三話.目覚め
息苦しい。
まるで水の中にいるかのようで、まともに呼吸をする事が出来ない。
身体の感覚は無い。分かるのは、いま自分が地に伏していることただそれだけである。
何とか気力だけで進んではきたが、それももう限界が来たようだった。
(ここで……死ぬのか……)
何も目的を達する事ができないまま、無様に地に付し命の灯火を消す。せっかく強くなれるチャンスを得たのに、それを活かす事も出来ない。
お前は出来損ないだ。
誰かが僕を責めた気がした。
そういえば村に居たときも、よく同年代の奴らに言われた気がする。
事ある毎に魔法を見せつけて、お前は出来損ないの屑だと見下してくる。負けじと僕も使おうとするが、いつも失敗して笑いものにされる。
両親はいつも泣き言を聞いてくれたが、医師から告げられたたった一言だけで態度が変わってしまった。
『それが無理なら……もう……』
それは、僕がなかなか寝付けなかった時に偶然聞こえてきた母の言葉だった。
父も何かを言っていたが、声の性質か上手く聞き取れなかった。ただ、肯定も否定もしなかっただろうとは思っている。父はそういう人だった。
僕は生きる価値も無い。ならここで死んでしまった方が皆の為にもなるのだろうか。
素直に受け入れかけた時、ふと夢に出た老人の言葉が過ぎった。
『得物を持ちながら──なぜ臆する?』
不思議と馴染みのあるその言葉は、今の僕に対して言われているようであった。
そうだ。諦めてはいけない。
消えかけていた炎が再び勢いを取り戻す。そんな表現が当てはまるくらい体全体に生きる活力が湧いてくる。
落ちかけていた意識を気合で保ち、力の出ない身体を無理やり動かし立ち上がろうとする。
「……こんな……とこ…………で…………」
プツリと糸が切れた。
力が抜けて、顔面を地面に打ち付けた様な気がした。
もはやここが限界であると、身体が言う事を聞かなくなった。
▽
どれだけ時間が経っただろうか。
木々から僅かに差し込む太陽光を受け、僕は目を覚ました。
体の節々が悲鳴を上げているのが分かるが、何かいけない物質が分泌されているのか痛みはさほどない。
立ち上がることは難しそうだが、身体を起こす事くらいは何とか出来そうだったので鞭を打って身体を起こす。
「……っ……」
未だに記憶が錯乱している。
何が現実で何が夢だったのかが未だに判断出来ないが、一つだけ確かなことは──
「──生きてる……僕はまだ生きてる……」
身体はボロボロ。満身創痍も良いところで、いまなにかに襲われようものなら抵抗できずにやられてしまうことは確実だ。
しかし僕は生きている。魔力も何も持たない僕が、ゴブリンを退けたのだ。
喜びよりも安堵の気持ちの方が強かった。
そのせいか僕のお腹が急に鳴り出す。
「どれくらい寝てたんだろう……」
意識を失っていた時間によっては今すぐにでも食べなければ命に関わってくる事になる。
しかし食料なんてどうやって調達するかなんて僕に知識があるわけもない。精々地面に落ちている木の実などを貪ることくらいだろうか。
……いや、そもそもこんな身体では動く事も出来ないか。
右脚のふくらはぎあたりが青黒く変色している。幸い骨折はしてなさそうだが、治るまでは時間が掛かりそうだ。それに両太ももが筋肉痛のような痛みを発している。
他には殴られた横腹か。ここはあまり痛みはない。もしかしたら臓器やらがやられている可能性はあるが、今のところはなんとか大丈夫そうだ。
脚以外は何とか今でも動かせる。何故か腕や手はやたらと血だらけだが、もう血は固まっている。見た目ほど痛みはないが、ここも脚と同様筋肉痛のような痛みを発していた。
「ふぅ……」
深く息を吸いこみ、溜めたものを吐き出す。
たったそれだけの行為で心は落ち着きを取り戻す。
ひとまず安静にして怪我を癒すのが優先だ。いつゴブリンや他の化物たちが来るかは分からない。魔力もなく、動けもしない今の僕には何が来ても脅威になる。
だからこれは最優先事項になる。
……と言っても、今の僕に出来ることはないんだけど。
「はぁ……」
僕は大の字になってゆらゆらと揺れる木々を見上げた。木漏れ日が神秘的な雰囲気を醸し出していて、見ていて落ち着く。
僕はゴブリンを倒した。
未だに実感は湧かないが、微かに残っている記憶やその感触から確かなものだと確信できる。
これも全部、あの時みた夢のおかげだ。
あのとき彼から引き継いだのは『記憶』のみ。それもごくごく断片的な記憶だ。
それでも、その記憶は糧となり力となる。
何故ならそれは、今の僕が産まれるもっと前の──『私』が経験した出来事なのだから。
「なら、僕は強くなれる」
この記憶が確かなら、『私』に魔力は無かった。
なら、その記憶と経験を継いだ僕にも真似くらいは出来るはずだ。
現にゴブリンも倒したんだ。
『私』の記憶を頼りに修練すれば、魔力がなくとも魔物と渡り合える力が手に入るかもしれない。
これで家に戻れば馬鹿にされることもなくなるし、両親も胸を張って外を出歩けるに違いない。
母さんが──また笑ってくれるに違いない。
……って言っても、覚えていることは少ない。『私』が強くなる為に何をしていたかもよく思い出せない状態だ。
それでも一つ、『私』が欠かさずにしていた事があるのは覚えている。
それは瞑想だ。
立つ必要もない。座る必要もない。今の僕にはぴったりな修練だった。
目を閉じて、身体から力を抜き、思考の波を立てないようにする。
風の匂い。木々が擦れる音。背中に感じる土の感触。自分の呼吸音から身体を巡る血液に心臓の音。あらゆる感覚を研ぎ澄まし、自然と一体になる。
不思議な感覚だ。同時に懐かしい気持ちになる。
それが雑念だとわかっていながらも、そう思わずにはいられなかった。
────どれだけ経っただろうか。
目を開けてみると、辺り一帯はすでに真っ暗になっていた。生い茂った木の葉の隙間からこぼれる月明かりが、今は夜なのだと告げている。
ほんの少しの時間だけ瞑想するつもりだったけど、集中しすぎていたみたいだ。
僕は身体を起こす。
「うぉ……!?」
身体が妙に軽く感じ、そのせいで思わず声を漏らしてしまった。
体中が痛みに包まれていたあの感覚が今はない。それに、動かせなかったはずの右脚も、痛みはあれど引きずりながらなら何とか動かせそうだった。
どういう原理かは分からないけど、どうやら身体が回復したみたいだ。
考えたところでわからないものはわからない。今はとにかくラッキーくらいで受け止めておくのがいいかもしれない。
「うーん……」
月明りは少なく、自分の足元すらまともに見えないほど暗い。虫の鳴き声がりんりんと響いているが、それがまた不気味さをかもしだしている。
寝る事も考えたが、ゴブリンに寝込みを襲われる可能性も考えると……なんて、夜まで瞑想していた僕が言えたものじゃないな。
でもせっかく強くなれる機会が手に入ったんだ。一日でも早く強くなって、皆を見返す為にも何か修練でもしよう。
『私』の記憶はまだまだ不完全で穴だらけだが、それでもこんな事が出来ていたという感覚はまだ残っている。
例えば『私』は夜目がとても効き、聴覚がとても発達していた事は感覚として残っている。
具体的には、今僕が見ているこの暗闇や虫の鳴き声しか聞こえないこの空間──それが『私』の感覚と僕の感覚に相違がありとても気持ち悪く感じてしまうのだ。
だからこそ違和感を消すためにも鍛えなければならない。
「でも修練の仕方を覚えてないからなぁ……」
『私』はどうやっていたんだろう?
聴覚は何となく分かるけど、夜目ってもう慣れるしかないんじゃ……?
いやいや、考えても仕方がない。取り敢えず聴覚に意識を向けてみよう。
僕は目を閉じてみる。
瞑想の要領で集中し、僅かな物音も流さぬように耳に意識を集中する。
……が、何も聞こえない。もちろんリリリと虫の鳴き声やカサカサと葉っぱが擦れる音は聴こえる。でもそれ以外は一向に分からない。
もしかしたら今鳴ってる音はこれだけとか……はないか。集中してもこれなんだから、『私』に追い付くのはそう簡単な話じゃないようだ。




