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花籠の道と黒の小石  作者: 織川あさぎ
第二章 ノルド篇
32/40

22

 クラウスがようやく会議室に現われた時、その背後には、白い騎士服を身につけたサーレスも伴っていた。

 今日、花嫁になったばかりとは思えないほど凛々しい姿だが、目元がほんのり紅に染まっている様は、確かに以前より、若干の艶を感じられた。

 だからこそか、となりに立つクラウスの表情は、以前より厳しい。なにより、目が恐ろしいほど、冷めている。その目で、サーレスにわからない位置から、こちらの行動から視線まで、逐一観察しているとしか思えないのである。

 隊長達は、これ以上クラウスを刺激するのは厳禁だと感じ、そっと視線を外した。



「どうしてここに、サーレスまで連れてきたんだい?」


 カンナの問いに、クラウスは一瞬サーレスに視線を向け、そして断言した。


「私達だけでは、カセルア軍に関して、その動きに予測が立てられない。カセルア軍が参戦するとわかったからには、それを考慮に入れた動きを考える必要がある。参考意見を聞く必要があると判断したから、連れてきた」


 クラウスの言葉に、隊長達は揃って唸った。


「……本当に、カセルアは出てくるのか?」

「出てきたとして、本当に使えるのかよ。飾りなら、動きなんか聞く必要はないぞ。一番後ろの陣で、旗を立ててくれていればそれで良い」


 ユーリの言葉は、辛辣の一言だった。

 ユーリはこの中では、隊長としての経験は最も少ないが、最も死地に近い戦場を経験している隊長でもある。危険地帯に、あえて先陣を切る役目を負った切り込み隊長の意見は、無視できるものではない。


「ユーリの意見は乱暴だが、我々の意見は大体同じようなものだ。カセルアが戦から遠ざかり、すでに三十年以上は経過している。軍の中に、戦の経験者もほぼおらず、経験のない新兵ばかりでは、我々にとって重荷にしかなり得ない。カセルアが我らの後ろ盾になるのは歓迎するが、だからといって新兵達の訓練の場として、我々の戦場を荒らされるのは、命に関わる歓迎できない事態だ」


 サーレスは、その言葉を聞かされても、表情を変える事はなかった。

 飄々とした態度のまま、用意された椅子に座り、全員の様子を眺める姿勢に入っていた。


「カセルアから来るのは、王太子の近衛の部隊だと聞いた。それなら、前線に出る事もないんじゃないか」

「一番重要なのは、カセルアがブレストアについたと示す事だ。戦場に出る事ではなく、その旗を示す事。それは、誰もがわかっている事だ。わざわざ、危険な前線に出す事はないだろう」


 隊長達の言葉を、無言で聞いていたクラウスは、着々と来るホーセルとアルバスタの行軍状況が示された地図を見て、ふっと笑った。


「サーレス。聞きたい事があります。こちらに派遣されるという王太子近衛隊の編成は、どのようなものですか」

「騎兵を主にした部隊だ。輸送部隊のみ歩兵で構成されている」

「平均年齢は?」

「四十代だな」


 その返答に、虚を突かれたように隊長達は目を剥いた。


「なんでまた、そんなに年齢が高めなんだ……」

「最高齢は、五十八。三十年前、カセルアが最後に経験した戦で、ゴディック将軍旗下で千人隊長を最年少で務めた男だ。今の身分は王宮第五近衛隊隊長。本来、もっと高い地位にあるべきだが、この時のために、全ての出世の機会を蹴ってきた頑固者だ」

「……まさか」

「その他の者も、半数は、その戦で従軍経験がある者ばかりだ。残り半数は、確かに従軍経験はないが、少数精鋭でゴディック爺が自ら選び抜いて鍛え上げた。従軍する中で一番若いのは、共に来るならば間違いなく兄上で、その次は、軍を指揮する予定のガレウス=カレイドだ」

「……カレイド?」


 聞いた事があるようなないようなと半数ほどの隊長が首を傾げた。その問いに答えたのは、何かを納得したような表情のグレイだった。


「ユリア殿の兄上だ」

「は?」

「ゴディック将軍の弟子だ。サーレスほどではないが、それでもノエルとやって良い勝負が出来る人材だ。なるほど、今回のカセルアの決定は、ガレウス殿のための物か」


 そのグレイの言葉に、サーレスは微笑んで頷いた。


「カセルアも、わかっているんだ。このままだと、そう遠くない未来に、間違いなくカセルアは戦場になる。その前に、手を取る相手を選び、一歩踏み出さなくてはいけない」


 笑みを消したサーレスは、クラウスに視線を送り、そして、隊長達を見渡した。彼らの表情は、皆、困惑と不審が見て取れる。

 そんな視線を向けられても、サーレスは、まったく揺らがなかった。


「あなた方の杞憂はよくわかる。カセルアの三十年あまりの沈黙は、確かに戦において重要な、経験という物を失わせるのに十分な時間だった。……だが」


 サーレスは、艶然と微笑んだ。そして、次の瞬間、その気配が突然がらりと変化した。

 つい先程まで、人を魅了し、心を和ませるだけだったその雰囲気が、一国の、あらゆる責任を負う王者としての威厳と、全ての戦場を統べる将軍としての気迫を感じさせるものに変わったのだ。

 その姿に、その気迫に、その場にいた隊長達は、全員が気圧されていた。

 全員が息をのむその中で、マルクスだけは、驚愕したように目を見開いていた。


「一日……いや、半日でも構わない。カセルア軍を信じてもらいたい。三十年の間、いつかくるその時のために、爪を磨き、牙を鍛え続けたカセルア軍の勇士達を信じ、場を預けてもらえないか。彼らは必ずそれに応える。老いも若いも、皆その時のための研鑽を積んできた。彼らは、ゴディックの……師の名声に恥じる事のない戦いが出来るはずだ。どうか、頼む」


 どうしてそこまで、とは誰も口に出来なかった。

 カセルアが送り出すほんの一部隊に、かの国がどれほどの願いを込めているのかを、彼女の気迫で理解してしまった。

 全員が、その姿に見とれていた。もし、彼女の隣に黒狼の今の主であるクラウスがいなければ、おそらく膝を折ったに違いなかった。

 その様子を、サーレスの隣から見ていたクラウスは、静かに頷いた。


「異議はないようです。カセルア軍の、大まかな動きを教えてもらえますか」


 サーレスは、クラウスに声をかけられると、一度目を閉じた。

 そして、ひとつ息を吐き、目を開くと、先程の雰囲気が幻だったように、微笑んだ。


「喜んで」


 その変貌に、隊長達は唖然とし、そしてそれぞれが苦笑すると、これから動かす軍について、カセルアの一部隊を含めた対策の協議を重ねた。



 全ての協議が終わり、それぞれの隊長達が自分達の部隊のために部屋を後にする中、マルクスはサーレスに歩み寄り、跪いた。


「……ひとつ聞きたい事がある。先程のあれは、いったい誰か」


 曖昧な問いだが、サーレスは微笑んで答えた。


「私は、通常、トレス=リーデ=メイジェス=ラト=カセルアである事を望まれていた。だから、私は常に、そうあるようにしている。だが、とある場所では、別の存在を求められる。つまり、ゴディック爺の元にいる間、私は、爺……リジェット=ダーヴィン=ゴディックの分身である事を求められる」

「では、先程のあれは、ゴディック将軍か」

「あなたは、私が知っている相手ならば、その星と色を写し取れると言ったな。だから、試した。色は変わったかな?」


 マルクスは、サーレスの答えに、唖然とした。


「あなたは、私を試したのか」

「あなたを試した、というよりは、自分の能力を試した。その確認が出来るのは、あなただけだしな。爺は、緑ではなかったようだな。何色だった?」

「……炎のような、赤だった。だが、それもおかしい」

「なぜ?」

「あなたの傍にいた人物に関しては、全て計算済みだ。リジェット=ダーヴィン=ゴディックは、計算上、赤ではなく、黄色だ」

「その計算というのは、爺の両親の星から計算したのかな?」

「そうだ」

「それならば、おそらく資料が間違っている。爺は、ダーヴィン家の五男だが、爺を産んだのは正妻ではなく、その家に居た使用人だからな。爺を産んだ人は、お産の三日後に産褥で亡くなり、その時の当主は、爺を正妻の産んだ子として届けた。だから資料では正妻の子供だったろうが、爺の母親は、ミラという名の、厩番の娘だ。苗字はない。これで、占えるか?」

「……」


 マルクスは、無言になると、その場にあった黒板に、突然細かく文字を書き始めた。ぶつぶつと呟きながら、古語で記されているらしいその文字を、何度も何度も重ねていく。


 それを見ながら、クラウスはサーレスに語りかけていた。


「……だから、ゴディック将軍は、ティナさんを保護したんですか」

「ん?」

「ご自身の母親と、ティナさんの境遇が同じだから、保護なさったんじゃないんですか?」

「……はじめ、見つけられなかったんだ。ティナは頭がいいからな。見つかる前に、まず、ゴディックの影響が絶対に及ばない土地に逃げた。母上の実家の、メイジェス領は、昔から女性が働き者の土地でな。ティナは、そこにあった侯爵家が作った保護施設に駆け込んで、働きながらガレウスを産んだんだ。爺が、ティナを見つけたのは、母上がティナを連れて城に帰ってからだ。ティナが奥の宮にいるとわかって、爺は奥の宮に近い場所に隠居場所を構えた。そして、こっそりとガレウスを預かって、育てていたんだ」

「ご自身に、似ていたからですか」

「それもある。だけどそれ以上に、ガレウスの才能を伸ばしたかったんだろう。ただの侍女の息子では、まともな訓練など出来ないからな」


「……信じられない」


 マルクスのつぶやきを耳にした二人は、黒板に目を向ける。

 そこは、真っ白に文字で埋め尽くされている。すでに何を書かれているのか、二人にはわかりもしないが、マルクスはその一点を見つめながら、呟いた。


「……赤の、騎士だ」

「すまないが説明してくれ。その星だと、何かあるのか」

「青の騎士の……ノエルの星の、等級星だ。四つしかない種類のうちの、二つが揃っている事になる」

「……なに?」

「こんな近くに、騎士が二人……そんなばかな……数百年に、一人の確率だぞ……。それが、同時期、同地域に、年齢は違っても、存在している事などあるのか……」

「……赤の騎士は、つまり、この人への対抗になる星か?」

「正確には、違う。青のノエルは裏切りを象徴する。だが、赤は、鼓舞。だが、対抗できるかと言えば、そうとも言える。同じ力を持つ星は、相手の星を食い合う事もあり、お互いの力をより高める事もある」

「……つまり、ラズー教にとってはいいのか悪いのか」

「もし、さらに騎士がいたとなれば……ラズー教は、手が出ないだろう」

「そうなのか?」

「本来、一つでも、存在しているのが稀な星だ。どうしてラズー教が青の騎士を認めないかというと、その存在が稀すぎて、産まれただけで他の星に影響を及ぼし乱すからという理由があるらしい。その二つが揃っている場に、星の神官に近しいものが近寄れば、それだけで、その街一つの星をすべて狂わせる。ラズー教にそれは出来ないはずだ」

「ちなみに、その理屈だと、爺も認めてもらえないわけか」

「……将軍の存在は、確かに影響力を遺憾なく発揮した。伝説の将軍として、八十代の今に至るまで、その存在感を強く大陸中に轟かせている。つまり、そういう事だ」

「……なるほど。カセルアは運がよかったんだな。よく、ラズー教の神官達に、今まで星を見られなかったものだ」

「もともと、ラズー教は、自分達の信者の星を見る事はあったが、それ以外の星までは興味がなかった。だから、ラズー教がまったく入っていないカセルアでは、そんな事を気にする者がいなかったのだろう」


 話を、呆然と聞いていたクラウスの前に、サーレスの顔が間近まで迫っていた。

 その茶色の瞳が、優しい光を湛えていた。


「……戦から、帰ってからでいい。一つ、頼まれてくれないかな。あなたはまだ、カセルア担当の密偵なのだと聞いた。前にここで捕まえたグレースは、まだどこにも送られていないと聞いている。あれを、カセルアに渡してもらいたい」

「……何を、するんです」

「私の星……サーレスの星として、爺の赤の騎士をもらう」

「……」

「グレースは、梟に送る。躾をしてもらって、そこからラズー教を辿らせる。そういう事は、カセルアの梟のお家芸だ。辿らせた後、姫の護衛兼従者である私の髪として、爺の髪を送りつけてやればいい。後は向こうが勝手に勘違いしてくれる」

「……それで、いいんですか。あなたも、騎士で……」

「なに。なんだったらもう一人、青の裏切りの騎士を偽造するつもりだったんだ。それよりは、まだ、穏やかに話がすみそうじゃないか」


 サーレスの言葉に、二人の傍で、マルクスは首を傾げた。


「……穏やかさとは正反対の理由で、沈静化するんだが」

「何を言う。あちらが怯えきっている星が二人に増えるより、抑える可能性がある星が傍にある方が、ラズー教は安堵するだろうよ。監視はするだろうが、手は出さないならそれで十分だ」


 それだけ告げると、再びクラウスに視線を戻したサーレスは、その頬に軽く口付けた。


「だから、どうか、長生きしてくれ。私達は、二人揃った状態で、いつまでも生きていなければならない。たとえ今から行く場にフラガンという貴族がいても、ここで私が待っている。赤の騎士の星になって、あなたの星を守るために、私がここにいる。必ず、そのまま、生きて帰ってきてくれ……ノエル」


 クラウスは、その言葉を、泣きそうな表情で聞いていた。

 そして、何かを呟こうとしたが、ぐっと言葉を飲み込み、サーレスが最も好む、満開の花のように華やかな微笑みを浮かべ、力の限り、サーレスを抱きしめた。


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