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花籠の道と黒の小石  作者: 織川あさぎ
第二章 ノルド篇
20/40

10

 サーラ姫がブレストアのノルド城に来て、数日後。


 城の使用人達の間では、相変らず寝たきりな姫を心配しつつ、新しく城に住むことになった変わった従者の話題で持ちきりだった。

 その人は、午前の慌ただしい掃除が終わり、朝食後の食堂でおしゃべりに興じていると、ひょっこりと顔を出す。

 執事からの通達で、その人は女性だとはわかっていたが、目にまぶしい王子様風の彼女に、女性の使用人達は、揃って夢中になった。

 彼女は、全員に行き渡るようにと、ひとりひとりに直接菓子を渡して、にっこり微笑む。

 そして、使用人達の輪に交じり、ほんのちょっとした愚痴や、流行の話などを、嬉しそうに聞いていくのだ。

 廊下や庭ですれ違っても、一度自己紹介をした使用人の名前は覚えているらしく、気さくに声をかけてくれる。

 彼女は、これは姫の望みだからと、どんな仕事をしている使用人にも、気を配っていくのである。


 そして、男性使用人は、サーラ姫の侍女であるユリアに夢中だった。

 ユリアは、特別に使用人達に話しかけたりしたわけではなかったが、美人で働き者の有能な侍女は、あっという間に城に溶け込み、笑顔で何人前もの仕事を一人でこなしては、みんなを驚かせ、その存在を印象付けた。



 今日の挨拶も一通り終わり、近くに使用人がいないことを確認したサーレスは、手に持っていた菓子を行儀悪く立ったまま口にした。

 

「また、サーレス様はお行儀の悪いことをして。もうカセルアではないんですし、人妻になられるのですからだめですよ」

「……ユリア、調子はどうだ?」


 傍に控えていたユリアが、そんなサーレスの行儀悪さを見咎めながらも、今日見てきた場所について簡単に説明した。


「今日で、使用人に関しては、一通り顔は見られたと思います。建物の構造は、さすがにカセルアと勝手が違っていて、把握には時間がかかりそうです」

「そうか。使用人の顔を出来るだけ覚えておきたいから、出来るなら人数を教えてくれるか。後、各人の配置位置も」

「では、もう少し、歩いて覚えておきます。おまかせ下さい」

「迷子にはなるなよ。カセルアの王宮女官が余所の城で迷子になりましたというのは、さすがに噂として流れるのは遠慮したいからな。構造に関しては、詳細なものは結婚したら後でもらえるはずだし、カセルアに帰るお前が覚えるのは、あちらも歓迎はしないだろうから、ほどほどにな」

「わかりました」

「……そういえば、ルサリスは、先にこちらに来て植えられてるんだよな。どこにあるんだろう? 城にはないようだったが」

「街に向かう階段近くに、庭師が温室付の家を頂いて、そこに植えられたそうです。その場所は、階段状に家が建ち並んでいて、このノルドの中で、最も日当たりが良い場所なんだそうです。そちらで、ある程度株の生育状況を見て、どこに植樹をするかを決定するんだそうです」

「それは、誰から聞いた?」

「執事のヴォルフェさんです」


 その返答に、サーレスは頷く。少なくとも、他の誰かに聞いたなら、一度確認に行かないといけないかと思ったが、城の全てを司っている執事の言葉なら、ある程度信頼が出来る。


「それなら、ルサリスは大丈夫だな。陽の光と水があれば、花の色はどうあれ、咲きはするんだし。さて、それじゃあ、そろそろマーヤが帰ってくるな。帰るか、ユリア」

「はい」


 にっこり微笑んだユリアは、サーレスの背後に付き従った。



 サーレスは、人が一人、そこに存在しているように見せかけるのが、どれだけ難しいのかを理解していた。

 寝たきりだからといって、生きている限り、食事は取らなければならないし、そこに人がいれば、次第に汚れもする。

 無いものを、さもあるように見せかけるのは、かなり高等技術なのだ。その期間が長ければ長いほど、どんなに隠しても隠しきれなくなる。

 それを、使用人達全てに隠したままでいるのは、もっと難しい。

 使用人というのは、意外と細かく、主の動向を見ている存在なのだ。

 たとえ、姫の部屋がある階を使用人まで全て立ち入り禁止にしていたとしても、彼らの元に集まる食器や寝具、他の細かな情報だけで、経験のある使用人達だと、本当にいるのかいないのか、推測できてしまうのである。

 人の好奇心は、抑え辛い。

 もし、使用人達が姫の存在を疑いはじめれば、おそらくあっさりと、隠しておきたかったものは表に晒される。密偵がいると思しき今の状況だと、それはなおさらだ。

 だから、二人は先手を打つことにした。

 自分達の存在によって、その後ろの虚構の姫を作るために。

 使用人達の動きを把握するために、二人はまず、従者と侍女として、この城の使用人達全てに、その存在を印象付けて行く事にした。

 そして、時間がゆるす限り、城のあらゆる場所で使用人達に笑顔を振りまきながら、城内の情報を集めていたのである。



 マーヤは今日も、訓練が終わると、慌てて部屋に帰って身繕いをして、姫の部屋を訪ねた。

 姫の従者となった翌日から、マーヤの一日は急激に変化した。

 早朝からの厩舎の手入れと、その後の基礎訓練まではいつもと同じだが、それが終わると城に戻り、サーレスの元で勉強と訓練をするようになった。


 部屋には、サーレスと、お茶の用意をしながらユリアが待っていて、お茶を飲んだら、訓練開始である。

 

 最初に訓練を始めた時、サーレスはマーヤに、なぜか小ぶりな釣り竿を握らせた。

 その場には、サーレスの他に、クラウスもいて、クラウスは首を傾げながらサーレスに質問した。


「……なぜ訓練で、釣り竿なんです?」

「握りがあって、細いから。これを振りながら、本人の手に合わせて持ち手の太さを調節するんだ」

「それなら、ただの棒でも出来そうですが」

「釣り竿は、しなるだろう? だからその分、棒きれより細くても、力を使うんだ。釣り竿の太さなら、マーヤの手でもしっかり握れるし、握力の訓練になる」


 子供の頃の愛用品だというその釣り竿を、軽快にしならせながら、にこやかにサーレスは説明した。

 マーヤは、ひとつも迷わず、その釣り竿を手に取り、しっかりと握りしめたのである。



 そして今日も、その釣り竿を握っていた。

 振る度に、少しずつサーレスが布で調節したおかげで、その釣り竿の握り部分は、初めの頃より太くなっていたが、その分マーヤの手にしっくりと馴染んでいた。

 最初に命じられたとおり、その釣り竿をサーレスの横で振ってみせると、サーレスは頷きながら微笑んだ。


「それで握りは大丈夫そうだな。そろそろ武器を作らないといけないんだが、武器はどうやって調達するんだ?」

「ええと、各隊の隊長が、隊員の申告で発注してくれます」

「マーヤの場合は、グレイか」

「そうですが……見習いは、本来、配給されたものを使用することになるので、正騎士にならない限り、発注はしないんです」

「大丈夫。マーヤの武器は、私が頼むものだからな。最も、どこまで調整が出来るのかがわからないんだよな。……クラウスに頼む方が良いかな」

「で、でも、団長だって、隊長達と同じ鍛冶屋が武器を作っていますよ? 隊長達に頼むものと、それほど変わらないのではないんですか?」


 そのマーヤの言葉に、サーレスは苦笑した。


「クラウスは、だいたいどんな武器でも普通に使いこなすだろうが、愛剣となると話は別だ。あの人の武器は、二本ある。その両方を、同時に使うために、重心と長さが、ものすごく慎重に調整されてあるんだ。あの人が納得できる武器を作れる鍛冶屋なら、マーヤの武器も普通に作れるはずだ」


 そして、あっさりと、クラウスに注文してもらうからと言い放ったサーレスに、マーヤは恐れおののいた。

 まさか、自分の武器が、団長の手まで煩わす大事になるなど、マーヤは思っていなかったのである。



 カセルアから姫が来て以降、キッチンの人々は、夕食後、試作品の料理を用意するのが恒例になった。

 姫の従者を名乗る女騎士が、毎日気楽な様子でふらりと顔を出すのだ。

 彼女は、その試作品を食べて、率直な感想を述べ、その料理に合うワインを物色して、料理とワインを手に部屋に帰っていく。

 姫が来るのが決まった翌月から、大量の酒がカセルアから届けられていたのだが、どうやらこの従者の私物だったらしい。送りつけていたその酒を、惜しげもなく料理人達にも振る舞うので、料理人達は密かに彼女の訪れを喜んでいた。

 今日も彼女はやってきて、晩餐では出していなかったつまみを、嬉しそうに味見していた。


「へえ、今日は鴨か。……味付けは塩だけなのか。でもうまい」

「昨日、弓兵隊が取ってきたものですよ。他は燻製にしましたけど、せっかく新鮮ですしね。この近くに、岩塩が取れる場所があるんです。塩はそこのものですよ」

「うん、うまい。塩が近くで取れるのはいいな」

「それはよかった。こっちのソースも試してください。これは、カセルアから届いたハーブで作ってみたんですよ」

「カセルアとは、ハーブの組み合わせ方が少し違うかな。でも美味いよ。料理長は、何を作らせても上手だな。これならカセルア王宮の料理長と、良い勝負が出来るよ」

「恐れ入ります」

「じゃ、ちょっと酒蔵に行ってくる」


 キッチンを抜け、地下にある酒蔵に入り、その人が持ってきたのは、カセルアの白ワインだった。その場に残っていた料理長とその部下二人にも、一杯ずつ振る舞われる。


「それにしても、カセルアからたくさん持ってきましたね、お酒。全部私物でしょう?」


 彼女は、料理長が作ったもう一品を口にしながら、にっこり笑った。


「私は全部は持ってくるつもりはなかったんだが、場所を取るからと送りつけられたんだ。まあ、ここの酒を消費しなくてすんだし、よかったよ」

「なんだったら、ここのワインを飲んでもらっても構いませんがね。ブレストアのワインは、少々香辛料がきついですから、慣れない人には飲みづらいかもしれませんね」

「そうかな。団長殿にもらったのは、飲みやすかったけど」

「ノエル殿は、アレでも貴族の産まれですからねぇ。舌はお上品ですよ」

「じゃあ明日は、ブレストアのワインに合う一品を用意してもらえるとうれしいかな。ついでにワイン付きで」


 にっこり微笑む彼女に、料理長達はにこやかに了承の返事をした。



 サーレスが、ご機嫌な歩調で料理とワインを持って部屋に帰ってくると、いつものように部屋の前にはクラウスが立っていた。

 クラウスは、サーレスが晩酌するのに、毎日付き合って、仕事に戻っていくのである。

 サーレスも初めは、無理に付き合わなくてもいいと言っていたが、どう言っても来ているので、あっさりと諦め、カップもふたつ用意するようになっていた。


「待たせたかな」

「それほどでもありませんよ」


 にっこり微笑むクラウスに扉を開けてもらい、中に入る。

 一週間もいれば、その場所には人の個性が表れる。その部屋から、サーレスの確かな気配を感じ、クラウスはうれしそうに微笑む。


「今日はずいぶんご機嫌だな」

「あなたもですね。私は、あなたがうれしそうだと、機嫌が良くなりますよ」

「そうなのか」


 クスクスとサーレスが笑う。

 手元に、陶器のカップが二つ置かれ、サーレスはクラウスの分もワインを注ぐ。


「そう言えば、頼みたいことがあるんだ。マーヤの武器を、作りたいんだけど」

「……あの釣り竿ですか。握りの部分は完成したんですか」

「ああ。それで、急いでもらいたいんだけど、細剣は注文できるかな」

「細剣、ですか? 騎兵が使うには、少々難しいと思いますが」

「マーヤに必要なのは、即実戦で使う武器じゃなく、あの子が自信を持って振れる武器だ。その一振りがあれば、あの子はどんな武器も学ぶことができるようになる。それに、剣舞で使うわけだから、華やかな細剣というのは、向いてると思うんだ」


 にっこり微笑むサーレスの顔を、クラウスはほんの少し悔しさを滲ませた表情でのぞき込む。


「サーレスは、マーヤが気に入ったようですね」

「素直でかわいいよ。あなたとふたつ違いというのが信じられないくらいだ」

「私はかわいくないですか」

「かわいいけど、あまり素直じゃないだろう」


 クスクス笑うサーレスに、クラウスは拗ねたようにカップに口を付けた。 

 そんなクラウスに、サーレスは手を伸ばし、頭を撫でた。


「でも、変わる必要はないからな。あなたはそのままでいてくれた方が、私は嬉しいから」

「……素直じゃないのが良いんですか」

「素直すぎると、逆に恐ろしく感じる。ぜひ今のままでいてくれ」


 真剣な表情でそんな事を告げられ、さすがのクラウスも吹き出した。

 クラウスが、こうも笑いっぱなしなのも珍しいので、さすがのサーレスも困惑しはじめた頃に、ようやく笑いが収ったクラウスが突然告げた。


「この城の構造は、覚えられましたか?」


 突然のその言葉に、サーレスは、一瞬笑顔を消して、肩をすくめた。


「やっぱりわかってたか」

「結婚したら、構造図はお渡しする予定でしたが、この調子だと、ご自身で作られましたか」


 ここ数日、ユリアと二人がかりで歩き回り、詳細なこの城の見取り図を作り上げていたのは、どうやら城主にはお見通しだったらしい。

 サーレスは、自分の書き物机の傍から、一枚の紙を持ち出した。

 描かれていたその地図に、クラウスは感嘆の声を漏らした。


「よくまあ、ここまで細かく描けましたね。……あ、抜け道の入り口も描いてありますね」

「さすがに、中までは調べてないけどな」


 苦笑したサーレスを見て、クラウスは首を傾げた。

 刺繍よりも、よっぽどこちらの方が細かい作業のような気がするが、どうやらサーレスは絵を描くのは上手らしい。


「抜け道に関しては、ひとまず見つけたものだけを、目印に描いただけだ。さすがに、どこに繋がってるかもわからないうちから、飛び込む趣味はない」

「結婚したら、こちらが把握しているものをすべてお知らせします。ただ、私達も、全ては把握できていません。お知らせした後、詳細不明なものを見つけたら、調査しますので教えてもらえますか」

「それはもちろんだ」

「あと……ここ数日で、なにか、不審な点は見つけませんでしたか?」

「……それは、人のことかな、それとも建物のことかな?」

「両方です」


 サーレスは、クラウスの表情を見つめ、首を傾げた。


「あるにはあった。建物は、ここ最近、比較的頻繁に使われた形跡のある抜け穴。人は……確定じゃないが、嫌な印象の子が一人」


 クラウスは、それを聞き、表情を消した。


「ユリアにも確認させたが、ユリアの方はそれほど違和感を感じないと言っていた。だからこそ、おかしい」


 クラウスは一度、この人の勘の鋭さを見ている。

 自分が見つけられなかったものを、この人は見つけることが出来るのを知っている。


「……どこにいましたか、それは」

「洗い場だ」


 それを聞き、クラウスはしばらく沈黙した。


「……わかりました。他にも怪しいと思うことがあったら、教えていただけますか」

「それは構わないが……カセルアの方式が通用するかどうかは、わからないぞ。他国に来たことで、見分け方にも変化が必要だったかもしれないわけだし」


 サーレスの、珍しいほど自信がなさそうな表情を見て、クラウスは微笑んだ。


「あなたが見つけたら、私が裏付けを取れば良いだけのこと。問題ありません」


 安心したように笑うサーレスに引きつけられるように、クラウスはその身体をそっと抱き寄せた。

 十分その温もりを堪能して、耳元で呟く。


「……そういえば、ドレスの仮縫いの件なのですが」


 ビクンとサーレスの体が揺れた。


「……やらないと、だめか?」

「やらないと、中途半端に着辛いものができるかもしれないですよ。日頃あなたの服を仕立てているわけではない私が作るわけですし」

「でも確か、ユリアが基本のドレスは作ったんだってきいてるぞ?」

「ええ。白いドレスに、カセルアの方々が刺繍したものが基本になります。デザイン自体は私がしておいたものなんですが、ちゃんと考えた通りの形になったのかは、実際に着ていただかないとわかりません。お付き合い願いますよ」

「……どうしても?」

「はい、どうしても」


 頬に口付けられ、それ以上反論できなくなったサーレスは、曖昧に頷いた。


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