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花籠の道と黒の小石  作者: 織川あさぎ
第二章 ノルド篇
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 その馬車が、ノルド城の前にたどり着いたのは、ちょうど昼食前だった。

 物見台からの連絡で、慌てて門から城郭までの道の回りに黒騎士達は整列した。


 周囲を、グレイ率いる四隊の精鋭十名に守られながら、舗装された山道を足取り軽やかな四頭立ての馬車が登っているのが、遠目にも見て取れる。

 馬車を見つめた一番隊長マーカスが、厳つい顔をさらに顰めながら、隣にいたホーフェンに小声で愚痴る。


「病弱な嫁さんなんだろ? そもそも、長旅のあとに馬車を自力で降りられるのかね」

「大丈夫だって。へたしたら、あの馬車には乗らずに、馬に乗って出てくるぞ」


 ノエルが求婚のために姫の母国に赴いた際に同行したホーフェンは、自信満々な様子で頷いた。


「病弱なのにか?」

「おう。見たら驚くぞ」


 病弱なのに、馬に乗って出て来かねない姫というのがどうしてもわからず、マーカスは首を傾げた。

 そもそも、この姫の病気というのが何なのか、全く知らされていないのも、おかしな話である。伝染病ではないという説明はあったが、具体的な症状もさっぱりわからない。

 そもそも、重病という位なのだから、起きあがることすら困難なのではないか、というのが、大半の意見だった。

 ようやく城の近くまでたどり着き、馬車と騎士の一行の姿がつぶさに見えるようになったのだが、それらを見たマーカスは再び首を傾げた。

 やけに護衛達の顔色が悪いのである。

 平然としているのは、隊長のグレイだけで、他はなぜか、茫然自失しているように見える。

 常ならば、そんな状態を隊長であるグレイが見逃すはずはないのに、それを放置しているのもおかしい。


「……ん? どうしたんだ?」


 ホーフェンも、その異様な状態を訝しみ、首を傾げながら様子を伺っていた。

 馬車は、そのまま石畳をガタゴトと進んで、黒騎士たちが整列している手前で止まる。

 付き添いの騎士たちは、手元も怪しいほどよろよろと馬を下り、まるで操られるように、その馬車から離れ、騎士の整列に並んだ。

 グレイはその場に残り、扉の外に立ち止まる。

 肝心の馬車は、止まったまま、なにやら中からカタカタと音を立てるばかりで、乗ってきた尊い人は一向に顔を見せない。


「さすがに、馬車の中に、馬は入らないよな?」


 不安になってきたマーカスが、隣のホーフェンに尋ねたそのときだった。

 静かに、グレイが馬車の扉を開き、中から一人の女性が顔を出した。


 少女は、紅茶色の髪をきっちりと耳の上に二つのお団子にまとめ、興味深そうに、空色の瞳を、整列した黒騎士の列に向けている。

 白磁の肌は、見た事もないほど艶やかで、薔薇色の頬が、彼女の健康的な美しさをいっそう引き立てていた。


 大変美しい女性だが、彼女が姫ではないことは、一目でわかる。

 服装が、明らかに、姫のものではないのだ。

 地味な色の簡素なドレスは、布も仕立ても上等なものだが、一切の飾り気がなく、いかんせん、地味すぎた。

 案の定、彼女はグレイの手を借りさっと馬車から降りると、ステップの横に立ち、おそらく姫が降りるために手をさし出した。


 はじめに見えたのは、白い絹の手袋に覆われた、嫋やかな手だった。


 その手を支えに、ゆっくりとその人は姿を現した。

 ドレスと同じ色の絹布が張られ、レースで作られた花が飾られたかわいらしい靴がちらりと見える。はじめに見えた絹の手袋にも、細密なレースが飾られ、その繊細な作りは、さすが大陸でも最先端の、カセルアの姫の持ち物だと唸らせられる。

 驚くことに、姫は、これから舞踏会にでも行くのかと思わせるようなしっかりとした正装をしていた。

 カセルアを示す濃緑のドレスに、白のレースで作られた繊細な花が所狭しと飾られ、まるで満開のルサリスの樹を思わせる佇まいに、騎士たちは圧倒されていた。

 なぜか、姫の頭には、黒に近い色のレースのベールがかけられており、さらにはしっかりと黒の扇で顔を隠している。


 その違和感は、かすかに頭によぎったが、もしかしたら姫は病気であまり顔をさらしたくない状態なのかもしれないと、一同は無理矢理に納得していた。

 無理矢理にでも納得しないと、目の前にいる存在と噂の姫が、一切合致しないのだ。目の前にいるのは、その病弱という噂を吹き飛ばすほどの、圧倒的な存在感のある、威風堂々とした姫だった。

 しかし、存在感を示したのは、ドレスだけではないことに、その姫が一歩足を踏み出したとき、騎士の面々は気がついた。


 ―――でかいのだ。


 後ろに控えめに立つ少女が、ずいぶん小さく見える。

 遠近感を狂わせるようなその身長差に、驚きが顔に表れそうになる黒騎士の面々は、ここでそれはさすがにまずいと必死で耐えた。

 ドレスの裾を少女に持ち上げてもらいながら、一歩一歩、姫は石畳を歩き、ゆっくりと自らの夫となるクラウスの前に立つ。


 やはり、でかい。


 クラウスは小柄なので、姫の大きさがより強調されて見える。

 二人が並ぶと、クラウスの頭一つ分上に、姫の頭はあった。

 ベールの下に、頭上に纏められた髪があるので、それがさらに彼女を大きく見せているのは間違いない。しかし、それを差し引いたとしても、男性騎士の中でも背の高い方であるグレイと並んで遜色がない程度に、背が高い。

 しかし、クラウスは、黒騎士の面々が見たこともない、うれしそうな笑顔で、遙か頭上にある花嫁の顔を見上げていた。


「ようこそ、ノルドへ。長旅お疲れさまでした」


 全く動じてないらしい自分たちの団長に畏敬の念が騎士たちの間に沸き上がる。


「……皆様の出迎え、痛み入ります」


 姫は、扇を閉じると、優雅にお辞儀をした。

 ゆっくりと顔を上げると、ベールの裾から、艶やかな唇が笑みを見せていた。

 クラウスはまったく動じていないが、黒騎士達は姫の姿に戸惑いを隠せなかった。

 このでかい姫が、本当に重病と噂のカセルアのサーラ姫なのか。それとも、どこかで何か手違いでもあったのか。

 マーカスは、不思議に思いながら、となりに立つホーフェンをちらりと目だけを向けて見た。ホーフェンの顔は、若干青ざめていたが、あまり驚いてはいないようだった。


「なあ、ホーフェン。あれが、お姫様で、ほんとに間違いないのか?」

「間違いはない……が……」


 なにやら、しきりと首を傾げている。

 そんな二人を気にすることもなく、ノエルは花嫁に手をさしのべた。


「大変美しい装いで、驚きました。ドレスでの旅は、大変ではありませんでしたか。いつもの姿でもこちらはかまわないとお伝えしたのですが、知らせはいきませんでしたか?」

「こんなに並んで出迎えてもらえるとは……思っていなかった」


 ずいぶんと、小さな声だった。それだけを聞くと、確かに病の姫なのかもと思わせる。しかし、それにしては、ずいぶんハリのある、耳に心地よい声だった。


「旅装なのだし、もう少し、楽なものを用意してくれると思ったら……。母上に、支度をお願いしたら、最後に着させるなら、今まで用意していたレースを全部つけると言い張って、こうなった」


 その口調に、微かに困惑が読み取れる。

 今、小声で話す姫の言葉が聞き取れたのは、クラウスの傍近くで姫を迎えていた、十人の隊長達だけだ。

 その中にいたユーリは、その声を聞いて、驚愕の表情を見せていた。ソワソワと落ち着きなく周囲に視線を向け、改めて姫を凝視する。 


「……着慣れないものでの旅は、なお疲れたでしょうに、ご苦労様でした。お顔を隠してきてくださったのも、私からすれば喜ばしい。あなたの花の顔を、私一人で堪能できますからね」


 にっこり微笑むクラウスに、姫はその場で膝を曲げ、最上の礼をしてみせる。

 その姿に、その場にいた面々は、揃って息を飲んだ。


「……本日、今この時より、我が身ここを新たなる脈を繋ぎし地とし、幾年までもこの地のために我が力を尽くす事、我が名と大地に誓わん」


 それは、輿入れする花嫁が、大地の神に、その地の繁栄を担う一員となるための、誓いの儀式だった。

 確かに、普通の花嫁なら、生涯その地で暮らし、その地の繁栄に尽くすというこの宣誓は行うのが当然とされている。だが、カセルアの王位継承権を持っているサーラは、もしカセルアに有事があれば、すぐに帰らなければならない身である。

 生涯この地にいることを約束できない彼女が、この宣誓を行ったことに、その場の面々は少なからず衝撃を受けた。

 その誓いを受け、慌ててクラウスは己の剣を鞘のままベルトから外し、それを捧げ持つ。


「本日今この時より、我が魂の剣に懸けて汝の誓いを守らん」


 花嫁を受け入れる側の礼を返したクラウスは、姫が顔を上げたのを見て、にっこりと微笑んだ。

 そしてそのまま、姫の体に腕を回し、花嫁を抱き上げた。


「姫が、大地の誓いもしてくださるとは思いませんでした。ありがとうございます。……お疲れではありませんか。奥に入りましょう」

「え、あの、集まってくださった方々への挨拶とか……」

「どうせ後で食事の時に全員集合します。その時でかまいません」


 それだけ言うと、ノエルは扉を側にいた使用人に開けさせ、さっさと奥に入っていった。

 残された一同は、その扉が閉まるまで、ただ呆然と二人を見送っていた。



 扉が閉められた音と同時に、彼らは姫の供をしてきた騎士たちの元へ殺到した。


「お前ら、そんな顔色悪くして、どうしたんだ。いったい、何があったんだ?」


 グレイの部下達は、押し寄せる騎士たちの言葉に、青ざめたまま、フルフルと首を振る。


「グレイ。あの姫、何であんなにでかいんだ」

「あれで病弱って、ほんとなのか?」

「……後で、ノエルが説明する」


 グレイは、顔を背けながら苦し紛れのように言った。


「ていうか、団長のアレなに! あんなにふやけた顔みたの、初めてなんだけど!」

「あんなにニヤケたあいつ見たの初めてだ。天変地異でも起こるのか」

「いや、あの姫の前だと、たいがいあんなもんだったし。これからはずっとあんなだと思うぞ?」


 こちらは隊長達が集まった場所で、ホーフェンが顔をひきつらせながらそう説明した。


 団長のかつてないほどとろけた表情をみた団員たちは皆恐慌していた。

 それを輪の外から冷静に見つめている人物に気付いたグレイは、人をかき分け、その人の前に立つ。

 彼女は、空色の瞳をまっすぐにグレイに向けると、そのままふわっと微笑んだ。


「どうかなさいましたか、グレイさん」


 ユリアは、笑顔のまま、その視線を黒騎士の輪に向けた。


「皆さん、大変な騒ぎですね」

「みっともないところをお見せして、申し訳ない」

「いえ。ある程度は予想しておりましたし。それにしても、女性も結構いらっしゃるんですね」

「ブレストアでも珍しがられるが、黒騎士は、出身も性別も年齢も問われない。自分から志願してきたものも、才能を認められて入ってきたものも、ひとまず無条件で引き受ける」

「……それなら、サーレスも、はじめからここにお世話になれば、何の苦労もなかったかもしれませんね」


 それは、小さな小さなつぶやきだった。彼女は、幼い頃から、あの姫を見守ってきた人だった。それ故のつぶやきに、グレイも真剣な表情で返した。


「はじめからここに来てしまうと、あの人はあの人足り得なかった。これが、運命と言うものだろう」

「……そうですよね」


 ため息のような声に、不思議に思ったが、すぐさま彼女は表情を変えてしまい、それ以上は二人ともその話題に関しては沈黙した。


「そうだ。このお城の使用人頭はどなたでしょうか。侍女頭の方でも執事の方でもいいのですけど」

「ああ、それなら……」


 扉の前で表情も変えずに立っていた初老の使用人の前にユリアを導く。

 ユリアは、その人を前に、丁寧に膝を折った。


「初めてお目にかかります。私はこのたび、サーラ=ルサリス王女殿下に付き添い、こちらでお世話になることになりました、ユリア=カレイドと申します。カセルア王宮女官長からの紹介状をお渡ししてもよろしいでしょうか」

「お預かりします。ようこそ、黒騎士の里ノルドへ。私は、この城の執事を勤めるヴォルフェナードと申します。サーラ姫は、特殊な事情を抱えていらっしゃるとお聞きしております。あなたが来てくださったことを心強く思います」

「至らぬこともあるかと思いますが、よろしくご指導ください」

「こちらこそ、穏やかな国カセルアとはうって変わって、厳しい自然のこちらでの生活は、姫にとってもあなたにとっても大変でしょうが、一刻も早く、お二方がこちらの環境に慣れてくださればと思います」

「早速なのですが、すぐに荷解きをしたいのですが、よろしいでしょうか?」

「はい、もちろんですよ。ですが、先に旦那様にご挨拶なさるとよろしいかと思います。姫は、旦那様が個人的にお使いになる応接室にお通ししておられますので。あなたの顔を見れば姫も安心するのではないかと。ご挨拶をしている間に、姫の衣装部屋へ、荷物を運び入れておきます」

「はい、よろしくお願いします」


 執事のヴォルフェは、ユリアを伴い扉を潜った。


 グレイは、それを見送り、改めて黒騎士の一団に顔を向けた。なぜかそこにいた面々全員の視線が自分にあつまっているのを見て、ぎょっとした。


「グレイ。いつの間にお前まで……」


 マーカスが、目を丸くしたまま呆然とグレイに向けて呟く。


「……何の話だ」

「女は嫌いだとか言ってながら、ちゃっかりカセルアの侍女を口説くとは」


 グレイは、その言葉に対して、微かに眉間に皺を寄せた。


「あの人は、ユリア嬢といって、元々姫の付き人をしていたんだ。その縁で話しかけただけだぞ」

「にしては、仲良さそうじゃないのよ」

「あっちにいたときも、お前、ユリアちゃんとよく話してたもんな」


 いつもの脳天気な表情のまま、ホーフェンが話すのを、睨み返すことで黙らせる。

 その場の騒ぎは、情報を得ようとする動きから、次第にお互いの想像を膨らませる場となっていった。



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