には、マーヤが首を振って答えた。


「何回もお願いしましたけど、私の方を向いてもくれませんでした」


 今日、クラウスに呼ばれ、試しに鞍をつけに行ってみたらしい。ディモンは、全く動こうとせず、かと思えばひらりとマーヤの手を避け、鞍はつけられなかったと聞いていた。

 そのままサーレスの近衛となる予定のマーヤは、はじめにクラウスの近衛として、修行を積む事になった。その一環で、試しにやらせてみたようだ。

 だが、サーレスは、その話を聞いて、くすくす笑いながら、マーヤを慰めた。 


「それは、マーヤの様子が面白かったから、遊ばれたんだな。嫌われているわけではなさそうだから、一緒に遊んでやればいい。そのうち、気が向いたら、鞍くらいはつけさせてくれるかもしれないぞ」


 マーヤは、その道程の長さを思い、がっくりと肩を落とした。

 サーレスは、全軍が城下の門を出るまで見送ると、そのまま城館に身を翻した。


「ごめん、ユリア。今日は寝る……」

「お加減でも悪いのですか?」

「加減というか……」


 言い辛そうにしながら、らしくないほどに言い淀んだ後、そそくさと逃げるサーレスを見送ったユリアは、その後カンナとレイリアに耳打ちされ、真っ赤になりながらこちらも逃げるように城に駆け込んだ。


「かぁわいいこと。よく考えりゃ……サーレスはまだ二十になってないんだっけ?」

「そうよ。確か、十九になったばかりのはず」

「……ノエルの初陣を初めて見た時は、とんでもない生き物がいたもんだと思ったが、まさかもう一回、同じ思いをするとは思わなかったよ」

「それがノエルのお嫁さんだっていう事の方が、不思議だけど。産まれてくるのは、どんな子供なのかしらねぇ」

「ノエルのあの調子だと、すぐわかるんじゃないかい?」

「……まあ、確かに」

「変われば変わるもんだわねぇ」


 二人の女隊長は、黒騎士の旗が掲げられた城を見上げ、それぞれ苦笑した。



    

 黒騎士の部隊が、アルバスタ国境にある砦に到着したのは、出発してから四日後の事だった。

 部隊の行軍速度としては尋常ではない速さだが、砦で待っている赤銅騎士団にとっては、その一刻の緊張状態が、命にも関わる。

 現に、砦の兵士達は、黒騎士の旗が見えた瞬間、アルバスタ軍にも聞こえるほどの歓声を上げたのだ。彼らは我先に城壁に登り、黒騎士達を出迎えた。

 黒騎士達は、砦の前面に、アルバスタ軍に見せつけるように部隊を展開し、駐留を開始した。

 クラウスは、砦の中に入り、赤銅騎士団の団長と対面していた。


「……申し訳ありません、ノルド公」

「いや。ここが破られていたら、それこそ国中の士気に関わる。相手の挑発に乗らないで、よく守ってくれた」


 実際、兵にも施設にもほぼ被害はなく、到着時点では静かなものだった。


「あちらもおそらく、増援待ちでしょうな」

「ホーフェン。後はどの部隊が出る予定になっている」

「青銅と白銀がここに向かってすでに行軍中になっている。あとは……カセルアだ」


 その言葉に、赤銅の団長が目を剥いた。


「カセルア? 本当に、カセルア軍ですか!?」

「軍とは言っても、王太子近衛隊のうちの一部隊だ。補給部隊も併せて、八百ほどがこちらに合流予定になっている」


 赤銅騎士団の団長は、四十を少し超えた年齢である。隣国の将軍が指揮をした部隊を見ていた年代だった。


「光栄ですな。かのカセルア軍と共に戦える栄誉に預かれるとは、思ってもいませんでした。そういえば、ノルド公は、カセルアの姫君をお迎えになったと。そのご縁ですか」


 その言葉を聞いたとたんに、クラウスの機嫌が一瞬にしてどん底まで沈んだのを敏感に感じたホーフェンは、赤銅の団長に慌てて告げた。


「それより赤銅の。ここからアルバスタに、進軍できるだけの補給基地を作りたい。物資の責任者をこっちによこしてくれ。あと、ここの守りは、青銅のあとにくる鉄鋼の部隊が引き受ける事になる。その引き継ぎの用意も頼む。それが終わったら、アルバスタに進軍だから」

「あ、ああ。了解した」


 赤銅の団長は、突然のホーフェンの言葉に少々面食らいながらも、頷いた。

 慌ただしくホーフェンはその場からクラウスを連れ出すと、不機嫌そうなクラウスを前に、大きくため息を吐いた。


「そろそろ頼むから機嫌直してくれよ」

「……新婚初夜の寝所から連れ出されて、機嫌のいい夫などいるか」

「そりゃわかる。わかるから。その恨みは思う存分アルバスタ軍にぶつけてくれよ。な?」

「初夜は三日もあるのに、一日も終わらないうちに連れ出された。つまり、儀式も終わってないわけだが」

「はいはいはい! この件が片付いたら、三日でも一週間でも閉じこもってくれていいから、とにかく今は頭切り替えろ!」

「……ほんとに閉じこもっていいんだな」

「いい。ただし、アルバスタとの事が片付いたらな」


 疑わしそうな視線を向けたクラウスに、ホーフェンは精一杯重々しく頷いた。


「お前が納得して出てくるまで、絶対呼ばない」


 ホーフェンの宣言を聞いたとたんに、突然クラウスは身を翻し、部隊へ戻っていった。

 とりあえず、サーレスには、帰城したら謝り倒す。ホーフェンは心の中で、勝手に餌にしてしまったサーレスに何度も謝罪した。



 アルバスタと睨み合いながら三日。青銅騎士団と白銀騎士団が、揃って国境砦に到着した。

 彼らは、それぞれ別の駐屯地からこちらに向かってきていたのだが、急ぎこちらに向かったのだろう。部隊の中で、足の速い部隊だけを先行させてきていた。

 さらに翌日、首都から、鉄鋼騎士団が到着し、ブレストア軍の陣営はほぼ出そろっていた。

 その後、アルバスタとホーセルから正式に開戦宣言書が届き、受領した旨の知らせが急使として届く。

 にわかに、進軍に向けて全軍が慌ただしく動く中、さらなる知らせが飛び込んできたのだ。


 ―――カセルア軍、ホーセルと開戦。


 たったそれだけの知らせに、ブレストアの全軍は、つい先程までの熱気も瞬時に消え去り、静寂に包まれていた。

 ブレストアの全ての指揮官は砦に集まり、蒼白になって地図に向かっていた。

 だが、クラウスは、その地図と集められたホーセルの動きから、ある程度の推測を立て、頷いた。


「本陣ではなく、おそらく別働隊だろう。……待ち伏せか」

「いったい、何を……」

「カセルア軍の総大将は、王太子自身だ。それを狙ったんだろう」

「すぐに応援に向かわせろ!」


 鉄鋼騎士団の団長が、自らの髭にも負けないほど顔色を白くして、割れ鐘のような声で自分の部隊に指示した。

 クラウスはそれを軽く挙げた手で静止させ、静かに告げた。


「うちの急襲部隊がもう向かった。鉄鋼の部隊が今からここを出発しても、到着する頃には、勝敗はどうあれ、片はついているだろう」

「ノルド公は、この事態を予測しておられたのか?」

「……カセルア軍を直接狙いに行くとは思っていなかったが、別働隊が動いている事は把握していた」

「では、なぜもっと早く、カセルア軍と合流するようにしなかったんです」

「それは、あちらから断られた。幼児ではないのだから、目的地までわざわざ案内も必要ないとな」

「しかし、もしカセルアの王太子の身に何かあれば……」


 クラウスは、その場の全員の表情を見ながらも、なぜか焦りなどが心に沸かなかった。

 ここにいる将軍達で、直接あの王太子を知るものはいない。だが、クラウスは、あの王太子を知っている。そして、あの王太子の分身である人を、それこそ何年も見続けていた。

 クラウスには、あの王太子がいて、おめおめ待ち伏せがいる場所に突っ込むとは、どうしても思えなかったのだ。王太子本人がいるならば、王家に仕える密偵の梟も、その傍にいるはずだ。それで、暢気に景色だけを見ていたとは思えない。

 哨戒が梟たちだというならば、待ち伏せはほぼ、意味を成していなかったはずだ。

 あの一族は、隠れた者を見つけ出すというその一点で、恐ろしいほど特化した一族でもあるのだ。


「ホーセルの別働隊は、おそらく五百前後。カセルアの軍は、騎兵五百、歩兵三百。あとはうちの急襲部隊が八十で向かった。戦力的にはカセルアが有利だ。待ち伏せで混乱さえしていなければ、十分勝機はある」

「だが、カセルア軍には、経験がない。混乱させられれば、どんな経験豊富な部隊も、立ち直るまでに時間がかかるものだぞ」


 首を振る団長達は、すぐさま、カセルアの王太子を救出する相談をはじめていた。

 だが、クラウスは、それを尻目に、そっと部屋を後にした。


「どうした、ノエル」


 部屋から追いかけてきたホーフェンが、慌ててクラウスを止めると、クラウスは肩をすくめた。


「あそこで議論していても仕方がない。間違いなく、カセルアは来る」

「しかし……無傷かどうかは、わからんぞ」

「私は、無傷だと思う」

「なに?」

「……おそらく、あの別働隊を動かしたのは、王太子自身だ。カセルアの十八番は情報操作だぞ。その点で、あの王太子ほど巧みな者はいない。王太子自身が、自分の従軍をホーセルの一部分に知らせるように流し、あそこに誘い込んだというなら、罠を仕掛けたのは、ホーセルではなくカセルアの方だ。あの王太子は、自分を餌に、ホーセルをおびき寄せたんだ。まったく。あの兄妹はどうしてああ、自分を餌にする方法ばっかり思いつくんだ」

「……まあ、負けない自信があるからだろう」


 ホーフェンは、呆然としながら、クラウスが顔をしかめながら足を進めるのに、慌ててついて行った。


「あれがカセルアの罠だというなら、目的はなんなんだ?」

「そんな事、こちらが聞きたい」


 自身の信頼する団長の、投げやりな返答に、王太子本人に会い、嫌と言うほどその性質を見せつけられていたホーフェンも、思わずそりゃそうだと返答してしまっていた。

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