13
翌日、マーヤは朝の訓練を終わらせ、早足でサーレスの元へ向かっていた。
今日からは、午後も騎兵隊での訓練なのだが、その前に儀礼剣技の型を見てもらえないかと頼みたかったのだ。
昨日、クラウスに教えられた型は、あくまでブレストアで行われるものだったので、カセルアのものを見た事がないマーヤは、本当にこれでいいのかと迷いがあったのだ。
今ならば、サーレスは部屋で、花嫁修業という名のお茶の時間である。
顔を出せば、そのお茶請けを食べられるかもしれないと、ほんの少しだけ期待して、足取り軽く城の上階にある姫の部屋に向かった。
大樫からできた、一枚板の大きな扉の前に立ち、ノッカーを慣らして入室の許可を待っていると、なぜか、聞き覚えのない声でその許可が出た。
この部屋から、二人以外の声が聞こえたことに驚き、恐る恐る顔を出したマーヤは、その直後、部屋に飛び込み、慌ててびしっと敬礼する。
そこにいたのは、クラリスと名乗る時の団長だった。
今日は、黄色のドレスを可憐に着こなし、髪もしっかりと巻いてある。いつもながら、女性以上に女性らしい。
黒騎士団に所属する女性達は、それなりにおしゃれも楽しむ人は多いし、美容には気を使うが、この姿の団長を見たとたんにその意欲が削がれるというのは有名な話である。
「お、おはようございます団長!」
緊張で、多少上擦った声で挨拶したマーヤを一瞥し、クラウスは紅茶のカップを持ったまま、頷いた。
「おはよう」
「あ、あの、サーレス様は今朝はいらっしゃらないのでしょうか」
「今、着替え中だ」
「では、こちらでお待ちしてもよろしいのでしょうか」
クラウスは頷いた。
それにしても、なぜ団長がここで、この姿で、優雅に紅茶のカップを傾けているのだろうかと、呆然と立ったまま、サーレスが姿を見せるのを待っていた。
「……マーヤ、来てたのか」
奥の衣装部屋から、待ち望んだ人の声が聞こえ、改めて顔を上げ、そちらに敬礼を向けた。しかし、その姿のまま、マーヤは声もなく立ちすくんだ。
その純白のドレスが花嫁の衣装だというのは、すぐに分かった。
花嫁の衣装としては珍しいほど大胆に胸元を大きく開けているが、その形は今のカセルアで流行のデザインである。形のいい胸が大きく張り出し、きゅっと締まった腰をより強調する腰元へのなめらかなカーブは、裾に向かうにつれて再び広がり、刺繍とレースであしらわれた花が、川に流れるように緩やかにゆれている。
頭上と胸元には、どちらにも大粒の緑の宝石があしらわれた銀の宝飾品が輝き、ごてごてと飾り付けられていない上半身を、その輝きで彩っていた。
大変美しいドレスだった。確かに着ている人の魅力を最大限に引き出している。ただ、その着ている人が、サーレスだというのが、マーヤに驚きを与えていた。
今見ている女性の体は、女の自分から見ても思わず手が出そうなくらいに形良く整い、妖艶な魅力を放っているのだが、いったいこの胸は、日頃この人の体の、どこにしまわれているのだろうか。
愕然としているマーヤに、あまりの反応のなさにさすがに心配になったらしいサーレスが声をかけた。
「どうした、マーヤ。大丈夫か?」
「だ、だいじょう、ぶ、です……」
混乱が声にまで出てしまったマーヤは、思わずうつむいてしまった。
しかし、そんなマーヤの反応に、不安に思ったのかサーレスは自分の体を改めて見下ろした。
「なあ、クラリス。やっぱりこれ、胸元開きすぎじゃないか?」
「今のカセルアの流行は、もっと開いてます。半分見せて、下をギュッと押し上げて胸を強調するのが流行なんですけど、私はあの形はあまり好きではないので、あえてその形にしてみたんです。それなら、コルセットは着けなくてもあなたの腰なら大丈夫ですし、胸の形そのままの方が、あなたに似合いますし」
「でも、これはさすがに、胸をそのまま見られてるようで落ち着かないんだ。もうちょっと、こう、せめて真ん中くらい隠せないか」
見事な胸の谷間を、白い絹手袋に覆われた手でそっと隠すサーレスに、クラウスが近寄って、手元にあったレースでくるりと飾りを作り、その胸元に簡単に縫い付けた。
「こんなものですか?」
「も、もうちょっと隠して」
「……それなら、もっと大きな花を布とレースで作ってひとつ付けましょうか。リボンよりは、花のほうがこの雰囲気なら合いますし」
「それなら、こちらのショールを使ってみてはいかがですか」
ユリアが、クラウスに、薄衣のショールを渡す。
「マント代わりに、袖に付ける予定ですけど、胸元に花で止めて、左右に流してはいかがでしょう。そうすれば、胸元を飾りながら、あからさまに胸の形が出なくなりますよ」
「それなら、もう少し透ける素材の方がいいかもしれませんね。せっかくの細い腰が、この厚さだと隠れてしまいますし」
「では、レースでお試しになりますか?」
「今から編んで、間に合いますか」
「白のレース編みなら、いくつか王妃陛下から届けられています。お持ちしますね」
ユリアが早足で衣装部屋に姿を消し、その場にはクラウスとサーレス、そしてマーヤが残された。
「どうかな、マーヤ。似合うかな」
「は、はい! とても美しいです! お似合いだと思います!」
先程の失敗を取り戻すべく、張り切って答えたマーヤに、サーレスは微笑んだ。
「やっぱり、作った人の腕がいいんだな」
足元に跪き、ドレスの裾の長さを調整していたクラウスに、サーレスは視線を向けた。
「……ドレス、団長が作ったんですか!?」
「基礎はな。デザイン画をユリア殿に渡して、型紙をサーレスの体に合わせて作ってもらった。王妃陛下が、手ずから刺繍を入れたいと仰ったから、カセルアに行っている間に基本を縫い上げて、刺繍を入れた上で持って来てもらって、改めて縫い合わせた。ちゃんと体に合わせるのは今日が初めてだ」
「どうかな。あなたが思った通りに仕上がっているのかな?」
「もちろんです。あちらの皆さんは、刺繍もお上手ですね。予想以上です」
「奥の宮に勤めていた侍女達全員が入れてくれたらしい。一番大きい刺繍が、母上のものだ」
「さすがです」
「そういえば、刺繍はできるだけたくさんの人数が入れた方がいいとか言ってたんだけど、クラウスも入れるのか?」
「ええ、もちろんです。仕上げは全部私がしますよ」
「……黒騎士の女性達は、刺繍入れられないのかな」
ぴくん、と、クラウスの動きが止まった。
マーヤも、ビクンと硬直している。
「……うちの女騎士たちは、さっぱりできませんよ。私は、会議中に自分のドレス用の刺繍やレース編みをしてますけど、女性隊長達には、毎回化け物でも見るような目で見られます」
サーレスは、そっとマーヤに視線を向けた。それを受け、ますます硬直したマーヤは、かくんと直角に頭を下げた。
「……す、すみません。私は不器用なので……刺繍できません!」
「……そうだよな、私もできない」
「貴族の令嬢として育てられると、日中大半、刺繍か本を読むかになりますよ。週に何回か、ダンスの練習するくらいで、ほとんど動きません」
「……退屈そうだな」
サーレスの、何とも言えない表情を見て、クラウスは吹き出した。
「あなたには、無理な生活ですね。でも、そんな生活をしていれば、どんなに下手でも、一通り基本的な刺繍はできるようになると思いますよ」
「あ~……できなくていいや」
あっさり諦めたサーレスに、優しい瞳でクラウスが告げる。
「あなたの分は、私がすればいいだけですから。ちなみに、簡単なものなら、ホーフェンもできますよ。ただ、今回はさすがに花嫁衣装なので、他の男にやらせるわけにはいきませんけど」
「……なんで、ホーフェン……」
「私が手伝わせましたから。ホーフェンは、しっかり教えさえすれば、器用なのでなんでも出来ます」
あっさり告げたクラウスに、サーレスはもとより、マーヤまで気の毒そうに顔をゆがめた。
「ほんとに、ホーフェンって、なんでもできるんだな……」
黙々とドレスを直すクラウスの頭を見ながら、器用の一言では言い表せないホーフェンの苦労を、少し垣間見た気がした。
汚してはいけないからと、普段着に戻ったサーレスには、やはり何度見ても胸はない。
マーヤは、じろじろ見るのは失礼だと分かっていたが、どうしてもそのすっきりとしてしまった胸元に目が行ってしまい、ソワソワしていた。
そんなマーヤの態度にも、特に気にすることはなく、今日はクラウスが入れた紅茶を傾けながら、サーレスは微笑んでいた。
「昨日、宝飾品と、当日使う下着と靴を持ってきてくれたんだ。宝飾品が出来上がるのが、少し遅れて、私の出発に間に合わなくてな。せっかくならと、母上が、私があちらを出た時の体型に合わせた下着も用意してくださったんだ。さすがに、ドレスをクラウスが縫うことは認めても、下着はだめだからな」
「あ、だから今日、仮縫いをなさってたんですね」
「ああ。やっぱり、当日身につけるもので合わせた方が、ちゃんとできるからな」
「サーレスのドレスは、動けるように部位ごとに計算して作っているので、下着の厚みも重要になりますから」
それぞれのお茶を用意して自分の席に戻ったクラウスが、にっこり微笑んで相槌を打つ。
それを見ながら、サーレスは、ほんの少し疑念を持った表情で、クラウスに問いかけた。
「……なんか、あの下着、やけに薄いんだけど、そんなものなのか?」
「そんなものです」
クラウスは、自信に満ちた表情で頷いた。
有無を言わせぬその態度に、後ろに控えていたマーヤとユリアは、二人揃って慎ましく口をつぐんだ。
しばらくそのまま、紅茶の味利きをしていたのだが、突然、サーレスとクラウスの二人が、同時に静止した。
その様子に、マーヤとユリアは、訝しげに周囲を窺った。
「……何の騒ぎだ?」
サーレスがそう口にしたとたんに、城の登楼の鐘が、町中に聞かせるように大きな音を響かせた。
その音を聞いたマーヤの表情は、嬉しそうに輝いた。
「これは、部隊の帰還を知らせる鐘ですよ!」
「部隊……ということは」
「軍務長が、部隊を連れて帰ってきたようです。あの部隊は、街に来る隊商の護衛も兼ねているので、その帰還が街中に分かるように鐘を鳴らすんです」
そう説明したクラウスを補足するように、マーヤが頷いた。
「小さな頃から、この鐘が鳴ったら、大通りに出て、補給部隊の皆さんをお出迎えしていたんですよ。この町に住む人にとって、補給部隊の帰還は、お祭りみたいなものなんです」
「いろんな場所から商人を護衛して連れてくるので、今日からしばらく、街には各国から集められた商品が並ぶ市が立ちますよ」
二人の話を聞いて、サーレスはユリアに視線を向ける。
その、何かを懇願するようなサーレスの視線を受けたユリアは、にっこり笑って、首を横に振った。




