知性のコスプレについて
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難しい言葉を駆使して論理的に語る人を見ると、 つい「この人、頭良さそうだな」と思ってしまう。
しかし経験則として、 “頭が良い人” より “頭が良く見える話し方が上手い人” のほうが多いのではないか という疑念を、私は拭えない。
なぜなら、本当に頭の良い人ほど、 複雑な概念をより平易な言葉に翻訳する能力に長けているからだ。
知性とは、難しいことを難しく語る能力ではなく、 難しいことを簡単に語れる能力に近い。
にもかかわらず、必要以上に晦渋な語彙を選ぶ人がいる。 そういう場面を見るたびに、私は
「それ、説明しているというより“知性のコスプレ”では?」
と思ってしまう。
もちろん、難語の使用それ自体を否定したいわけではない。 専門用語が必要な場面もあるし、厳密性のために簡略化できない概念もある。
ただ、 日常会話レベルの話で(CTR)だの(オムニチャネル)だの語る人を見ると、 “伝達” より “演出” が勝っていないか? とは思う。
やや意地悪に言えば、 中途半端に賢い人ほど、 「理解されること」より「賢く見られること」を優先しがちな気がする。
そしてダニング=クルーガー効果を雑に援用するなら、 知的に見せたがる欲求の強さは、 裏を返せば自分の知性への自信のなさの表れとも解釈できる。
つまり――
難しい言葉を多用する人ほど、 実は“頭が良い”のではなく “頭が良く見られたい”だけなのではないか。
……などと、 ここまで長々と小難しい言葉で論じてきた私自身が 最もその仮説を裏付けてしまっている
要約すると
「皮肉めいた文体で自分の思考を共有して、賢く見られてえよおお!!」
ああ、自己肯定感がほしい
ああ、自己肯定感がほしい




