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城の広場は、まるで市場のように賑わっていた。
補給隊ばかりではなく、見習いから正騎士まで、おそらく見張りの任務中以外の者は全員この場に出ているのだろう。
馬車から荷を降ろし、数を検め、てきぱきと振り分けているのは、帰ってきたばかりの騎士たちではなく、各隊の隊長達のようだった。
ずいぶん手慣れた様子で、隊長達は、降ろした荷物を自分の部下達に振っている。
城から出ることは結局ユリアが許してくれず、それならとクラウスに連れられて広場に出てきたサーレスは、騎士たちの統制の取れた手際を、感心したように眺めていた。
「すごい量だなぁ」
「そろそろ、冬の蓄えもしなくてはいけませんから。防寒用の毛皮や、備蓄食料などは、今のうちに買っておかないと、間に合わないんです。秋だと、各国が戦のために動きますし、補給隊もそちらの備えに手が取られますから」
「あ、酒もある」
目敏く樽を見つけたサーレスが、嬉しそうにその光景を眺めるのを見て、クラウスも微笑んだ。
「すみません。式が終われば城下に出ても構いませんから、もうしばらくだけ、我慢してください。各国からお酒は届いているはずですから、ユリアさんにお使いを頼めばいいですよ。キファの妹が酒場を経営していますから、取り置きをしてもらえば、いつでも行けますし」
「そうか、じゃあ、式が終わったら、そこに飲みに行けるかな。グレイの隊の人達と、飲む約束をしたんだけど」
「……行くのは、私も一緒に行ける時にしてくださいね」
可愛らしい黄色いドレスで、大変可愛らしくにっこり微笑んでいるはずなのに、そこはかとなく恐ろしいものを感じたサーレスは、一瞬怯みつつ、こくんと頷いた。
そのまま、クラウスと二人、働く騎士たちを眺めていると、変わった馬車が並んでいるのが目に入った。
小屋のような大きさの箱馬車が、二台並んで止まっており、その横に、変わった馬が二頭、並んで繋がれている。
茶色と白のぶち模様の、長いふわふわの体毛に覆われた馬は、傍で見てみると、荷台に負けないほどの体格がある。見上げるほど大きな体をしているが、毛に覆われた黒い瞳は穏やかで、正面で物珍しそうに顔をのぞき込んでいたサーレスのことに興味があるのか、首を伸ばして鼻を向けている。
その様子が可愛く見え、そっと手を伸ばして首を撫でてやると、目を眇めてうっとりとした表情をする。その様子はとても愛嬌があり、すっかりこの二頭が気に入ったサーレスは、二頭共にたくさん撫でてやった。
「この城への道中は、あまり道幅に余裕はなかったのに、こんな大きな馬車も通るんだな」
大きな馬は、ディモンよりもさらに大きく、フューリーならば、並んだらきっと子馬に見えるだろう。ブレストアは、険しい山に囲まれた土地だが、馬の名産地がいくつもあると聞いていた。
中には、こんな大型の運搬馬もいるのだと、サーレスはひとしきり関心していた。
「……だれだぁ?」
馬の影から、のっそりと顔を出され、サーレスはそちらに視線を向ける。
見たことのない顔だが、その服はもちろん黒騎士の服だ。かなり着崩されているが、その形はグレイやホーフェンなどの、将官と同じものである。
無精髭を生やし、精悍な黒い肌が年齢をわからなくしているその人は、サーレスを一瞥すると、白いものの混じった短めの黒髪をがさつに掻き上げた。
「この城に、あんたみたいなお上品な貴族様がいるはず無いんだが。いったいどちらさんだい?」
「あなたが軍務長殿かな。私はサーレス。サーラ姫の護衛兼従者です」
「……姫さんの? 寝たきり姫に常駐の護衛とは、カセルアは人にずいぶん余裕がおありで」
「まあ、詳しいことは、団長殿に聞いてもらえるかな」
ちらりと背後に視線を向けると、心得たようにクラウスが前に出る。
たとえ団長がドレス姿で出てこようとも、黒騎士達は動揺することはない。当然、軍務長も、何の疑問も持っていないようで、平然とクラウスを見つめていた。
「なんだ、今日はドレスか。出かけるのか?」
「いや、私は結婚式まで、城を出る予定は今のところない。それよりも、ベン。いまからちょっと執務室に来てくれ。伝えておくことがある」
「ああ? 荷の確認がまだだろ」
「それより先だ。どうせ、全部荷ほどきするのにまだ時間もかかるだろう。その間に説明することがある」
「しかたねえな……十分ですむか?」
「大丈夫だ。簡単な説明だけだから」
有無を言わせず背中を見せたクラウスに、軍務長は若干訝しみながらも大人しく従った。
サーレスは、撫でていた手を止め、次はおやつを持ってくるからと真剣に馬に話しかけ、二人の後を慌ててついて行った。
「……これが、姫だと?」
「他の正騎士には告げたが、お前はいなかったしな。この方が、カセルア王女、サーラ=ルサリス=エル=カセルアだ。姫、こちらは、軍務長のベンです」
「……さっき、本人は、護衛兼従者と名乗ったぞ?」
「この方がサーレスと名乗って、カセルア王太子の影武者をしていたんだ。護衛の腕前に関しては、ゴディック将軍の直弟子だから、問題ない。だから、サーラ姫の護衛という話は、嘘じゃない」
「おいおい……なんだその冗談みたいな話は。 で、なんでその話を、わざわざここまで引っ張ってきてやらにゃならんのだ?」
「使用人が一人、まだ調査が終ってない」
「一人?」
「ラセル出身の洗い場担当の使用人だ。ラセルまで調べに行ったが、それが偽りであることがわかった」
「……あ~。だから俺を待ってたのか」
「そう言うことだ。それとなく、調べられるか」
「できないことはないが……洗い場か。入るのめんどくせぇな」
「連れ出せばいいだろ。洗い場の担当だからって、ずっとそこにいるわけじゃないんだから」
二人で交わされる会話を、不思議に思いながら聞いていたが、突然クラウスの顔が向けられ、首をかしげた。
「軍務長は、以前は大きな隊商の盟主だったんです。その時の経験で、会話から、その人間の出身地がわかるんです」
「会話だけでか。すごいな」
「とりあえず、この大陸なら、ほぼ八割。本人の出身であるララファード大陸なら、九割で正解します」
「それはすごい」
「というわけで、出身地がわからない場合、軍務長に話をさせて判断してもらって、調べることにしているんです」
「その使用人と話をして、だいたいの当たりを付ければいいんだな」
「そういうことだ。それを元にして、改めて調査するから」
クラウスの表情を見つめていた軍務長は、しばらく沈黙したままだったが、ようやく納得したように頷いた。
「お前にしては、ずいぶん、手こずったもんだな」
「しょうがない。結婚前に、どこもかしこもに邪魔されないように釘を刺しにかけずり回っていたんだ。さすがに怪しい使用人の身元調査は、自分ではできなかった」
「それにしても、ラセルねぇ。港町だけに、あそこは人種もばらばら言葉もばらばらで、確かに身元はごまかしやすい。言葉は、移住前の癖が出るから、どこと特定し辛いかもしれんな」
「だからこそ、ラセル経由で人を送り込んだとも言える。他国から来たのなら、ある程度どこの手の者か探れるんだが、国内出身者がそこを経由して来ている場合が一番困った事態になるんだ。できるなら、細かく言葉の癖を読んでみてくれ」
「ああ?」
「……今現在、一番疑わしい組織は、ラズー教だ」
「……まぁだ懲りてねえのか、あいつらは」
「一応、別ルートでも黒狼に探らせているんだが、まだ特定できていない。髪の毛一本でも盗まれると、少々やっかいな事態になることが分かってな。できるだけ急いで、特定したいんだ」
クラウスが、昨日判明した姫の星に関する事情を説明したところ、軍務長は盛大にため息を吐いて、サーレスに視線を向けた。
「あんたも災難だな。あいつらは、ノエルに近づく人間の星とやらを、頼みもしないのに調べるのが趣味のようでなぁ。こんな事は、しょっちゅうだ。まあ、城にいても、退屈はしないだろうよ」
その言葉に、サーレスは苦笑して頷いた。
「ありがとう。これから世話になる。今も、あまり退屈はしていないから、できるなら招かれざる客は少ない方がいいな」
「そりゃそうだ」
ニヤリと笑ったベンは、改めてサーレスに手を差し出し、サーレスは、今日もしっかりと革手袋を填めていた手で、その手をしっかりと握った。
「では、急いで調査を頼む。結婚式には、この人の正体を明かさないといけない。あと二週間を切ってる」
「延ばせないのか」
「延ばさない。もし遅れたら、団から出て式を挙げる」
「……脅かすな」
「よろしく頼む」
にっこりと笑うクラウスをみて、大きくため息をついた軍務長は、了承の言葉を述べて部屋を出た。
軍務長の姿が消えたあと、サーレスはクラウスに視線を向けた。クラウスも、その視線に気付き、可愛らしく小首を傾げた。
「……脅しは良くないぞ?」
「ただのかわいいわがままです」
「……かわいい、ねぇ」
その交渉手法は、かわいいよりもしたたか、という言葉の方が似合うだろう。
そのしたたかな人が、サーレスの腕を引き、ソファに引き倒した。上にのしかかり、顔の間近で、にっこり微笑む。
「……結婚までは、誓いは破らないんだよな?」
「もちろんです」
クラウスは、軽く頬に口付けた。
可愛らしく甘えてくる婚約者に、微妙に慣れてきている自分を発見したサーレスは、ひとつため息をつくと、その男性にしてはなめらかすぎる頬に、自分から口付けた。
「私のせいで、無茶をされるのはいやなんだ。ほどほどにな?」
「はい」
すでに、サーレスには、数人の侍女が付いてくれている。彼女らは皆、黒騎士の身内の女性のみで構成されていると説明されていた。
だからこその口の硬さを見込まれたわけだが、彼女らは黒騎士の身内と言うことで、調査も楽だったのだというのが理解できた。
洗い場などの裏方は、たとえどんな国でも、雇い入れるのは使用人頭と言われる人たちの役割であり、それだけに、城主からは目が届きにくい。
しかし、今回は、ただの一人もこの城に密偵を残さないために、裏の裏まで、細かく調査しているらしい。
「……めんどうでごめんな」
サーレスが小さな声で詫びると、クラウスはなんでもないとばかりに微笑んだ。
「私が望んだことです。あなたが詫びる必要などありません。むしろ、詫びるべきなのは、私の方でしょう。あなたは、カセルアから出ない選択肢もあったのを、無理矢理私が連れ出したんですから」
きゅっとサーレスに抱きついたクラウスは、小さな声でささやいた。
「ずっと、側にいてください」
何が不安なのか、サーレスがこの城に来てから、クラウスは何度もそう言ってサーレスを抱きしめた。
その不安を取り除けるのは、それこそ式が終わった後のことになるだろう。それまでは、ただ口で説明するしかない。
「いるさ。そのつもりで、カセルアを出たんだから」
サーレスは、小さな声でそう告げると、クラウスの小さな頭に、そっと口付けた。
その日の深夜、サーレスは、落ち着きのない気配を感じ取り、目が醒めた。
まだ夜は明ける気配もなく、カーテンを閉めている室内は闇に包まれている。
その闇と静寂の中、確かに感じる違和感に、サーレスは気配を消して起き上がった。
サーレスとして与えられた従者の部屋に寝ていたため、服や武器も、全て手に届く位置に置かれている。それらを手早く身につけると、手に武器と、シャツを一枚手にして、サーレスは部屋をそっと抜け出した。




