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「今まで、あなた方に本当のことを告げられず、申し訳ない」
ぺこりと頭を下げた花嫁を、驚愕の眼差しのまま、硬直して見守るのは、調理室で今まさにこれからの晩餐を作っていた調理人達だった。特に、料理長と副料理長は、手に持った匙を取り落としていた。
「他の使用人達には、このあと告げる機会があるが、あなた方は今日、ここから出ることはないと聞いたから、どうしても先に告げておきたいと思って、わがままを言った。これまで、ただの客人の騎士に良くしてくださってありがとう。願わくば、これから先も、同じようにここで迎えてもらえたらと思う」
今日、この城の奥方となる姫の言葉に、料理長は呆然と頷いた。
「……ええと、すみません、頭がどうしても回らないんですが、つまりどういう事で?」
料理長の混乱を見たクラウスが、頷きながら答えた。
「今まで、サーレスと名乗っていたのが、姫本人だ。理由があってのことなんだが、これ以降も、この方は城の中でサーレスと名乗ることになる。だから、今までの通り、サーレスとしてこの方を扱ってくれればいい」
「……ほんとにこれが、サーレス殿?」
呆然とつぶやいた副料理長に、花嫁と花婿が揃ってにっこりと頷いた。
その後、再び花嫁を抱えた花婿が出て行ったあとも、調理場では肝心の料理長以下、主要な三人が呆然と立ち尽くし、料理長がこの職に就いてから初めて、料理の完成は約三十分も遅れたのだった。
「……どうして、花嫁を抱えっぱなしなんです?」
礼拝堂の外で、式次第の確認に来たホーフェンが、呆れたように花嫁と花婿を見下ろしていた。
「この方が、身長差が目立たないからだ」
「途中で裾を踏む危険もないしな」
花嫁花婿の言葉に、大きなため息を返した。
「でも、さすがに式場の中では降ろしてくださいよ?」
「わかってる」
そういうと、ゆっくりとクラウスはサーレスを降ろした。
「……どうして、かかとを高くしちまったんだ? 式の靴は、向こうで大体の形を指定してたんだろ。低く作れば、ここまで身長差もないだろうに」
「そんなところでごまかすような真似をするのは、私の美意識が許せない。それに、あちらの王妃陛下にもお約束したからな。この人に一番似合うドレスを着せてみせると」
「あ~はいはい……」
きっぱり言い切ったクラウスに、呆れたようにホーフェンは肩をすくめた。
「一応、見習い達も中に入ってる。立派な花嫁さんに、あいつらが腰を抜かさなきゃいいんだがな」
「腰は抜かさないだろうが、しばらくは動かないだろうな」
堂々とそう言い放った花嫁は、まるで戦に臨む騎士のように、背を伸ばし、正面を見据えていた。美しく伸びるドレスの裾には、カセルアで刺繍された花が艶やかに咲き誇っていた。その花々は、サーレスが一歩進むごとに、まるで本物が風に揺れるように波打った。
「では、行きましょうか」
念願の瞬間を迎え、クラウスはサーレスに手をさしのべる。
サーレスは、微笑みながら、ブーケを持つのとは逆の手で、そのクラウスの手を取った。
今日、結婚式を行う城の礼拝堂は、普段は宗教的な象徴を飾ることはない。
黒騎士は、世界中から集まってくるため、それぞれの信教には独自のものがあるためだ。
だが今日は、わざわざカセルアから招致した司教の指示で、正面にリスター教の聖印が刺繍された旗を掲げ、その横に、黒騎士の紋章が入った旗と、カセルア王家の紋章が入った旗が飾られている。
日頃見た事のない雰囲気に、団員達が固唾を呑んで見守る中、式の開始が司教によって告げられた。
そして、司教の傍に控えていた二人が、一歩前に進む。
細剣で、見事な儀礼剣技を見せるのは、ついひと月前まで、最低成績の落ちこぼれと言われ続けていたはずのマーヤ=レシュベルだった。
その姿に、多くの者は、すでに唖然としていた。
父親や、ここに揃っていた三人の兄たちは、式の本番よりも、マーヤのこの晴れ姿にすでに感動の涙を流していた。
花嫁の前途に、悪しき物が無いよう、祝福を受けた剣で断ち切るのが、儀式の意義だ。
マーヤは、サーレスのために、心をこめてその剣を振る。
迷いのない足取りは、ほんの二週間前まで、剣を手に持ったまま、素振りを十回も終えられないと言われ続けていたとは思えないほどだった。
剣の動きには、舞の優雅さよりも、一生懸命の生真面目さが現われており、まだ硬さがあるが、それでも、マーヤの動きは、間違いなく舞だった。
彼女のためだけに誂えた、飾りのない細剣は、細い刀身を鋭く閃かせながら、マーヤの思うままの軌跡を残す。
ほんのひと月前まで、それはありえないことだった。
出会ったその時告げたままに、サーレスがここまで、導いてくれたのだ。
感謝と喜びをその舞に乗せ、今日だけは特別にと袖を通すことを許された、騎士礼服を身に纏ったマーヤは、最後の一振りを終えると、静かにその剣をもう一人の舞手に差し向けた。
クラウスのための舞手として、その場に控えていたのは、ある意味マーヤよりもこの場にいるのが珍しい、マルクス=ロイス隊長だった。
晴れやかな席にも重要な儀式にも顔を見せないマルクスが、こんな席で剣を振るうのも、マーヤに負けず劣らず珍しい事だった。
脅されようが懇願されようが、己の心が向かない限り出てくるはずのない魔法騎兵隊長は、いつもながら何を考えているのかわからない瞳を、マーヤの剣技に向けていた。
マーヤの振り終えた剣を受ける形で、一度だけ軽く剣を合わせ、引き継ぐようにマルクスが剣舞を見せる。
滅多に見ることができないその剣技を、騎士たちはため息を吐きながら見ていた。
魔法騎士であるマルクスの剣は、常に魔力を帯び、薄緑に輝きながら、その軌跡を残し、マルクスを取り巻いている。
「……あいつも、一応儀礼剣技を覚えてたんだな」
「そりゃまあ、正騎士になって最初に叩き込まれる事だしなぁ」
正騎士ですらその有様なので、その場にいた見習い達は、ため息どころか息をすることすら忘れそうになりながら、その姿に見入っていた。
二人の剣舞が終わり、重々しい扉が開かれる。
その場に参列していた全員が、入場してくる二人に体を向け、敬礼をした。
しかし、入場してきた二人を見て、先程とは別の意味で、見習いと従騎士たちは固まった。
初めて見るはずの花嫁は、自分達の団長より遙かに背が高く、すばらしく美しいドレスで、女神像を思わせるような完璧で見事な肢体を包んでいた。その堂々とした出で立ちに、初めて見たはずなのに見慣れた顔が、化粧をされて別人のように美しくなった状態で乗っていた。
ぽかんと口が開けられた、間抜けと言われても仕方のない表情で、全員が二人を視線で追いかけた。
儀礼剣技を終えた二人が、その剣を天に掲げて二人を迎え、それぞれの横に付き従う。
花嫁の背後で、長いベールの裾を持っていた二人の少女が、ベールを下に降ろして、横にいた、両親のホーフェンとアンジュにそれぞれ腕を引かれ、着席した。
サーレスの右手が、クラウスの左腕にそっと回され、エスコートされながら一歩、また一歩と、祭壇に向かう。
周囲の視線も気にすることなく、ただ正面を真っ直ぐに見つめ、胸を張り歩く。息を合わせて歩く二人の姿は、まるで戦場に立つ指揮官のように堂々として、威厳のあるものだった。
司教は、用意された二人の宣誓書を読み上げ、この場にいる全ての人々を証人として、この結婚が成立したことを宣言した。
それを受け、二人は、その宣誓書と証明書に、お互いの名を記した。
式は、唖然とした人々を置き去りに粛々と進み、無事に誓約書が礼拝堂に納められる。それで、あっさりと終了した。
主役の二人は、再び並んで礼拝堂を後にし、そのまま宴のために、その場にいた全員が城の宴会場に移動する。
いまだになにやら微妙な空気のまま、従騎士や見習い達も、似たような表情で各自の席に着いていた。
宴会場の外では、再びどよめきと困惑の声が上がっている。
サーラ姫の姿を、初めて間近で目にした使用人達が起こした声は、日頃は何が起ろうと冷静であれと言われている騎士たちも動揺させた。
「……なんなんだ、いったい」
「あれだ。使用人達に、姫が挨拶したんだろ……」
「ああ……」
「それだけで納得できるのもどうかと思うが、あれを見て、驚かずにいられるような強心臓の人間は、それだけで部隊に引っ張っていけるだろう」
従騎士と見習いは、いまだになにやら呆然としているし、正騎士も、今日の姫の姿に顔色が悪かった。
自分達が何を見たのか、よく分からなかったのだ。
「……ノエルも良く化けるやつだが……あの姫さんも大概だな」
隊長たちがしみじみ言うその側で、頬をリンゴのように染めたそっくりな双子は、父親の首にしがみつき、必死に訴えていた。
「騎士になれば、姫様の側にいられるんでしょ」
「なる! 騎士になる!」
「お前達は、まだ6つだ。学校に入るにも早すぎる。もう少し、大きくなって……」
「「やー!!」」
大音量の拒否に、ホーフェンがのけぞった。そんな姿を見て、横でマーカスが笑っていた。
「その年頃の娘は、ちょうどいっぱしのことを言い始めるもんだ。うちのマーヤも、騎士になると言いだしたのはその年頃だ。今から覚悟しとけ」
口調は重々しく厳しいが、その娘をすぐ横に侍らせ、ずっと肩を抱きながら頭を優しく撫でている状態では、威厳も何もない。
自分の将来の姿をそこに見た気がしたホーフェンは、怯えたような視線を向けて、顔をひきつらせた。
「おいおい……。マーカスんところは、娘一人だろ。うちなんか、同じ歳で二人なんだぞ。それがずっとこれを言い続けんのかよ。笑い事じゃない」
「しかも、アンジュの子だからな」
その言葉に、周囲の正騎士はこらえきれずに笑いはじめた。
その時、ようやく、広間の扉が開かれ、今日の主役である二人は姿を現した。
全員が息を飲む中、二人はゆっくりと上座に向かい、位置に付くと、会場を見渡した。
先程の式では、花嫁のベールを持つ役目をしっかりと果たした双子達は、父親の膝の上に抱えられながら、キラキラと輝く目をサーレスに向けて、一生懸命に手を振っている。
そんな姿を目にして、サーレスは微笑みながら、その子供達に手を振り返した。
子供達が、手を振るのをピタッとやめ、父親の膝の上に、まるで腰が抜けたように座り込んだのと同時に、クラウスが宴会の開始を告げた。
全員に飲み物が配られる中、父親の膝の上で、急に静かになった娘達に心配したアンジュが二人の顔をのぞき込むと、二人とも顔を真っ赤にして、視線をとろんとさせたまま、花嫁を見つめていた。
「……二人とも、どうしたの。突然静かになって」
「……珍しく大人しいな。興奮して、熱でも出したか?」
その様子を見ていたユーリが、薄気味悪いものでも見るような視線を花嫁に向けた。
「そんなチビでも女は女だろ。ついでに、あんな格好しててもサーレスはサーレスってこった」
「ちょっとユーリ」
あわてて、その隣にいたレイリアが口を塞ごうとしたが遅かった。
ニヤリと笑ったユーリは、双子を見下ろし断言した。
「花嫁衣装でも、笑顔ひとつで女を落とすとは、恐れ入ったもんだぜ」
その直後、父親のホーフェンは、声にならない悲鳴を上げて、娘の目を塞いでいた。




