15
「マーヤ=レシュベル。起床」
その言葉に、マーヤの目はぱちりと開いた。
起床と言われたら、どんなに夢の中でもとにかく起きろと、黒騎士見習いになった時に叩き込まれた癖は、今も遺憾なく発揮された。
目を見開いたそこに、最近ようやく見慣れてきた団長クラウスの顔が、月明かりに照らされて仄かに浮かんでいるのを見たマーヤは、体を硬直させた。
マーヤは、自分に与えられた、城の最上階にある控えの間で、ここしばらく寝起きしていた。
今、どうして団長が自分のベッドの隣に立って、自分のことをのぞき込んでいるのかは分からないが、とにかく慌てて寝間着のまま飛び起き、その場で敬礼した。
「……お前が寝ていたということは、ここにサーレスはいないんだな?」
「サーレス様が、どうかなさいましたか」
「姿を隠している」
「……え?」
「サーレスが、お前を起こさずにそのまま姿を隠したという事は、おそらく城は出ていない。もし、城を出るなら、お前を伴うかどうかは別にして、知らせはするはずだ。知らせないまま城を出たら、お前が罰せられることは、あの人も分かっているからな。だが、問題はそこじゃない。……外が騒がしい。まだ連絡は来ていないが、おそらく侵入者だ」
「え!? し、侵入者って……」
「一応、ユリアさんの部屋も見てみたが、ユリアさんも同じように姿がない。完全に気配がないが……。あの二人は、勝算があるから姿を隠したんだろう。ここまで気配を絶っているなら、むやみやたらに探さない方が良さそうだ。お前は私についてこい。とにかく城を出ろ。下手に侵入者にお前が鉢合わせする方がまずい。おそらく、侵入者が目指しているのは、この横だからな」
「は、はい!」
「すぐに支度しろ」
それだけ告げると、クラウスは部屋を出る。
その後ろ姿を敬礼のまま見送り、姿が見えなくなったとたんに素早く衣装箱に飛びついた。
「見つかったのか?」
マーヤを伴い、中庭に出てきたクラウスは、この場の指揮をとるアンジュに問いかけた。その場にいた全員が、一分の隙もなく双剣を腰に履いた上司に、敬礼を返す。
クラウスが、仕事を終えて寝るために部屋に帰ったのは、今から二時間ほど前だった。そして、それが起こったのは、まるでこの人が眠るのを待つかのようなタイミングだった。
「まだ、発見できておりません。城の中にいた者に関しても、姿を消しております」
「洗い場の女か?」
「そのようです。軍務長の確認はまだでしたが、あれが密偵なのは間違いなさそうです」
「なるほど。団員に関しては、ちゃんと調査ができていたようだ。あとでその女の私物を全てをこちらに回すように伝えろ」
「はっ。……サーレス様に、誰か人をやりましょうか」
「……すでに、部屋に気配がなかった。気が付いて、気配を消しているようだ。邪魔しない方がいいだろうな」
「お一人で、大丈夫でしょうか……複数が行く可能性がありますが」
「そう思うなら、一刻も早く捕まえろ。そうすれば、あの人も姿を現すだろうから」
「……どちらにおられるか、把握できていないのですか?」
「把握できていたら、私がもう向かっている。おそらく、姫の部屋だろうが、外からうかがった限りでは、そこにも気配がなかった。ああなると、邪魔しない方がいいだろう。一応、城館の4階には一部隊を向かわせろ。ただ、部屋の中には入るな」
「了解しました」
「あと、抜け道の出入り口には、全てに3人ひと組で見張りを置け。絶対に、外には出すな」
「そちらはすでに手配しています。崖下の出口も、すでに人を向かわせました」
「よし、では私も、捜索に加わる。しばらく姿は消すから、あとの裁量は任せる」
「了解です」
「マーヤ。お前はアンジュの指示に従え」
「了解です!」
それだけ命じると、付けてあるマントを、飾りごと外し、アンジュに手渡す。背中に黒狼の刺繍を背負ったクラウスの軍服は、こういった時のために、飾りにしか色がない。今のクラウスは、闇に潜むには最適な、黒一色の姿である。その状態で、クラウスは身軽に自分の城に窓から忍び込んだ。
騎士に相対するのは騎士、密偵を捜し出すのは密偵。こんな時こそ、クラウスの独壇場である。
その姿を敬礼で見送り、アンジュは踵を返した。
ノルド城の扉は、ブレストアによくある、重々しい樫の一枚板で作られているものだが、その管理が良いためか、誰もが驚くほど軽やかに、音も立てずに開く。それはある意味、侵入者にはとても都合のよい扉だった。
この城で一番開かれるはずのない扉が、音もなく微かに開かれ、廊下に置かれたランタンの光で、中に細い光の筋が走った。
その光は、少しずつ延び、レースと刺繍で飾られた、見るからに豪華な寝台を照らし出した。
遠くからの足音を聞き、慌てて中に滑り込み、後ろ手にそっと扉を閉める。
闇に慣らすために閉じていた片方の瞳を開き、忍び足で寝台に近寄る。
カセルア王妃の手による、ルサリスの花の刺繍が施された寝台のカーテンは、間違いなく、ここが、サーラ=ルサリスという名の姫の部屋だと表していた。
姫は重病で、この布に覆われた奥で、寝ているはずである。
薄明かりが、カーテンの奥を微かに照らし、そこに寝ている人物の影が僅かに見える。
そっとカーテンを手に取り、ゆっくりとその中を露わにしていく。
「はい、そこまで」
どこからのものかわからない声が部屋に響く。警戒していなかった体が一瞬竦み、それが命取りになった。
その声の主は、ありえないことに、寝台のすぐ傍に、気配もなく立っていた。振り返ろうとしたとき、何かわからない、幅広の布状のものが、体に巻かれる。その状態で、素早く足をすくわれ、受け身も取れずにしたたかに床に体を打ち付けた。
その痛みに息も止まる。自分の身に起こったことがよく分からないまま見開いた目の前に、サーレスの顔があった。
「……ああ、やっぱりあなたか。洗い場にいた、グレースだったかな」
床に引き倒され、押さえつけられたグレースは、とっさに歯に仕込んだ物をかみ砕こうとした。しかし、その前に、口枷を噛まされた。
「ごめんな、馬用のハミしか手元になかったんだ。手荒なまねは、これ以上したくないから、あまり抵抗しないでもらえるかな」
蕩けるような甘い笑みで、サーレスは目の前のグレースに語りかける。
「不思議そうな顔をしているね。そんなに、私がここにいるのはおかしいかな? あなたは、私を見たとき、私の腕を測っていたろう。サーラ姫の護衛だものな。仕事を任されている身としては、周囲にいる護衛は気になったんだろう? でも、あの場で、周囲の女性達がうれしそうに私の顔を見て瞳を輝かせたとき、顔は笑顔なのに目だけが冷静なあなたは、とても浮いて見えたんだ」
それだけ言うと、サーレスは、ぎちぎちに布を巻き付けていたグレースの手から武器を取りあげ、その手を無理矢理後ろに回し、指と手首を縛り上げた。そして、突然、手元のナイフで、幅広の布ごと、グレースのお仕着せを切り裂いた。
「ああ、たくさん仕込んでるなぁ。武器は全部取らせてもらう。あと、ブーツもな」
グレースは、下着のみの姿で、無様に転がされ、死ぬことも許されない状態に置かれ、それでも信じられないままにサーレスを見上げていた。
いつの間にこの部屋にいたのか。そして自分の背後に回られたのか。気配を感じないのもそうだが、全く反撃もできなかった。グレースは、自分を見下ろす人に、底知れない恐怖を感じていた。頭上から見下ろしてきた人は、手慣れたように淡々とグレースを無力化し、にっこり微笑んだ。
「あなたが主犯かな。外から忍び込んだ者達は、黒騎士の目をそちらに向けるためのおとりか。軍務長が帰った日に狙ったのは、今日なら街も城も、人と荷物がごった返して、人に紛れ込んで逃げやすいからか。普通の城に忍び込むなら、確かに狙い所だな」
だが、どんなに侵入者の数が多くても、最終的に目指している場所がわかるなら、そこで罠を張って待っておけばいい。サーレスはそれを実践して、サーラの寝室で待っていたのだ。
「もうそろそろ、狼の誰かは来るだろうから、それまでは一緒にいてもらおうかな。ああ、そうそう。姫はもう別の安全な場所に移してあるから、ここで何をしても無駄だよ」
グレースは、驚きで目を見張った。
その表情を見て、サーレスはにっこりと微笑んだ。
「ユリア、もういいぞ」
寝台に向けてそう声をかけたサーレスに答え、ユリアが白い寝間着の裾を捌き、優雅に床に降り立った。
グレースは、それを信じられない思いで、拘束された不自由な体のまま、見上げていた。
「サーレス!」
天井からかけられた声に、サーレスは顔を上げた。そこには、天井の一部から、顔を逆さに出したクラウスの姿があった。
「……その足元のが侵入者ですか」
「正確には、ずっとここで働いていた使用人だ」
天井から、ひらりと軽やかに降りてきたクラウスに場を譲り、サーレスが一歩下がる。
「グレースですか。下で一人確保したのですが、これの居場所を吐かないので、こちらに来てみました」
「何人来てるのかはわかってるのか」
「ほぼわかっています。外でも何人か捕らえました。初めからここにいたグレースだけが追えなかったので、こちらに来てみたんです」
「天井裏から?」
「忍び込んでたら、ついでに捕まえていこうかと思いまして」
「ご苦労なことだ。天井裏まで掃除が行き渡っているんだな。埃一つ付いてないとは」
「からかわないでください」
「だが、これは、扉を潜ってきたぞ」
「おそらく、これが動き始めたのは、侵入者が見つかる前からです。その時点で、使用人を見とがめるものは、あまりいないでしょう」
クラウスは、静かな瞳で、足元のグレースを見つめた。
「ずいぶん、徹底して無力化されたものだな。この無様な姿を晒したあとでは、主人の下へは帰り辛いだろうな」
「ああ、この子、口の中に何か仕込んでるよ」
「……毒でしょうか?」
「よく分からないが、捕まる覚悟を決めたとたんに口に意識が向いた」
「……あなたは本当に」
ハァ、と大きくため息を吐いたクラウスを、拗ねたような視線でサーレスが見つめた。視線を向けられたクラウスは、苦笑しながら、改めてグレースに目を向けた。
「別に、責めたり呆れたりしたわけじゃありませんよ。グレース、相手が悪すぎたな。サーレス殿は、恐ろしく勘が良く、さらに観察力に優れている。その上、反射速度が尋常じゃない。隠し事は、あまりできる相手ではない」
「今のは褒めたのか? あんまり褒められた気がしないんだが」
「私も密偵なんですよ。気分は複雑ですが、あなたの腕前を賞賛しています。今のグレースに同情したいくらいです。密偵としては、あなたほど、相手にし難い人はいない。騎士であるあなたに、あそこまで綺麗に気配を消されると、純粋な戦闘能力も敵わないのに、何もしようがないじゃないですか」
「やっぱり、褒めてないだろうそれ」
状況的に、情けない姿で置いてけぼりになったグレースは、ただ呆然としたまま、サーレスとクラウスのじゃれあいを、その後アンジュが様子を見に来るまで見せつけられたのだった。




