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いつもより若干文章量が多くなっております。携帯でごらんの方には、ページ数が増えて読み難いかもしれません。申し訳ありません。
扉の影から、いつも見慣れた服装で現われた人を見て、今までの仏頂面を消したクラウスが立ち上がる。
サーレスは、白の騎士服を身に纏い、肩の少し下ほどに伸びた髪を、後ろでひとつに纏めていた。
「ドレス姿も素敵ですが、やはりいつも見慣れた姿の方がしっくり来ますね」
「私もこの方が楽だよ」
ユリアは、サーレスと入れ替わりに部屋を後にし、残ったサーレスは、部屋にいた面々を見つめて、見知った顔に笑いかけた。
「ホーフェン、久しぶりだな」
親しげな笑顔に、初めて顔を見たアンジュとヴォルフェは驚いたのだが、以前言葉も交わしたホーフェンなどは気軽にそれに答え、軽く頭を下げる。
「お久しぶりです。いやぁ、さっきは驚きました」
「……」
笑顔のまま、サーレスは固まる。
「いっそ、記憶から消去してくれないか?」
「いや、無理ですからそれ。ドレスはそりゃ見事でしたけど、それよりも、なんかやけに背が伸びてませんでした?」
不思議そうなホーフェンに、恥ずかしそうにサーレスは答えた。
「それは靴だよ。かかとがな、これくらいあったんだ……」
サーレスは、親指と人差し指を使い、その高さを示す。あきらかに、中指の長さほどはあるその幅に、ホーフェンは目を丸くした。
「よく歩けましたね、それ」
「たとえあそこで躓いて転けそうになっても、クラウスがすっ飛んでくると思ったんだ」
苦笑したまま、サーレスはあっけらかんと言い放つ。その、クラウスへの絶対の信頼を表す言葉に、アンジュは驚いた。
「もちろん、あなたがお望みなら、風より速く駆けつける所存です」
クラウスも、それに悩むことなく返答する。
「まあ、だから、目の前は真っ黒で見えなくても、先に正面は道を空けてくれていると聞いたから、ただ真っ直ぐ歩くことだけ考えた。たどり着けば、なんとかなるだろうからな」
アンジュは、姫が馬車から降りたあとの足取りを思い出していた。
迷うことなく真っ直ぐと、背筋の伸びた姫の姿。黒いベール、黒の扇で顔を隠した状況で、あの時姫は、正面しか見ていなかった。
足元も、正面も見えない状況で、かかとの高い靴を履き、でこぼこした石畳を真っ直ぐに歩いていたのだ。それだけでも、この人が尋常ではない身体能力を持っていることが理解できる。
今、騎士服を着たこの人と、先程ドレスを着ていた人を比べて、似ているのはその背の高さくらいだ。先程は、グレイと同じくらいに見えたが、それはかかとの高い靴のためだったようだ。
女性としては低めの声も、高めの男性の声だと言われれば納得できる。
線は確かに若干細く感じるが、それでも鍛えていることはその肩を見れば一目瞭然だった。
黒騎士の中にも女性はいる。中には、男並みに戦う者もいるが、それでも女性騎士は、女性独特の丸みがあり、女以外には見えない。
あの時のドレスだと、素晴らしく美しい女性的な体型が見て取れた。胸の丸みも、腰のくびれも羨ましいほどで、アンジュが、最初に病人かどうか疑ったのはそこからだったのだが、今目の前の騎士服の人からは、それは全く感じられない。
ある意味、クラウスも性別が一目でわかりにくいが、この人物もそうだった。
呆然と、目の前にいる相手を見続けていたアンジュに、横から声がかけられた。自分の上司が自分を紹介しているのだと気づき、改めて姿勢を正した。
「サーレス、こちらは、黒騎士団の副団長で筆頭書記官のアンジュです」
「女性の副団長殿か。ここでは本当に、女性騎士が当たり前の存在なんだな。サーラだ。よろしく」
この人の口から女性名が出ることに、大変違和感がある。なぜかはわからないが、なにかが違う気がしてしまう。
「そこにいるホーフェンの奥方です」
「へぇ。ご夫婦で騎士団に所属なのか。それもすごいな」
素直に感心するサーレスに、アンジュは内心を押し隠し、敬礼をした。
「……ご紹介にあずかりました、副団長兼、筆頭書記官、第十二隊長アンジェリーナ=マクガイルです。どうぞ、アンジュとお呼びください」
「これから世話になる」
微笑むその表情は、あきらかに、爽やかな青年の表情だった。どこにも、女性らしさなど見あたらない。むしろ、美青年過ぎる。
アンジュは、目眩を起こしたように、足元をふらつかせる。笑顔に当てられたのだ。
「……サーレス殿。申し訳ないが、うちの嫁をさりげなく誘惑しないでもらえます?」
「ん?」
サーレスの笑顔が背後にいたホーフェンに向けられる。
「そんなつもりはないんだが……」
「あなたは普通にしてても女性にもてるんです。うかつに話しかけても微笑みかけても、女性はふらふら着いてくるんですから、自覚してください」
にっこり微笑み、小首を傾げているが、自分達の上司が微妙に怒っている雰囲気を出していることを察し、騎士三人が体を竦ませた。
「そんなつもりもないし、表情は作ってるわけでもないし」
「……ドレスで膝に居座りますよ?」
「城ならいいけど外ではやめてくれ」
城ではいいのか。その場で聞いていた全員が、思わず心の中で突っ込んだ。
「……ひとまずそれは置いておくとして。アンジュ。この人がこの姿の時は、サーレスと呼ぶように」
「了解しました」
「で、サーレス。兄君から伝言があります」
「……なにかな?」
「サーレスの身分は用意した。あとは好きにしろ。だそうです」
それを聞いた姫が、目をつぶった。なにかしばらく考えるように沈黙していたが、一つだけ息を吐き、静かに目を開いた。
「……それで?」
「ここは、黒騎士の総本山です。あなたがお望みなら、黒騎士として迎え入れることもできます。黒騎士団に入団する方法は二つあります。自分で志願し、黒騎士の学校に通うか、現役の黒騎士の推薦者を二名以上用意するか。本来、推薦者二名というのは、黒騎士がスカウトした相手を入れるためのルールなんですが、幸いにと言うか、あなたを自分の部隊によこせと言い張る推薦者が二名、そこに揃ってますから、あなたの返答次第では、今この瞬間に入隊も可能です」
「……サーレスの身分、というのは?」
「サーラ姫の従者です。ただ、この用意してある紹介状には、性別がありません。どうやら、こちらで勝手に書けという事みたいです」
「……意外と大雑把だな、兄上」
「ちなみに二枚あるので、おそらく性別を描き込んだものを一枚送り返せという意味だと思います。送り返さない場合は、あなたが黒騎士になったということで、あちらにもわかると言うことでしょう」
サーレスにその書類を見せたクラウスは、確認するように顔をのぞき込んだ。
「……あなたのお好きにということですから、私も口は出しません。どの身分であろうと、あなたがここにいることも変わりませんから。どうなさいますか」
「……推薦はありがたいけれど、黒騎士にはならない」
予想されたその答えに、クラウスは素直に頷いた。
「では、性別はどうしますか?」
そう問われて、サーレスはまた一つ、ため息を吐いた。
「女にしておくしかないだろう?」
「そうですか? 別に男でもだれも疑いそうにありませんが」
「あのな……私は、ここに嫁に来るんだよな?」
「そうですね」
「子供、いらなかったのか?」
その言葉に、クラウスの周囲の時が止まった。
「子供ができたら、どうしても体型が変わるじゃないか。なにか? その期間だけ、腹だけ太りましたと言えばいいのか? 十月十日過ぎて、腹の中のものが出たあとに、急激に痩せましたと言えばいいのか? その方がめんどくさいだろう」
頬を染める、男らしい花嫁の主張に、全員が納得した。
「腹の中に入ってしまったものをごまかすより、いるかいないか相手にはわからない夫をごまかす方が楽だろう」
「確かにそのとおりですね」
いつも、どちらかと言えばあまり表情を変えないクラウスが、呆然と答えていた。
しかし、その直後、見た事もないような穏やかな表情で微笑んでいた。
「サーレスが産む子供が、サーラが産んだ子と全く同時期に現われるわけにはいきませんし、子供を私のように一人二役にするわけにはいきませんから、できるなら身ごもっている間はサーラでいていただきたいんですが」
「それでも、サーレスは女でいい。ここは、サーレスが女のままでも、騎士になるのに問題はない場所だろう? それに私にはもう夫ができる。これから申し込まれたりしないし、口説かれる心配もしなくていいんだろう?」
「そんな相手には、私がきっちり指導しますよ。二度とそんな事を考えないように、体の芯に叩き込みますとも」
その言葉に、サーレスは顔をほころばせた。
「だったら、女にしておいてくれ。私も、別に、男になりたくてこの姿をしているわけじゃないんだから」
「了解しました。では、こちらは性別を書き込み、トレス殿下に親書として送ります」
「あ、送るのってすぐかな?」
「明日の早朝に出しますよ」
「私からも、無事にこちらに到着した旨の手紙を出すように言われているんだ。一緒に送ってもらえるかな」
「わかりました」
そこでいきなり、クラウスは団員達を振り返る。
三人は、呆然と二人のやり取りを見守っていたのだが、視線を向けられ、身を正した。
「というわけで、残念ながらそこの二人に推薦してもらう必要がなくなった」
「ほんとに残念ですよ」
ホーフェンは、大げさに肩を落としながら、そう呟いた。
「でも、姫に従者を付けるのは変わらない。サーラにはサーレスが従者として着くわけだが、サーレスと共に動く従者を一人選ぶ。アンジュ、誰が思い当たる者はいないか。サーレスの邪魔にならない程度に腕の立つ者か、入りたての見習い、どちらにしても、黒狼への忠誠は高い者」
「それならば、グレイの元に預けた、マーヤはいかがでしょうか」
その言葉に、クラウスはグレイに質問を向けた。
「……グレイ。お前の人物評は?」
「乗馬の腕はいい線だが、武器の扱いが壊滅的にだめな見習いだ」
「壊滅的って……おまえそれ、確かマーカスの末娘だろ」
「そうとしか言いようがないぞ。槍は重すぎてだめ、長剣は振りがおぼつかず自分の足に切り傷を作る。小剣は手から離れ、味方に吹っ飛ばした。最後の手段にボーラを持たせたら、気が付いたら自分が捕らわれていた。今は、もう一度基礎運動で筋力を上げているところだ」
グレイとホーフェンは、何とも言えない表情でアンジュを見つめる。
何を思っての推薦かと思ったが、アンジュはにっこりと微笑んだ。
「ですけど、あの娘なら、黒狼への忠誠は、他に類を見ません。熱意はありますから、上達の可能性はあります」
「確かに、そこまで壊滅的でも、とりあえず見習いにはなれたわけだから、卒業できたんだよな」
「……確か、マーカスの末娘って、入隊時のテスト、最低成績の記録更新したんじゃなかったか」
黒騎士四名が、お互い見つめ合ったまま沈黙する。
「……サーレス」
重々しいクラウスの声に、サーレスが首を傾げる。
「以上のような見習いなんですが、付けても大丈夫ですか。足手まといでしかなさそうですが……」
「それは気にしない。むしろ、その子を私に付けて、訓練が疎かにならないか?」
「城にいる間は、常時側にいる必要もありませんから、その時に訓練はやらせます。サーレスも、訓練に混じってくださって構いませんよ。どこでも出入りが自由にできるように通達しておきます。城にいるだけでは、退屈でしょう?」
「体を動かせるのはありがたいが……」
「見習いの腕前が気になるようなら、ご自身で鍛えてくださっても構いませんよ」
にっこり笑った婚約者の顔を見て、サーレスは苦笑した。
「それが目当てか」
「まあ、見習いを付ける目的といわれれば、一緒にいれば少なからずサーレスの影響を受けてくれるかという期待はありますが」
「まあ、その子次第で」
「わかりました。じゃあグレイ、明日までに、マーヤに知らせておいてくれ」
「了解した」
「今日は姫の歓迎会ですから、その時にサーレスとして紹介します。黒騎士は、この城にいる正騎士は全員が出席しますから、隊長達の紹介はその時にしますね」
「わかった」
「じゃ、仕事の話は以上。アンジュ。今日、私はもう仕事しないから」
クラウスが、堂々と言い放ち、三人にヒラヒラと手を振る。三人は、何か言いたそうにしながらも、その言葉に素直に従い、敬礼して部屋をあとにした。
「ヴォルフェ」
「はっ」
「聞いての通りだ。お前もそのつもりで」
一連の遣り取りを、黙って見ていた執事は、黙って頷いた。
「姫の側には、口の硬い者を。できるなら、黒騎士の身内を、ユリアさんに付けてくれ。姫に関しては、すべて彼女を通すように」
「かしこまりました」
「あと、使用人達には、姫の側付き以外には、サーレスの存在だけ伝えてくれ。サーレスが女性であることも。あと、サーラ姫の傍には、私が許した者以外、一切立ち入り禁止としてくれ」
「どうして? 使用人立ち入り禁止だと、さすがに慣れないユリア一人で、すべてをまかなうのは難しいんだが。もともと、この階を管理してたのは、あなたの側付の信用できる人なんだろう。せめてその人たちにだけでも、許可したらどうだ?」
「それはまだできません。不甲斐ないことに、まだ、全員の身辺調査が済んでいないんです。上級使用人は、全てノルドの人間で、調査も済ませてあるのですが、下働きに若干名、出身地が遠いものがいて、報告が上がってきていないんです。結婚式までには完了する予定なので、あなたが誰なのかを全員に明かすのは、全ての調査が終わった後になります。それまでは、とりあえず黒騎士にだけ、知らせます」
クラウスの決定に、サーレスは、ひとまずうなずいた。
密偵であるこの人が疑問を持つということは、それはすなわち黒である。サーレスはそれを直感で理解していた。
問題はおそらく、ユリアとサーレスなのだ。二人は、この城の使用人たちに関して、詳しくはない。下働きのふりをしている密偵が、上級使用人のふりをしてこの階にもぐりこんだ場合に、気づけるかどうかがわからない。そういうことなのだろう。
「さて、じゃあ、これで一通り用は済んだかな。ヴォルフェ。今日の晩餐は何時だったかな」
「あと二時間ほど後でございます」
「ヴォルフェ、ここはもう良いから、ユリアさんを手伝ってくれ。今は衣装部屋で荷解きをしているだろうから」
「は。では失礼します」
執事は、頭を下げて、静かに移動していく。
「荷物なら、自分で片付けに行く」
後を追おうとした手を、クラウスが捕まえる。
そのまま、ひょいと抱え上げると、側にあったソファにサーレスを降ろした。
「やっと時間ができたのに、行かないで下さい」
再び、クラウスに顔中に口付けを振るように浴びせられた。
「こ、これから、いくらだって時間はできるだろう?」
「……とりあえず、今抱きしめておかないと、人前でもやりそうなので」
「ちょ、ちょっとまて」
「やです」
甘えたように、首元に頬を寄せるが、そこに口付けは来ない。それはおそらく、書面に残した約定とやらに範囲が含まれていないのだ。
約定とやらに、いったいどこまで良いと記されているのか、不思議で仕方がなかった。どうせなら、口付け全部無しにしておけばいいものを、妙に中途半端に許してあるのがおかしい。
「そ、その……婚姻前なのだし、身を清らかに保つのは、ごく当然のことなのでは」
「そんな事になれば、私は倒れて病にかかりそうです」
「……えと、あの?」
「あなたが側にいて、今このありさまの私が、触れることもできないとなったら、どうなると思われるんですか。うっかりあなたに襲いかからないためにも、息抜きは必要なんです」
「そ、そんなことを自信に満ちあふれた顔で言われても、困る……」
顔中に、キスの雨を降らせられながら、あえぐようにサーレスはつぶやき、抗議した。
しかし、そんな抗議もどこ吹く風のクラウスには、一切通用しなかった。
結局、クラウスの気が済むまでそれは続き、執事から控えめに晩餐の用意が調ったと言われるまで、サーレスは離してもらうことはできなかった。