誘惑に失敗した聖女、なまはげになる
シリアスに疲れたので箸休めに。
深い霧に包まれた渓谷。そこは、地図にない道をゆく流浪の民、「アステリア」の宿営地。
かつて、新教の騎士団に聖地を追われた聖女の一族の末裔である私たちにとって、このボロい馬車と焚き火の煙だけがホームだ。
「リリ、あんた……もう後がないわよ」
長姉のメルセデスが、絶世の美女特有の冷徹な視線で私を射抜いた。彼女が燻らす煙管の煙が、私の絶望をよりいっそう深いものにする。
私たちの部族は、その身に神の欠片を宿して生まれてくる。
長女のメルセデスは、一瞥で猛獣をも去らせる「威圧」の瞳。
次女のフィオナは、耳にした誰もが夢中になる「魅惑」の歌声。
なのに、末娘の私、リリには……何もない。
「歌ってみなさい」
「ら、ららららぁぁ〜」
「踊ってみなさい」
「ヤーレン、ソーラン!イヨッ…!」
「……ハァ。あんたに残された才能は、もう『夜の秘蹟』しかないわよ」
姉は無情にも言い放った。それはつまり、男の人をたぶらかしてアレコレする、あの……あの、不純な方の聖女の道である。
「そ、そんな……私に夜の誘惑なんて、できるわけないじゃない! 私、まだ手も繋いだことないのに!」
「つべこべ言わないでやるのよ。でないとあんた、ただの食いつぶしよ。……ほら、あの崖の上の、崩れかけた礼拝堂にいる世捨て人の男。とりあえずあれで試してきなさいな」
姉は私の背中をドスッと蹴飛ばした。
追い出された。夜の山に。たった一枚の薄汚れたドレス姿で。
私は震える脚を引きずり、村外れの古い礼拝堂へと向かった。
◆
そこにいたのは、新教に異端として弾圧されたアステリアの土着神をひっそりと守り続ける若き司祭、サイラスだった。
「……あ、あの、ごめんください……」
扉を開けると、そこにはツギハギだらけの法衣を着て、一生懸命に床を磨いている男の人がいた。
眼鏡の奥の瞳は優しく、顔立ちは驚くほどの美形……なのだが、なぜか漂う幸の薄さ。
彼は、あまりの運の悪さと貧乏くじ体質から、村人たちに「不憫すぎる司祭」として逆に同情されている聖職者だった。
「おや、リリさんこんな夜更けに……。もしや、お腹が空いているのですか? 私の粟の雑炊でよければ、半分差し上げますが……」
極貧生活の中でも、彼の魂は美しいままだ。だが、そんな彼を穢す結果になろうとも、今の私は躊躇しない。
「サイラス様!後生です! 私の……その……『処女』を受け取ってください! それで合格か不合格か、判定をお願いします!」
「……ええ!? リ、リリさん!? な、何を言っているんですか、主の御前ですよ!」
サイラスは顔を真っ赤にして、持っていた雑巾を落とした。
私はもう、必死だった。ここで「合格」をもらわないと、明日から私はキャンプの馬の糞掃除係か、あるいは路頭に迷う乞食なのだ。
「なりふり構っていられないんです! 私は、私は、才能なしのニートになりたくないんですぅー!」
私は姉に教わった誘惑のポーズをとった。胸を無理やり寄せて、上目遣いで彼に詰め寄る。
それは誘惑というよりは、「今日中にこの壺を買え」と迫る悪徳業者に近い気迫だった。
「さあ! 早く私を抱いて『あんたは最高の夜の聖女だ』って評価シートに記入してください!」
「リリさん、落ち着いて! 女性をそんな風に扱うなんて、神が許しません。それに君は……君はもっと、自分を大切にするべきだ」
サイラスは、慈愛に満ちた、あまりにも眩しすぎる聖人スマイルを浮かべた。
そして、私の肩に優しく手を置き、あっさりと(しかし断固として)私を振った。
「君は、夜の誘惑なんてしなくても、そのままで十分……というか、向いてないと思います」
「そ、そんな! 一生のお願いですから! 抱いて! 抱いてぇぇぇ!」
「リリさん、危ないですよ! 離してください!」
「離しません! 抱くか死ぬか選んでください!」
私はサイラスにタックル気味に詰め寄った。
その瞬間、サイラスの足元にあった、古びた腐った床板がメキッと音を立てた。
「あっ」
「えっ」
ここは崖の上の礼拝堂。そして彼の背後には、納骨堂へと続く、手すりのない急な石階段。
「わあああああああ!?」
「サ、サイラス様ぁぁぁーーー!!」
ズルッ、と彼の足が滑る。
サイラスは私を巻き込むまいと、空中で必死に私を突き飛ばし——そのまま、重力に従って階段の下へと転げ落ちていった。
ゴロゴロ、バキッ、ドンッ!!
下の方から、不穏な音が響いてくる。
とんでもないことになってしまった。
「う、嘘……。私、誘惑に失敗したどころか、司祭様を殺しちゃった……?」
私は絶望のどん底で、自分の両手を見た。
夜の才能どころか、ただの凶器である。
姉に合わせる顔がない。それどころか、神様への申し訳なさで、私のメンタルは完全にキャパオーバーを迎えていた。
「……うう、ひっ、ふえぇぇぇん! もう嫌だぁぁぁーーー!!」
私が礼拝堂で一人、地べたに伏して泣き喚いていたその時。
背後の暗闇——サイラスが落ちていった階段の奥から、冷たく、そして古いカビの匂いがする風が、ヒュオォォォ……と吹き上がってきた。
それは、長い間眠っていた「何か」が、私の絶叫に反応して、目を覚ました合図だった。
◆
「……本当に、本当に、本当に申し訳ございませんでしたぁぁぁ!」
翌朝。礼拝堂の粗末なベッドの横で、私はシーツが涙で湿るほど額を擦り付けていた。
昨夜、階段からダイブしたサイラス様は、奇跡的に命に別状はなかった。なかったのだが……。
「いいんですよ、リリさん。顔を上げてください。私の骨は三月に一度は折れるようにできていますから。むしろ、今回は骨折だけで済んで『今日はツイてるな』と思っていたところなんです」
サイラスは、右足に立派な添え木を当てられ、松葉杖をつきながらも聖母のような微笑みを浮かべていた。この人のポジティブさは、もはや一種の狂気だ。
でも、その優しさが今の私には猛毒だった。
「司祭様を殺しかけた挙句、誘惑にも失敗して……。私、もう一族のキャンプには帰れません。今頃お姉ちゃんが『リリはどうせ道端で野垂れ死んでるわよ』って煙吹かしながら笑ってるに決まってますぅ……」
「そんな悲しいこと言わないで。……そうだ、もし責任を感じてくださるなら、今日だけ私のお仕事を手伝っていただけませんか?」
サイラスは、琥珀色の瞳をキラリと輝かせた。
「お仕事……ですか?」
「ええ。この礼拝堂に古くから伝わる祭事です。本来は私がやるべきなのですが……あいにくこの足でしょう? 村と森の境界にある橋で、悪いものを追い払う儀式が必要なんです」
◆
手伝います、何でもやります! と二つ返事で引き受けた私を待っていたのは、想像を絶する代物だった。
「さあ、これを着てください」
「…………これ、なんですか?」
目の前に差し出されたのは、カビ臭い藁と、何の動物かも分からない真っ黒な獣の皮を何重にも編み込み、泥を塗りたくった、禍々しさのオンパレードのような防寒着だった。
オシャレな聖女の衣装? 繊細な刺繍? そんなものは一切ない。
そこにあるのは、着ただけで呪われそうなほど重厚な藁の塊である。
「うちの礼拝堂が崇めるまれびとの神、『冬の客神』を模した正装です。この時期は境界から忍び寄る邪気を追い払うために、これが必要なんです」
「あの……サイラス様。これ、ものすごく重いんですけど。あと、なんか濡れた犬みたいな匂いがする気がするんですけど」
「気のせいですよ。さあ、被って!……うわぁ、とってもお 似合いですよ、リリさん!」
——サイラスの「異形マニア」の片鱗がこの時から漏れ出していたことに、私は気づいていなかった。
私は言われるがまま、頭からスッポリと藁を被り、顔を隠す恐ろしい鬼のような面を装着した。
視界は狭く、空気は薄い。そして何より、重いし臭い。
「なんか嫌な予感……」
◆
村外れの古びた石橋。
そこは、人間の住む場所と、得体の知れない「魔」が潜む森を隔てる境界線だ。
凍てつく山から風が吹きつけ、藁の間から入り込んで私の肌を刺す。
「いいですかリリさん、儀式は簡単です。橋の中央に立ち、異界の邪気に『ここは人間の領域だぞ!』と知らしめるために、うおーっと思いっきり足踏みをするんです」
「足踏み……こうですか?」
トントン、と遠慮がちに足を踏み出す。
「いえ、もっと激しく! 全身の力を込めて、地面を震わせるように!」
「は、はい! えい、えいっ!」
ドス、ドス、と地味な音が響く。
(……何やってるんだろう、私)
不意に、虚しさがこみ上げてきた。
本当なら、私は今頃お姉ちゃんたちみたいに、綺麗なドレスを着て、男の人たちをメロメロにする「夜の聖女」としてデビューしているはずだった。
甘い言葉を囁き、指先一つで誰かを虜にする……そんなキラキラした人生を想像していたのに。
現実はどうだ。
カビ臭い藁を被り、誰もいない石橋の上で、一人でドスドスと地団駄を踏んでいる。
判定員の司祭様には「向いてない」と即答され、物理的な怪我まで負わせた。
「お姉ちゃんのバカーー! 私の才能なしーーー! 私の人生、もうどうにでもなれぇぇーーー!!」
悲しみと怒りが爆発した。
私はやけくそになり、体重を乗せて、全力で石畳をぶっ叩いた。
ドスッ! ドドドスッ!!
その衝撃が、橋の底に眠っていた「何か」を呼び覚ました。
瞬間。
周囲の温度が、一瞬で氷点下まで叩き落とされた。
ピキピキと石橋が凍りつき、森の奥から無数の「視線」がこちらを向くのを感じる。
「……え? なに、今の……え、体が、熱っ……!?」
心臓が早鐘を打つ。でも、それは恋のドキドキなんかじゃない。
内側から、煮え滾るような溶岩が血管に流れ込んでくるような感覚。
なんと、この世で最も空っぽで、最も絶望し、そして最も「激しく足踏み」をしていた私の体は、客神にとって、これ以上ないほど完璧な「依り代」として認識されてしまったのだ。
「あ、ああ、あああああああ!!」
視界が真っ赤に染まる。
脳内に直接、原始的な咆哮が響き渡る。
私の意識は遠のき、代わりに巨大で、荒々しく、恐ろしい意志が私の四肢を乗っ取っていく。
「リリさん!? どうしたの……って、うわあああああ!?」
松葉杖をついて見守っていたサイラスが腰を抜かす。
彼の目に見えていたのは、怯える少女の姿ではなかった。
藁の隙間から溢れ出す禍々しい神気。
身長が二回りも大きくなったかのように膨れ上がるシルエット。
そして——私の口から漏れたのは、およそ十六歳の乙女とは思えない、地響きのような重低音だった。
「………………罪゛な゛子゛は゛い゛ね゛が゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!」
それは、言葉というよりは、世界そのものを震わせる審判の雷鳴。
「泣゛ぐ゛子゛は゛い゛ね゛が゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!! 不゛信゛心゛な゛輩゛は゛、一゛人゛残゛さ゛ず゛断゛罪゛だ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!」
ドォォォォォン!! と私の足が地面を叩くたび、石橋に亀裂が走る。
私の右腕には、いつの間にか、錆びついているのに異常な鋭利さを放つ巨大な包丁が握られていた。
覚醒。
夜の誘惑に失敗した落第聖女は、その瞬間、物理で全てを解決する「冬の客神」へと成り果てたのである。
◆
「な、ななな、何これ!? 脱げない! 藁が脱げないよぉ!!」
視界の端で、自分の腕が見える。そこにあるのは、白く細い少女の腕ではない。鋭い鉤爪が生え、剛毛に覆われた、岩場のような太い剛腕だ。
おまけに、右手に握られた包丁は、もはや包丁というサイズではない。大人の男の胴体くらいある巨大な鉄の塊だ。それが私の意志に関係なく、鈍い銀光を放っている。
「ひぐっ、ふえぇぇ……これじゃ、お嫁に行けないよぉ……!」
私の乙女心は、あまりのショックに鼻水を流して号泣していた。だが、出力される声は残酷なほどに変換される。
「泣゛ぐ゛子゛は゛い゛ね゛が゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!! 不゛信゛心゛な゛輩゛は゛、胃゛袋゛に゛詰゛め゛て゛や゛る゛ぅ゛ぅ゛!!!」
バリバリバリ! と空気が震える。私の叫び声だけで、橋の欄干が粉々に砕け散った。
怖い。自分自身が一番怖い。
助けてサイラス様! と思って彼の方を振り返ったが、巨大な藁の仮面のせいで首が回らない。
そこへ、運悪く招かれざる客が現れた。
霧の向こうから、馬の蹄の音と、甲冑が擦れ合う冷徹な音が響く。
「いたぞ! 流浪の民『アステリア』の生き残りだ!」
現れたのは、新教が誇る「異端審問騎士団」。白銀の鎧を纏い、異教の神を信じる者を容赦なく浄化する、冷酷なエリート集団だ。
彼らは馬を止め、勝ち誇ったように剣を抜いた。
「しぶといネズミどもめ、崖っぷちに追い詰め……って、ヒッ!? な、なんだ、化け物!?」
隊長らしき男が、石橋の中央に堂々と仁王立ちする「私」を見て、顔を引きつらせた。
無理もない。そこには、体長三メートルを優に超え、全身から黒い気を放ち、巨大な包丁をぶら下げた怪物がいるのだから。
「あ、あの、違うんです! これ着ぐるみで、私はただの無能な聖女で……!」
私は必死に弁明しようと手を振った。
だが、客神のパワーを宿したその動きは、騎士たちの目には巨大な凶器を振り回す化け物にしか見えなかった。
「皆゛殺゛し゛に゛し゛て゛や゛る゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛!!(※誤解なんですぅぅ!)」
「ひいっ、攻撃だ! 構えろ! 異端の召喚獣を討て!!」
騎士たちが一斉に突撃してくる。
私はパニックになった。怖い! 刺される! 痛いのは嫌だ!
私はたまらず、子供がわがままを言う時のように、その場で激しく足をバタつかせた。
「嫌だ嫌だ嫌だ! 来ないでぇぇぇーーー!!」
ドォォォォォン!! ドドドドドスッ!!
その瞬間、世界が揺れた。
私が地団駄を踏むたび、橋の石畳が爆発し、衝撃波が同心円状に広がっていく。
山から吹き下ろす凍てつく風が渦を巻き、騎士たちの鎧を一瞬で凍りつかせた。
「ぐわあああ!? じ、地面が……動けない……!」
「神罰だ! 本物の神が降りたんだぁぁ!!」
馬たちはパニックを起こして逃げ出し、騎士たちは地割れに足を取られて次々と転倒していく。
私は止まらなかった。というか、止まれなかった。
ひとたび「客神」のリズムに乗ってしまった体は、神の舞を踊るように、さらに激しく地団駄を刻む。
「悪゛い゛子゛は゛い゛ね゛が゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!! 踏゛み゛潰゛し゛て゛や゛る゛ぅ゛ぅ゛!!!」
ブンッ! と右手の断罪包丁をひと振りするだけで、突風が巻き起こり、騎士団の先遣隊は木の葉のように森の奥へと吹き飛ばされていった。
わずか数分。
最強を誇る異端審問騎士団は、一人の少女のイヤイヤ期のような地団駄によって、文字通り壊滅したのである。
◆
静寂が戻った。
壊れた石橋の上で、私は立ち尽くしていた。
周囲の木々はなぎ倒され、地面には巨大な足跡が深く刻まれている。
体から熱が引き、少しずつ、私の剛腕が細い乙女の腕に戻っていく。藁の質感も、元のカビ臭いそれへと戻っていった。
「ひぐっ、ふえぇぇ……やっちゃった……。化け物になっちゃったよぉ……」
私は藁の仮面の下で、鼻水を垂らしながら泣きべそをかいた。
見てしまった。自分の振るった暴力の嵐を。
こんな姿、誰が愛してくれるだろうか。姉たちが言っていた「夜の誘惑」どころか、これでは「夜の悪夢」だ。一生誰とも手を繋げないまま、山の中で隠れて暮らすしかないんだ。
(怖いよね。ごめんね、サイラス様。もう、嫌われちゃったよね……)
絶望し、山に向かおうとしていた私の背後に、コツ、コツ……と松葉杖の音が響いた。
腰を抜かしていたはずのサイラスが、おずおずと近づいてくる。
私は彼に顔を見られないよう、深く項垂れた。
「……あ、あの……すみません。私、こんな、怪物に……」
だが、私の耳に飛び込んできたのは、怯える声でも、罵倒する言葉でもなかった。
「……かっこいい……」
「えっ?」
「リリさん、さっきの動き……! 完璧な、あまりにも完璧な『冬の客神』の具現だ! 荒ぶる神の威厳、その禍々しくも美しい藁のなびき方! 一歩踏み出すたびに大地を震わせる、あの原始的な力強さ……!!」
サイラスは、松葉杖を放り出しそうな勢いで、瞳をキラキラと輝かせていた。彼は私のまだ少し毛深い手を、両手でぎゅっと握りしめた。
「こんなに神々しい怪……いや、神様を、僕、生まれて初めて見たよ!!」
「……は、はい?」
「リリさん、君は凄い! 才能がないなんて嘘だ! 君こそが、この国が守り続けるべき真の聖女……いや、神様の化身なんだ!!」
褒められた。めちゃくちゃ褒められた。
でも……。
(……そうなの!? 嬉しいけど、求めていた『聖女としての才能』の方向性と180度違うんですけどぉぉぉーーー!!)
こうして、私の「夜の聖女」への道は完全に断たれ、代わりに「最強の神の依り代」としての、前途多難すぎる日々が幕を開けたのである。
◆
「……違うんです。私が目指していたのは、吐息ひとつで騎士たちを失神させるような、妖艶でミステリアスな『夜の聖女』だったはずなんです」
あの日以来、私の生活は一変した。
崖っぷちの礼拝堂で、私はサイラスのお手伝い――という名目の居候を続けている。
だが、最大の問題は私の体質だ。
あの「冬の客神」の力を一度降ろしてしまったせいで、私の霊的な蛇口はバカになってしまったらしい。
感情が高ぶったり、あるいは特定の「足踏みのリズム」を感じたりすると、即座にフル装備の藁怪物に変身してしまうのだ。
「サイラス様、スープを持ってきました。今日のは自信作……あだっ! 足の小指を柱にぶつけ……っ、ドスッ、ドスッ……」
ボフッ!!!
「……ス゛ー゛プ゛を゛残゛す゛子゛は゛い゛ね゛が゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!! 野゛菜゛を゛食゛べ゛な゛い゛子゛は゛食゛っ゛ち゛ま゛う゛そ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛!!!」
「おおおお……! リリさん、今日も実に見事だ……! ゾクゾクするほど神々しいよ!」
礼拝堂の食卓。湯気を立てるスープを前に、身長三メートル超の怪物が唾を飛ばし、それに対して美形の司祭がスケッチブックを片手に目を輝かせている。
地獄絵図である。
サイラスは、怪物姿の私を全く怖がらない。それどころか、彼は重度の「異形マニア」だった。
「見てくれ、リリさん。その角の、絶妙なねじれ具合……エロい。あまりにもエロいよ……!」
「……意味わかんないんですけどぉぉぉ!!」
鉤爪で物を持てない私の代わりに、サイラスが嬉しそうにスープを私の口に運んでくれている。
普通、女の子が「エロいね」なんて言われたら、それはもうアバンチュールの始まり——あるいはセクハラ事案である。
だが、彼の視線は私の中身ではなく、いつも私の「外装」に注がれている。
◆
「あの、サイラス様。私の、怪物じゃない時……この普通の女の子の姿の時も、できればちゃんと見てほしいんですけど……」
変身が解け、袖の千切れたボロボロのドレス姿で床に座り込んだ私は、勇気を出して彼の袖を引いた。
夕暮れ時の礼拝堂。ステンドグラスから差し込む赤い光が、サイラスの整った横顔を照らす。
「私、神の依り代の才能なんてなくても、あなたに『可愛い』って思われたいんです……」
サイラスは一瞬、ポカンとした顔をした。
それから、困ったように眉を下げて、私の頭をそっと撫でた。
その手のひらは温かくて、不器用だけど、とても優しかった。
「……わかっているよ、リリさん。君が、一生懸命僕を助けようとしてくれていることも、自分の体質に戸惑っていることも」
「サイラス様……」
「でもね、僕にとっては、どちらのリリさんも大切なんだ。平伏したくなる神の姿で僕を騎士団から守ってくれた君も、こうして震えている君も、どちらも僕にとっては大切な『まれびとの神様』なんだよ」
サイラスは私の目を真っ直ぐに見つめ、聖人のような、けれど一人の男としての熱を帯びた声で囁いた。
「いつか、君がその藁の化身を飼いならして、一人の女性として僕の隣にいてくれるまで……。僕はここでずっと君を祀り……いや、愛し続けるよ」
不憫すぎる司祭の、それは精一杯のプロポーズだった。
私の胸が、これまでにないほど激しく高鳴る。
ああ、お姉ちゃん。私、夜の才能はなかったけれど、世界でたった一人、この「重すぎる私」を丸ごと受け止めてくれる人を見つけちゃったよ。
感動が込み上げる。涙が溢れる。
そして、高揚した心に引きずられるように、私の足が、無意識に石畳を叩いてしまった。
ドスッ。
「……ううぅう、サイラス様ぁあぁ!! 愛゛し゛て゛る゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛!!」
「ここにいるよ! !さぁ、僕をかじってくれ、リリさぁぁぁん!!」
こうして、依り代の聖女と異形オタク司祭の、前途多難でうるさい物語が幕を開けた。
私の足音が響くたび、村人たちは「ああ、今日も聖女様が荒ぶっておられるな」と空を仰ぐ。
私はいつか、この呪われた怪物を完全に制御して、完璧なウェディングドレスを着て彼と歩く日を夢見ている。
けれど、彼が私の角と血走った目を見て鼻血を出しているうちは、まだまだ先の話になりそうだ。
異界と現世を結ぶ、世界一やかましい愛のステップ。
その「ドスドス」という音は、今日も古びた礼拝堂に、幸せそうに響き渡っているのである。
おしまい
短編ではギャグ、長編では悪役令嬢ホラー小説をメインに書いています。
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