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花籠の道と黒の小石  作者: 織川あさぎ
第二章 ノルド篇
19/40

 翌日、騎兵隊は、練兵場に一同集まって、騎兵長であるグレイからの訓辞を聞いていた。

 前日に入城した姫の事と、それに従ってきた騎士の話を、騎兵隊長である他の隊長も揃った場で、見習い達も全員が聞かされた。

 その場でマーヤが、姫の従者となる話を聞き、全員が驚きの声を上げたが、それ以外は粛々と受け入れられた。

 名を呼ばれたマーヤは、隊長であるグレイに、くれぐれも無茶はするなとだけ告げられ、力強く了承した。

 了承したはいいが、マーヤはそばかすの浮いた鼻の頭をかきながら、困惑していた。

 姫君の護衛に、女性が向いているのはわかる。だが、自分は全く戦うことができないのだ。寝たきりの姫で、ずっと城を出ないから、自分のようなお荷物でも勤まると思われたのかもしれない。困惑しながらも、隊長ができると思ったからこその采配だと信じ、やるしかない。

 全員が、日課の訓練のために、模擬武器を手に取り、型をはじめる。マーヤもそれに習い、端の方で、せめてこれくらいできるようになれと言われた小剣の素振りをはじめた。


 その、すぐあとだった。

 突然、正騎士たちの手が止まり、誰かを出迎えるように直立不動の姿勢を取ったのだ。当然、マーヤ達見習いも、そちらに視線を向け、息を飲んだ。

 その場に、見た事がない貴族の男性が立っていた。

 現団長クラウスは、大変な貴族嫌いだ。本人も貴族どころか王族の生まれなのに、とことんまでそれらを嫌っているのは有名な話だった。

 それなのに、見慣れないその貴族を、隊長達は敬礼して出迎えた。

 その人はゆったりとした歩調で近づいて来ると、隊長に対して軽く手を挙げ挨拶し、何か一言二言会話をしたあと、なんとマーヤの方に歩いてきた。

 その人は、マーヤの正面まで来ると、にっこり微笑んだ。


「あなたがマーヤ?」

「は、はい! マーヤ=レシュベルです!」


 慌てて敬礼し、上擦った声で返事をしたマーヤに、その人は、優しい微笑みを浮かべた。


「今日から、一緒にサーラ姫のお側に仕えることになる、サーレスだ。よろしく」


 ぽかんと口を開けたままになったマーヤに、頭上から手が伸ばされた。

 サーレスが、無言のまま、頭に手を置いて、なにやら考えていた。


「……あの?」

「歳は、確か十五だよな。まだ成長期だから、延びる可能性はあるな」

「あ、ありがとうございます!」


 そのまま、頭に置いてあった手は、腕を掴む。さすがに、マーヤも、見知らぬ男性に触られ、驚いて体を引いた。


「あ、あの!?」

「……あ、すまない、言い忘れていた。私は女だ」


 その言葉に、マーヤとサーレスを見守っていた見習達が驚きに声を上げた。


「女!?」

「信じられないなら、隊長達に尋ねてくれてもいいんだが」


 そう言って、サーレスがグレイに視線を送る。恐る恐る、周囲の見習いは隊長に視線を送り、頷くのを見て、愕然としたままサーレスに視線を戻した。

 サーレスは、そんな見習達の驚愕をものともせず、まるで何かを測るようにマーヤの体に触れていた。


「……体はちゃんとできているな。しいて言うなら、むしろこの歳なら、鍛えすぎか」


 そして、革の手袋で覆われた手が、そっとマーヤの手を取った。掌や手の甲、指の一本一本に至るまで、詳細に見て、触ったサーレスは、にっこり微笑んで、マーヤの頭を撫でた。


「この手を見れば、あなたが頑張っているのはよく分かる。一生懸命鍛えてるんだな」


 突然の笑顔の言葉に、顔が紅潮してしまう。


「あ、ありがとうございます。あの、でも、私は、あまり戦うのは上手じゃなくて……」


 思わず俯いて顔を隠したマーヤの手を、サーレスは撫でた。


「ただ、手が小さいんだ。今までの武器は、おそらく手に合ってないんだろう」

「……え?」

「親指が短い。これは、持って産まれたものだし、個人の努力でなんとかなるような場所じゃない。だから、あなたの場合、まず、自分の手に合う武器を見つけるのが先なんだ。あなたは、武器さえあれば、戦うことができるはずだよ」


 ぽかんとした表情で、サーレスを見つめるマーヤに、サーレスは苦笑する。


「あとは、握力を付けることだな。体や、四肢を鍛えるのは、十分すぎるほどだから。何か楽器でもできれば、指が鍛えられるし、女性の趣味としてもおかしくないからいいんだが」

「すみません……。私、不器用なので、楽器には触ったこともありません」

「料理も苦手だと言ってたものな」

「誰がそんなことを?」

「あなたの兄上だ」


 その言葉に、マーヤが愕然とした。思わず、隊長達の列にいた兄を睨み付ける。兄は、自分が睨まれているのに気が付いたのか、一旦視線を合わせたあと、さりげなく視線を逸らした。


「掃除は得意だとも言ってたよ」


 サーレスに、にっこりと微笑まれ、先程とは全く別の感情で、顔が真っ赤に染まった。長兄は、よりにもよって、カセルアから来た客人に対して、何を話し聞かせているのか。

 そんなマーヤから視線を外し、サーレスはグレイに向き直る。


「借りてもいいかな」

「ご随意に」

「おいで、マーヤ」


 手招きして、サーレスが先を歩いて行く。マーヤは、グレイに一度視線を送り、ぺこりと頭を下げ、小走りでそのサーレスを追いかけていった。



「あ、あの、どこへ行くんですか?」

「私の部屋だ」


 そのまま、先を進むサーレスに、急ぎ足でついて歩く。どんどん、城の上の階に向かっていくのを不思議に思い、周囲を見渡しながら、恐る恐る先を行くサーレスに話しかけた。


「あ、あの、ここ、団長の私的な場所ですよね? 入ってもいいんですか?」

「私の部屋もここにあるんだ。団長殿の部屋もこの階だが、入らなければ大丈夫だよ。というか、見習いはまだ、ここに来ないのか。騎士たちは普通に来てたから、わからなかったんだが」

「正騎士の中でも、一部の人にしか許されてません」

「でも、あなたはこれから、姫の従者になるんだから、ここに出入りが許されるよ」


 そう言われ、恐る恐る、周囲を見渡した。


「姫のお部屋も、ここにあるんですか?」

「そうだよ」


 そう言うと、サーレスはさっさと先に歩いて行く。

 慌てて追いかけ、ひとつの部屋に招かれた。

 そこは、美しい花の刺繍が入ったタペストリーが飾られ、鮮やかな色に覆われた、綺麗な部屋だった。

 そして、やけに広い。

 奥に扉があるのは、寝室とか衣装部屋だろうか。

 これが従者の部屋となると、姫の部屋は、この城の半分以上の広さがありそうなほどだ。

 二人が中に入る前から中にいた女性が、サーレスを見て頭を下げた。


「ユリア、この子がマーヤだ。マーヤ、彼女は、カセルアから来た、サーラの侍女だ。今日から、一緒にサーラの世話をしてもらうことになるから、よろしく」

「は、はい。マーヤ=レシュベルです。未熟者ですが、よろしくお願いします!」


 かくっとお辞儀したマーヤを見て、サーレスが笑った。


「お兄さんと同じだな、そのお辞儀」

「ユリア=カレイドです。私たちは、こちらの習慣になじみがありませんので、あなたのご助力を頼りにしてます。どうぞよろしくね」

「は、はい! がんばります!」

「そんなに緊張しなくても、大丈夫よ。ここには他に人はいませんから」


 ユリアが、優しく微笑んだ。

 マーヤは、その笑顔に、思わず表情が緩んだのだが、ふと、先程のサーレスの言葉に違和感を覚えた。

 ……サーレスは、今、主人である姫の事を、呼び捨てにしなかったか。

 その現象と、この部屋の風景をあわせた事実に、マーヤの表情が曇る。

 それに気が付いたのか、サーレスとユリアが、にっこり微笑み、マーヤを見守っていた。


「……あの、サーレス様。ひとつ、質問してもよろしいでしょうか」

「いいよ。言ってごらん」

「……ここは、姫のお部屋ですか?」


 サーレスは、にっこり微笑んだだけだった。

 マーヤとしても、まさかという思いが強かった。恐る恐る、サーレスの隣にいたユリアに視線が向かう。


「ここは、サーラ姫のお部屋です。そして、こちらにいる、サーレス様のお部屋でもあります。あなたの目の前にいるのが、サーラ=ルサリス=エル=カセルアご本人です」


 その言葉に、マーヤの全身が凍り付いた。


「なるほど、頭の回転は悪くないんだな。確かに、ロックの言った通りだ」


 完全に硬直したマーヤに、サーレスはにっこりと微笑んだ。



 あまりに驚きすぎて真っ白になっている間に、なぜかマーヤはお茶の用意されていたテーブルの前に座っていて、お茶を勧められていた。

 ユリアが入れた琥珀色のお茶は、色も香りも見た事がないほど素晴らしく、カセルアで今流行だという焼き菓子の味は、マーヤの口にこれでもかと幸福の香りというものを染み渡らせた。


「お口に合うかしら。今日、こちらの設備をお借りして焼いてみたの。使い慣れないものだったから、ちゃんとできているか不安で」

「と、とても美味しいです!」

「よかった」


 ユリアが、花がほころぶように微笑む。

 最初の衝撃もどこへやら。とても美人で優しげで儚げな彼女が侍女で、正面で、真剣な表情でお茶を味わう、一見王子様がサーラ姫であることに、ようやく目が慣れてきたような気がした。


「……やっぱり、種類がわからない。今日のこれは、どこ産のお茶なんだ?」

「ブレンドしました。リデラ産とクワ産を三対一で」

「……ずるいぞユリア」


 上目遣いでユリアを睨むサーレスに、ユリアは表情も変えず、そのサーレスを見返した。


「ずるくありません。特徴的な茶葉ですから、他のものよりわかりやすいんです」


 その様子に、マーヤも、恐る恐るもう一度お茶を口に含む。

 マーヤの知識に、茶葉に関するものはないので、お茶はお茶であり、とても香りがよくて美味しいという事しかわからない。

 マーヤまで難しい顔になったのを見て、サーレスは苦笑した。


「マーヤは気にせずに、楽しんでくれ。これは、母上から私への課題らしいから」

「課題ですか」

「花嫁修業の一環でやっていたんだが、どうしても、味の利き分けができなかったので、こちらに来ても結婚まで毎日やるようにと言われている」

「はぁ……。花嫁修業って大変なんですね」


 ぽかんと口を開けたマーヤを見て、ユリアが微笑んだ。


「どの花嫁にも必要というわけではありません。この方は、一国の姫でありながら、今まで真面目に学ばなかったためにこうなっているだけです。利き酒はできるんですから、お茶でもできるはずですよ」

「酒は、年代で出来は違っても、作った地方が同じなら、ある程度味の特徴は同じだ。それに、ブレンドなんてしないからな」

「天候によって出来の善し悪しはあるかもしれませんが、加工者が同じなら、茶葉の特徴もそれほど変わりません」


 渋面のサーレスと、微笑を浮かべたままのユリアのにらみ合いを、オロオロと見守っていたマーヤは、ふと隣りに感じた気配にちらりと視線をそちらに向け、息を飲む。

 ほとんど気配もなく、足音もなく、黒の団長服に身を包んだクラウスが、微笑みながら、いつのまにか隣りに立っていたのだ。


「楽しそうですね」

「……そうか?」


 憮然としたまま首を傾げたサーレスの隣で、ユリアは手ばやくクラウスの席を用意した。

 悠然とそこに腰を下ろし、ユリアの入れた紅茶を口に含む。


「……その紅茶、茶葉の種類わかるか?」


 真剣な表情でサーレスに問われ、クラウスはもう一度、紅茶を口に含んだ。


「リデラ産の茶葉に、すこしクワ産の茶葉が入っていますね。これは、ユリアさんのブレンドですか?」

「ええ。その通りです」

「なぜわかる!」


 唖然としたサーレスは、再び自分のカップを傾ける。

 マーヤも、さっぱりわからないなりに、首を傾げてもう一度紅茶を味わってみた。


「クワ産の茶葉は、香りはとても豊かなのですが、香りをしっかり出そうとすると渋みが出すぎてしまうんです。このお茶は、味も香りもリデラ産のものですが、残り香にクワ産が出ています」


 サーレスとマーヤが、似たような表情で首を傾げるのを、ユリアがくすくすと笑う。


「さすがですね」

「私は、貴族令嬢としてこれを学んだわけではありませんが、サーレスは覚えておいて損はないと思いますよ」

「なに?」

「私は茶の味利きは、マージュから学びました。マージュは、渋みがある飲み物は、毒をごまかしやすいので、本来の味を覚えろと言って、毎日弟子に茶を飲ませます。たまにほんとに毒を入れてくるのが、マージュの悪い癖です。おかげで、毒の味も同時に利き分ける事を覚えます」


 その厳しいとも言える教育方法に、その場の全員が唖然とした。

 まだ見習いで、ようやく騎兵隊に配属が決まったばかりのマーヤには、騎兵隊の隊長達以外には、あまり馴染みがない。

 団長であるクラウスなどは雲の上の人で、さらにはほとんど城にいない密偵の隊長となると、顔すらあやふやになっている。


「マーヤ。お前は密偵には引っ張られないだろうから安心しろ」

「え」


 不安が表情に出ていたマーヤが、泣きそうな顔でクラウスを見つめる。

 クラウスは、表情を変えず、静かに言い切った。


「一人仕事ばかりの密偵は、戦えない者には致命的だ。それがわかっているのに、マージュもわざわざお前を密偵として使おうとは思わない」


 団長からの言葉に、マーヤもさすがに衝撃を隠せなかった。自分が武器をなにも使いこなせないことは、団長にまで伝わっている。それが悔しくて、唇を噛んでうつむいたマーヤは、ただここで泣くまいと、表情に力を込めた。

 しかし、そのマーヤの頭に、優しい手が乗せられた。


「使えるよ」


 サーレスは、マーヤの頭を、優しく撫でながら、きっぱりと言い切った。


「ちゃんと、戦えるようになる」

「……うちの隊長達は、全員、マーヤの武器使用に関しては、匙を投げました。それでもですか?」

「ああ。私は、マーヤはちゃんと武器が使えるようになると思う。隊長達が教えられないというなら、私が教えよう。……マーヤ、頼みがあるんだけど、聞いてくれるかな」

「な、んでしょう……」


「私の結婚式で、神事の剣舞を頼みたい」


 マーヤも、そしてクラウスも、唖然としていた。


「私……普通に、素振りも、出来なくて……」

「あなたの方の神事は、カセルア出身の黒騎士にやらせるつもりだったんですが」


 二人の困惑を、笑顔のままで受け止めたサーレスは、マーヤの目をしっかりと見つめる。まるで言い聞かせるように、強い視線を向けたまま、断言した。


「本来、カセルアの王女である私のための神事は、カセルアの従者がやるべき事だ。だが、私はあいにく、その場の主役だからな。自分のための神事は出来ない。それなら、もう一人の従者であるマーヤが舞うべきだ。……大丈夫だよ、マーヤ。私を信じろ。ひと月後、私の結婚式で、私はお前を舞わせてみせる」


 マーヤは、その視線を、まばたきも出来ないまま、受け止めていた。

 その黒目がちな目から、ぽろりと今までこらえていた涙が落ちる。

 これ以上涙をこぼすまいと、ぐっとこらえたマーヤは、立ち上がり、サーレスに敬礼した。


「マーヤ=レシュベル、身命を賭して、神事のお役目を果たします!」


 会ったばかりなのに、自分を見て、信じてくれたこの人のために、マーヤは舞おうと思った。

 サーレスは、マーヤの瞳を満足そうに見つめて、頷いた。 


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