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花籠の道と黒の小石  作者: 織川あさぎ
第一章 ドミゼア篇
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「マージュはいるか」


 黒騎士団に与えられた部屋に足を踏み入れたクラウスは、開口一番、そう尋ねた。

 今日、自分と共に王城に入ったホーフェンは、丁度お茶の時間だったらしく、紅茶のカップを傾けながら、視線を周囲に走らせた。


「俺がここに来てからは見てないが、マージュも来てるのか?」

「国王に情報を届けて、そのまま足止めされてるらしい」


 クラウスの言葉に、部屋にいた面々が、全員揃って気の毒そうにため息を吐いた。


「ここの国王様も、相変らず鷹揚だなぁ。マージュを城で放置って、羊の群れを狼に番させるようなものだろうに」

「喜々としてどこかに潜り込んでるだろうな。仕事じゃなくても」


 全員が同じ意見とばかりに、うんうん頷いた。


「つまり、ここには顔を出してないんだな?」


 全員が頷いた。


「まあ、マージュも、お前が来たことには気付いてるだろう。すぐに顔を出すんじゃないか?」

「そうだな……。まあ、それはいい。ホーフェン、仕事だ」

「なんだ?」

「ドミゼアで問題が起きた。すぐに、ドミゼア方面の情報がいる。それと、今あそこに、黒騎士はいないか?」

「マージュの所はどうか知らんが、俺の部下は入ってる。どうかしたか」

「動かせるか?」

「動くのは問題ない。なにをするんだ?」


 尋ねられ、クラウスは、一瞬だけ言いよどんだ。その事で、ホーフェンは不思議そうな表情を見せたが、次の言葉でその表情を一変させた。


「フラガンが、人を送り込んで騒ぎを起こしたらしい。それを確保したい」


 その言葉に、その場にいた全員が、息を飲んだ。

 ホーフェンは、沈黙したまま、紅茶を口に含んだ。己を静めるかのように目を閉じ、そして、小さく首を振る。


「……うちのは、確保は無理だ。ただでさえ、生かしたまま連れて帰るのは難しいのに、その手の仕事は慣れてない。その情報、マージュが持ってきたのか」

「そうらしい。やっぱり、確保は、マージュに任せた方が無難か」

「そうしてくれ」


 ホーフェンは、あっさりと告げた。


「わかった。それと、ドミゼアの貴族に関して、動向調査を。ホーセル、アルバスタにすり寄る者を特定したい。こちらは任せても大丈夫か」

「それならまかせろ。ここ五年ほどのドミゼア方面の情報をよこせ」


 後ろで控えていた従騎士たちに指示したホーフェンは、静かに立ち上がった。

 この控えの間にいるのは、みなホーフェンの直属の部下達だ。王宮に詰めている黒騎士は、ホーフェンの部下か、マージュの部下である情報管理室付きの騎士のどちらかになる。

 黒騎士団とブレストア王国では、使う密偵が違うので、入手する情報も変わってくる。お互いの情報の遣り取りを円滑にするために儲けられていた場所だったが、現在ブレストア王国の密偵は、ほぼ使い物にならなくなっていた。

 故に、現在、黒騎士の密偵は、ブレストアの密偵も兼ねている。


「特定できるまで、俺はここに残る。追加の情報があったら、送ってくれ」


 部下が持ってきた書類の山に、ため息ひとつで挑むホーフェンに了承の返事をしたクラウスは、ふと、扉の外の気配を感じ、振り返った。

 それとほぼ同時に、部屋にノッカーの音が響く。


「お茶をお持ちしました」


 その声を聞き、クラウスはホーフェンの手元を見た。

 この部屋には、お茶を頼むような者はホーフェンくらいしかいないが、そのホーフェンがすでにお茶を手にしている。

 不思議に思いながらも、扉近くにいた従騎士に扉を開けさせると、そこからワゴンと共に、男性使用人が静かに入って来る。

 その顔を見て、クラウスは首を傾げた。


「なにしてるんだ、マージュ? 声まで変えて」

「お帰り、ノエル。見てわからないか。お茶を用意している」


 その言葉どおり、ブレストア王宮の、男性使用人のお仕着せを身に纏ったマージュは、慣れた手つきでこの部屋にいた全員のお茶を用意した。


「たまには、これをやっておかないと、忘れちゃうからねぇ」


 丁寧な物腰も、迷わない手つきも、マージュのことを知らない者が見れば、使用人であることを疑う者はいないだろう。それだけ、堂に入っている。

 この大陸で最もよく見られる、茶色い髪に茶色の瞳。中肉中背の、どちらかといえば細身の体。一旦人混みに紛れてしまうと、知人であろうと目を懲らしてもどこにいるのかわからなくなるほど溶け込みやすい容姿は、実はクラウスにとっては憧れのものである。

 凡庸な中年男、それがマージュだった。

 この風体で、歴代で最も優秀と称えられるほど、密偵の技と暗殺術に長けている。

 黒騎士団は、前歴をまったく問わない集団だが、その中でもこの人は、類を見ないほど謎に包まれた人物だった。


「はい」


 笑顔で渡された紅茶のカップを手に、クラウスは暫し思案した。

 ホーフェンにも、持っていたカップと入れ替わりに新しい物が渡される。

 全員に、同じようにカップが渡され、この場にいた騎士たちはゴクリと唾を飲んだ。 


「なんだい。いくら私でも、味方に毒は盛らないよ」


 にっこり微笑むマージュの、目元の皺を見ながら、クラウスはカップを傾けた。

 詮索しても仕方がないし、この相手の表情がまともに読めた試しもない。とりあえず、飲んでみないと始まらない。

 それを見た他の隊員も、続くように恐る恐る口をつけ、目を見張った。


「……マージュ。これ、今まで飲んだことがないんだが、どこの物だ?」


 ホーフェンの、驚きに目を見張る表情を見ながら、マージュはうんうんと満足したように頷いた。


「そりゃそうだろうねぇ。カセルア王国の、王女領のお茶だから」


 その場にいた全員が、一斉にマージュを見つめた。


「カセルアの王女領の品は、全て王家に納められるはずだろう。まさか、盗んだのか?」

「失礼だねぇ。私は情報は盗んでも物は盗らないよ」

「じゃあ、どうしたんだこれ」


 ホーフェンの言葉に、あっさりとマージュは解答を告げた。


「もらったんだよ」

「誰に」

「カセルア国王イグリス=エトス=ラト=カセルアご本人から、直々に」


 あまりに驚きすぎると、とっさに何もできないというのは、訓練された者達にも当てはまるようだ。

 クラウスも含め、全員が、顎を落とした。


「……マージュ、まさか、カセルア王宮に入ったのか!」

「ああ。まあ、入って一時もしないうちに、あっさり見つかってねぇ。しかも国王に」


 なにしてんだ! という全員の叫びをあっさりと受け流し、マージュはやれやれと肩をすくめた。


「深夜に忍び込んだのに、いきなり国王がでてきて、隠れている方を見上げてきたと思ったら、『そこの黒狼君、ちょっとお茶でも飲んでいかないか』だ。危うく、屋根から落っこちるところだったよ。あれほど隠れている自分がばからしく思えたことはないね」


 飄々とした態度のマージュに、クラウスは視線を険しくしたまま詰め寄った。


「何を調べに行った、マージュ」

「お前の事を、どれくらい調べてあるのかと思ってね。まあ、中に入る前に、見つかったわけだけど」

「マージュ。私にはさんざん、カセルア王宮には入るな近づくなと言ってただろう。なんでまた……」  

「お前が求婚に行くのは、あちらにとっては不測の事態だった。だから、どれくらい調べてあるかで、あちらの、警戒度がわかるかと思ったんだよ。お前、カセルアと密約したんだろう?」

「ああ」

「一応、あちらの思惑を知っておくのも、仕事だと思ってねぇ。まあ、あそこの王宮は相変らずだったよ。ほんと、お前、どうやってあそこに入りこんでたんだい?」

「そう言われても……普通に入ってた」

「それで見つからずにいられた方が、信じられないよ」


 ふう、とため息ひとつ吐いて、マージュは手近にあった椅子に腰を下ろした。


「カセルア王が、今後はちょっとだけ、黒狼に情報をあげる、だと」

「なんだそりゃ?」

「あちらが言いたいことをまとめると、『一応、娘婿の所だから、情報あげる。ただ、奥の宮は、王妃管轄になるから、手を出すな』ってことらしい」


 マージュの言葉に、クラウスとホーフェンは、ほぼ同時に同じことを閃いた。


「まさか、今回のドミゼアの情報、カセルア王からもらったのか」

「あたり」


 マージュは、苦笑しながら、クラウスに視線を向けた。


「……あれは、カセルアを経由して、ドミゼアに入ったらしい。その過程で、カセルアも、あれに情報を持っていかれたそうなんだ。でも、元々ブレストアの、そして黒騎士の獲物だろうからと、情報を流してくれたんだよ」 

「……情報を、盗られた? カセルアが?」


 信じられない思いで、呆然と呟いたクラウスに、マージュも困惑気味な表情で、首をかしげた。


「その詳細はさすがに教えてもらえなかったけれど、カセルアの密偵も動いているそうだよ。あちらでかち合ったら、協力してくれるそうだ」


 カセルアは、数十年、戦からは遠退いていた。内乱はあったが、他国に攻め入られなかったのは、それぞれの王の交渉術が、ずば抜けていたことが大きい。

 現在の王は、それがさらに洗練されている。情報収集とその分析も、当然ながら優れており、それを利用して王は各国との交渉を行っている。

 だからこそ、カセルアは、情報の取り扱いが他国より重要視されており、密偵などは徹底的に排除されてきた。

 それこそ、密偵にとってカセルア王宮は、入ったら出てこられない事で有名な場所だった。ごく稀に成功した者も、結局は見つかって捕らえられてしまう。どうやってそれを発見しているのかわからないため、対策も立てられない。

 カセルアに入る密偵は、街で噂を拾うことが仕事になり、王家の重要施設には絶対に入る事はない。噂程度なら、さすがに見逃してくれるらしく、これで捕まるようなことはないのだが、カセルア王家は、街に流れる噂ですら、ある程度掌握しているらしく、意図的に特定の相手に向けて流されている噂もあるのではないかというのが、マージュの見解だった。

 クラウスが初めて城に入る時は、もちろんこの事をわかった上で忍び込んだ。

 あっさり入れたのが不思議で、今まで聞かされた言葉が嘘のように、奥に入りサーレスを見つけられた。

 それ以降もたびたび入っていたのだが、それで見つかったこともない。

 クラウスが特別だったのか、それともクラウスの行動に何かカセルア側の探索を無効にすることがあったのか、よく分からないまま、今に至っている。

 そんなカセルアが、情報を盗られたことを把握していながら、まんまと相手を他国にまで逃がしたのが、不思議だった。


「……マージュ」

「ああ、はいはい。お前が行くんだね。あっちは今、エイミーに任せているから、新しい地図のたぐいはあちらの方が揃ってるよ」

「ホーフェン、繋がりがわかったら、その貴族に関する情報を出しておいてくれ」

「わかった。いつ出る?」

「明朝には。私は今から寝る」

「おまえが起きるまでには、全部揃えておいてやる。寝坊するなよ」

「時間まで決めて出るわけじゃない。普通に起きる」


 そうしてクラウスは、この部屋の隣にある控えの間に、一人姿を消した。


「……さて、どれくらいで起きるかな」


 肩を鳴らしたホーフェンに、マージュが肩をすくめた。


「あれは寝だめするから、たぶん、五時間くらい?」

「ま、どんなに早くても、三時間は寝るだろ。それで仕上げておけば間違いはないな」


 それからホーフェンは、書類に取り組んだ。

 しかし、予想外の事態によって、その時間の予想は全て覆されてしまったのだった。


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