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花籠の道と黒の小石  作者: 織川あさぎ
第二章 ノルド篇
14/40

 執事が開けた扉から、三人の騎士が顔を出す。その中で、最も上位にあるアンジュが、クラウスの正面に立ち、敬礼した。


「お呼びですか」


 女性でありながら、副団長の要職に就く彼女は、現在団の中でただ一人、クラウスを頭から押さえつける権限を持ち、団長の首根っこを掴み、仕事に引き摺っていける人物として、団の中で尊敬を一身に集めている。

 今日も、長い栗色の髪を一分の隙もなくひとつに結い上げ、本性を見せないやわらかな笑顔でクラウスを見つめている。

 そんな、いつもどおりのアンジュを前に、クラウスは躊躇うことなく、用件を告げた。


「アンジュ。姫につける護衛を決めたい」

「……姫君は、ご病気が重く、あまり城から出ることがないとの噂をお聞きしましたが?」

「とりあえず、その噂は、頭の隅に追いやってくれ。今付けたいのは、外を歩き回る元気な人につける護衛だから」

「……意味がはかりかねます」


 アンジュが表情も変えない様子を見て、ひとまず、別の方向から説明する事にした。


「ホーフェン、グレイ。お前たちならわかっていることだろうが、姫は、これから病で寝室にこもりきりになる」

「ですから、その姫に護衛を付ける意味はなんでしょう?」


 アンジュが食い下がるのを、クラウスはちらりと一瞥して、再びホーフェンとグレイに向き直る。


「ただし、寝室に籠もるのは、名前とその身分だけだ。本体は、別の名で、城を歩き回るし、城下にも出るだろう。趣味が乗馬だし、じっとしているのは性に合わないと自分で言うような方だからな。だから、そういう方に付けるための護衛を選んでもらう。もっとも、剣の腕も乗馬の腕も、はっきり言えば、黒騎士の中でもかなうものはあまりいないだろう。技術だけで言うなら、私より上だしな」

「……やっぱり、ノエルでもそうなのか」


 グレイが、ため息とともにつぶやいた。


「お前は、姫と剣を合わせたろう。どうだった?」

「……強いな」


 きっぱりと言い切る、苦笑の浮かんだグレイの顔を見て、アンジュは驚きで顔色を変えた。

 グレイは、黒騎士の中で、団長であるクラウスを除き、一二を争う強者だ。そのグレイが、強いと言い切る相手が、病弱なはずがない。


「ノエルは、有り余る身体能力を、すべて戦いに使うことができるのが強みだ。だが、あの人の場合は、まさしく天賦の才。騎士として必要な身体能力と、戦神と言われたゴディック将軍の知識。それが、女性の体に宿っている。指揮能力も、個人の戦闘能力も、あの人を越えるのはそう居ないだろうな。カセルア王家にさえ生まれていなければ。姫でさえなければ。そう呟かれたゴディック将軍の無念がよくわかる」

「なんでそれが、姫かねぇ……」

「その身分さえなければ、剣を合わせたその場で、黒騎士にスカウトしていたところだ」

「お前、馬上の一騎打ちで負けたの、指折り数えても片手で足りるだろう」


 クラウスの一言に、ひとつ頷いた。


「三回だ。一回は黒髭。もう一回はお前。そして、三回目で、あの姫だ」


 サーレスとグレイが一騎打ちをした時、あちらは軽い革鎧だった。サーレスの側が望んだわりに、ずいぶん軽い用意だと思ったが、手で触れさえしなければ気にする必要はないと言われ、全力で当たった。

 しかし、その全力をきれいに受け流した後、すごい早さで、重さの乗った突きを入れられた。体勢が崩れていたために避ける暇もなく、肩当てを取られ、そのまま馬上から落とされた。

 自分が落とされることが、一瞬だが信じられない思いで、馬上にいるサーレスに視線を向けた。

 あの人は、余裕の眼差しで、すでに体勢を整え、自分を見つめていた。

 たとえあそこで自分が馬上に戻れたところで、勝ち目はなかっただろう。


「あそこまで見事に負けると、すがすがしくもあったぞ。あがく気にもならない」

「……あちらの王太子殿下から、手紙と紹介状が、ユリアさんの紹介状と一緒に入ってた」

「は?」

「まあ、元々そのつもりだったんだが、サーレスが、正式なサーラ姫の従者として身分が付けられてるんだ」

「……つまり?」

「さらにその手紙には、もう一言添えられてて……もしも本人が望むならば、黒騎士に入隊させてやってほしいとも書かれて……」


「ぜひ騎兵隊へ!」

「ぜひ幕僚室へ!」


 ホーフェンとグレイの言葉が、きれいに重なった。


「お前、あれを前線に出さずに裏方で使うというのか。愚の骨頂だ」

「おまえ、ゴディック将軍の直弟子を、作戦本部で使わずに前線に出すってのか。バカ言うな」

「ゴディック将軍は、実戦部隊の人間だ。その作戦も当然前線で、状況を間近で見ながらたてられるものが多いはずだが?」

「将軍就任後、あの方が立てた作戦で負けはなかった。前線ではなく、全体を見る能力に優れていたのは間違いないだろ。一部隊におさまってもらっちゃ困る」

「……一応言っておくが、たとえ彼女が黒騎士になっても、私は自分の側からあの人を離す気はないぞ?」

「ノエル!?」

「それに、あの人はその道を選ばないと思う。たとえこちらに輿入れしてきても、あの人の心はカセルアにある。黒騎士になると言うことは、カセルアを捨てるという選択だ。それを選ぶはずがない。だからこそ、トレス殿下も、本人が望んだらと注釈を入れたんだ」


 その言葉に、言い争った二人はがっくり肩を落とした。


「ぬか喜びさせやがって……」

「だが、黒騎士にはならなくても、意見は聞ける。技術指導もできる。だから、あの人に付ける護衛は、あの人の邪魔にならない腕前か、あの人が思わず教えたくなる頼りないくらいの見習いがいいと思う。アンジュ。どっちか心当たりは居ないか。できるなら女性の方がいいんだが。特に見習いなら、女性に限る。迂闊にあの人に触れると、見習いだと受け身がとれずに大けがをすることになるからな。そうなったら、あの人の方が傷つくだろう」

「受け身?」


 疑問も露わに答えたアンジュに、クラウスはひとつ頷き、アンジュと、その場に残っていたもう一人に視線を向けた。


「……アンジュ。それとヴォルフ。お前達、さっき姫が玄関に到着したとき、ちゃんと姫を見たな?」

「はい」

「では、問うが。あの人は、病を得ているように見えたか?」

「……正直に申し上げるならば、見えませんでした」


 アンジュは、クラウスの目を真っ直ぐに見つめてそういった。


「足取りもしっかりしており、なおかつ、あの体つきも、とても今まで十年以上、寝たきりだった病人のものには見えませんでした。しっかりと鍛えておられるようにお見受けしました」

「そこまで観察していて、あの姫を病人扱いするのは、不思議なくらいだ、アンジュ」

「でも、実際問題として、姫はお国でもいっさいの顔出しがなかったと聞きましたので。私どもでは、そもそもあの方が本物の姫君なのかも判断が付かないのです」


 そのアンジュの言葉に、クラウスは微笑を顔に浮かべた。


「あの人が本物かどうかは関係ないだろう、アンジュ。あの人が、私の妻になる人だ。それが一番重要なことだ。だけど、お前の気持ちもわからないでもない。あの人が本物の姫かどうか、この国でもう一人、判断できる人が居る」

「……どなたでしょう」

「黒髭だ。黒髭は、まだ重病の話が出る前の、幼い姫に会っている。その場には、母君である王妃陛下も、ゴディック将軍も居られたと聞いている。つまり、黒髭は、正真正銘、あちらで本物の姫に会っていることになる。どうしても本人か確認したいというなら、黒髭をつれてきて、顔合わせをするといい」


 アンジュは、その言葉に頷いた。


「時間が取れ次第、黒髭の都合を確認します」

「黒髭なら、姫の病についても、理由を知っている。その病を確認したのが、他ならぬ黒髭らしいからな」

「……本当に、ご病気なのですか?」

「ああ。ただし、精神的なものだ。男性恐怖症なんだ。それも、極度の」


 日頃、冷静であまり表情の変わらないアンジュと執事が、呆気にとられた。


「男性、恐怖症?」

「すさまじいくらいのな。異性に触れられると、条件反射で相手を吹っ飛ばす。先ほどグレイが述べたように、本人が大変な技量の持ち主で、戦闘訓練をしっかり積んでいるだけに、その被害はかなり大きくなる」

「あの、それじゃあ、ご結婚といっても、その、白い結婚ということでございますか?」


 執事が、しどろもどろで問う。この人がこんなに狼狽するのを見るのは、おそらくクラウスも初めてだった。


「先ほど抱き上げるのを見ていたはずだが。私にはなにもおこらないんだ。だから、カセルアも、私に姫を娶らせてくれたんだ」

「そのくらいのことで、カセルア王家は姫を重病としてお隠しになったのですか?」


 たとえ姫が男嫌いだとしても、そんなのはいくらでもあり得る話だ。男性に免疫がない、貴族の令嬢などには、よくある話なのだ。たとえ極度のものだとしても、それが結婚の障害になるなど、聞いたことがない。

 そういう意味で、アンジュは首をかしげたのだが、クラウスはその言葉に、静かに首を振った。


「私が調べたところだと、あの人にうかつに触れた相手で一番ひどい被害を受けたのは、近衛騎士の一人で、肋骨三本骨折だそうだ。鍛えた近衛が、油断していたとは言え、革鎧を着用した状態で、素手の一撃でその有様なんだ。こんな姫をうかつに他国の王子に添わせて、初夜の布団の中で相手を再起不能にしたら、それだけで戦争が起こると思わないか? 実際の被害を目にしたカセルア王家は、重病ということで、申し込む方も申し込まれる方も無難に断ることができる理由を用意したんだ」


 この場にいる人々にも、状況がまるで目の前で起こるようにわかった。

 革鎧の上から一撃でそれなら、素肌を合わせるようなことはできるはずもない。褥の中でそんなことになれば、カセルアは姫の代わりに暗殺者をよこしたと言われ、まちがいなく戦争になるだろう。とても、それくらいのことと言える状況ではない。


「つまり、あの重病説は、カセルアの方々の、苦肉の策だったんだ」


 クラウスは苦笑しながら、呆気にとられている二人に頷いて見せた。


「トレス殿下は、私に、姫はブレストアに嫁に出すわけではないと仰った。姫は、ブレストアの王弟にではなく、黒狼のノエルに渡すのだと」


 国にいても、姫はずっと影でしかない。女の体である限り、そして、その才能故に、国で飼い殺しにするしかなかった。他国にやって、その頭の中にあるカセルアの軍事情報を渡すわけにはいかなかった。うかつに、戦闘の才能を知られて、その国に戦力を与えるわけにはいかなかった。

 兄の王太子は、ずっと共にいて、姫の才能をカセルアでもっとも知り尽くした人だった。だからこそ、このままカセルアで、自分の影のままでいさせることを惜しんだのだろう。


「黒狼ならば、どの国とも関係ない場所に、あの戦の天才を置いておけるだろうと。だから、私は、姫をブレストアに晒すわけにはいかない。あの人は、黒狼の……黒騎士団長の私に嫁いでくるんだ。兄上の駒として使わせるわけにはいかない。ブレストアとカセルア、二国のチェスボード上に、姫を駒として置いてくれるな、というのが、トレス殿下が私に出した、結婚の条件だ」


 団長の表情を見た黒騎士たちは、身を正し敬礼した。


「姫は、表向き、こちらに着いてすぐに寝込んだことにする。面会はすべて断る。兄上も、そして母上にも、今のところ、面会の必要はない。姫本人は、姫の従者サーレスという名で表向きはいてもらう」

「結婚式はいかがなさるのですか?」

「式は、この城にある礼拝堂で行う。出席は、黒騎士だけでいい」

「王族の方々は、ご出席を希望されておられたようですが……」

「姫の体調が思わしくなく、日付けを決められないとでも言えばいい。日付けが決まらないから、招待状も出せないとなれば、気を使う必要もないだろう」


 そう言いながら、クラウスはいつもは浮かべることのない皮肉めいた笑みを浮かべた。


「そもそも、呪われた王子の結婚式になど、王宮の人々が来たがるはずがない。彼らの目的は、カセルア王家が臨席するだろう前後に催される夜会だ。そこで、あちらの王家と懇意にしたいのだろう。それならなおさら呼ぶ必要もない。あちらからは正式に、出席はしない旨の通知をもらっているからな」

「それも、なぜですか。姫の輿入れならば、誰か付き添いがあってしかるべきでは」

「姫の事は、カセルアでも重篤で通されていた。つまりあちらは、姫がブレストアの地で貴族よろしく式典だの晩餐会だのに臨席できないことを知っている。もともと、式典など行わないこと前提に、輿入れをさせているんだ。式典もないのに、王家の人間をわざわざこちらによこすことはしない。必要なら、大使でも呼べばいいと言われた」

「……姫は、その事をご存じなのですか?」

「知っているだろう。あの人は、兄君となにも言わずとも意思疎通ができていた。それくらいできなければ、影武者もつとまらない」


 クラウスの告げた実情に、アンジュもさすがに困惑を隠せない。

 執事も同様で、普段あまり表情の変わらない二人でこの有様なら、他の黒騎士達も、納得させるのは難しい事が察せられる。

  

「影武者?」


 呆然と呟くアンジュに、クラウスは頷いて答えた。


「そうだ。サーレスは、トレス王太子殿下の影武者だった。王家の人間が見ても見分けが付かないとまで言われた人だ。姿形はもとより、声の質からほんのわずかな仕草まで、見事に瓜二つだった」

「姫は女性ですが、その女性が男性である王太子と瓜二つなのですか?」

「そうだ」

「ほんとにそっくりだったぞ。俺には見分けられなかった」


 ホーフェンが頷きながらクラウスに同調すると、横にいたグレイもそれに追従した。


「俺にも見分けられなかった。身長も同じくらいだったはずだ。見ていない間に横に並ばれると、本当に不思議なほどに見分けが付かない」

「意図せずに相槌なんかしていると、同じタイミングで同じように返すからな。たとえば双子だとか、そう言うことなら理解できるんだが、あのお二人は、一応サーレス殿の方が一つ年下なんだよな」


 不思議そうに、ホーフェンが首をかしげたところで、姫の部屋からノックの音が響く。クラウスが返事を返すと、扉が開き、ユリアが姿を現した。


「お支度整いました」


 ユリアは、その場の面々を見渡し、ひとつ頭を下げると、扉のすぐ横に控える。


 その後、姿を現した人を見て、アンジュと執事は、二人揃って、普段ほぼ崩れない表情に驚きを表し、言葉を失った。




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