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花籠の道と黒の小石  作者: 織川あさぎ
第一章 ドミゼア篇
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 その部屋は、この城の中では珍しいほどに、光に溢れた場所だった。

 元々ここは、代々の王妃に与えられる部屋であり、王妃専用の謁見室として利用されていたという。

 ガラスのはめられた大きな窓は、現在の部屋の主にとっては、常に危険を背負うようなものだと、誰しもが反対したというのに、そんな事を忘れさせるくらいに、その人はここにしっくりと馴染んでいた。

 その危険な窓を背に、部屋に足を踏み入れたクラウスに微笑みかけたのは、この国で最も高貴で、最もその部屋の窓を背にしてはいけない、常に危険から守られるべき国王、ランデル=デクスター=ブレスディン本人だった。


「帰ったか」


 先に声をかけられ、静かに頭を下げる。


「カセルアからの知らせは、先に届いている。その後のホーセルの反応も上々だ。この調子なら、お前の結婚までに、一通りの事は済ませられる。よくやったな」

「ありがとうございます」


 ランデルは、無愛想で、微かにも表情を動かさない弟に苦笑しつつ、その場で補佐をしていた者達を部屋から下がらせた。

 その全員が部屋から出たのを確認して、弟を先に椅子に座らせ、自分もそちらに向かう。


「カセルアはどうだった。トレスは、相変らず、笑っていたか?」


 兄の楽しそうな表情に、クラウスは微かに頷きを返した。


「あれは、笑ったまま、裏でいろいろ画策するからな。笑ってても笑ってない事が多いんだぞ」

「……そこまで詳しく、表情を伺うほどは側にいませんでしたので」


 ただし、怒っている時は笑っていた。それはもう、にこやかに笑っていた。その時、クラウスが思わず後ろに下がろうとした程度には、殺気が溢れていたのにだ。

 あの時の事を思い出し、思わず顔をしかめたのを、兄は見逃さなかった。


「よくまあ、トレスが結婚に同意してくれたものだな。あいつは、俺が話題に出した瞬間に、場を凍り付かせていたくらい、妹を溺愛していたのに」

「兄君にどうこう言う前に、王妃陛下にお願いしましたので」

「なるほど。お前は賢いな」


 朗らかに笑う兄は、相変らずだった。

 父によく似た、直毛の金茶の髪を無造作に背後にまとめ、普通の綿のシャツに、革で作られたズボンを履く姿は、どこの使用人かと言いたくなる。

 大広間の玉座に着く時は、さすがに女官長の一喝を受け、整えて出るが、それ以外の時は、いつも変わらない姿だ。

 ただそこにあるだけで、王者としての威厳を湛えているとまで言われ、その瞳の輝きは天空の青、陽の光を受けて輝く金茶の髪は、神に与えられた宝冠に喩えられた兄は、その己の容姿への評価を鼻で笑った。

 たかが髪の色と眼の色で王者になれるなら、この世はどこもかしこも王だらけだと言い放ったのだ。

 兄弟でこうも違う評価が与えられることを、先に笑い飛ばしたのもこの兄だった。

 笑顔の兄に、最も楽しみにしていただろう話題を思い出し、ぽつりと呟いた。


「……ですが、チェスは御指南いただきました」

「ほう。どうだった?」


 予想通り、目を輝かせた兄は、身を乗り出す。


「五手進んだところで、面白くないなと言われました」


 弟の言葉に兄は吹き出し、そのまま腹を抱えて笑い始めた。

 兄が笑い始めたらしばらくおさまらないのはよく分かっているので、そのまましばらく待つと、涙をふきながら、起き上がった。


「兄上は、よくあの方と指してもらえましたね。私は、面白くないのあと、相手にもされませんでした」

「俺は、決まりを全て無視して指したからな。あれ相手に、まともに勝負する方がおかしい。あいつが、大人を相手に指しているのを見てそれを思い知った。だから、駒を、自分が好きなものを好きなだけ並べて指してやった」


 唖然となるのも仕方がない。そんな事、クラウスは思いつきもしなかったのだ。


「……それで勝てたんですか?」

「清々しいほどに負けたが、それがよほど面白かったのか、何度も勝負したぞ」


 なるほどと思った。

 ただ、考えるのが楽しい。そう評したあの人の言葉を思い出す。

 まさか、駒自体を変えるのは、さすがに思いつかなかった。きっと、あの人も、それは思いつかなかったに違いない。

 あの王太子と兄が、仲がいいというその事実を、理解できた気がした。


「チェスは、トレスにとっては国の縮図。あれは、盤上に、自分の国を見ている。だからこそ、あいつは強い。あれを喩えるなら猛禽だ。地上にいる間はいかにも大人しそうで、何事にも動じず羽を休めているが、いざ自分のいるべき場所に舞い上がると、とたんに危険になる。遙か高みから全ての場所を見下ろし、獲物を見つけたら、もう逃す事はない。地上の生き物は、ただ見上げながら、その爪とくちばしが振り下ろされるのを待つ事しかできない」

「兄上なら、その猛禽捕まえられますか?」

「無理だ」


 あまりにあっさりした答えに、拍子抜けした。


「だが、あれの獲物にならない方法ならわかる。あれはな、自分の大切な巣を守っているだけだ。それが、カセルアの大地であり、国の民であり、そして、大切な家族であるだけなんだ。それを理解し、あれの守る巣を正しく認識できれば、あれは敵にはならない。あれだけの才がありながら、欲はないんだ、あいつは。領土を広げたり、何かを支配したり、そういった方面に興味が一切ない。あれを捕まえようと思うより、目だけ借りる方が、よっぽど得だと思うぞ」

「……その理論で行くと、大切な家族の姫を娶る私は、あの人の獲物になるんですが」

「それは、娶られる姫次第だろう。姫にとってお前が良き夫なら、あれにとってはお前はかわいい義弟になるだろうよ。そうなれば、ブレストアもあれの巣の中に入るかも知れないな。がんばれよ」


 兄は声を上げて笑いながら、ふと何かに気が付いたように突然笑いを止めた。


「そうだ、肝心の姫はどうだった?」


 今の今まで、あきらかに忘れていたらしい兄に、いっそその事はずっと忘れていれば良かったのにと思った事などおくびにも出さず、平然と弟は答えた。


「病で表に出られない姫でした」


 嘘ではない。ただ、病の実情を口にしないだけ。

 カセルア王家のその手法を、クラウスも踏襲する。


「嫁に来られるんだから、そこまで病弱じゃなかったんだろ?」

「気候の穏やかなカセルアであっても、外には出られないんです。推して知るべしでしょう?」

「それでどうやってこっちに輿入れするつもりなんだ?」

「ですから、姫の都合に合わせて、ブレストアへの入国は、今から五ヶ月ほど後のことになります。その頃なら雪もありませんし、寒さもこたえませんから。秋の前にこちらに来ていただいて、秋の初めに婚儀を挙げます」

「やっぱり、山の上にあるノルドよりは、こっちにいた方がいいんじゃないか?」

「姫は、大きな城で人に囲まれるより、静かな場所をお望みです。予定通り、ノルドに迎えます。ここだと、どうしても賑やかになりますし、なにより……ラズー教の目がありますし」

「あれはなぁ。姫に関しては、姫の星次第なんだろうが……。もう、姫とお前の婚約の話は、城の話題で出たからな。おそらく、星は調べているだろう。あれは、両親がわかれば、子供の星が出てしまう。凶星などでなければいいが、もっとまずいのは、ラズー教にとって都合のいい星が出ることだ。少なくとも、姫はラズー教に持っていかれるわけにはいかないからな」

「ですから、ノルドに連れていきます。ノルドは、ラズー教が手を出せない場所ですから」

「まあ、たしかにな」


 そのために、ノルドの支配権は王から外され、クラウスが治めている。ブレストアの中で、唯一と言っていい、ラズー教を、クラウスが表立って攻撃してもかまわない土地なのだ。

 クラウスに刃を向ける行為は、すなわち黒騎士団に刃を向ける行為。その事を、ラズー教団は数度の諍いで、骨の髄まで叩き込まれた。

 一度、クラウスが留守の間に、大々的に送り込まれたラズー教団の聖騎士と呼ばれる者達約百名を、ノルドの留守を預かっていた、一部隊二十五名ほどで、完膚無きまでに叩きのめした事件があった。黒騎士たちは、自分達の身内であるクラウスに攻撃を仕掛けるのは、自分達に刃を向けたと同然であると主張し、抵抗の正当性を国に認めさせたのだ。ラズー教団は、ノルドを制圧して、クラウスを孤立させることを目論んだが、最もまずい方法を取ったことに後ほど気が付いたらしい。

 それ以来、黒騎士自体に表立って攻撃を仕掛けることはなくなったのだが、教団はまめに密偵を送り込んでくるようになった。

 その度に片付けるのは面倒だと、黒騎士団の情報管理長であり、密偵の師匠であるマージュはぼやいていた。


「しかし、秋か……」

「戦の起こりやすい季節ではありますが、その時期に婚儀を挙げておかないと、姫のお体に触りますので」


 そう告げたクラウスは、ふと、兄の表情を目にして首を傾げた。

 兄は、なにやら別のことを思案しているような気がしたのだ。


「……秋がなにか?」

「いや、秋というか……」

「なんです?」


 尋ねたクラウスに答えることなく、兄は立ち上がり、執務机に向かうと、その上から二枚の小さな紙をクラウスに握らせた。

 中身を見て、思わず眉をしかめる。


「……これは」

「姫が、秋に使う道程は、間違いなくドミゼアだろう。それで、どうかと思ったんだ」


 その内容は、自分の見慣れた黒狼の暗号文だった。


 港街の亡命者、羊を装いドミゼアへ。


 その言葉が指す相手は、黒騎士団に属するものなら、即座に察する事ができる。


「三年前、亡命していったフラガンが身を寄せているのが、アルバスタの港町ラトラ。それのことだろう。そちらは、一週間前には来ていたものだ。もう一枚は、昨日届いたばかりだ」


 クラウスは、兄が告げた名に顔をしかめた。

 案の上、それは、前の団長が腕を落とした戦争のきっかけを作った貴族の名だった。真っ先にブレストアを裏切り、アルバスタに故郷を売ったのだ。その領地は、アルバスタにほど近い場所であり、この領地にある村で起きた、盗賊騒ぎが戦端だった。

 当時のアルバスタは、ブレストアとは友好関係にあった。クラウスの祖母に当たる、当時の王太后の母国であったからだ。

 ゆえに、誰も、その後の事態を想像だにしなかった。

 結果として、ブレストアは、アルバスタの進軍に対して反応が後手に回り、国土の三分の一もの進軍を許した。

 黒騎士団は、最初の進軍の直後に交戦したが、味方の混乱のあおりを受け、団長が倒れた。

 のちの調査で、この盗賊は、フラガンが仕立てたものである事が判明していた。アルバスタに助けを求めることで、アルバスタの進軍をより容易に成し遂げる材料としたのだ。

 その貴族は現在、アルバスタの王命で守られている。

 黒騎士団が、結成以来最悪の、辛酸を舐めたあの戦を、団員は忘れてはいない。

 静かに、もう一枚を開き目を通したクラウスは、今度こそ呻く。

 ドミゼアで、羊が扇動、農民踊る。そう書かれた意味は歴然としていた。


「羊、と書かれてあるからには、扇動した者は、ブレストアの人間だと言うことだろう。農民たちを扇動したのなら、おそらくここ数年の不作による、食糧難を突いたんだろうな。亡命者の部下がいくら暴れたところで、それはブレストアの意思ではないというのは簡単だが、実際問題として、非常にまずいことに変わりはない」

「今は特にです。私が帰る前、カセルア国王は、ドミゼア側と、ここ数年の不作に対する支援の決定と、通商条約の見直しをしていました」

「……それはすごくまずいな。というか、今か?」

「今です。私があちらにいる間に、国王がほぼ会談を終えていました。おそらく、街道の整備と道中の安全の確保を、姫の輿入れに間に合うよう、ドミゼア側に交渉したのだと思います。今からなら、十分期間がありますから」


 あの人が、姫の姿で移動してくるとは思えない。

 しかし、嫁入り道中だと、荷物の関係で、移動は確実に馬車になる。

 どんなに護衛をつけたところで、それが金になると思えば、無茶をする盗賊もいるのだ。ドミゼアは、カセルアに比べ、他国からの移民が多く、治安も悪い。まして、カセルアの姫。しかも、世間に知られている姿では、病弱で、抵抗などしそうにない相手なのだ。腕に覚えさえあれば、多少の護衛はものともせずに襲ってくる。

 だからこそ、今までは、ドミゼアではなく、ホーセルを経由する道が優先されてきたのだ。


「……さすが、カセルア王は行動がお速い。まさかとは思うが、今まさに条約の締結中とか言わないだろうな?」

「それはわかりません。なにせ私は逆方向にいましたし、帰ったとたんに、報告を聞く間もなくこちらに呼び出されましたから」

「昨日、この情報を持ってきたのは、マージュだ。そのまま足止めしてある」

「うちの隊長格を、勝手に行動制限しないでください。ただでさえ人手不足で忙しいんですから」


 クラウスの愚痴をそのまま聞き流し、兄は目を閉じ、何かを思案していた。


「……ひとまず、この羊と繋がっているドミゼアの貴族を探れ。ホーセル、アルバスタときて、さらにドミゼアがその同盟に加われば、うちは完全に包囲される。それこそ、姫が来るときにあわせて蜂起されれば、否応なしにカセルアも巻き込む事になる。それは避けたい」

「探るだけでいいんですか」

「可能なら、これは確保してこい。ついでに、アルバスタに引っ込んだあの裏切り者を引きずり出す口実ができるかもしれないからな」


 その答えに、クラウスは、この役割を誰に任せるかを、頭の中で考えた。

 少なくとも、生きてつれて帰るとなれば、少しは冷静に事が運べるものを選ばないといけない。

 クラウスは、相手の顔を見て冷静でいられる自信はなかった。少なくとも、自分は、相手を見たら、すぐさま剣を抜くだろう。戦の最中、一瞬の油断で逃がした盗賊の顔は、いまだに忘れることなく、夢に見るのだ。

 それでも、この任務を自分達に回した国王を、失望させるわけにはいかなかった。

 国王は、あの時の黒騎士達の怒りを覚えていて、それに繋がる糸を自分達に任せたのだから。


「起こっているという暴動に関してはどうしますか」

「それは、ドミゼアが解決するべき問題だ。まあ、早く終わらせてくれないと、うちの食糧事情にも響くから、何らかの支援を求められたら、出せるものは出すがな」

「では、ドミゼアの貴族の動向調査と、フラガンが送りこんだ人員の確保を、我々で請け負います」

「フラガンの方は、確保が難しいなら、貴族と確実に繋がっている事が証明できるようにしてくれればいい。方法は任せる」


 クラウスは、さっと立ち上がり、頭を下げて扉のノブに手をかけた。

 背後で、立ち上がる気配がしたので、再び振り返ると、兄王は機嫌良さそうに手を振っていた。

 その姿に、なぜか一抹の不安を感じたのだが、クラウスは頭をあっさりと切り換えた。

 兄の行動は、母に似て、予想ができないことが多いのだ。

 部屋を退出したクラウスは、そのまま兄の近衛騎士の元へ赴き、ひとまずその監視の強化を申し入れた。



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