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運命を紡ぐ

西日の差す喫茶店にて-夏祭り-

作者: 蓮見庸

 カランカランと音を鳴らしながら扉が開き、オレンジ、青、赤に花の模様が描かれた浴衣姿の少女たち三人と、その母親と思われる洋服姿の大人がふたり入ってきた。

「いらっしゃいませ」

 マスターはいつものようにほがらかに迎え、その母親たちと何やら親しげにひと言ふた言言葉を交わして店の中央へ案内し、テーブルをふたつつなげた。少女たちはメロンソーダ、母親たちはアイスコーヒーを注文していた。

 そういえば、店の入口近くに盆踊りのポスターが貼ってあったのを思い出した。思い返してみると、喫茶店に来る途中にも浴衣姿の人を見かけたような気がする。どこかの花火大会にでも行くのだろうと思っていたけれど、ひょっとしたらこの盆踊りが目的だったのかもしれない。それに道に提灯も下げられていたような気もする。


 わたしは今日はブレンドコーヒーを片手に本を読んでいたが、彼女たちを見ていると自分の子供時代が思い返された。

 子供の頃は、あちこちの公園でお祭りをやっていて、小さい頃は彼女たちのように浴衣を着せてもらい、親に連れられて近所の公園に行った思い出がある。少し大きくなると友達と自転車に乗っていろんなところへ行けるだけ行った。踊りも少しは踊ったけれど、それよりも出店を見て回るのがとても楽しかった。最近はお祭り自体ずいぶん減ったみたいだけれど、浴衣姿の少女たちを見ているだけで、あの夏休みという特別な時間の、ひときわきらめいていた記憶が鮮やかによみがえってくる。

 それで納得した。わたしより先に店にいた紺の浴衣姿の若い男が、空になったガラスコップを脇に、しきりにスマートフォンをいじっているが、彼も盆踊りに行くのに誰かを待っているのだろう。高校生くらいだろうか、それとも大学生だろうか、彼女でも待っているのだろうか、そう考えるとなんだか微笑ほほえましくなった。

 そして浴衣姿はもうひとり。店の手伝いをしているというマスターのめいも明るい黄色の浴衣を着てカウンターに立ち、マスターに「もういいよ」と声を掛けられていた。

「これだけ運んじゃうね」

 彼女はそう言って、先ほどの少女たちのところへグラスを持っていくと、少女たちは目の前に運ばれてきたそのメロンソーダを見て歓声を上げた。

 わたしはその声を耳に、手元のメニューをあらためて見てみた。ソフトドリンクは、他にあるのは、オレンジジュース、レモンスカッシュ、そしてコーラ。彼女たちにとってメロンソーダは普段飲むことのできない特別なもので、ここからもうお祭りは始まっているのだろう。

 少女たちはジュースをストローで飲みながら「おいしい」とか「冷たい」とか思い思いのことを口にし、母親たちは話に夢中になっている。

 わたしは手元の本に目を移しページを一枚めくった。

 そこは真夏の今の季節にはまったく似つかわしくない、冬の描写で埋まっていた。


「お疲れさま。あとは気にしなくていいよ」

 カウンターからマスターの声が聞こえてきた。

 ほどなくしてマスターの姪がカウンターから出てきて、「またあとでね」と言いながら店から出ていった。

 生暖かい風が店内に入り込み、カウンターにぶら下がっていた風鈴がひとつチリンと鳴った。

 そして扉が閉じかけた時、ふたたびカランカランと音を鳴らし扉が開くと、浴衣姿の若い女が入ってきた。

 濃い紺地に白い大輪の花が描かれ、それを薄紫色の帯が覆っている。

 髪をアップにして、少し上気してはつらつとした表情で店内を見渡し、浴衣姿の彼を見つけると小さく手を振った。そしてコロンコロンと下駄の音を立てながら歩いていった。

 少女たちはそれがよほど気になったのか、まだ半分以上残っているジュースのストローから口を離し、テーブルから身を乗り出すように彼女のことを見て、母親たちにたしなめられていた。

 彼女がテーブルの前に来るまで、彼はその姿に見惚みとれていたようだが、いざ彼女が椅子に座ると、彼は恥ずかしそうにうつむいてしまった。

「遅くなってごめん」と彼女は明るく言ってメニューを手に取り、彼は「ううん、来たばっかりだし、まだ時間あるし」と応えていた。

「へぇ、そうなんだー」

と彼女は気のない返事をし、続けて、

「ね、何飲んだ?」

と、彼の言葉に返事を返すわけでもなく、メニューを見たまま聞いた。

「アイスコーヒー」

「ふーん。じゃ、わたしはメロンソーダにしようかな」

 わたしはマイペースな彼女の言葉を聞いていると可笑おかしくなり、吹き出してしまいそうになったので、下を向いてやり過ごした。

 本をふたたび開いて目を落とすと、そこでは雪が降っていた。

 店の外は相変わらずの猛暑。今が一日の中で一番暑い時間かもしれない。

 ふと、浴衣姿の少女たちや若い男女は、今年の冬はどうやって過ごすのだろう……そんなことを思った。今日はクーラーの風に当たって体が冷えたから、余計にそんなことを思ったのかもしれない。


 外からポンポンポンと音がした。

 夏祭りが開催される合図か、それとも花火の予行演習か。

 その音を聞いて浴衣姿の少女たちはそわそわし始め、両手で抱えるようにグラスを持ち、溶けた氷で薄まった緑色の液体を一心に飲み始めた。そんなに早く飲んでお腹を壊さないかと心配になってしまうが、同じようなことをした思い出がわたしにもあるから、子供はそういうものなのだろうと妙に納得した。

 母親たちは相変わらずおしゃべりに興じていたが、そのうちに少女たちはメロンソーダを飲み干し、母親たちに「早く行こう」とせがみはじめた。さすがに母親たちも話をやめ、まだ早いからもう少し待とうと少女たちをなだめたが、三人は声を揃えるように「早く!早く!」と言いながら徐々に興奮し始めたので、母親たちはとうとう時計を見て諦めたように「じゃあ、そろそろ行きましょうか」と帰り支度を始めたのだった。

 母親のひとりは帰り際マスターに「うるさくしてすみません」と謝っていたが、マスターは「構いませんよ、またいらしてください」と、相変わらずの穏やかな声で送り出していた。

 彼女たちに続くようにして、浴衣姿の若い男女も帰り支度を始めた。男の方は名残惜しそうだったが、完全に彼女のペースでせわしなく店を出ていった。


 コロンコロンという下駄の音と浴衣姿の若い男のうしろ姿も見えなくなると、店内はコーヒーの漂ういつもの穏やかな雰囲気に戻り、マスターとわたしを含めた数人の間を、ゆるやかなジャズの調べが流れていく。

 店内は少し薄暗くなってきたような気がした。昼間はいつまでも真夏のようだが、日が沈むのはずいぶん早くなったものだと思う。

 子供たちにとっては夏休みもあとわずかとなった8月最後の週末、子供の頃のわたしはどんな気持ちで過ごしていただろう。学校が始まるのが楽しみだっただろうか、それともずっと休みが続いてほしいと願っただろうか……。

 夏休みが終わってもまだまだ夏は続いていて、水泳の授業すらあったはずなのに、9月と聞くともう秋になったみたいで、なんだか夏も終わってしまうような気がしたものだった。

 わたしは本を閉じ、この夏を忘れないように少しだけ長く外にいて、夏を感じていたいと思った。


 わたしも帰り支度を始めて、本と手帳をカバンにしまった。手帳にはこの夏に行った島の写真が入っているが、今日もまだ島のことを教えてくれたあの老夫婦には会っていない。

 店を出る時にマスターに聞いてみると、ふたりのことを憶えていたが、最近は見かけないとのことだった。

 夏が終わってしまうとふたりにも会えなくなってしまうような気がしたが、そんな寂しい予感は振り払って、そのうち会えるかもしれないから写真はずっと手帳にしまっておこうと思った。


 店を出て眺めた空はどことなく夕方の気配が漂い始め、目の前を一匹のトンボが飛んでいった。

 軒先に吊るしてあった風鈴が鳴った。

 気が付くと、浴衣を着た先ほどの若い男女が縁石に座っていた。

 こんなところで何をしているのだろうと思っていると、どうやら女の方が転んでしまったようで、足首をさすっていた。

 女は「もう平気だと思う」と言いながら立ち上がろうとしたが、よろめいて男の肩につかまった。男は「もうちょっと休んだ方がいいよ」と言いながら、彼女をまた座らせた。

 わたしは声を掛けようとしたが、かといって何かできるわけでもなく、それにふたりの邪魔をしたら悪いと思い、どこか後ろめたい気持ちで前を通り過ぎた。

 ふたりの浴衣姿はとても似合っている気がした。

 遠くから太鼓の音が響いてきた。

 今はちゃんと夏なんだなと思った。

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